壊れたオルゴール

尾八原ジュージ

壊れたオルゴール

 鳴るんですよね、と深谷さんが言った。

「このオルゴール、昔婚約者にもらったんです。そのひと、事故で亡くなってしまったんですけど」

「それはご愁傷様です……しかし、鳴るでしょう。オルゴールだから」

「それが、壊れてるんです」

 深谷さんはため息をついた。

 テーブルの上にはくだんのオルゴールが置かれている。私がオカルトに詳しい(好きだけど詳しくはない、と言ったのだが)と誰かに聞いた彼女から、ぜひ見てくれと家に呼ばれたのだ。オルゴールを見せるためだけに知人程度の男を家に呼ぶなど、それなりの事情があるのだろうと思われた。

 楕円形の、宝石箱型のオルゴールである。木材でできた表面には蔓薔薇らしき植物が彫られ、蓋を開けるとワインレッドの布が敷かれたアクセサリーケースになっている。大きさは両掌に乗るくらい。可愛らしく、ごくありふれた品物に思える。

「それ、ネジが取れてるんです」

 深谷さんに言われてオルゴールの裏を見ると、確かにネジがない。

「壊れてるんです。だから鳴るはずがないんです」

「でも……鳴るんですよね?」

「そう。たぶん、そろそろ」

 深谷さんがまさにそう言ったそのとき、テーブルの上に戻したばかりのオルゴールが突然『エリーゼのために』を奏で始めた。

 慎ましやかだったメロディは次第に大きくなり、やがてマンションの部屋中に大音量で響き渡り始めた。とても小さなオルゴールの出せる音ではない。

 啞然としていた私は、テーブルの向こうで、深谷さんの口が動いているのに気づいた。何か私に話しかけているらしい。だが、オルゴールの音が大き過ぎて聞こえない。

「すみません! 今何て仰ったんですか!?」

 大声をあげると、彼女はすっと立ち上がり、私の隣にやってきた。至近距離で私の顔を見つめ、

「うちに男の人が来ると鳴るんです」

 と言った。


 結局、私はオルゴールに追い出されるようにして、這々の体で深谷さんの部屋から逃げ出した。

 後に慌てて帰ってしまった非礼を詫びようと連絡をしたが、メッセージがなかなか既読にならない。試しに音声電話をかけてみたところ、受話器の向こうから『エリーゼのために』が流れてきた。私は電話を切った。

 以来、深谷さんには会っていない。

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壊れたオルゴール 尾八原ジュージ @zi-yon

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