第2話

某年 4月



私は新卒社員として、個別指導塾を経営している小さな会社に入社した。


彼とは、その塾の“先生”と“生徒”という関係で出会った。


彼と初めて顔を合わせた時のことも、初めて話した会話の内容も覚えていない。

ただ、初めは兎に角生徒との信頼関係を築くのに必死だったから、先ずは全ての生徒に対して、名前と中学校名と学年と部活を聞いていた。だから彼ともおそらく初めはそんな話をしたのだろう。


眞邊 颯人。佐山南中学校3年生。男子ソフトテニス部。


初めて話した日、きっと彼はその情報を私に伝えた。

しかし、私はその場で覚えようとも思っていなかった。

ただでさえ、生徒は全部で70人以上いる。

記憶力に自信があるわけでもない私が、その日聞いただけで覚えられる内容ではなかった。

ただ、初対面の生徒とのコミュニケーションのツールとして、聞いていただけだった。


むしろ、印象に残ったのは、彼の友達の方だ。

彼の友達は、初対面の時からとても明るくハキハキとしていて、人見知りもしなかった。

ほとんどの中学生は、思春期であることもあり、初めは人見知りをして、こちらにはあまり話しかけて来ず、話しかけてもそれほど話を広げたりはしない。私がどんな人物であるか、警戒して様子を見ているようだった。

しかし彼の友達は、初めから親しげに話してくれた。


「こんばんは。」

彼の友達に初めて声をかけた日、彼の友達もまた、

「こんばんは!」

と元気よく返した。

「えっと…今日、はじめましてだよね?」

「そうですね!はじめましてです!」

「私、4月からこの塾に入社した、鳥羽山 日向子と言います。よろしくね。」

首から下げている名札を見せながらそう言った。

「はい!宜しくお願いします!」

ここまでのやりとりだけで、彼が明るい人物であるということがよく分かった。

私は、他の生徒にもした質問を、同じように彼にもした。

「名前、何ていうの?」

「長沢 和葉です!」

「和葉くん。中学3年生かな?」

和葉くんは、身長が約180センチほどある。初対面だが、3年生だということは直ぐに予想がついた。

「はい!佐山南中の3年です!」

「部活は何部に入ってるの?」

「男子ソフトテニスです!テニスは小学校の頃からずっとやってて、いつもテニスばっかり練習してたんスけど、今年受験生なんで、マジで焦ってるんスよ〜。正直、受験勉強って何からやれば良いんっスか!?」


今まで声をかけてきた生徒たちの中でも、明らかに明るくてグイグイと話しかけてくる姿に、少しこちらが戸惑ったが、中3にしてはとても素直そうで好印象を抱いた。



✱ ✱ ✱



午後10時。

その日の授業が終わり、和葉くんに宿題を出し終わると、傍に1人の男子がやってきて、和葉くんに声を掛けた。

「和葉!終わった?」

「今、先生に宿題出してもらったとこ。」

「早く帰ろうぜ。」

「ちょっと、待てって!」

私は駆け寄ってきた男子の名前を、私は思い出せなかった。

それもそうだ。まだ入社して1週間も経っていない。1度名前を聞いただけだから、覚えていなくて当然だ。しかし、『名前、何だっけ?』と聞くのも抵抗があった。

もう一度聞くのは、なんとなく失礼だと思ったし、生徒も少しショックに思うかもしれないと感じた。

仕方なく私は、名前を出さなくても良いような話を振ることにした。

「えーっと、2人は友達?」

いつから友達なのかや、クラスが同じなのかなど、2人のことを尋ねれば、話の流れで和葉くんが、もう1人の男子の名前を出すと考えたのだ。

しかし、尋ねると、名前の分からない男子が首を横に振った。

「いや、知らない奴っスね!他人ッス!」

予想とは大分掛け離れた返答に戸惑った。

「え…え?た、他人??」

すると、和葉くんは、その男子と目配せをし、ニヤニヤと笑いながら言った。

「そうッスね!赤の他人ッスわ!な?他人だよな!」

「そうッスね!こんな奴、知りませんわ。」

なんだか初対面なのに、私はからかわれているらしい。

「えー!絶対嘘じゃん!」

そう言うと、和葉くんはその男子と目を合わせて、クスクス笑った。

「本当ッスよ!まあ、信じるか信じないかは、先生次第ッスね!!…ってなわけで、俺ら帰るんで!ありがとうございました!」

「ああ、うん。お疲れ様…!」

呆気に取られているうちに、2人は帰って行った。



眞邊 颯音。

思い返してみれば、初めて彼を認識したのはこの時だった。

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