第2話

 ひんやりと春の夕焼け風が頬を撫ぜる。中学生時は屋上には出れない中学校だったので、新鮮な気持ちと不思議な高揚感がある。


「あー、久しぶりだな。屋上出るの。前の年の奴らは受験前にはもう来なくなってたし」


 いつもの無気力感が嘘のように、樹神こだま先生の瞳は何処か生き生きと、待望感を滲ませていた。

 そのまま持ってきた三脚を、慣れたように置き、うーんと一つ伸びをしている。そんな姿を見て思わず口にする。


「先生、ちゃんと星を見るの楽しめる人なんすね」

「あん? 好きじゃなきゃ、わざわざ、仕事終わりに時間取られる顧問なんか引き受けんわ」


 めちゃくちゃ失礼な事言われたと、言わんばかりに不機嫌な顔。別に人柄だけで判断したわけじゃねぇ。


「いや、先生は廃部になって部活無くなっても気にしなさそうって水野みずのが言ってたもんで」

「別にそりゃ気にしない。そうなりゃ1人で仕事終わりに星見に行くだけだから」

「あー……なるほど」


 つまり星を見るのは好きだが、それが誰かと見たり、部活動である事にこだわりは無いというところか。


「ほら、早くそれよこせ。三脚の上にセットするから」

「あ、うっす」


 慎重に教室から持たされていた、望遠鏡を受け渡すと、何故か楽しそうというか、愉快そうにニヤニヤとした表情。


「渡すのそんなビビらんでも、落としさえしなきゃ、下手な振動で壊れたりはしない」

「でも天体望遠鏡って5万くらいするんじゃ」

「これは6000円くらいで、しかも部費で買ったやつだから」

「安過ぎる! そんなんで本当にマトモに星見れるのかよ」

「春の天体ならこれで充分。でも見るのはもうちょい経ってからだな」


 空は明るいとは言えないほど、じきに薄暮へと移り変わるところ。

 目を凝らしても、肉眼では全然星を見る事は叶わない。


「おー、ここが屋上かー!」

「お待たせしました」


 屋上の出入り口から、保温ポットを持った帆奈美ほなみ。色々と入ってそうなビニール袋を片手に持つ水野みずの。それぞれ湯沸かしや買い物を任されていたのが終わり、俺らのいる手すり付きの大庇おおびさしの方までやって来た。


「先生、お釣りです」

「あいよ。あんれ? 板チョコは?」

「来ないだお腹周り気にされてたので、買いませんでした」

「デリカシー0か。あいっかわらず気遣いの方向性が失礼だなあんた」


 そんな先生と水野のやり取りを見てて、前から少し思っていた事を尋ねようか迷う。だが問うより先に、帆奈美が口を開いた。


「先生と凪桜なぎさちゃんって元々知り合いなの?」


 スッと聞きたかった事を、そのまま帆奈美が口にする。尋ねられた二人は、お互いを見合わせた。


「知り合いっつーか」

「義理の姉だ」


 …………は?


「えええええええええ!?」

「マジか」


 帆奈美か目ん玉飛び出すような驚愕を見せるが、そんなノリ良く叫ばんでも。


「でも苗字違うじゃん!? 先生も水野って呼んでるし、凪桜なぎさちゃん先生に敬語だし」

「あー……その辺の説明はちょっとめんどいので、水野頼んだ」

「……分かりました」


 言葉にした樹神先生の「めんどい」は、いつもと声音が違うのを、帆奈美は気づいただろうか。

 俺が水野から聞いている話から察すると、ようはそういうことなんだろう。


「先生は死んだ兄の元奥様なんだ。今は旧姓に戻られていて、しばらく付き合いがあった。兄が亡くなってからは疎遠だったけどね。だから正しくは元義理の姉か」

「え、凪桜ちゃん、お兄さんを……」


 熱のない装いの静かな声に対し、帆奈美の声のトーンが落ちる。それに対して、水野は軽く手のひらを振ってみせた。


「暗くならないでくれ。もう6年も前の事だよ」

「……うん。分かった」


 涼しく暗い、空の下で、暖かく微笑み返す帆奈美。多分帆奈美は本当の意味で分かっている。

 分かった気になる事だけなら誰にでも出来る。でも、帆奈美の人を見ながら言う「分かった」という言葉は、そこに至る想いを汲んでくれている気にさせて、何処か安心させてくれる力がある。


「先生はどう? 引きずってる感じ?」

「どうだろう。初めて会った時から掴めない人だったからな。兄はそんなとこも可愛いと言っていたがね」

「へぇ、お兄さん、先生の事好きだったんだ」

「うちの家族の反対を押し切って結婚したのだから、先生も兄を好いていたと私は思っている……え、どうしたみかずき

「ごめん、不謹慎って分かってるんだけど、尊みで」


 涙ぐんで目を瞑り、天を仰ぐその姿は確かに心配すべき事案と捉えられても仕方ないが、俺にとっちゃ帆奈美の平常運転だ。それにしても……。


「この部活、水野の兄貴が作った部活なんだろ? なのに水野と違って先生は、この部活無くなっても良かったんかな?」

「私もそう思ったが、実際初めてこの部活の廃部の話を聞いた時、天文部が無くなってもいい。とこの耳で聞いている」

「……そうなのか」


 残す事を望んだ水野と、無くなっても良いと思った樹神先生。ただ聞くだけだと樹神先生は既に吹っ切っているように感じるが、きっと事はそう単純じゃない。

 事情を水野に任せてる点からも言えるだろう。


「え、天文部って凪桜ちゃんのお兄さんが作った部活なの?」


 あ、そういえば、その事実を帆奈美は、教えてねぇし、知らなかったっけか。


「そうだ。学生時代にな」

「自分で部活作るとかお兄さん行動力ハンパないね」

「あぁ! 兄は本当に凄かったんだ」


 相変わらず兄貴が褒められると嬉しそうにする奴だ。こりゃ、帆奈美にもブラコンがバレるな。

 兄自慢トークが始まりそうなのを察して、話題の中心だった人物を見ると、ポットで作ったインスタントコーヒーを飲みながら、こちらの様子を見ていたが、俺が距離を取ったことを、話の切れ時と見込んだらしく、こちらにやってくる。


「おーい、あんたら、そろそろ良い感じになって来たから活動するぞ」

「おぉ、いよいよ。でも天体望遠鏡一個だし、そもそも何見るんですか?」

「今日の活動は、自力でおうし座を探す事」


 何処か挑戦的にそう言い放つ樹神先生。でもそれって……。


「あの、おうし座って」

「あー、質問は禁止。つべこべ言わずに1時間これから探してみろ。屋上から出るのも禁止だからな」


 水野の顔を見ると、先生に対し、含み笑いを浮かべている。分かってるよな。これ。


「おうし座かー。そもそもどんなんかも分からんし、偉大なるスマホ様の出番では?」

「あ、当たり前だがスマホは使うなよ」

「ですよねー」


 帆奈美が参った様子で、たはーっと、でこをパチンと叩く。芸人かよ。そんな姿を見て、先生はスマホの画面をこちらに見せつける。


「流石にノーヒントは可哀想だからな。おうし座はこれだよ」

「ほへぇー、これがおうし座かー。おうしっつーより、カブ○プス座じゃん」

「あー、この星座線見て言ってんのか。言うほどか?」

「よっしゃー、見つけっぜー! 頑張ろう! 和也かずやくん! 凪桜ちゃん!」

「あぁ、そうだな」


 帆奈美に応え、ふふっと微笑を携える水野。一体どういうつもりなんだか。


「じゃ、見つけられ次第、あたしに報告してみろ。スタートだ」


 今日一番楽しそうな顔で、手を叩いた樹神先生。そんな流れで初めての天文部としての部活動は始まったのだった。


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