遅刻の危機─②

「すみませんっ遅れました!」


第二音楽室の重い扉を勢いよく開けると、部員みんなの視線が俺に集まる。


「大丈夫だよ。まだ出欠確認中だから」


佐川先輩は一番後ろの席から俺に手を振った。ピアノの前に立つ部長と副部長もにこりと笑みを返す。毎回きちんと遅刻せずに来ていてよかった。


「遅刻なんて珍しいな。寝坊か?」


佐川先輩がニヤッと笑って聞いた。俺は先輩の隣に座りながら苦笑いを返し、頷く。


「田中さんは──」


部長が期待の少しかかった目を教室中に走らせた。俺もつられて、ばらばらに並ぶ数々の頭を端から順に目線で滑るように撫でる。田中先輩の姿は見当たらなかった。


「──いないか」


部長は大した驚きや落胆もせずに淡々と名簿にチェックをつけていく。


「またあ?」


声のした方に目をやると、クラリネットのパートリーダー、山崎先輩がむすっとした顔をしてこちらを睨みつけていた。空気が一気に冷たくなり、息が詰まる。


「まあまあ……」


佐川先輩が柔らかくなだめた。山崎先輩は頬を少し赤らめ、不満気な顔を浮かべながらも口をつぐむ。


 山崎先輩の佐川先輩への好意は入部したときからはっきりと感じ取っていた。肝心の佐川先輩本人はこれに気づいていないようだったが、部員のみんなは承知の事実だ。山崎先輩が田中先輩にだけ冷たいのも、きっと田中先輩への嫉妬なのだろう。


「来るって言ってたのになあ……」


隣で佐川先輩が悲しそうに呟く。


 昨日の終礼後、佐川先輩と田中先輩が顧問の先生と話していたのを思い返した。会話は聞こえなくとも、何を話していたのかの検討は大体ついている。


 俺の音は普通よりも小さいが、田中先輩の音は大きくて綺麗だ。それだからか、先生もコンクール出場メンバーから外すことをかなり躊躇ためらっていたようだった。実際、田中先輩のいない合奏は重厚感がなく、先生から何度も低音の音量を注意されている。


「……きっと来ますよ。今日は幹部会もありますし、リハが終わった頃に来るかも」


 田中先輩は今までも来ている方が珍しかったが、夏休みに入ってからさらに来なくなってしまったような気がする。練習も真面目に行うし、部活中に嫌そうな顔は見たことがない。ただ来るのが面倒臭いだけなのだろうか。それとも、山崎先輩が……?


 佐川先輩は力なく笑った。その顔は半ば諦めているようだった。

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