#2:人ならざるものの名
家に戻ると、用事のための準備を進める。シャワーを浴びて、服を着替える。おろしたての真新しい半袖カッターシャツと、スラックス。シャツの胸ポケットには水仙坂学園の校章が入っている。
『学内自治法の実地試験開始から今年で五年が経過しました。全国五か所の試験運用学校では今のところ大きな混乱もなく――――』
テレビでは何やらニュースをやっているが、興味も湧かなくて電源を落とした。朝食代わりに食べ散らかしたバナナの皮をゴミ箱に捨てて、荷物を確認する。今日、俺が学校に出向く理由は顔出しと編入の手続きだけだから、必要なものは多くない。学校指定の通学鞄へ、水筒とタオルとペンケース、折り畳み傘、あとは……読みかけの小説でも放り込んでおけばこと足りる。天城一の傑作選で、単行本で既に読んだものだが、文庫本になったときにまた買ってしまったものだ。
「……………………」
小屋を出ようとしてドアノブに手を掛けたところで、ふと動きが止まる。扉の先に人の気配がした。まさかと思うが……。
ドアノブを捻って扉を開き、外に出る。
ヒュン、と風を切る音がして、右側から何かが迫ってくる。そっちの方を見ないまま、反射的にそれを掴んだ。小さい粒状の何かだ。手を開いて掴んだものを確認すると、銀玉だ。
「今どき銀玉鉄砲って……。それどこで売ってたんだ?」
右側を見ると、さっきの小学生三人組が固まってこちらを見ていた。
「うわっ。こっち見ずに銃弾掴んだ!」
銃を撃ったのは中心にいた少女だ。こいつ、命の恩人である俺を撃とうとしたのか?
「もうここに近づくなって言っただろ。なんでまだいるんだ?」
……というか、よく見たら。
「風船持ってないじゃないか。また飛ばしたのか?」
「風船なら元の持ち主に届けたよ」
少女が答える。
「元の持ち主?」
「うん。今朝、小さい女の子が風船を飛ばしたってこの近くで泣いてたから、探したらこのビルの上に引っかかってたの」
なるほど。こいつらはその子が飛ばしてしまった風船を取りにビルへ侵入したのか。
「そいつは人間にしては殊勝な心掛けだな。で? 目的を達成したのになんでまだここにいるんだ?」
一歩踏み出して連中の前に出る。慌てたように三人はぞろぞろと一歩下がった。
「それは…………」
「それは?」
「お、お兄さんが人間じゃないからだ!」
…………一応、ちゃんとおじさん呼びは改めたらしいな。
いや、それはどうでもよくて。
「俺が人間じゃなかったらなんでお前たちに関係するんだ?」
「だ、だって、あたしたちは少年探偵団だから……」
「少年探偵団? 漫画の読み過ぎか」
「漫画じゃない! 小説だ! お兄さん人間じゃないから知らないんでしょ、江戸川乱歩の『少年探偵団』!」
「マユミちゃんはすごいんだよ」
後ろで腰巾着をしていた男子の一人が身を乗り出す。
「江戸川乱歩の本たくさん読んでるんだから! あんなに文字が多くて難しい本なのにさ!」
「なるほど、お前らは俺が妖怪博士か妖人ゴングだとでも思ったのか? まあ、大半の怪人は結局二十面相なんだがな。それでお前は小林少年気取りというわけだ」
名前はマユミだったみたいだが、リーダー格っぽいしな。しかし乱歩が難しい、か。この頃の子どもにはそう映るのかもな。乱歩なんて同年代の探偵作家じゃかなり平易な方だが。
「それで探偵ごっこしてたのか?」
「ごっこじゃない!」
俺が探偵ごっこと言ったのが気に入らなかったのか、マユミと呼ばれたその少女はムキになる。
「学校でも事件が起きたら解決して回ってるんだから!」
「学校で事件? 誰かの給食費でもなくなるのか?」
「違うよ、殺人事件!」
小学生が解決して回るほど起こっていたら全国ニュースだぞ。まあ小学生の言い分だからな。何かのごっこ遊びか。
「しかし悪くない趣味だ。人間が作ったものの中で褒められるものがあるとすれば推理小説とラーメン、あとは眼鏡くらいのものだからな」
「お兄さん、本当に人間じゃないの?」
マユミが素朴に聞き返してくる。
「ひょっとして宇宙人?」
「そんなわけあるか」
彼女に銀玉を返し、鞄を担ぎ直してその場を離れる。こいつらと話していると予定に遅れそうだ。もうこのビルには来るなと釘をさそうかとも思ったが、こいつらが侵入した目的を思えば言うのも野暮だろう。浅慮でこそあるが他人のために動けるという人間らしからぬ美徳を持った彼女たちを、駄々をこねる子どもと同じように扱うのはよろしくない。
「じゃあお兄さんは何?」
少し離れたところで、マユミがまた聞いてくる。
「お兄さん、
「一応な」
「名前、何ていうの?」
「
振り向かないままで俺は答える。
「人ならざる者の名だ。人間のお前らが覚えることじゃない」
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