非人間推理ゲーム:非人間と三つの密室

紅藍

プロローグ

#1:「俺は人間じゃない」

「俺は人間じゃない」

 呟いてみて、その言葉の空疎さに愕然とする。事実を言っただけなのに説得力がないとは。いやはや、こうなるとどうしていいか分からなくなる。

 どうしたら自分が人間ではないことを証明できるのかと考えてしまう。だがその考えは数分で馬鹿馬鹿しい物思いだと気づく。俺は俺だ。俺が俺であり、俺が人間ではないことは確定的な事実であって、それを誰かに証明する必要も、説明する義理もないのだ。証明する行為、説明する言葉は人間が紡ぐものであり、人ならざる俺がするべきことではない。俺はただ、自分としてあり続ければいい。人には困難なことだが、俺には容易なことだ。

 土曜日の朝は早起きだ。用事があれば当然そうなる。だが用事の前にいつもの日課だ。俺は家を出た。家と表現するといかにもなものを想像しがちだが、俺の家はプレハブ小屋と、そこに隣接している建設途中で放棄されたビルの工事現場だ。なんでこんなところに住んでいるのかは、正直俺にも分からない。この家を用意したやつに聞いてほしいところだが、実際に聞いたら「あれ? 人間じゃないのに住むところに拘るの?」と言われたのでそのままにしている。

 とにかく家として使っている小屋を出て、ビルの中に入る。最終的に何階建てにするつもりだったのか定かではないが、建築は七階で止まっている。四階までは剥き出しの鉄筋コンクリートながら床ができているので上がることができるが、それより上は鉄骨の骨組みだけだ。適当に三階まで上る。途中、持ってきたスマホでメールを確認した。受信箱の一番上には「夜雷緑やらいみどり」の名前がある。これは昨夜届いたやつだから、それから新しいメールは届いていないということだ。俺にこんなビルをあてがった張本人である夜雷は、今日の用事を作ったやつでもある。メールの件名には「明日までに確認すること!」と書いてあるが、以前似たようなメールを開いたらやつの飼っているモルモットの映像を散々見せられて通信容量を無駄遣いさせられたので見る気は起きない。必要があれば今日出向いてからでも間に合うだろうからそれでいい。

 スマホは適当に、持ってきたタオルや眼鏡と一緒にその辺へうっちゃる。

「今日は、どうするかな」

 いつもの日課と言い条、決めているのは鍛錬をすることだけで、内容は流動的だ。ビルの二階にサンドバッグは吊るしてあるが、それを叩く気にはなれなくて三階まで上ってきてしまった。そうなるとこの広々とした空間でやることは決まってくる。

 適当にトン、トンと足でリズムを刻みながら体を浮かせる。ボクサーが踏むステップのようなものだ。人間の、しかも殴ることしか脳のない格闘技など俺の流儀ではないが、体に鍛錬の始まりを伝えるのにはちょうどいい動きなのも事実だ。

 しばらくそうやって体を動かしたら、今度はステップを止めてから、左右の拳を軽く前に突き出す。テンポよく四回ほど繰り出して、流れるように右足で蹴り上げる。寝起きにしてはまあまあの挙動だ。足を戻して、一度目を閉じる。

 今日の鍛錬はシャドーに決めた。

 シャドー。すなわちシャドーボクシングは文字通り人間が取り組むところのボクシングにおける鍛錬法の一種だ。広義のイメージトレーニングで、架空の相手を想定し、その相手の挙動に合わせて自分がどう攻撃をかわし、防ぎ、拳を叩きこむかということを繰り返し訓練する。要するにリハーサル。そうやって様々な相手のパターンに対する自分の戦い方を体にひたすら覚え込ませることで、近接戦闘における瞬間的かつ反射的な戦闘の練度を上昇させるものだ。

 だが、そもそも、想定する相手が人間だというのが物足りない。手足が二本ずつあるだけの木偶人形など相手にしてもつまらないだろう。人間は違うのかもしれないが、俺は物足りない。そういうわけでイメージを膨らませる。手は四本……じゃあ足りないな。六本? 八本? もっと多くていい。

 イメージするのは、そうだな。タコ型の宇宙人なんてどうだ? よく漫画で戯画化されて描かれるところの、頭部は肉まんみたいな形をしていて、そこから何十本も足が生えているタイプの宇宙人。これなら人ならざる俺の訓練相手にちょうどいい。

 色はどうするかな。黄色……じゃあ目に悪い。銀色あたりにしておくとそれっぽくていい。頭でイメージした宇宙人を強く意識してから目を開く。目の前には想像通りの、何十本もの触手をうねらせる気味の悪い宇宙人が現われた。しかし宇宙人か……。もし本当にいたら人間を超えた知的生命体同士仲良くできるだろうか。

 さて現れた宇宙人だが、光線銃の類は持っていない。さすがの俺でも光線銃で撃たれたら原子レベルで分解する。もちろんその手の装備を持っていること前提の訓練も悪くないが、今は控えておこう。そうなると相手は肉弾戦を仕掛けてくるわけだが、当然、大量の触手がいっぺんに襲い掛かってくることになる。まずはこれを捌かなければならない。

 俺は大きめに一歩退いた。触手の伸縮性が読めない。突出してきた一本を巻き投げ《アームホイップ》の要領で投げてやろうかとも思ったが、伸縮性が分からないとそれもできない。投げようとしたらびよーんと伸びるかもしれないからな。

 とはいえ、捌くのはそう難しくない。触手の数と伸縮性を活かそうとすれば、その攻撃は自ずと刺突にならざるをえない。薙ぎ払いでは複数の触手で同時に攻撃できない。そんなことをしたら自分の触手が絡まる。刺突は点攻撃だから薙ぎ払いより範囲は狭いが、そこは数でカバーできる。出が早く、他の触手と干渉しあわないという点においても優れている。もしこの体型の宇宙人が武術を身に着けるとしたら、この手の刺突系の技を多用するのは明白だ。そうと分かれば、数が多かろうと出が早かろうと読み切れる。普通の人間には無理だが、俺にはそう難しくない。体を半身にして、自分を狙ってくる刺突だけを受け流せばいい。大半の刺突は俺を動かさないためのフェイクだ。

 しかしかわすのはいいとして、攻撃の手がない。この大量の触手を避けて相手の眼前に迫るのは難しそうに見える。こっちが光線銃欲しいくらいだな。と、考えたところでさっき自分が薙ぎ払いの可能性を頭から消したことを思い出して、それが利用できることに気づいた。

 迫って来る触手の一本を掴む。そうして、大縄跳びの縄を回すように触手をぐるぐると回転させる。俺の掴んで回した触手が、他の触手にぶつかって巻き取っていく。

 今だ。

 大量の触手があるとはいえ、そのすべてが攻撃に回っているわけではない。攻撃が三分の一、攻撃に使った触手に何かあったとき用の予備が三分の一、あとは位置的に攻撃に使いづらい触手が三分の一といったところか。ともかく今、攻撃に回していた三分の一の触手の内、大半を巻き取って使えなくした。これを解くのにどれだけ時間がかかるかは分からないが、そこは重要じゃない。大事なのは使えなくなった触手を戻し、予備の触手での攻撃に切り替えるこの一瞬だ。いくら宇宙人でも、この一瞬の切り替えがコンマ一秒より短く済むはずがない。

 勢いよく地面を蹴って跳び上がる。宇宙人の顔面に跳び膝蹴りを食らわせてやると、さすがに怯んだのか大きくのけ反った。この間に、連打を叩きこむ。胴体が存在しないこの宇宙人に有効打を与えられるのは、頭部だけだ。

 左のフック、右のアッパーと連続で決め、浮いた頭を掴んで連続で膝を決める。最後に頭突きを食らわせて、それで決着がついた。

 架空の宇宙人は、ばたりと倒れて動かなくなった。……こんなものか。次は光線銃を持たせてもいいかもしれない。

 イメージトレーニングとはいえ、本気で動いたから汗を掻いた。タオルを取って汗を拭きつつ、外を見た。空は梅雨らしい厚ぼったい雲に覆われていた。今日はまだ降らないという予報だったが、この分だと数日しない内に雨が降るだろう。

 夏が近いのは、ムシムシする空気感で分かる。同じ運動をしても、まとわりつくような熱気を強く感じて汗を掻きやすくなっている。

「…………急いで、こっちこっち!」

「ま、待ってよう」

 ふと、声が聞こえた気がした。気のせいかと思ったが、ついで、バタバタとフロアを駆け上って来る足音がする。

 誰だ? 建設途中で放棄されたこのビルに訪れるのは俺以外にはいないはずだ。ホームレスだって滅多に近づかないのだが。

 置いていた眼鏡をかけ、フロアの階段に近づく。ちょうどそのとき、階段を駆け上って上に向かう一団の姿が目に入った。

「早く!」

「……大丈夫かなあ」

「大丈夫だって! さっと入って出ればいいんだよ」

 彼らは三人組だった。年頃は全員小学生くらい、というか小学生だな。着ている制服に見覚えがあるなと思って記憶を探ったら、水仙坂学園初等部のものだと思い出した。俺がまさに今日、用事があって向かう学校の連中だ。俺は高校生だから初等部には縁がないと思っていたが、こんなところで出くわすとはな。

 三人組のうち、リーダー格と思われるのは少女だった。彼女がずんずん前に進んでいって、後ろを二人の男子がついていっている。男子二人の怯えようから察するに、学校の教師にこのビルに入るなとでも注意されているのだろう。ここから水仙坂は近いから、場合によっては初等部の児童ならここを遊び場にしかねないだろう。

 しかし子どもが何の用だ? 探検、じゃあないよな。探検にしては拙速に屋上を目指している。何か明確な目的があって動いているような感じだ。

 放っておこうかとも思ったが、この上は足場がない。足を滑らせて落ちたりしたら間違いなく死ぬ。別に子どもが人間らしい蛮勇で勝手に死のうが知ったことではないが、ここで死なれるといろいろ面倒だ。自宅を好んで事故物件にしたくないのは人間だろうと俺だろうと同じなのだ。

 仕方なく後を追うことにする。四階部分はそれより上にフロアが存在しないという意味では屋上である。雨ざらしになるので、四階には何も置いていないし、普段は俺でも訪れることがない。そこに上ってみると……。

「…………なるほどな」

 この小学生三人組が目指しているものは分かった。四階からさらに上、五階部分の鉄骨に風船が引っかかっている。あの風船を取ろうとしていたわけだ。いかにも子どもじみた理由だ。

「危ないよ!」

「大丈夫だって!」

 見ると少女は五階部分へ上り始めていた。五階部分には工事用の足場がまだ残っているのだ。それも途中で途切れているから、風船を取ろうとすると足場を乗り越えて鉄骨の上をどこかのギャンブル漫画さながら渡らなければならないわけだが。

「なにやってるんだ?」

 いきなり少女の方に声をかけて驚かせるのも危険かと思い、とりあえず俺は下でおどおどしながら眺めている男子二人組の方に声をかけた。

「う、うわああっ」

 一人には驚かれた。そりゃあ、誰もいないと思っていたビルに自分たち以外の人がいれば驚くか。

「…………おじさん、誰?」

 もう一人からは思ったより典型的テンプレートな反応が返ってきた。高校生もこいつらからすればおじさんと同じか。

「おじさんじゃない。そしてそれはどうでもいい。お前たちが何してるのか聞いてるんだ」

「ここ、立ち入り禁止なんだよ」

 二人の内の一人が、そんな今更なことを言う。

「シユーチ、って先生が言ってた」

「私有地な。そして俺がこの建物の所有者だ」

 正確には建物の持ち主は夜雷で、俺は居候に近いがそれを言っても始まらないだろう。

「それで? お前たちは俺の建物にどうして無断で入ったんだ?」

「風船!」

 一人が指をさした。

「風船、取らないといけなくて」

 それは見ていたら分かる。

「風船くらい放っておけばいいだろう。あんなところにある風船をどうして取りたいんだ?」

 よく見ると風船は、奇跡的とも言える状態で鉄骨に引っかかっている。しかもその鉄骨はどういう建築計画の結果そうなったのか、ビルから一本にょっきり飛び出した位置だ。誰がどう見ても取りに行ったら落ちるやつだ。人間が言うところの死亡フラグってのがビンビン立っている。

 とはいえ、風船を取りたい理由など今更聞いても仕方ないか。見やると少女は足場を乗り越え、鉄骨部分に足をかけている。

「危ないぞ! 戻ってこい」

 仕方なく声を張り上げて注意する。少女はちらりとこちらを見て、どうして俺みたいなやつがここにいるのか数瞬疑問に思うような顔をして、すぐに風船の方に向き直った。そんなに風船が好きか。人間の愚かしい思考は読みにくいところがあると常々思っていたが、子どものそれはさらに分からない。

「まったく……」

 こいつらがビルに侵入したのに気づかず放置して勝手に死んだなら、俺に非はないし落ち度もないんだが……。たかが人間ならともかく、人ならざる俺が目に見えている危険を放置するのは沽券に関わるか。

 俺も足場に掛っているハシゴに手を掛け、上っていく。一応、このビルに住むときにここら辺までどうなっているかきっちり確認しているから、足場に危険がないのは心得ている。しかし追いつくのに少し時間がかかる。ハシゴを上り切って足場を進むころには、少女は一番危険な、外に飛び出している鉄骨に足をかけていた。

「止まれ! ……って言って止まるなら苦労しないよな」

「取っ…………た!」

 少女は案外いいバランス感覚をしていたのか、するすると風船までたどり着く。これなら問題なく戻ってこれるかと思ったが、なかなかどうして、そうはいかないらしい。

「う、わあぁ…………」

 風が吹く。それはちょっとした微風でバランスを崩すほどじゃない。だが、少女の頭にバランスを取らなければならないことを、バランスを取っていなければ落っこちることを意識させるには十分だった。

「ひ、ひぃ……!」

 風船を取るために僅かに下を見たのも悪かったな。高所で下を見るのは、もっともやってはいけないことだ。ようやく彼女は自分の蛮勇に気づいたらしいが、既に遅い。

 彼女は、足がすくんだらしい。風船が引っかかっていた鉄骨の突端部までたどり着いたのはいいが、そこから戻れなくなってしまった。そこまで行ったなら戻るのも難しくなさそうなのだが、そう上手くはいかないか。

 そうこうしている間に、もう一度、風が吹く。

 今度は突風と呼んで差し支えない勢いだった。ただでさえ足がすくんでいる上に、片手で風船を掴んでいるせいで思うようにバランスの取れない少女は、ぐらりと体を大きく揺らした。

「世話の焼ける」

 少女が落っこちる前に駆け寄る。距離が少し開いているからほとんど全速力だ。もちろん細い鉄骨も全速で駆け抜ける必要がある。とはいえそう難しくはない。猫がちょうど、出した足の直線上にさらに前足を出すのと同じようにすれば、細い鉄骨の上でもバランスを取って駆け抜けることができる。普通の人間がこれをするとバランスを崩しかねないが、俺には関係ない話だ。

 少女が体のバランスを崩し、鉄骨から落ちそうになる寸前で首根っこを掴む。さすがに小学生は軽くて、片腕でも保持することができた。

「面倒をかけさせるな」

「う、うわああっ!」

 片手で少女を摘まみ上げた状態で鉄骨を渡り元の所に戻る。足場に辿り着いたら一応安全なので手放してもいいが、万が一ハシゴから落ちられても嫌だったのできちんと最後まで離さない方がいいだろう。

「たかが風船のために命を張るな」

「で、でも…………」

「でもじゃない」

 どうしても言い分が説教臭くなる。これじゃあ人間のやり口だが、こちとら朝の優雅なひとときを台無しにされたのだから、少しは説教もしたくなろうというものだ。

 さすがにハシゴは彼女をぶら下げたままでは使えないので、そのまま飛び降りた。ワンフロア分の高さくらいならどうってことはない。

「ほら」

 安全が確認できたところで少女を下ろす。こちらの様子を見ていた二人も近づいてくる。

「いいか? 二度とここには近づくなよ。ここは人間が来ていいところじゃないからな」

 三人は顔を見合わせた。それから、少女がぽつりと呟く。

「でもおじさんも人間だよ?」

「俺は人間じゃないからいいんだよ」

 こいつらの目的が風船なら、風船を手に入れた以上ここに残ることはあるまい。これ以上子どもの相手をする義理もなく、俺はその場を後にした。ちょうど時間もいい頃合いで、出かける準備の必要があったからな。

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