仁、転生

「…………そうか、アーロン。お前ももう十五になるのか」


 チクタク、チクタクと振り子時計が、時を刻んでいる。

 そこは、執務室。真鍮で出来た蝋台や、高級感のある真紅の絨毯。上質な木材で誂えた長机は、ある種の威圧感を漂わせている。


 そんな豪華絢爛な一室で、窓の外を眺めながら呟いたのは一人の長髭の男。


「時の流れと言うのは、実に早いものだな。ついこの前まで、ロクに一人で小便も出来ぬ赤ん坊だったのだが……」


 ブラームスを彷彿とさせるその髭を触りながら、男はゆっくりと歩み寄ってくる。

 そして、熱い眼差しで僕を見据えてきた。


「よくぞここまで成長した、アーロン。親として、お前のことを誇りに思うぞ」

「ありがとう、父さん」

「それに比べて、レイアの奴と来たら……今日もピアノの稽古の途中に勝手に屋敷を抜け出して……まったくどうしようもない娘だ。自分からやりたいと言い出したくせに」

「ははっ、姉さんらしいね」

「笑い事ではないのだがな……。まあよい、お前がいる限りリーマン家の将来は安泰だ。これからも頼むぞ、アーロン」


 僕の肩に優しく、それでいて力強く手を置いてきた。

 僕は静かに頷いた。それから「おやすみなさい」としっかり父さんに頭を下げて、自分の書斎へと戻った。


 ……ばたんと、扉が閉まる音が鳴り響く。


「………………………ふふ」


 おっといけない。とりあえず椅子に座って落ち着こう。額に手を当てて、どうにか平静を保てるように―—


「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」


 あー無理無理、絶対に無理だ、これ。自制しても、勝手に笑みが零れ出てきてしまう。


 ……なにせ、十五年だ。

 僕が。真面さなつら ひとしが。商人の息子、アーロン・リーマンとしてこの異世界に生を授かってから、十五年。ついに、この日がやってきた。


 ここまで本当に長かった……。なにせ、異世界だ。最初は戸惑う事も多かったし、この世界の常識に慣れるのには苦労した。心が折れそうになり、眠れない夜もあったさ。それでも日課の帳簿つけは、毎日欠かさずおこなった。父さんの仕事の手伝いは率先して取り組んだし、接する人すべてに礼儀正しく振舞ってきた。一人でできるおしっこも普通の赤ん坊を装うために、ちゃんと見てもらった。


 出来る限り、商人の息子に恥じない生活を送ってきたつもりだ。


 ――だけれど、そんな茶番とも今日でおさらば。

 

 十分な地位。周りからの信頼。ある程度自由に使えるお金。前世と比べてもなんら遜色ないポジションを手にした今、やるべきことはただ一つしかない。

 

 そう、僕は……生まれ変わったあの日に天に誓ったんだ。

 前世のような二の轍を踏まないためにも。僕の彼女を寝取ってきた亮の様な存在に、今後二度と裏切られないためにも。


「今世は破滅するくらい遊びつくしてもよろしいでしょうか、って!」


 やってやるやってやるやってやる! 僕は絶対にやるぞ!

 真面目なんてクソくらえ! 今度こそ後悔のないように遊びまくってやるっ!!

 バンッと強く机を叩いて、勢いよく立ち上がった。

 神様を賛美するように、手を天高く掲げて。


 ―—そして何故か扉の前にいた銀髪メイドの冷たい視線に固まった。


「……………………………………違うんだ、シリア」

「かしこまりました。それでは、私は失礼致します」

「ちょっと待って!」


 機械的にUターンして部屋から立ち去ろうとするシリアを咄嗟に呼び止めた。

 

「如何なさいました?」

「如何なさいました? じゃないよ! 今の一瞬で何をかしこまったんっていうんだ君は!」

「お気になさらないでください。坊ちゃまが白状なさらずとも私は正しく理解しておりますので」

「なにその悪意しか感じない言い方はっ!」


 さっきからずっとジトーとした目をしているし。完全に頭のおかしい人を見るそれだった。


 勘が鋭いというか、何と言うか……この屋敷の住民で、昔からシリアだけが僕に対して疑り深いのだ。

 それこそ僕の心の声が聞こえているんじゃないかってくらいに確信めいたことを突いてくる。

  

 そもそも、なんでここにシリアがいるのかも疑問でしかないし……。


 いや、この際それはどうでもいい。今、重要なのはついさっきの言動を見られてしまったということだ。


 もしもシリアが父さんたちに「坊ちゃまは、実は破滅まっしぐらの頭のおかしいヤツなんです」と吹聴することがあれば……僕の十五年の努力はすべて水の泡となる。


 ……それだけは、なんとしてでも避けなければ。


「さっきのは誤解なんだよ、シリア。話し合おう、そうすればきっと君も分かってくれるから」

「いいえ、坊ちゃま。道理を理解するのに、屁理屈は必要ございません。坊ちゃまが自室で一人理解し難い事を叫んでいらっしゃった。この事実だけで十分に事足りております」


 くそっ、正解だよシリアっ……! 

 我が家のメイドながら、感情に頼らない合理的且つ良い考えだ!

 って、褒めている場合じゃないよ。何か言い返さないと、このままじゃまずい。


「…………実は今日、僕の誕生日なんだ」

「はい、存じ上げております。おめでとうございます」

「うん、ありがとう」


 …………。

 ……なにが言いたかったんだ、僕は!

 シリアの顔がものすごい。従者にこんな呆れ果てさせるなんて、僕はなんてひどい坊ちゃまなんだ。


「坊ちゃま、そろそろよろしいでしょうか?」


 扉の取っ手に手を置いて、すぐにでも退出しようかという勢いで僕に問うてくる。

 ここでさっきのような適当な事を言おうものなら、今度こそ問答無用でシリアはこの場を立ち去るだろう。

 ならばいっそのこと……。


「――ふふっ……」

「ぼ、坊ちゃま……?」

「いやいやごめん。本当にナイスタイミングだったよ、シリア。実は丁度君に聞きたいことがあったんだ」

「私に、ですか?」


 小首を傾げるシリア。今までで、一番反応が大きかったかもしれない。

 僕は、手応えを感じながらも決してそれが漏れないように。あくまで真剣な表情のまま、上着の懐を漁った。

 そうして取り出したのは、一本の鍵だ。

 そして、それをすかさず机の引き出しにある鍵穴に差し込んだ。


「シリア……さっき今日は僕の誕生日と言ったよね?」

「はい。坊ちゃまの苦し紛れに思いつた言い訳でございますよね?」


 いや、バレてたぁ……恥ずかしいけれど、堪えろ僕。

 ここが正念場なのだから。


「それは違うよ、シリア。実はというとね、僕は今日という日をずっと待ち望んでいたんだよ」

「……それは、一体どういう?」


 そう待っていた。今日という日を、ずっと。

 十五歳になるこの日を。成人するというこの日を。

 シリアは、未だに要領を得ないといった表情で困惑としているけれど、もはや関係ない。

 僕は、差し込んだ鍵をガチャリと捻って引き出しを開けた。

 そして中に入っていた布袋―—大量の金貨が入ったそれを手に言い放つのだった。


「シリア。夜遊びするには、どうすればいいんだい?」

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