仁、夜遊び②

「ようこそ、カジノ『アーネスト・パラダイス』へ!」

 

 バニーさんに案内されること数分間。僕たちは、カジノのエントランスに足を踏み入れていた。


 場の雰囲気はとにかく異様だった。煌びやかな装飾と高級ホテルのような内装。ロイヤリティと上品さを兼ね備えた空気感の中で飛び交うのは、血気に満ち溢れた野次と一喜一憂する人間の感情。日常ではまず味わえないような謎の高揚感。


 この場にいるだけで、心臓の鼓動が早くなっているのを感じた。


「これが、カジノか……」


 ……正直、思っていた以上に緊張するなコレ。


「どうですか、坊ちゃま。怖気づきましたか?」


 隣でまたしても痛いところ突いてくるシリア。本当にこのメイドは、僕の内心を読んでいるんじゃないかってくらい確信を突くのが上手い。

 だけれど、僕も男だ。女性の人に怖気づいたかと言われて、素直に「はい、怖気づきました」と尻尾を巻くような、野暮な真似はしない。


 僕は言葉を返す代わりに両手を仰いで、肩を竦めてみせた。

 お。今のなんか、不良っぽくて良い。


「当店は、数々の娯楽を取り揃えています! 中でもルーレット、ポーカー、スロットはお客様から大変評価頂いているイチオシの人気娯楽の一つなんですよ?」

「なるほどね、まさにカジノってことだ」


 概ね、前世の僕が持っているカジノのイメージとも合致する。というか、それ以外にカジノで遊ぶ物って存在するの? 恥ずかしながら、僕の知識には無い。


「坊ちゃま。まさにカジノとはどういう意味ですか?」


 相変わらず、鋭利な口撃をしてくるシリアは放って置こう。うん。

 バニーさんは僕たちのやり取りを聞いてか、可笑しそうに笑みを零した。


「お客さんは今回が初めてということですし、どういったものがあるのか見て回るだけでもお楽しみ頂けるかと思いますよ。もちろん、気に入ったものがございましたらお金を落として頂けるともっと幸いですがぁ~」


 ニヤニヤとした表情だが、しっかりとアドバイスをくれるバニーさんに感謝だ。また、さり気なく腹黒い所を見せてくるのも、個人的にはポイントが高い。

 それならこちらも返事をするなんていうつまらない解答はよそう。僕は、ブラックジョークを楽しむアメリカンのように肩を竦めて応答した。


「それでは、私はまだ外で広告のお仕事が残っていますので! これにて失礼させていただきますね? ごゆるりとご遊技をお楽しみくださいませ!」


 僕の仕草から何かを察したように、バニーさんは綺麗なお辞儀をすると店外へと去って行った。

 ありがとうね、バニーさん。

 僕は、ニッコリ笑顔で手を挙げてお礼をした。


「で。坊ちゃま、どうされるのですか?」


 一応は礼儀正しくバニーさんにお辞儀をしていたシリアがガラリと表情を冷たくして僕のことを見つめて来た。


「それは愚問だよ、シリア」


 僕は、肩を竦めてニヒルに答える。


「さっきからその肩を竦めるヤツ乱用してますけど、もしかして何か意味がございますか?」

「うるさいよ、シリア」

「これは、申し訳ございません。初めてのカジノで緊張して坊ちゃまの肩がガチガチになってしまわれているのではないかと、私はとても心配でございまして」

「そう言う割には、君から優しさが微塵も感じられないのは僕の気のせいかな!?」


 まったく何なんだ、この従者は。もう少し労りというものを持つべきだと、僕は思うな。

 とはいえシリアの言う通り、初めてのカジノだ。こういうのは初手が一番肝心なのは確かだと思う。

 幸い、今の僕の手持ちには今日という破滅のために小さい頃からお父さんの仕事の手伝いをしてコツコツと貯めて来た500万リョーある。


 リョー……なんだか凄く嫌な響きではあるけど、前世で言うと1リョー=1円換算なので、眩暈がするくらいの大金だ。ここは慎重に全ての設備を見て回って予算を決めてから何で遊ぶか決めた方が正解な気がしている。

 ……と、昔までの僕ならそう言っていただろう。そして、結局何もやらずに帰るのがオチだった。

 けれど今宵の僕は、一味違う。目的は、夜遊びを謳歌すること。こっちは、ぱぁっやりに来ているんだ。御託を並べる必要はない。


「こういうのは感覚なんだよ、シリア。とりあえず目に留まったものを片っ端から遊んで行こう」

「坊ちゃま、流石にそれは危険かと思われますが……」

「解ってないな、シリアは。だからこその夜遊びなんじゃないか」


 シリアの忠告を一蹴すると、我先とカジノホールの先陣を行く。

 うぉぉ……凄いよ。今の僕、後先何も考えてないぞ。これが無謀のドキドキ感って奴なのだろうか? 

 今なら何だって出来る気がしてくる。高揚感を携えた僕は無敵だ。我が物顔でカジノホールを徘徊していると。


「んぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 そんな奇声が耳に飛び込んできた。

 反射的に目をやると、そこにはちょっとした人だかりがあった。


 そこはバニーさんもおススメをしていたルーレットコーナーの一角。卓上を支配するディーラーを中心に、机を囲うように数人が席についているわけだけど。


 その中で一人――先程奇声を上げたであろう男が、頭を抱きかかえながら椅子から崩れ落ちていた。

 相当負け越したのだろう。もはや、男は生気を失ったかのようにピクリとも動きそうにない。周囲の者からは心配する声や嘲るような声が色とりどりに飛び交っている。

 それはまさに何も考えずに豪遊した者のなれの果て。そんな絵に描いたような破滅顔だった。


「ねえ見てよ、シリア。彼、凄く良い表情してるね」

「あれをご覧になって、その御言葉が出て来ます?」

「んん? どうして?」

「いえ、どうしてと言われましても……」


 本当に何を言うんだろう、シリアは。

 彼はきっと自分の欲求を我慢をすること無く、忠実に自分のやりたいことをやったんだ。

 そして、その結果自分の身を滅ぼすことになってるわけだけど……それはもはや幸福だよ。勲章物だよ! 後悔する余地なんてあるはずないじゃないか!


「あぁ、羨ましい……よし、ルーレットにしよう。面白そうだ。」

「坊ちゃま?」


 制止してこようとするシリアを尻目に、僕は破滅顔の彼の元へ歩み寄っていく。

 僕が近づいても彼は微動だにしなかった。


「悪いね、君。僕に席を譲って貰えるかい?」

「あぁぁ……?」


 本当に凄いよ、君は。まともに返事が出来ないくらいにやり切ったんだね。

 とてもグッジョブだよ。


 僕はニッコリと破滅顔の彼に賛辞を送ると、彼の座っていた席に腰を下ろす。

 良いよ、今の僕はとてもワルだ。割り込むようにして他人の席を取るとか、相当のワルだ。こういうのが、ずっとやりたかったんだ。

 そしてこの場のワルは僕だけではない。他のプレイヤーの視線も自然と僕に集まってきていた。


「何だ、この坊主。見ねえ顔だな」

「小便臭ぇな。明らかに成人したばっかりって感じじゃねえかよ、おい」

「帰りましょう、坊ちゃま」

「そうそう遊びじゃねえんだぞ、ママん家に帰りな」

「良い子は、寝る時間だぜ?」


 ……なんか変なの混ざっていた気はするが。

 けれどなるほど、この殺気。これが常に賭場で魂を削っている荒くれ者の眼光なのか。

 たまらないよ。

 

「ディーラー。早くやろう、待ちきれない」

「勿論ですが……ご予算の方は――」


 僕は、有無を言わさずに机上に大量のリョーが入った布袋を置いた。

 誰かがひゅ~と口笛を吹く。


「し、失礼いたしました……! ただ今チップに交換致しますね!」


 ディーラーは、さっきまでの態度とは一変して、慌ただしく布袋を回収していく。そしてそれは、全て赤色のチップに変わっていく。

 僕の目の前に山積みにされていくチップを見て、他のプレイヤーの視線もますます鋭くなっていった。


「さあ、僕と始めようか。愉快で破滅的なゲームをさ!」

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