#2:学内自治法と疑似殺人事件

「これからお話するのは、我が水仙坂学園が実施する特別な教育プログラムのことです」

 スマホの画面に映されたのは、壇上で演説をつ一人の中年男性の姿だった。どこか大きな講堂を使っての講演会らしい。男の背後には国旗と水仙坂学園の校章が掲げられている。壇の上空には『朝霧あさぎり赤次郎せきじろう理事長講演会・学内自治法を考える』と横断幕が掲げられていた。

「その前に、すべての始まりである『学内自治法』について今一度ご説明しましょう」

 朝霧赤次郎と言うらしい講演者は、髭を蓄えて威厳を保とうという意志がありありと感じられた。喋り方もどこか大仰で物々しい。直感的に、この男は胡散臭いと俺は思った。人間なんてろくなものじゃないし、その中でも教育者と呼ばれる連中は唾棄すべき種族だが、その典型のような男に見えた。

「『学内自治法』は七年前に制定され、五年前から実験的に運用されるようになりました。十年ほど前から、学校ではいじめの過激化や学級崩壊などの重大な問題が生じておりました。そこでこの法律は、各学校に自治権を認めて、これらの問題に強力に対処しようという目的の元に制定されました」

 自治権を認める、ということが何を生むか。

「自治権を認めるということは、つまり日本の中にありながら、日本の外のようにふるまえるということです。ローマの中にありながら外国であるバチカンのように、あるいは沖縄に多くある米軍基地のように、と表現すれば分かりやすいかもしれませんね。要するに、日本国内の憲法や法律は通用せず、学校が決定した規則、校則がもっとも強力な規範になります」

 憲法すら通用しない。それは実質人権を捨てたようなものだが、さすがにそこまで極端な運用はしていないはずだ。あくまで実験と言っていたし、日本国内の法規をどこまで適応し、どこまで適応しないかはいい加減フレキシブルなはずだ。

「これにより何が起きるか。例えばいじめ問題は、よほど大事おおごとにならない限りは警察の助力を得られませんでした。初期の、小さいいじめの段階で被害者にとっては極めて重大な問題だというのに! しかし『学内自治法』が成立し、いじめを禁止する校則を規定すればどうでしょうか? その規定に従い、我々はいじめを初期の段階から、強力に摘発することが可能になるのです」

 おそらく摘発のための組織、警察に変わる機構を準備することすら、『学内自治法』が適用された空間内においては容易いのだろう。

「このような『学内自治法』は全国での適用を目指し、今まさに国会で議論が行われています。今は実験的な運用段階であり、全国で五か所の学校がその実験校に選ばれています。関東圏では我らが水仙坂学園が選ばれていますが、我が校は実験校の中で唯一、高等部のみならず初等部と中等部も適用範囲に収め、初等教育から高等教育まで広範な『学内自治法』実施におけるデータを収集しています」

 裏返せば、他の四校はどうやら高校が試験校として選ばれているようだな。どうして水仙坂のみ、初等部から中等部まで射程に収めた運用がなされているのか少し気になるところだが、壇上で喋くっている朝霧赤次郎はその点を説明する気がなさそうだ。

「そして我が校では、特に生徒たちによる自治を推進しております。通常、『学内自治法』は学校の教師や理事会といった大人たちが統治することを前提としておりますから、生徒による自治を推進する我が校の在り方は唯一無二と言っていいでしょう」

 ここまでの説明を聞く限り『学内自治法』は学校を運営する大人がより強力な権力を得るために設計された法律に思える。無論、生徒に自治を委ねることも不可能ではないが……、それをするメリットは何だ?

「そこで我が校が実施する特別な教育プログラムに話を戻しましょう」

 朝霧赤次郎はここで、演説台の上にアタッシュケースを置いた。

「生徒による学内の自治を推進する。それは構いません。ですがここで問題がひとつ。いくら我々の側で生徒自治を推進しても、肝心の生徒諸君が自治に興味を持たなければ、何の意味もないということです」

 これは理解できる。民主主義、国民主権の国家において最も厄介な問題は、主権者たる国民の無関心だ。自治を適切に取り計らうためには、主権者は模範的堅実な市民でなければならない。

「そこで我々は生徒諸君に、学内の政治的動向に注意を払ってもらえるようなシステムを構築する必要がありました」

 男は話しながら、アタッシュケースを開いていく。

「また、『学内自治法』適用下の学校では実務的な問題がひとつ発生します」

 それは何となく想像がついている。さっきこいつが言ったことだ。『学内自治法』適用下では憲法も法律も機能しない。それは刑法も同様であるはずだから、つまり警察が機能しない。

 ゆえに、水仙坂学園は、学内で生じる何らかの問題に対処する、日本警察に代わる組織を必要とする。

「学内で何らかの問題が生じたとき、日本の警察は水仙坂学園で捜査が行えないという問題があります。そこで我々は捜査機関として、生徒会警察の組織を決定しました」

 朝霧赤次郎は、ぐっと力を籠めて語る。

「同時に、相互監視の意味も含め、風紀委員会にも捜査権を与え、二つの部署による捜査機能を構築しています。ですが、良くも悪くも未成熟な生徒たちが主体ですから、捜査能力には限界があります。この点を改善する必要がありました」

 つまり、『学内自治法』適用において水仙坂学園が解決すべき問題は二つあった。ひとつは生徒主体による自治を可能にするため、生徒に政治的関心を払わせ無関心でいられなくすること。もうひとつが、生徒会警察と風紀委員会の捜査能力の向上。この二点を一挙両得に解決する何か《サムシング》が求められた。

「そのための、教育プログラム」

 満を持して、という風に力を込めて、朝霧赤次郎は告げる。

「それが我々の開発した『疑似殺人授業フェイクマーダースクール』プログラムです」

 名前からしてろくでもないプログラムだと、俺のミステリ的直観が知らせてくれる。

「すなわち、殺人事件を生徒たち自身に起こしてもらい、それを生徒会警察と風紀委員会に解決させ経験を積ませるというプログラムです。さらに、学内で常に殺人が起きる可能性があり、また捜査の対象になるかもしれないとなれば、必然的に生徒たちは生徒会警察や風紀委員会の挙動を注視せざるをえなくなり、政治的関心を払わざるをえなくなるというわけです」

 思いの外ろくでもなかったな。

「もちろん、起こしてもらうのは実際の殺人事件ではありません」

 そこでようやく、朝霧赤次郎はアタッシュケースの中身をこちらに見せた。中に入っていたのは二つの道具だ。ひとつはあからさまなナイフ。もうひとつは首輪だ。

 この首輪は……朱央や長袖の女子生徒がしていたのと同じだな。

「この首輪とナイフはスタンガンになっており、このナイフを人体に触れさせることで――――」

 もういいだろう。必要な情報は集まった。俺は動画を終わらせた。

「まだ動画に続きあるよ?」

 隣に腰かけていた朱央が覗き込んでくる。

「これ以上有益な情報があるとは思えないからな」

 俺はスマホをポケットに仕舞った。座ったままだとスラックスのポケットに入れづらい。

「それに通信容量の無駄だ」

「一応この学校、無料フリーのWi-Fi通ってるんだけどね。まだ編入もしてないひーくんは使えないもんね」

 さっきまで見ていた動画は、昨夜に夜雷が送ってきた例のメールに添付されていたものだ。なるほど、つまりこの学校を取り巻く環境について、これを見てあらかじめ知っておけということだったのか。

 見なかった俺に非はない。こういう大事な情報を送るなら、その前に同じような緊急性のある文言でモルモットの映像を送り付けるべきではない。

「しかし、まだ待たせる気か?」

 俺と朱央は今、美術部部室の隣にあった別の部室に押し込まれていた。入るときに確認したが、ここは地歴部の部室らしい。室内の様子からはそんな様子はあまり感じられなかったが。

「それはともかく」

 朱央は俺の顔を見た。

「事態については飲み込めたの?」

「まあな」

 要するに俺はまだ編入の手続きも済ませていないうちから、『疑似殺人授業』とやらに巻き込まれたということだ。どうして気を失っているだけの美術部部長を総員がかたくなに死んでいる扱いしていたのかといえば、あれが『疑似殺人授業』における死であるからだ。

「つまり、美術部部長は死んでいた。正確には首輪のスタンガンが発動して気を失っていただけだが……。それが『疑似殺人授業』における人の死だ」

「うんうん」

「お前が着けていたその趣味の悪い首輪もそのための道具だったわけだ。俺はてっきり最近の中高生の間で流行っているのかと思ったが」

「さすがにこんな趣味の悪いもの流行らないよ」

 朱央は自分の首輪に触れて、困ったように笑う。俺は単純にお前の趣味だと思ったんだが、それは言わぬが花か。

「首輪のスタンガンが発動する条件は、もうひとつのナイフ型スタンガンを体に接触させること、なんだな?」

「うん」

 例えば俺がナイフ型スタンガンを朱央の体のどこかに当てれば、それがスイッチになって朱央の首輪が反応し彼女を痺れさせ、彼女は死ぬ(仮)わけだ。そうすると、殺害方法はかなり限定されそうだな。

「ところであの動画に出てた理事長の朝霧赤次郎だが、朝霧ってことはお前の父親か?」

 どうりで朝霧という名を朱央が口にしたとき、どこかで聞き覚えがあると思ったわけだ。たぶん夜雷がどこかで話していたのを記憶していたのだろう。

「ううん」

 俺の質問に朱央は首を横に振る。

「お父さんじゃなくて叔父さん。お父さんの弟。わたしのお父さんは朝霧紅太郎って言うんだよ」

「その……朝霧紅太郎ってのもどっかで聞いたことあるな」

「あると思うよ。今の文部科学省大臣だもん」

「なるほどな」

 兄が文科省大臣で弟が関東有数の名門学校理事長、ね。どうもきな臭いな。

「しかしそうなると、お前けっこうなところの血を引いてたんだな」

「へへん」

 胸を張る朱央。こいつがひょっとすると二世の政治家として朝霧家の地盤と看板を引き継ぐ可能性もあるのか……。ちょっとイメージできん。

「でもわたし愛人の子どもだからなあ。朝霧家の跡継ぎにはならないと思うよ。上にお兄ちゃんとお姉ちゃんもいるし」

 それは初耳。てっきりこいつを引き取るくらいだから、朝霧家は跡継ぎに困っているのかと思ったが。

「ところで本当に遅いな」

 無駄話はその辺にして、俺はいい加減我慢の限界に達しつつあった。いつまで待たせるんだ。

「そもそも何で俺はこんなところに捕まってるんだ?」

「わたしたち第一発見者だからねえ」

「そういう問題か? 待たせ過ぎだろ」

 第一発見者と言うなら、長袖の女子生徒とか小太りの男子生徒とか、あと小柄な男子生徒とかもいただろうに、ここに今いるのは俺と朱央だけだ。

「生徒会警察の連中、随分手際が悪い」

「違うよ」

 俺の愚痴に朱央が答える。

「今捜査してるのは風紀委員会の人たちだよ」

「知ってるのか?」

「うん、だって…………」

 朱央が言いかけたところで、ようやく動きがあった。部室の扉が開き、部屋に二人の女子生徒が入って来る。

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