第四章 調査の続行

 榊原が向かったのは、吉木宅に向かう途中で通りかかった寺院だった。境内に入ると、さっき瑠衣子に手を振っていた小学校低学年と思しき少年がまだ何人かの子供と一緒に遊んでいるのが見えた。

「よかった、まだ帰っていなかったか」

 榊原はホッとしたように言い、後ろで瑞穂と彩芽は思わず顔を見合わせていた。

「あの、先生。確認したい事って、あの子にですか?」

「あぁ、そうだ。ちょっと気になる事があってね」

「いや、だってさっきここを通った時に手を振られただけですよね。それのどこが『気になる事』になるんですか?」

「その『手を振っていた』事が問題なんだ」

 そう答えるや否や、榊原はそのままその少年の方へ向かって歩き始める。瑞穂と彩芽も慌てて後を追い、そんな三人組に少年の方も気が付いて遊びの手を止めた。

「やぁ、こんにちは」

 榊原がそう声をかけると、少年は警戒したように少し後ろに下がる。あんな事件があったすぐ後では当然の反応ではあるが、榊原はため息をついて後ろにいる瑞穂の方を振り返る。

「すまないが、君が相手をしてくれないか? さすがに私では彼も警戒する」

「いいですけど……どうすればいいんですか」

「ひとまず、私の質問に答えてくれるようにしてくれれば一番だ。それが無理なら、君を通して質問をする事になるが」

「簡単に言わないでください!」

「できないのかね?」

「……まぁ、やれるだけはやってみますけど」

 そう言いながら、瑞穂が前に出て少年たちに対峙した。その後ろで彩芽がいら立ったような表情を浮かべている。

「これは何の茶番なんですか? この子供たちが一体事件にどう関係していると……」

「今は、黙って私のやり方を見ていてもらいましょうか。それが約束だったはずです」

 榊原は静かに、それでいて有無を言わせぬ口調で彩芽の言葉を封じる。その底知れぬ圧力に、彩芽も思わず口をつぐんだ。

 一方、瑞穂は色々苦心しながら、少年たちとのコミュニケーションを取ろうとしていた。そして、驚くべき事にしばらくするとそれが実を結びつつあった。

「お姉ちゃん、名探偵の助手って本当?」

「本当だよ。今はねぇ、警察の人と一緒にある事件を調べているところなんだ」

「本当?」

「うん」

 そう言いながら、瑞穂は彩芽の方に何やらアイコンタクトを送っている。戸惑う彩芽に、榊原が耳打ちした。

「調子を合わせてほしいという事だと思いますがね」

「……あぁ、もう!」

 子供の頼みでは拒否する事もできなかったのか、彩芽はやけくそ気味にポケットから警察手帳を取り出して少年に見せる。その瞬間、少年の目が輝いた。

「うわぁ、すごい!」

「私の話、信じてくれる?」

「うん!」

「でね、今、その探偵さんが君に聞きたい事があるっていうんだけど、どうかな?」

「いいよ!」

 その答えを得て、瑞穂は榊原にバトンタッチをした。

「はい先生、あとはよろしくお願いします」

「自分で振っておいてなんだが……君は凄いね」

「どーも」

 おどけてそう言う瑞穂に対し、榊原は身をかがめながら再度少年の前に出た。

「私は榊原という。君の名前は?」

「えっとね、田杉将太たすぎしょうた!」

 少年……将太は元気よく答えた。

「将太君、だね。早速だが、君にいくつか聞きたい事があるんだ」

「なぁに?」

「君はさっき、私たちがここを通りかかったときに、ある女の子に向かって手を振っていたね。その事について聞きたいんだが」

 将太は少し考え込んでいたが、やがて何か思いついたように顔を上げた。

「もしかして、あのお姉ちゃんの事?」

「やっぱり知っているのかね?」

「うん。名前は知らないけど、知ってる」

「……どういう事かね?」

「僕ね、あのお姉ちゃんに助けてもらった事があるんだ」

 思わぬ話に、榊原の後ろで瑞穂と彩芽が顔を見合わせていた。が、榊原は顔色を変えずに少年との話を続行する。

「それはいつの事かね?」

「よく覚えていないけど、二週間くらい前だったと思う」

「時間は?」

「えーっと……すぐ後で六時の放送があったから、その少し前だったと思うけど」

 振り返ると、彩芽がその情報を肯定した。

「この辺では、六時になると子供に帰宅を促す放送が流れるんです。事件を捜査した時によく鳴っていたから覚えています。」

「なるほど」

 短くそう答えると、榊原はすぐに将太に向き直った。

「一体何があったのかな?」

「僕、その時もここで遊んでいたんだけど、あそこの道のそばにある石垣の上を歩いていて、そこから道の方に落ちそうになったんだよね」

 振り返ると、この寺院の入口辺りを将太の言うように石垣が囲っている。彼はあの上に登っていたというのだ。それなりの高さがあるので、落ちたら怪我をしてもおかしくない。

「それで?」

「うん、落ちそうになったときに誰かが『危ないっ!』て叫んで、そのまま石垣から落ちた僕を受け止めてくれたの。それがあのお姉さんだったんだ」

「今の話、間違いないね?」

「うん」

「受け止められた後、そのお姉さんはどうしたんだね?」

「僕を抱えたまま道に倒れていたけど、すぐに立ち上がって僕に怪我がないか聞いてきたんだ。大丈夫って言ったらホッとしてたけど、何かどこか痛そうな顔をしてたから、僕も『大丈夫?』って聞いたんだ」

「それに対してお姉さんはどう答えたんだね?」

「『大丈夫だよ』って言ってたけど、無理してる感じだった。その後は、そのまま鞄を拾って帰っちゃったよ」

「だから君は、さっき彼女に手を振ったのかね?」

「うん。でも、気付いてもらえなかったみたい」

 将太は少し寂しそうにそう言った。

「最後にもう一度確認しておくが、その時君を助けたお姉さんというのは、さっき君が手を振った女の子で本当に間違いないのかね?」

「うん! 絶対間違いないよ」

「……わかった。質問はそれだけだ。答えてくれてありがとう」

 そう言われて、将太は不思議そうな顔をする。

「え、もういいの?」

「あぁ。……君の話が、もしかしたら彼女を救う事になるかもしれない。本当に助かったよ。じゃあ」

 そう言って、榊原は将太に一礼し、そのまま踵を返して境内から出て行こうとする。瑞穂たちは慌ててその後を追った。

「あの、先生、今の話って……」

「空白の時間が少し埋まったという事だ。彼女……すなわち吉木瑠衣子は、事件当日の午後六時前、帰宅途中でこの石垣から落ちそうになっている田杉少年を見つけ、反射的に受け止めて助けた。その事実がはっきりしたというわけだ」

 そこに彩芽が反論を加える。

「事件当日と断言するのは早計ではないですか? あの少年は二週間くらい前と言っただけで、その日付までは明言していません」

「いや、彼女が彼を助けたのは事件当日で間違いない」

 榊原ははっきりと断言する。彩芽が眉をひそめ、瑞穂が代わりに榊原に尋ねる。

「どんな根拠でそんな事がわかるんですか?」

「彼女が少年を助けたのが事件後でない事は明白だ。事件以降、彼女は今日にいたるまで一度も病院や自宅を出ていないんだからな。だからと言って、事件前だったとしたらこれだけの事を彼女が覚えていないという事はあり得ない。だが、さっき彼女が少年から手を振られた際、彼女はあの少年を『知らない』と答えた。そうなると可能性は一つしかない」

「問題の事故が事件当日に起こって、事件のショックで彼女が少年と関わっていた記憶までなくしてしまっていた場合、ですか?」

 瑞穂が後を受けてそう言うと、榊原は大きく頷いた。

「彼女が手を振る少年に心当たりがないと言った時点で、私はその少年が『吉木瑠衣子の消えた記憶』の中で何かをしたのではないかと考えた。で、実際に聞いてみたらこのような事実があった事が証明されたわけだ」

「だから、先生は将太君に話を聞こうと思ったわけですね」

 瑞穂は感心したように頷くが、一方の彩芽は厳しい表情のままだった。

「それで? これが一体事件に何の関係があるんですか?」

「どういう意味ですか?」

「確かに、彼女が帰宅する前にそんな事があったのは確かみたいですけど、この件は事件に全く関係ありませんよね。彼女が岸辺に襲われたのは帰宅した後の話なんですから。帰宅前に彼女が何をしていたかわかったところで、事件の構図が変わるほどとは……」

 だが、榊原は真剣な表情で首を振った。

「いえ、この情報は事件の構図を大きく変える重大な証言です」

「はぁ?」

「少なくともこの証言で彼女の『悪夢』が事実に基づくものである事……有体に言って、『第三者』があの現場にいた事が明確に立証されたと考えます」

 その発言に、彩芽は呆気にとられた表情を浮かべる。

「何をいい加減な事を! 今の証言のどこをどう聞いたらそんな結論に……」

「それを説明する前に、今度はあなたに聞くべき事があります」

 そう言って榊原は彩芽の方を振り返った。

「な、何ですか?」

「警察の発表では、岸辺和則は事件の数日前に公園で吉木家のヘソクリの話を耳にし、下調べをした上で犯行に及んだという事になっていますね?」

「え、えぇ」

「つまり、岸辺は事件当日に蒲田に来ていきなり犯行に及んだわけではなく、事件の数日前からこの周辺に潜伏していた事になる。当然、警察は事件前の岸辺の足取りについても洗っているはずです」

 そう言って、榊原は彩芽を鋭く睨んだ。ひるむ彩芽に対し、榊原ははっきり告げる。

「教えてもらいたいのですがね。……岸辺和則が事件まで一体どこに潜伏していたのか、その詳細を」


 彩芽が連れてきたのは、吉木宅から少し離れたところにある空き地だった。土管などがあちこちに散乱していて、何かの建物が建設途中で放置されたままになっているという感じである。その空き地の一角にいくつか段ボールハウスがあり、その周辺に数人のホームレスがたむろしているのが見えた。

「事後捜査の結果、岸辺は事件の二週間ほど前にここに流れ着き、段ボールハウスでホームレス生活を送っていた事が判明しています」

「指名手配生活でまともに路銀を稼ぐ事もできなくなっていたというわけですか」

 榊原が思案気に考えている中、彩芽はさらに補足する。

「岸辺が金に困っていたのは事実です。事件後の捜査で、事件当時彼自身が所持していたのは一〇七六円。彼がいた段ボールハウスからも四八二円しか見つかっていません。つまり、奴が金目当ての強盗を計画するのは必然だったという事です」

「ふむ……」

 と、そこへ一人のホームレスが胡散臭そうな顔でこちらに近づいて来た。

「何だい、あんたら俺らに何の用だ?」

 そのホームレスの鼻先に、彩芽が黙って警察手帳を突き付ける。すると、ホームレスは吐き捨てるように言った。

「何だ、お巡りさんか。言っておくが、俺らは何もしていないぜ」

 彩芽が何か言う前に、榊原が前に出てホームレスに問いかけた。

「いくつか質問したい事がありまして」

「質問?」

「はい。二週間ほど前にこの近くで起こった事件ですが」

「あぁ、カズさんの事件かい」

 ホームレスはうんざりしたように言った。

「カズさん?」

「俺らはそう呼んでたよ。本人がそう呼んでくれと言っていたもんでね。まさか指名手配犯だったとは思わなかったけどよ。その話はもう警察に何度もしたし、カズさんの住んでいた段ボールハウスも所持品も全部警察が持って行ったじゃないか」

 岸辺和則だから「カズ」。間違いなさそうである。

「いえ、それとは別に聞きたい事がありましてね」

「……まったく、なら手短にしてくれよ。俺は気が短いんだ」

 そう言って目を細めるホームレスに、後ろの瑞穂が短い叫び声をあげる。が、榊原は動じることなくそれに応じた。

「では遠慮なく。あなたの言うカズさんは事件当日つなぎを着ていました。まずこれは間違いありませんか?」

 唐突に意味不明な事を聞かれて、ホームレスは一瞬呆気にとられる。

「どうなんですか?」

「あ、あぁ。確かにカズさんはつなぎを着ていたけどよ」

「そのつなぎ、カズさんがここにやって来た事件の二週間前から着ていた物だったのですか?」

 その問いに対し、ホームレスは一瞬「そうだ」と言いかけたが、すぐに何事か考え込んでしまった。

「いや……そう言われてみれば、ここに来た時は別の服だったな。確か……茶色か何かのジャンバーだったと思うけどよ」

「つまり、彼は途中からつなぎ姿になった?」

「そうなるが……あぁ、そうか、思い出した」

 唐突にホームレスはそう言って手を打った。

「何ですか?」

「それがよ。いつだったか忘れたが、カズさん、着ていたジャンバーをどこかで引っ掛けたか何かで破いちゃってさ。もう着る事ができなくなったとかで代わりの物を探していたんだが、それから何日かしてあのつなぎをどっからか拾ってきたんだ。その日からずっとあのつなぎを着ていたんだと思うよ」

「具体的な日時はわかりますか」

「そこまではわからねぇよ。自分の事以外あんまり興味ないし」

 ホームレスはせせら笑いながら言う。

「カズさんはどんな人でしたか?」

「さぁね。あんまり話もしなかったし、短い付き合いだったからね。というより、カズさんの方が俺らを避けていた感じはしたな。だから、ジャンバーを破った時は本当に困っていたんだと思うよ。普段交流のない俺らにも『代わりの服はないか』って聞いてきたくらいだったからな。そんでもって、つなぎを見つけてきた日の夜には、よっぽどうれしかったのか俺らと酒を飲みたいって言いだしてな。夕方から夜遅くまでカップ酒で宴会していたね。あの時の幸せそうなカズさんの顔、今でも忘れられねぇよ。後にも先にも、カズさんとまともに話したのはあの夜だけだったね。もっとも、次の日の朝に起きたら、あの人自分の段ボールハウスの中で満足そうに寝息を立てていて、そのまま昼過ぎまで起きなかったけどね」

「……」

「もういいかい?」

「えぇ。もう充分です。ありがとうございます」

 榊原がそう言うと、ホームレスは首を振りながら寝床に戻っていった。

「それで、これからどうするんですか?」

 彩芽が皮肉めいた声でそんな事を尋ねた。

「というと?」

「今の話で分かったのは、岸辺がつなぎを手に入れた経緯だけ。そこから何がわかるっていうんですか?」

「そうですね……とりあえず、彼がつなぎを手に入れた場所でも探しましょうか」

 またしても意味不明な事を言われて彩芽は唖然とする。

「本当にあなたが何を言っているのかわからないんですが……」

「警察が調べていたら、そんな事をする必要もないんですがね」

「していませんよ。いくらなんでもあれだけ明白な事件で犯人が着ていた服の流通経路なんて追いません」

 呆れたように言う彩芽に対し、瑞穂は心配そうに尋ねる。

「でも、服の入手経路なんて探せるんですか?」

「何とかなるだろう。『拾ってきた』と言ったからには正規に購入したものじゃないし、そんなお金もなかったはず。そして彼の所持金から考えると、行動範囲もそこまで広くないはずだ」

「じゃあ、どこかのごみ捨て場ですか?」

「その可能性が高いが、問題はそれがつなぎだという事だ。つなぎを一般ごみで出す家庭はあまりない。それでも出すとすれば、それを作業着にしている工場か商店、あるいはつなぎそのものの製造工場だ」

 そこで榊原は彩芽の方に視線を移した。

「その上で聞きたいんですがね。問題のつなぎに着古した形跡や何か目立つ破損はありましたか? これは実際にそれを見ているあなたにしかわからない事ですが」

 それを聞いて、彩芽は一瞬眉をひそめたが、やがてため息をつきながら答えた。

「私の記憶にある限り、腹部の血痕や刺された痕跡以外だと裾の一部が破れていた記憶があります。でも、それ以外にそんな目立つような破損や汚れはなかったはずですが」

「ならば、そんな綺麗なつなぎを捨てる可能性があるのは一つしかない。製造中に発生した不良品を破棄する可能性のある、作業着自体の製造工場だ。その裾の破れが、問題のつなぎが不良品として破棄された可能性を示唆している。ひとまずこの方針で、蒲田駅周辺で作業着を製造している工場を探そう」

 ……それから一時間後、榊原たちは先程の空き地から徒歩十分ほどの場所にある小さな町工場の前に立っていた。「仁科衣類工場にしないるいこうば」という名前の小企業のようで、表の看板には作業着などの一括発注を受け付けている旨の張り紙がしてあった。

「この辺で該当しそうな工場はここくらいしかない。品野警部補、つなぎの確認のためにはあなたが必要です。もう少し付き合ってもらいますよ」

「……好きにしてください」

 その答えを聞くと、榊原はそのまま工場の入口のチャイムを押した。しばらくして、中から中年の作業服を着た男性が姿を見せる。

「あんた誰? 何か用かい?」

 不機嫌そうにそう言う男に、榊原は自己紹介をする。

「どうも、私立探偵の榊原恵一と言います。少し、お話を伺いたくて」

「探偵ぇ? 探偵がうちに何の用だ?」

 男は不審げな目で榊原を見やる。

「ですから、少し話を聞きたいだけです。ええっと……」

「……仁科郷平にしなごうへいだよ。一応、ここの社長だ」

 男……仁科はため息をついてそう答えた。

「で、聞きたい事って何だよ。こっちも忙しいんだけどね」

「では手早く済ませましょう。この工場で、つなぎを作っていませんか?」

 その問いに、仁科は眉をひそめた。

「そりゃ、作ってるけどさ。それが何だよ?」

「見せてもらうわけには?」

「何で?」

「確認したい事がありまして。実物が無理なら、サンプルかカタログでも構いませんが」

「……断ったら?」

「その時は別の手を考えるだけです」

 そう聞いて、仁科は深いため息をついた。

「何のつもりかは知らねぇが……待ってろ。カタログぐらいなら見せてやる」

 そう言って一度奥へ引っ込むと、しばらくして一冊のカタログを持って戻って来た。

「ほらよ。つなぎは真ん中の辺りだ」

「拝見します」

 そう言いながら、榊原はカタログのページをめくる。そして、つなぎの一覧が載っているページを見つけると、それを彩芽に見せた。

「この中に、岸辺が着ていたつなぎはありますか?」

「えっと……」

 彩芽は少しカタログを眺めていたが、やがてその視線が一点で止まった。

「確か、これだったかと」

「間違いありませんか?」

「はい。色もデザインも同一です」

 それを聞いて、榊原は仁科に問いかける。

「このカタログに載っている衣服は、全てここのオリジナル商品ですか?」

「あぁ。うちがデザインから製作まで手間暇かけて作った特注品だ。大工場からの作業着の発注なんかもよく受けている」

 仁科は不愛想ながらもどこか自慢げに言った。

「では、このつなぎについていくつか聞いても構いませんか?」

「ん? あぁ、このつなぎね。今うちで一番発注がかかっている商品だけど何か?」

「そんなに人気なんですか」

「あぁ。今月頭から正式にそのカタログに乗せたんだけど、それから一週間もしないうちに最初の発注がかかってな。ただ、発注かかったのが週末だったから、土日を返上して必死に機械を動かしてこの最初の注文に応えてよ。苦労はしたが注文先からの評判もよくて、おかげでうちの業界での評判はうなぎ登りだ」

「その時、製造ラインで不良品が発生したりしませんでしたか?」

 その問いに、仁科はまた少し不機嫌な表情になった。

「何でそんな事を聞くんだよ?」

「言った通り確認です。で?」

「……そりゃ、うちの機械で初めての製造だったし、量も多かったから全く不良品が出なかったわけじゃないけどよ。確か一枚か二枚ほど、裾が少し破れて売り物にならなくなったのはあったな」

「その不良品はどこに?」

「どこって、普通に捨てたよ。この工場の裏に産廃回収用のコンテナがあるから、そこに放り込んどいた。一ヶ月に一度、業者が回収に来るんだよ」

「……そのコンテナに案内してもらえませんか?」

 さすがにこれには仁科も顔をしかめた。

「あんたさっきから何なんだ? 一体何を調べているんだ?」

「まぁまぁ。そのコンテナを見たら撤収しますから」

 そう言われて、仁科はあからさまに嫌そうな顔をしながらも、榊原たちを工場裏手に案内してくれた。

「これだよ」

 それは文字通り工場の裏手に置かれていた。中を覗くと不良品と思しき布類が積み重なっているのがわかる。が、コンテナの周囲は回収用トラックが来る事もあって生活用道路に面しており、フェンス等もないので通行人が簡単にコンテナに近づく事ができるようになっていた。

「ここに入っている物を盗っていくのは難しくないわけか……」

 榊原はそう呟き、案内してくれた仁科に頭を下げた。

「どうも、ありがとうございます。聞きたい事は以上です」

「そうかい。それじゃ、俺は忙しいからな」

 そう言うと、仁科は工場の中に戻っていった。後には榊原たち三人だけが残される。

「いい加減に教えてもらえませんか? 今の不毛な会話で一体何がわかったというんですか?」

 と、彩芽がいい加減にいら立った風に尋ねた。一方、それに対する榊原の返事は淡々としたものだった。

「そう怒らずとも、ひとまず今日の調査はこれで終わりです。色々興味深い事がわかりましたよ」

「なら、ぜひ教えてもらいたいですね。名探偵の推理とやらを拝聴したいものです」

 だが、それに対して榊原は首を振った。

「今はまだ早すぎます」

「早すぎる? 何を言っているんですか?」

「もう少し、補足的に調べる必要があるんです。ただ一つだけ言える事があるとすれば……」

 榊原はそう前置きして、口調を一切帰る事なく告げた。

「今回の一件、今までの捜査である程度の筋道は立ったと考えます」

 その場が一瞬静まり返った。

「……つまり、『第三者』の正体もわかったと?」

「えぇ」

「なら、今この場でそれを聞かせてください」

「だから、まだそれは早いと言っているんです。言った通り、筋道は立ちましたが、それを補強するためにもう少し補足調査が必要なんです」

 ただ、と榊原は言い添える。

「その補足調査も一日あれば充分でしょう。つまり、明日にはこの事件の真相について私なりの推理を示す事ができると思います」

「……随分な自信ですね」

 彩芽はそう吐き捨てると、榊原たちに背を向けた。

「いいでしょう。なら、明日あなたの推理とやらを聞かせてもらいます。構いませんね?」

「もちろん。ただし、それを話す場所は私の方から指定し、また依頼人の瑠衣子君にも来てもらいます。その条件でよければお聞かせしますよ」

「……わかりました。ならば、後ほどその場所とやらは連絡してください。どんな事があっても必ず行きますから。あなたがどんな空想を聞かせてくれるのか、見ものですね」

 それだけ言うと、彩芽はその場を去っていった。後に残された榊原に対し、同じく残された瑞穂が少し心配そうに尋ねる。

「先生、あんなこと言って大丈夫なんですか?」

「瑞穂ちゃんは私が信じられないかね?」

「そうじゃありませんけど、やっぱり不安になって……」

 その言葉に、榊原は穏やかな笑みを浮かべる。

「大丈夫だ。私は確証がなければあんな事は言わない。それは君が一番よくわかっているはずだが」

「……そうですね」

「さて、今度こそ本当に今日の捜査はこれでおしまいだ。続きは明日に回そう。瑞穂ちゃん、後で瑠衣子君に明日依頼に対する報告がしたいと連絡しておいてくれないかね?」

「いいですけど、その前に集合場所を教えておいてください」

「もちろん。では、帰ろうか」

 その言葉に、二人はそのまま蒲田駅の方へと歩き始めた。瑞穂がこっそり盗み見ると、榊原の目に芯の通った何かがあるのがしっかり見て取れたのだった……。

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