打つべきか、打たざるべきか

朝倉神社

第1話

 いまから数年前のこと、私はバックパックを背負って世界を旅していた。いわゆるバックパッカーと呼ばれる旅の形態である。

 普通の人が飛行機を使って国内外を移動するところを、バックパッカーと呼ばれる人は電車やバスといったローカルの比較的値段の安い交通手段を使って移動することが多いのが現実だ。


 一言にバックパッカーと言っても、それぞれの旅の目的は違うわけで移動費や宿泊費を抑えることで食事だけは贅沢をしたいというもの、単純にいろいろな場所を観光したいがために経費の削減を試みるもの。あるいはそもそも予算の少ないもの。

 その中で言うと私は2番目のいろいろな場所の観光を目的としたバックパッカーであった。

 中米にはマヤ文明などの多くの歴史的遺物が多く残されていたそういったものを一つでも多く回るために、移動にはバスをもっぱら使っていた。


 バス旅では国境を超えることも一つの冒険であり、その都度様々なドラマが生まれていく。


 国境近くに停車したバスから降りた私はバックパックを担いで、出国のスタンプを押してもらった。そこには何のドラマもなく、パスポートを差し出し、スタンプを押されるという、工場の生産ラインのように機械的に流れていった。


 そこから国境へと向かって足を進めていく私には、通り過ぎた国の思い出と新たな国に対する希望が満ちていた。

 大した距離でもないはずなのに声を掛けてくるトゥクトゥクと呼ばれる3輪バイクタクシーの客引きを無視して、荒涼としたむき出しの地面を歩いて行く。

 サンダルの中に砂が紛れて時折小さな小粒の石まで入ってくるので、立ち止まり小石を落としてまた歩き出す。


 赤道もだんだんと近くなり、体は灼熱の太陽にあぶられて肌はひりひりするほどに熱くなる。汗が額から流れ落ち、中でもバックパックを背負っている背中、肩ひもの下はびっしょりと濡れている。


 目の前を見ればすでに別の国に入国するための列ができていた。

 日本と違って列を作るという概念の希薄な外国にしては珍しくきちんとできている列の最後尾について、自分の番を今か今かと待っていると、ようやく浅黒く日焼けしたラテン系のお姉さんが受付で何かを話しかけてきた。


 私は言葉の意味など無視してパスポートを取り出した。

 ここは中米である。英語は多少話せるし、スペイン語もあいさつ程度は理解できる。けれどもそれ以上になるとさっぱりわからない。

 だけど、それがどうした。

 通常イミグレで行われるのはパスポートを出して、スタンプを押されるのを待つだけのはずだから、それで十分なのだ。


 にこにこと笑顔を見せながら現地の言葉で挨拶をして、最後にありがとうと言えば終わる。

 それがいつもの流れだった。 

 しかし、それでは不十分なようで受付のお姉さんはカウンターの右上を指さした。それによる何か別の書類が必要らしいことはわかったけども、それ以上のことは何も理解できなかった。

 何しろ注意書きもスペイン語なのだ。

 私は試しに英語で聞いてみたけれども、完全に空振りに終わった。

 この辺りが陸路での国境越えと、飛行機での入国の違いだったりする。出入国の場所では比較的英語は通じるものなのだ。

 しかし、陸路というのは本来、現地のものしか使用しないため国際化に対応しようという努力は行われない。

 郷に入っては郷に従えとばかりに、こちらが現地のルールに従わなければならないのだ。それはもちろん、正しいのだろう。

 私だって日本に来た外国人には日本語を話せと思っているのだから。


 だが、今の問題は国際社会の在り方ではなく、私に必要な書類が何なのかということだろう。


 情報では入国ビザで入れるので、事前にビザを取得する必要などないはずだった。

 しかし、どうやら彼女はスタンプを押してくれないらしい。

 どうしたらいいだろうかと思っていると、彼女はまた別の方向を指さした。

 そちらに白い天幕が張られており、そこにも列ができていた。


 よくわからないままに、彼女の言う通りその列に並んでいくとなにやら腕を抑えた人々が天幕から入れ違いのように出てくるではないか。

 一体何が行われているのか、興味がわく半面、恐ろしくもあった。誰かに話を聞きたくても同郷の者はいないし、タイミングは悪かったのか英語が通じそうな外国人旅行者も見当たらない。


 こうなったら行き当たりばったり運命に身を任せるしかないのだろう。一人、また一人と列が消化されて生き、いよいよ天幕の入り口に差し掛かった時、ようやく何が行われているかが目に入った。


 注射である。

 

 女性の看護師が一人一人の肩にぷすりと注射針を刺して、何かわからない透明な液体を注入しているのだ。

 いや、言葉にせずとも注射というものがどういう行為であるのか、誰もが知っているだろう。だが、私が受けた衝撃を表すには、状況を詳細に伝える以外になかったのだ。


 注射を受けた者たちは肩を抑える代わりに、反対側の手には一枚の紙きれを渡されていた。それを見れば、イミグレのお姉さんが指さした先にあった書類に酷似していることがよくわかる。

 つまり、注射を受けたという証明書ということだろう。


 だが、ここで問題なのは果たして何の注射なのか。

 その一点に尽きる。


 ここは国境である。

 つまり、国の重要な施設なのだ。


 そんな場所で違法な薬物を打つはずもない。

 そんなことは猿に教えていただく無くても理解している。


 だが、じゃあ何の注射ですかと聞かれても、答えは「わからない」である。もちろん、頭を振り絞って考えれば、何らかのワクチンであることは予想ができる。

 この国で蔓延している病気に対するワクチンかもしれない。もしくは外から病原菌の流入を防ぐための処置かもしれない。

 しかし、結局それは想像でしかないのだ。


 ここに並んでる者たちは、何の疑いもなく注射を受け入れ、肩に針を刺され、引き換えに入国する権利を手に入れている。

 それはそうだろう。

 きっとイミグレに張ってあった紙の意味を理解しているのだから。躊躇すべき理由がない。

 だけども、私は違う。

 私にはわからないのだ。


 打つべきか、打たざるべきか。


 灼熱の太陽に沸騰させられた頭からは思考力も奪われていく。

 引き返すという道もあるだろう。

 出国のスタンプを押された後に、再入国できるのか試したことはないけれども不可能ではないと思う。

 もっと情報を集めてから再挑戦してないが悪い。

 スマホでなんでも調べられる時代とは言え、SIMの入ってないスマホはただの荷物でしかない。ホテルのwifiが頼りなのだ。今この場で出来ることはもうはないのかもしれない。


 バックパッカーとはツアーと違って自らリスク回避しなければならないのだ。

 

 99%、薬液は危険な代物だはないだろう。

 だが、いったい誰が確信をもって言える? その注射には問題がないと。注射そのものに問題はなくてもアナフィラキシーショックなんてこともあり得る。

 そもそも、こんな天幕を張られた中で行われる医療行為を信用していいのか。ただの注射だ。されど注射である。

 日本なら一ミリも疑わないことすらも気になってくる。

 注射針は一本ずつ交換しているのか。

 管理状況はどうだ。衛生的に保たれているのか。


 考えている間にも列は減り、自分の番はもう間もなく回ってくる。決断に掛けられる時間はそう長くはない。ペットボトルの水も残り少なく、汗がだくだくと流れ続け朦朧としてくる頭で必死に考える。


 打つべきか、打たざるべきか。


 私はそこまでしてこの国に入国したいのか?

 別に飛行機でこの国を飛び越えてもいいんじゃないのか。


 だが、旅もそろそろ終盤。

 アジアから西回りに旅をしてきた私にとって中南米は世界一周の終盤なのだ。つまり、残りのお金に余裕はないのだ。

 飛行機に乗る余裕がどこにある。


 いや、待て。

 確かにイミグレのお姉さんに英語は通じなかった。

 しかし、注射を打っているのは医療関係者のはずだ。少なくとも多少は高等教育を受けたものだろう。英語も通じるんじゃないのか。


 ついにその時はやってきた。

 私の目の前の髭のおじさんが、注射を怖がっている様は少々面白かったが、今の私には注射を怖がる気持ちが少しだけ理解ができた。


「What is this injection? (これってなんの注射ですか?)」


 淡い期待を抱いた私は覚悟を決めて、英語で尋ねた。

 

「measles」


 返事が返ってきた。

 おー、通じた。私は歓喜した。

 やっぱり看護師とは言え、医療関係者はそれなりの高度教育を受けているのだと。

 私の予想は間違っていなかった。


 だが、やはり私は間違っていたのだ。

 私は多少なりとも英語は話せる。

 空港やホテルのチェックインで困ることはないし、バックパッカー宿に泊まる海外の旅行者と会話をして情報を共有できる程度には日常会話も完ぺきではないがこなせる自信はある。


 だが、measlesなんて単語は知らん。

 風邪も腹痛も頭痛も英語でなんて言うかは知っている。だけどmeaslesなんて聞いたことがない。

 

「***********************」


 私が一向に注射を打たないものだからか、後ろに並んでいた連中から文句を言われてしまった。仕方なしに、私は横にずれて先を譲る。


 打つべきか、打たざるべきか。


 この時、答えを知る術はあったのだろう。炎天下の中で熱中症ぎみだったのか、軽いパニックに陥っていたのか、その時の私には何も思いつかなかった。こいつは何をしているんだろうという冷ややかな視線を受けながら、私は静かに結論を出していた。


 ほかの人への注射を見ていると、少なくとも注射針も薬液も一人一人別のものを使っているし、注射針だって袋から開けて新しいものを使用している。

 注射針の使いまわしの危険も、衛生的にも問題はない。


 必要なのは覚悟だけだ。


 

 




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