第十章 ジャンヌ・ショック
翌日、警視庁は北町奈々子、石渡美津子、そして三年前の羽川赤広殺害の容疑で声優の野鹿翠を、シャルル・アベール商会に絡む麻薬密売容疑で同じく声優の夕凪哀を正式に逮捕した事を発表した。この発表によると、夕凪哀が素直に容疑を認めている一方で、野鹿翠は取り調べ段階においても意味不明な供述を繰り返しており、公判前に精神鑑定の実施が検討されているという。弁護についた国選弁護人は心神喪失による減刑に持ち込むつもりのようだが、それを差し引いても極刑が下されるのは間違いないと思われた。俗に『永山基準』と呼ばれる最高裁判例上の死刑判決判断基準では四人殺害で間違いなく死刑となるが、今回は被害者数が三人とこの基準の微妙なラインにある事もあって、裁判では無期懲役か死刑でおおもめになると法学者たちは早くも予想している。
この知らせにほとんどのマスコミは大パニックに陥った。子供に人気の「魔法少女」アニメの担当声優が、よりにもよって殺人と麻薬密売で逮捕されてしまったというニュースに、子供たちを含める全国の「ジャンヌ・ピュア」ファンは騒然となった。特に野鹿翠の場合、その殺害した相手は同じ魔法少女役だった北町奈々子であり、翠本人には死刑判決が出るかもしれないという大スキャンダルである。全国の子供たちの夢を叩き壊すには充分すぎるネタだった。もちろん、そうした報道の先頭に立っていたのは、榊原から数々の情報をせしめ、尾崎、土田、島原というトップ記者三名が自ら取材に動いていた国民中央新聞社だった事は言うまでもない。
さらに警視庁は、先日お台場で発見された白骨死体の主が麻薬密売容疑で手配中の石渡美津子であり、彼女を殺害したのも野鹿翠であるという事実を公表。ニュースで話題の石渡美津子が実は一ヶ月以上前に野鹿翠に殺害されていたという事実は、近日この麻薬密売の大捕物を報じてきたマスコミ各社に爆弾を叩きつけたようなものだった。ここにかつての殺人の隠蔽が発覚した桜森学園の不祥事も重なり、この事件は様々な業界に対するトリプルショックを引き起こす事になった。
同日、「ジャンヌ・ピュア」を放送していた夕日テレビは同番組の即時打ち切りを発表。関連商品も軒並み撤去され、これによる関連業界への経済的損出は計り知れないものとなった。さらに追い打ちをかけるように、観念した夕凪哀の口から芸能界の麻薬密売にかかわる供述が得られたとして、警視庁及び東京地方検察庁は芸能界に対する麻薬の一斉摘発に動き出した。これにより、芸能界の有名人が次々逮捕される事になり、事は芸能界そのものを巻き込んだ前代未聞の一大スキャンダルへと発展する事になった。
翠と哀の逮捕から五日後の十二月三十日、ずっと行方がわからないままになっていた女優・野安アリスが、潜伏先の北海道の別荘で逮捕された。容疑は麻薬密売。夕凪哀がすべてを白状していると知った彼女は憔悴しきった様子ですべてを自白し、これにより一連の麻薬密売の中核にかかわっていたと思われる人間全員が逮捕される事となった。
また、三年前に翠が引き起こした羽川殺害を隠蔽していた桜森学園も無事では済まなかった。事件当時は職になかったとはいえ、その責任の一端が自分にもあるとした桜森学園理事長は辞任。直接隠蔽にかかわった才原和歌美の父親・才原泰助は警察の事情聴取に呼ばれ、逮捕こそされなかったものの近々辞任する事になりそうだという。一方、すでに死亡していた羽川の父親に関しては被疑者死亡のまま書類送検という形になり、実際に隠蔽の指示を出した前理事長は証拠隠滅の容疑で在宅起訴。桜森大学医学部は再編を迫られる事になる様子であった。
この野鹿翠及び夕凪哀が引き起こした一連の事件の結果、その最終的な逮捕者は諸々のすべての事件を含めると実に五十八名に及んだという。このあまりに大量の逮捕者を出したこの事件は国会でも取り上げられるなど社会的にも大きな爪跡を残し、いつしかマスコミ各社はこの事件を次のように呼ぶようになったという。
いわく、「ジャンヌ・ショック」と。
『……東京地検特捜部は、すべての証拠がそろったとして、奥村義三代議士を贈収賄の容疑で逮捕しました。秘密をすべて知ると思われた秘書の石渡美津子さんは、先日のいわゆる「ジャンヌ・ショック」で殺害されたという事が判明していますが、検察は地道な捜査で奥村議員の汚職の全貌解明を継続し、今日の逮捕に至ったという事です。では、次のニュース……』
十二月三十一日。榊原はぼんやりと事務所に備え付けのテレビのニュースを見やっていた。あれから約一週間、事態は混沌とし続けてはいたが、もうすでに榊原の手からは離れていた。
依頼人の中木悠介が依頼料を持って現れたのはつい先日の事である。榊原はその依頼料を受け取るとずっと世話になっていたマンションのカードキーを中木に返却した。
「どうですか、あれから? 何か変化はありましたか?」
「変化どころの話ではありません。声優業界も大変革を迫られるのは間違いないみたいですね。『魔法少女』が殺人犯として捕まるなんて、面目丸潰れもいいところですよ」
「この結末は、ここに依頼した時点であなたも覚悟していたはずでは?」
「まぁ、そうなんですが、正直ここまで大事になるとはさすがに思っていませんでした。それに、夕凪さん絡みで彼女に近かった声優も何人か麻薬絡みで事情を聞かれているみたいですし、この先どうなるかは不透明です」
中木は苦笑気味に答える。
「それはそうと、あれから探偵役のオファーが多くて大変なんです。あの推理勝負を聞いて、制作側が『僕』の迫力を気に入っちゃったみたいで……」
「まぁ、実際は私だったわけですが……どうされるんですか?」
「考え中です。僕にあそこまで迫力のある推理の演技ができるかわかりませんし。ただし、もちろん、僕もプロですから、やるとなれば徹底的に練習しますけどね。それが、志半ばで倒れた奈々子のためにもなると思うんです」
そこには、こんな状況下であっても失われる事のない声優としての誇りのようなものが感じられた。榊原は無言で頷くと、しっかり握手をしてすっかりたくましくなった中木を応援したのである。
「やっほー、先生いますか?」
と、そんな回想をしていると、唐突に部屋のドアが開いて瑞穂が顔を覗かせた。
「ノックぐらいしなさい。それと、大晦日だというのにこんなところに来ていてもいいのかね?」
「いいんです。別に家でやる事もありませんし」
「それもどうかと思うがね……」
榊原の溜息も意に介さず、瑞穂はそのまま来客用ソファに腰かけた。
「今年も終わりですねぇ」
「まったく、最後の最後にとんでもない大山があったが……何とか無事に年を越せそうだ」
「その割には正月準備とかしていませんね?」
「一人暮らしの中年男が一人で正月祝いも何もないだろう」
「そう言うと思って……ジャジャーン!」
瑞穂は持ってきた鞄の中からおせち箱を取り出した。さすがの榊原も目を白黒させる。
「あー、これは?」
「見ての通りおせちです。いやぁ、家のおせちを作りすぎちゃって、せっかくなのでおすそ分けを。ま、来年もよろしくという事で、お正月にでも食べてください」
「君は来年もここに居座るつもりかね?」
「もちろんです。私は先生の弟子ですから」
「自称、だがな。まぁ、もう何も言わないよ」
そう言いながらも、榊原はおせち箱を給湯室の冷蔵庫に入れる。
「それより、隣のゲーム研の人たちが悲鳴を上げていましたよ。あのアニメが出演声優二人の逮捕で打ち切りになって、結局結末がないまま終わってしまいましたから。『サッカキバーとの最終決戦はどうなるんだぁ!』とか何とか言っていましたね」
「そこまでは私の関知するところではないが……そもそも前から思っていたが、何でゲーム研がそんなにこのアニメにご執心なんだね。ゲーム研はゲームをする部活だと私は認識していたつもりだったんだが」
「さぁ、私にはよくわかりません。もっとも、おかげで部室が静かになってこっちとしてはありがたいですけど」
瑞穂はしれっとそんな事を言う。榊原は苦笑するしかなかった。
と、その時部屋のドアがノックされた。
「お客さんですか?」
「年末だぞ。そんな予定はない」
そう言いながらも、榊原はどうぞと声をかける。するとドアが開いて、向こうから見知った顔が姿を見せた。
「あなたは……京さん、ですか」
それは、脚本家の京一郎だっった。
「どうも、お元気そうで何よりです。この度は北町君の死の謎を解いて頂き、ありがとうございます」
「いえ、これも仕事ですから。まぁ立ち話もなんですし、どうぞ」
榊原に言われて、京は素直に来客用のソファに座る。榊原は反対のソファに腰かけ、瑞穂はお茶を運んでくると、そのまま榊原の背後に控えた。
「それで、今日はどのようなご用件で? まさか、また何かあったのですか?」
「いや、そういうわけではないのですが……」
京は何かを一瞬迷うような口ぶりをしたが、やがて覚悟を決めたのか唐突に話し始めた。
「実は、榊原さんに一つお知らせしておきたい事がありまして。まだ極秘事項なのですが、この話は榊原さんに知っておいて頂きたいというのが荒切監督の判断です」
「荒切さんの、ですか」
「もちろん、聞きたくないというのならこのまま引き揚げますが……」
京の言葉を榊原は遮った。
「いえ、ぜひ聞かせて頂きたいですね。私に聞いてほしい話というのは何ですか?」
京は一度心を落ち着けるように息を吸うと、おもむろにこう告げた。
「実は……私と荒切監督のタッグで、『ジャンヌ・ピュア』の続編……というより、リメイクを作ってみないかという話が出ているんです。もちろん、今すぐにというわけではなく、何年か先にという条件付きではありますが」
その言葉に、瑞穂は思わず口に手をやって榊原を見ていた。が、榊原は特に反応する事もなく、ジッと京と見つめている。
「……聞かせてもらえませんか? あの事件の真相が明らかになって、どうしてそのような話になったのかを。当事者として、それだけが気になります」
「もちろんです。元より、榊原さんの意見を聞くためにこうしてきたのですから」
そう言うと、京は淡々と自分の心境を語り始めた。
「正直なところ、今回の事件であなたの推理を聞いて、我々は衝撃を受けました。魔法少女は正義……我々が当たり前と考えて当然の事として描き続けてきた事が、いかに不安定なものの上に成り立っているのかという事を、あなたは見せつけてくれたからです。正義の体現者であるはずの魔法少女も、見方を変えればただの犯罪者であり、見る人によってはむしろ悪にしかならない。そんな別の意味で当たり前の事を、我々は今まで見過ごしてきてしまった。その事実を知って、クリエイターとしての私たちはどこかゾッとしたものを感じたのです。もしかしたら、その我々の歪みが、野鹿翠という『魔法少女』という名の歪みを生み出してしまったのかもしれません」
だから、と、京は続けた。
「今度のリメイクでは、思い切って今までの魔法少女の概念を捨てようと思います。あなたが言う、真実の意味での魔法少女を描いてみたいのです」
「どういう意味でしょうか?」
「すなわち、今、この世界に本当に魔法少女が現れたら、私たちは彼女をどう扱うのか。我々は、そこに重点を置いた作品を作ってみたいと考えています。世間が、警察が、そして周囲の人々が、魔法少女をどう扱い、そして魔法少女がそんな彼らに対してどのように対応をしていくのか。どこか矛盾するかもしれませんが……魔法少女を本当の意味で『リアル』に描いてみたいんです。そうする事で、我々は今回の事件から何か大切な事を学び取っていきたいと考えています」
京は本気だった。
「それがこのアニメにすべてを賭けていた北町君へのはなむけになると思っています。彼女の死は絶対に無駄にしません。たとえ何年かかっても、必ずこの作品だけは実現させるつもりです。私自身の脚本家生命にかけて、必ず」
「……そうですか」
榊原は静かにそう言うと、小さく頷いた。
「事件が解決した今、私から言えることは一つだけです」
榊原は相手をしっかり見据えながら言った。
「楽しみにしています。あなた方の本気……それをこの目で見させて頂ける日を。世界中のすべての人々の心に良くも悪くも多大な影響を与えられる存在。それがアニメだと、私は思っていますのでね」
その答えに、京はしばらく何かを噛みしめるようにした後、深々と頭を下げた。そんな京を見ながら榊原と瑞穂は顔を見合わせ、どうやら心配する必要はなさそうだとホッとしたような笑みを浮かべたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます