#4:非人間、初捜査

 俺は部室を後にした。美術部部室はこの隣だったな。俺が部屋を出ると、朱央はもちろんとして藍子もついて来た。逆に朱里は来なかった。彼女の言った通り、捜査は藍子に一任しているらしい。

 美術部部室に戻る。初動捜査を既に終えたと見えて、もう現場保存の段階は終わり、今は部室の中身を引っ掻き回していろいろ捜査を継続しているところらしい。大空晴人といったか、あの被害者の部長は既に連れ出された後だった。

 部屋のあちこちにブルーシートを広げ、そこに部員の荷物だったり、部室の備品だったりを並べて写真に収めている。それだけならともかく、ゴミ箱の中までひっくり返す徹底ぶりだ。何に使ったか知らないが、あちこち切り取られたコピー用紙がクシャクシャになって並べられている。どれだけ捜査の役に立っているかはさておき、なかなかどうして、本格的に仕事をしているじゃないか。

「何か見つかりましたか?」

 藍子が捜査中の一人に声をかける。

「いえ、何も」

「そうですか。では部室の外の捜査を。凶器の捜索と目撃者の聞き取りを続けてください。こちらはわたしたちが引き受けますので」

「了解です」

 指示を受けて、生徒たちは部室から去っていく。

「随分手慣れているな」

「それはそうでしょう」

 藍子は溜息をつく。

「こんなことを五年していますからね。わたしは今高等部の二年生なので、水仙坂ここの中等部に進学したときから『疑似殺人授業』と付き合わされています」

 こんなことするために学校に通っているわけではないのですが、と彼女はぼやいた。

「これだけ手慣れて犯人の逮捕につながってないところを見るに、以前いた名探偵とやらの腕が知れるな」

「ええ、まったく。我々は探偵に頼り過ぎました。だから今、最大限の警戒をしているわけです」

 藍子が俺を警戒するのはそういう背景があるわけだ。

「七未人さんが犯人だった場合、どこかにナイフを捨てているはずですから、その捜索をしているわけです。あと、委員長の話では十時半くらいに朱央さんと校門で待ち合わせていたんですよね? もしあなたが犯人なら、それ以前に校舎で目撃されているはずなので、その目撃情報の収集ですね」

「無駄がないな。俺が犯人じゃないって点を除けば」

「なら、七未人さんは事件を解決できるんですか」

「そのつもりだ」

 ちらりと部屋の中を見る。風紀委員の連中は藍子の指示で消えたが、部屋には俺たち以外にも二人、残っている。俺たちと同じ第一発見者である長袖の女子生徒と、鍵を持ってきた(そして俺に無駄にされた)小柄な男子生徒だった。

「…………もう一人いたはずだが?」

 小太りな男子生徒が消えている。

「彼なら容疑者ではないので事情聴取が終わり次第帰しました」

 容疑者じゃない? 俺を疑ったのとはずいぶん対照的に、あっさりと疑いを消しているな。

「そういうルールなので」

 俺が怪訝そうな顔をしたのが分かったのだろう。藍子はそう付け足す。

「『疑似殺人授業』のルールに則れば、彼は犯人になりえないんですよ」

「…………ま、そういうもんだと受け取っておくか」

 あの小太りの男子生徒が無関係だという点は同意だからな。いないのは気になったが、気になっただけでどうということはない。

「じゃあつまり、俺以外に有力な容疑者がいるとすればこの二人だと考えているわけだ」

「今のところは、そうですね」

 俺は藍子に聞きながら、被害者の座っていた椅子近くにあった机の前まで進んだ。机の上には画材でも置いてあるのかと思いきや、並んでいたのはコーヒーとクッキーだった。

 コーヒーを手に取る。透明のプラスチック製蓋つきカップ。一般的なアイスコーヒーだ。カップにはコンビニのロゴも印字されている。蓋を開けて、俺は匂いを嗅いだ。

「違うな。そもそもアイスコーヒーには溶けないか」

「ひーくん何してるの?」

 朱央が近づいてくる。

「ちょっと確認だ。……こっちか」

 クッキーの方は、市販品ではなさそうだな。入っている袋がラッピングされたものだし、形もかなり不揃いだ。一口適当に選んで食べてみる。

「うん、これだな」

「ちょっと! いくらお昼が近いからって現場にあるもの食べたらだめだよ!」

「別に小腹が空いたから食べたわけじゃないんだがな……」

 俺はそんな食いしん坊ではない。だが俺がこんな暴挙をしても(暴挙という自覚くらいある)藍子が騒がないなと思ったが、彼女は俺から目を離してスマホを確認していた。初動捜査の情報確認だろう。最有力容疑者の俺から目を離すとは……と思ったが、俺が藍子の目を盗んで証拠隠滅を図りボロを出すのを案外期待しているのかもしれない。

「さて……」

 確認は終わった。俺は容疑者二名に向き直る。

「お前らからも話を聞かないとな」

「随分横柄な人っすねえ」

 俺の言葉に応じたのは小柄な男子生徒の方だった。

「しかし容疑者とは、僕一応、生徒会警察なんすけど」

 ほう、そいつは奇遇だ。

「お前、名前は?」

円居まどい円真えんまっすよ。中等部三年生で、美術部の部員っす」

 まあ、そりゃ美術部の部員だろうとは思っていたが。

「じゃあそっちは」

 話を長袖の女子生徒に振る。

「…………布張ぬのばりふだ。高等部一年生で、同じく部員」

 布張札はこちらを疑惑の目で見つめた。

「あんたは誰?」

「俺が何者かなんてのはどうでもいい。説明の義理もないしな」

「ひーくん」

 朱央が釘を刺してくる。

「自己紹介されたら自分も名乗るのが常識だよ」

「人間の常識など知らんな」

「言うと思った」

「ところで」

 少し気になっていたことがあり、俺は円真に尋ねた。

「確かこの学校じゃ捜査機関は風紀委員会と生徒会警察の二つがあっただろ。生徒会警察は何してるんだ?」

「ああ、それっすか」

 円真は暑苦しそうに自分の首元にある首輪を撫でながら答える。

「風紀委員会と生徒会警察は、休日は交代で詰めてるんすよ。今日は風紀委員会の番だったってだけで、明後日の月曜日になれば生徒会警察も動くっすよ。ていうか、そんなことも知らないあたりあんた、編入生か何かっすか?」

「そんなところだ」

 生徒会警察が動いていないのは単に当番が今日じゃないから、と。なんだ、その程度の話だったのか。てっきり生徒会警察が超絶無能なのかと思ったぞ。

「聞いた話じゃ密室だそうじゃないっすか。風紀委員会に解決できるんすか?」

「風紀委員会が解決できるかどうかはどうでもいい。俺が解決するからな」

 さて、本題だ。

「聞きたかったことがあるんだが、布張札」

「…………何?」

「お前、部長の大空晴人とやらと恋仲だったのか?」

「え……………………」

 何に驚いたのか、しばらく彼女は絶句する。それからようやく硬直を解いて、ぶんぶんと首を横に振った。

「違う違う。何それ? なんでそんなこと思ったの?」

「ちょっとひーくん!」

 俺の方を朱央が掴む。

「そういうの聞くとセクハラになるんだよ」

「人間の倫理規定など――」

「知ったこっちゃないんでしょ! 人間じゃなくても聞いたら駄目だから!」

「ちゃんと事件に関係することだ」

 朱央の腕を掴んで関節を決めた。

「ああーっ。ギブ、ギブ!」

「どうも気になってな。ほらお前、ずいぶん慌てて被害者に駆け寄っただろ。マジに死んでるならいざ知らず、『疑似殺人授業』の展開されている水仙坂ここなら十中八九気絶しているだけだと分かったはずだ。それにしては心配している様子だっただろう?」

「ああ、それ」

 布張は溜息をつく。

「実際、死んでるかもと思ったの。ほら、この学校って『学内自治法』が適用されてるでしょ? 警察が捜査に来ないから、本気で人殺しをしようって人もいないとも限らないし……」

 確かに。『学内自治法』の適用された水仙坂学園では、本当の殺人事件が起きた場合でも警察ではなく生徒会警察と風紀委員会が捜査を担当することになる。いくら『疑似殺人授業』で経験を積んだとはいえ素人に毛の生えた程度の生徒たちだ。そういう環境だから、本気で誰かを殺そうとしている人は、警察に介入されないからチャンスと思うかもしれない。

 『学内自治法』の適用された学校というのは、実質無法地帯に近い。多くの生徒は、それを考えないようにして暮らしているだけだ。

 そう考えれば、布張の不安も決して杞憂と一蹴はできない。

「じゃあついでに聞くが」

「ひーくん、はな、はな、離せーい!」

 こっちはあまり主題ではないが、布張に聞いた都合上、円真にも聞いておくことにした。

「円真、お前はどうだ? 美術部部長とそういう関係だったってことは?」

「ねえよ。なんで男なんかと」

「お前は異性愛至上主義者か。人類の半数しか愛せないなんてせせこましい人間だな」

「そこまで言われる義理あるか!?」

 ないだろうな。俺だって人間を愛したりはしない。俺が人間に愛を向けるとしたらそれは、人間がペットの犬に向ける愛と同類のそれだろう。愛情ではなく愛玩。絶対的強者が弱者に向ける憐憫だ。

 俺は朱央を離した。

「ぷはっ。何すんのさー!」

「ところでお前ら、例のナイフ型スタンガン持ってないか?」

「スタンガン?」

 朱央はオウム返しに聞き返す。布張と円真の二人は首を横に振った。

「持ってない」

「僕もだ」

 まあ持ってないだろうというか、持っていても馬鹿正直に持っているとは言わないだろう。凶器を今まさに持っているなら、自分が犯人ですと言っているようなものだ。

「持ってるよ」

 馬鹿正直な朱央はどこからともなく取り出した。まあこいつは容疑者じゃないし……。どこから取り出したのかと思ったら、ブラウスの裾で隠れて見えなかったが、腰にホルスターのようなものを帯びている。常時携帯してるのか……。

「こいつが凶器なわけだが……。別にさしたる興味はないが、どういう仕組みで動くんだ?」

「それ聞くくらいなら動画最後まで見ておこうよ」

 通信容量の無駄遣いだったもので。

「そのナイフを相手の人体に当てると、微弱な電気が通るんだよ」

 文句は言いつつ、朱央は説明してくれる。

「その電気信号をキャッチして、首輪のスタンガンが機動するの。同時に、ナイフと首輪が連動して、首輪に起動した時間と、誰のナイフで起動したかが記録されるってわけ」

「なんだ? つまりナイフは個々に識別されるのか?」

 どんなシステムだ。まあ、あの夜雷が作ったんだから超科学機器アーティファクトじみていても不思議ではないが。あいつは人間だが、この手の工作をさせたときの技術力が人並み外れているからな。「Wi-Fiで接続されていればスマホにもハッキングできる」と豪語していたくらいだから、首輪とナイフの接続機能もあいつが構築したんだろう。

 つまり、被害者である大空晴人の首輪にはスタンガンが起動した時間の他、誰のナイフで起動したかも記録されている。それを参照すれば誰が犯人か答え合わせができるという寸法なわけだ。裏返せば、おそらく『疑似殺人授業』における事件の犯人とはナイフの持ち主に他ならないのだろう。例えば俺が朱央からナイフを借りて犯行に及んでも、被害者の首輪に記録されるのは朱央の名前だから、犯人は朱央ということになる。

 だから藍子は俺が朱央からナイフを借りたのではなく、夜雷から先んじて受け取った可能性に言及したのだ。

「このナイフ、持ち手にトリガーがついているな」

「うん。そのトリガーを引くとスタンガンが起動するようになってるの」

 ふむ…………。俺の推理が正しければ、これを使うとひとつ難があるかもしれないんだよな。少し試してみるか。

 俺はナイフを左手で握る。握り込むとちょうどいいところでトリガーが指にかかる。トリガーを押し込んだ状態で、手早くナイフを布張に押し当てた。

「ぎっ!」

 布張は体をがくんと震わせて、気を失った。

「おっと」

 彼女が倒れる前に、俺は両手首を掴んで体を支えた。支えたというか、彼女を万歳させた状態でぷらーんとぶら下げているような状態だが。布張は同年代の女子の中ではおよそ平均的な身長をしているが、俺がそこそこ背の高い方なので、手首をつかんで立たせようとするとこうなる。

「なるほど。感電させるわけだから体が痙攣を起こすんだな」

「ちょっと!」

 朱央がこっちをねめつけてくる。

「何してるのさ!」

「捜査だ。これも必要なことだな」

「だったらわたしにやってよ」

「献身なのか被虐趣味マゾヒズムなのか分かりづらいな、その台詞」

 持っていたナイフを朱央に返した。スマホで情報確認が終わったらしい藍子もこっちに近づいてくる。

「あの、七未人さん。『疑似殺人授業』外でスタンガンを起動させるの止めてもらっていいですか? 誤作動だって報告するのけっこう面倒なので」

「次から気をつけるよ」

 さていい加減、布張の体を支えてやる義理もないな。俺は彼女の背中を膝で軽く小突いた。背部に衝撃を受けたことで、布張が覚醒する。

「けほっ。な、なにが……」

「ほれ、持ってろ」

 布張を適当に円真へ放り投げる。

「事件は解決した」

「え………………」

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