素直になれない吸血姫と甘美な逢瀬を

アレセイア

第1話

 からん、と澄んだ音が来客を告げる。

 その音に視線を上げた人々は漏れなくその来客に目を奪われた。

 入ってきたのはロングコートの一人の女性だった。目深に被っていたフードを脱ぐと、ふわりと白銀の髪が踊り、その整った顔立ちが顔を見せる。だが、その表情は微動だにせず、氷のように冷たく怜悧な視線で建物内を見渡す。

 それに目が合った男たちは反射的に目を逸らす――たった一人を除いて。

 その一人と目が合い、一瞬だけ女性は紅い唇の端を吊り上げる。だが、それに気づかれる前に笑みを消すと、ゆるやかな足取りで歩き始めた。

 そして、その男の目の前――つまり、受付カウンターの前で立ち止まる。

 燕尾服の男は来客に目を細めると、つけていた片眼鏡を外しながら微笑んだ。

「ようこそ、ノルミアギルドへ。ヴィルシエラ・ボルミス様」

「挨拶は無用だ。受付」

 口を開いた女――ヴィルシエラは氷のように冷たく低い声を放つ。その吊り上がった瞳から金色の光を放ちながら、懐から巾着を取り出す。

 男は恭しく一礼してそれを手に取る。モノクルを掛け直し、白い手袋をつけ、鉄の皿を取り出す。丁寧な手つきで彼はヴィルシエラの巾着を開いて中身を取り出す。

 それは澄んだ蒼色をした宝石だった。中から光を発しているかのように明暗する宝石を前に、受付の男は片目を閉じてモノクルでそれを観察。それから受付の横にある秤に載せ、数値を観測。淀みない手つきで鑑定を済ませると、手元の紙に素早くメモを走り書きしてから、視線を上げて問いかける。

「依頼のコントラバス魔鉱石を確認しました。一級、欠けなし、五十グラン――こちらで受理致しますが、よろしいですか」

「ああ。構わん」

「では、受理用の書類をご用意します」

 彼は手の空いている同僚に宝石の載った皿を渡すと、その一方で受理用の紙を引き出し、素早くペンを走らせた。それからその紙を上下返してヴィルシエラに見せる。

「お間違いないか確認を――」

「問題ない」

「……かしこまりました」

 ヴィルシエラが一瞥だけで応じ、それに彼は微かに目を開きつつもいつもの笑顔で応じる。彼は判を取り出して、どん、と書類に判を押す。

「では、報酬の方を――っ」

 淀みなかった受付の男の声がわずかに途切れた。ふと彼女が視線を向ければ、男が眉を寄せて指先を押さえていた。その白い手袋の指先から滲んでいるのは血――。

(…………っ)

 ヴィルシエラはわずかに息を詰まらせ、目を見開いた。

 どくん、と大きく心臓が高鳴り、脈打つ。頬が上気し、息が荒くなっていく――熱い欲望が迸り、思考が紅で塗りつくされる――。

 ああ、今すぐ、この人の血が――。

(ヴィエラッ!)

 不意に鋭い念話が思考を揺さぶった。それに我に返ると、受付の男が指先に布を巻くところだった。指先が赤く染まった手袋をしまいながら、ふぅ、と彼は一息つき――ヴィルシエラの視線に気づいて顔を上げる。

「……ボルミス様、如何なさいましたか」

「……何でもない。不手際だな」

 平静を取り繕い、ふん、と鼻で笑ってみせる。男は気まずそうに苦笑いをこぼした。

「少々手元が狂いました。この頃忙しく」

「……そうよね。忌々しいわ」

「おや、何か?」

「――いや、何でもない」

 思わずこぼれた本音の呟きを平坦な声で覆い隠す。

 そうですか、と男は頷きながら気を取り直し、カウンターの中から紙とペンを取り出す。その横に金貨が数枚積み上げられた。

「今回の報酬です。受領のサインを」

「ああ」

 ペンで一筆書きで名を記し、金貨を手元に引き寄せる、男は代わって受領証を収めると、にこやかな笑みで告げる。

「今回もお疲れ様でした。ゆっくりお休みください」

「その言葉、そっくりそのまま返すがな」

「ありがとうございます。おかげさまで、本日の夜は一見残業を片付けたら、すぐに上がれそうですので」

「ふん、なら次は精々、不手際をしないことだ」

 あくまで不機嫌そうな口調を装い、素っ気なく告げる。ええ、と頷いた受付の男はいつもと変わらない笑顔。それから逃れるようにヴィルシエラはフードを目深に被り、ロングコートを翻しながら、足早に建物を出る。

 受付の青年は書類を整えながらそれを見送り――ひっそりと笑みをこぼす。

 端正な笑顔でも隠し切れない、獰猛さを滲ませて。


 ヴィルシエラ・ボルミス――彼女の正体が吸血鬼であることは、誰もが知っている。

 ある日、ふらりとノルミアの街にやってきていつの間にかギルド所属のハンターとして活動を始めていた。以来、彼女は一匹狼として黙々と働いている。

 他のハンターは吸血鬼である彼女を不気味に思って近寄らない。


 そんな彼女が隙を見せるのは真夜中、一人の男の前だけだ。


 真夜中、立ち並ぶ住居の一軒――そのうちの一つは夜遅くまで灯りが灯っていた。

 魔石ランプの穏やかな光の下で、椅子に腰かけ、足を組んで本を読むのは一人の青年。昼間、受付として勤勉に働いていた彼はシャツを着崩し、楽な格好で過ごしていた。

 本に目を通しながら脇の机に置いたグラスを取る。ロックアイスで割られた琥珀色の酒を一口飲んだ。からん、と軽くグラスの氷を鳴らし――。

 その音に重なるように、こつ、こつ、と窓ガラスが音を立てた。

 彼はわずかに目を細めるとゆっくりとした動作でグラスを置き、本から視線を上げる。しばらく窓の外を眺めてから声をかけた。

「入って構いませんよ。ヴィエラ」

「……ふん」

 微かに鼻を鳴らす音と共に、キィ、と音を立てて窓が開いた。その隙間から滑り込むように一人の人影が外から飛び込み、フードを乱暴に脱いだ。

 そこに立っていたのは昼間、受付を訪れた一人の女吸血鬼、ヴィルシエラだ。

 端正な顔つきに不機嫌そうな色を湛え、紅い瞳を細めて青年を見下ろす。

 青年は両手で本を閉じると、にこやかな笑みを浮かべて彼女を見上げた。

「こんばんは、ヴィエラ。いい夜ですね」

「普段通りの夜だと思うがな。イレス」

「相変わらず情緒がありませんね、貴方は」

 青年――イレスはくすくすと笑いながらグラスを手に取り、軽く回す。

 昼間の丁重な物腰とは違う、余裕のある笑みだ。それを見てヴィルシエラは眉をひそめ、小さく吐息をついた。

「……相変わらず、昼間とは大違いだな」

「当たり前ですよ。昼間はあくまで受付係ですから、夜は夜で別の顔を持っていることはヴィエラが一番よく知っているのでは?」

「それこそ、当たり前だな。大した猫かぶりだ」

「それはヴィエラにも言えることでは?」

 イレスは表情を緩めながら微かに目を細めると、ヴィルシエラは少しだけ視線を逸らし、ふん、と鼻を鳴らしながら指先で髪を弄った。

 一見普段通り、素っ気ないヴィルシエラ――だがよく見れば髪は丁寧に梳かされて艶やかに輝き、どこか淡い香水の匂いが漂っているのが分かる。そしてその鉄面皮の頬は微かに赤らんでいることも。

 それをごまかすようにヴィルシエラは咳払いし、乱暴に告げる。

「私はどうでもいいだろう。それよりも用件だ」

「そうですね、最近忙しくてご無沙汰でしたし」

 イレスは頷きながら腕まくりをし、軽くその腕に力を込み上げた。鍛え上げられた逞しい腕に浮かんだ血管――それを見て、ごくり、とヴィルシエラは無意識に喉を鳴らす。

 辛抱できない、とばかりに彼女は彼の腕に手を伸ばし――。

 ふっ、と彼の腕が引っ込められた。

「……何をする」

「ヴィエラ、お願いの言葉がまだですよ」

「……っ、貴様……っ」

 殺意を込めた眼差しでイレスを睨みつけるヴィルシエラ。だが、イレスは涼しい表情だ。自分の腕を引っ込めるように腕を組むと、口角をわずかに吊り上げた。

「吸血、したいのでしょう? もう三日もご無沙汰だ、喉が渇いたのでは?」

「……それを、知っているなら……っ」

「ならば、分かっているでしょう? ヴィエラ」

 イレスの焦らすような言葉に、ぐっ、とヴィルシエラは喉を鳴らした。

 目の前の餌を前にして腹の芯が焦げるような痛みを発する――欲しい、今すぐにでもイレスの血が欲しい。それは吸血鬼として当然の衝動だった。

 血を飲まなければ生きていけない。だからこその、吸血鬼だ。

 そして――ヴィルシエラには制限がある。特定の血しか飲めないという、制限が。

「……卑怯だぞ、イレス……私が、貴様から血を吸えないと知っていて」

「ええ、知っていて言っています」

 くすくすと笑った彼の瞳が不意に優しく細められた。ヴィルシエラの紅い瞳を真っ直ぐに見つめ、柔らかい口調で訊ねてくる。

「ダメ、ですか? ヴィルシエラ」

(……ああ、くそ)

 ヴィルシエラは内心で呻く――この瞳と、この声はダメだ。

 この優しい眼差しで真っ直ぐ見られ、穏やかな声をかけられると、逆らえない。胸が高鳴り、この男に惹きつけられてしまい。

 この男に、服従したいと願ってしまう。

 気が付けば、ヴィルシエラはその場に跪いていた。主君に忠誠を誓うように頭を垂れ、震える声で言葉を続ける。

「飲ませてくれ――イレス。貴方の血が、飲みたいんだ」

 ああ、言ってしまった。そう思った瞬間、そっと柔らかく彼女の身体が抱き寄せられた。壊れ物を扱うように優しい抱擁――なのに逆らえず、引き寄せられる。

 その抱擁だけでヴィルシエラの心が満たされ、耳朶に優しく声が響く。

「ヴィエラ、飲んで」

「あ……」

 目の前に映るのはイレスの首筋。人間の急所を彼は無防備に晒し、委ねてくる。それに胸を一層高鳴らせ、彼女は牙を剥き――首筋に突き立てた。

 びく、と彼が身体を跳ねさせ、同時に口に広がるのは芳醇な香り。

(ああ、この味だ)

 どこまでも甘美に広がる、何にも代えがたい美味。その豊かな味わいに心も身体も満たされていく。ヴィルシエラは喉を鳴らし、恍惚に吐息をこぼす。

 その身体を優しくイレスは抱きしめてくれ、それが尚、血を美味しくさせる。

(ああ、私は本当にこの人のことが――)

 ヴィルシエラは、イレスの血しか飲むことができない。

 それは、彼女が彼に恋をしているからだ。


 イレスは真っ直ぐな男である。

 どんな相手でも丁寧に接し、妙な偏見で見ることはない。その人と言葉を交わすことで、真っ直ぐにその人の心を受け止めて接する。

 それはヴァンパイアであるヴィルシエラにとって新鮮な経験だった。

(はじめは鬱陶しいとしか感じなかったのに)

 いつの間にか、彼と言葉を交わすのが自然になり。

 彼の分け隔てない姿勢がどこか居心地よくなり。

 それでいて困っていると、真剣に向き合って助けてくれる。

 そんな彼にいつの間にか惹かれ、恋をするようになっていた。

 そして、彼はそんなヴィルシエラの心を受け止め、さらに応えてくれるようになった。イレスは忙しい日々の合間を縫って彼女の心を満たしてくれる。

 だから、ヴィルシエラはますます彼に惚れ込んでしまっていて。


 だが、彼女は素直にそれを受け入れられない。


「いいか。イレス。これはあくまで貴様の血の代価だからな」

 清々しい朝の空気が入り込み、日が差し込む時間帯。

 そのイレスの部屋の台所では、エプロンをつけたヴィルシエラが料理をしていた。イレスは壁に寄りかかりながら、少しだけ苦笑いをこぼす。

「血の代価が、手料理か」

「……不満か?」

「いや。料理なんて作ってくれなくても血を飲ませるのに」

「ふん、その代わり、また私を跪かせ、懇願させるつもりなのだろう――この下種め」

 口調は忌々しそうに、だが実際にその様子を想像したのか、ヴィルシエラは少しだけ表情が緩んでいる。が、イレスの面白がる視線に気づくと、慌てて唇を引き結んで睨んでくる。

「何か言いたげだな、イレス」

「そういうわけじゃないけど」

 イレスは目を細めながら、ヴィルシエラの手元を見る。その指先は消えかけているものの、無数の小さな傷跡がある。芋を剥いていれば手が滑ってそこを切ることはよくある。

 つまり、それはこの日のために料理の練習をしていた、ということで。

(まぁでも、それを指摘しても認めないだろうな)

 彼女は誇り高き吸血姫なのであり。

 その裏側でさまざまな努力をしているとか。

 人並みにいろんなことに興味はあるとか。

 本当は心優しくて思いやりに満ちて、好きな人に尽くしたいひたむきな気持ちがあるとか――それは彼女がひた隠しにしていること。

 そして、イレスだけが知っていることだ。

 だから、代わりに微笑んで告げる。

「ヴィエラの手料理、楽しみだな、と」

「なら大人しくしていろ。気が散る」

「了解。そうする」

 イレスはそう言いながら、ヴィルシエラが料理しているところを眺める。

 多少危なっかしい手つきで彼女は芋を剥き終え、適当な大きさに切り刻み、鍋の中に入れていく。根菜と一緒に煮込み始めながら、彼女はちらとイレスを見る。

「……別に座って待っていてもいいのだぞ?」

「ん、いやヴィエラが料理しているのを見ているだけでも楽しいよ」

「……なんというか、物好きだな。イレス」

「ヴィエラも大概だと思うけどな。時々、ヴィエラもそうしているでしょ」

「は? 私がいつお前のことを見ていると――」

「そうだな、あれは、三日前の昼下がり……だったか?」

 視線を宙に浮かせて思い出す。ヴィルシエラは眉を寄せていたが、やがて思い出したのか、目を見開いて急速に頬を染めていく。

「み、見ていたのか……?」

「というか、気配で。天窓の外で様子を窺っていたよな」

 それは仕事中のこと。業務に忙殺されている中で、ちらちら視線を感じていたのだ。しかも一階の窓の外ではなく、天窓から、だ。

 屋上に張り付く知り合いの心当たりなど、一人しかいない。

「天窓から、というのはヴィエラらしいと思ったけど。何していたの?」

「……別に。散歩だ」

(……その言い訳は苦しくないか)

 思わず苦笑がこぼれてしまう。吸血姫は陽射しにあまり強くない。だから、ヴィエラは昼間より夜の散歩を好んでおり、それに時々イレスも同行している。

 ヴィルシエラも苦しい言い訳だと気づいているのか、咳払いして乱暴な口調で言う。

「別に私がどこで何をしていようが勝手だろう」

「まぁ、そうだけどね。けど、一言言ってもいい?」

「……なんだ、言ってみろ」

「ありがと。仕事を片付くまで待ってくれて」

「……っ」

 言葉を詰まらせたヴィルシエラに、図星か、とイレスは納得する。

 あの日、同僚が風邪で倒れていて業務がかなり立て込んでいた。仕事がようやく落ち着いてきたのは夕方の頃。そこでようやくヴィルシエラがギルドに顔を出したのだ。

 かなりの量の鉱石を持ち込んでおり、忙しい時間にそれが飛び込んで来たら、イレスはともかく後輩たちは顔面蒼白になったに違いない。

(しかもさりげなく、鑑定しやすいように仕分けられていたし)

 その時間まで恐らく、ヴィルシエラは待ってくれていたのだろう。

「……ふん、たまたまじゃないのか」

「そっか、たまたまか」

 全く素直じゃない。ふと悪戯心がもたげ、さりげなく視線を鍋に向けた。

「ちなみに今日の手料理に、僕の好物がたくさん入っているのも、たまたまなのかな」

 ふと、ヴィルシエラの手がぴたりと止まる。気が付けば、彼女の顔は信じられないくらい真っ赤になっており、ぷるぷると手が震えている。

(あ……しまった、少しからかい過ぎたか?)

 悪い、と口を開こうとした瞬間、彼女はこちらを睨んで口を開いた。

「……イレスの、ばか。分かっている癖に」

 いじけたように唇を尖らせ、じっとこちらを見てくる。その瞳は微かに濡れていて、その眼差しは熱を帯びていて――イレスは謝罪の言葉を引っ込め、小さく笑みをこぼす。

 そしてわざとらしく首を傾げ、ヴィルシエラを見つめて訊ねる。

「分かっていても、聞きたいんだ。ヴィエラの口から」

「くそ……卑怯者……」

「ダメか?」

「……っ」

 それは魔法の一言だ。内心の葛藤を押し開け、彼女の固いプライドの中から本音を聞き出す誘惑の一言。それにヴィルシエラは唇をぐっと引き結び、歯を食いしばる。

 そして、ぶるっと身震いすると、彼女は言葉を絞り出した。

「……ああ……そうだ、イレスのことを考えて作っているんだ、この料理は」

「そっか」

「何度も練習して、何度も失敗したんだ」

「そうだったのか」

「それも貴様はきっと見通している癖に――意地悪だ」

「そうだな」

 彼女が赤裸々に己の本音を口にする。吸血姫の誇りを投げ捨て、己の本音を口にするたびに、ヴィルシエラは息を乱して瞳を潤ませる。頬を上気させ、興奮を隠そうとせずに彼女はイレスにそっと歩み寄る。

「屈辱だ。羞恥だ。貴様は鬼だ――だから」

 罵りながらも彼女は愛おしむような手つきでそっとイレスの頬に手を添える。そっと瞳を見つめながら、甘い吐息と共に唇を近づける。

「もっと、私のことを――暴いてくれ」

「ああ、もちろん。暴き立てて愛おしむよ」

 その言葉と共に、二人はそっと唇を重ねた。温もりを味わうように表面を擦らせ、その甘美な摩擦を楽しむ。彼女は瞳を細め、さらに貪ろうと吐息をこぼし。

 不意に、その唇に人差し指が当てられた。

「んむ」

「ここまでだ、ヴィエラ――料理の途中だろう」

「……貴様、これ以上恥をかかせるのは無粋だろう?」

「とはいえ、折角のヴィエラの手料理、楽しみだし」

 それに、とイレスはそっと彼女の顎に手を添えて上を向かせる。その顔を逸らさせないようにして、悪役めいた笑みで訊ねる。

「今、焦らされて悦んでいるのも事実だろう?」

「……っ」

 視線を逸らしたのが、何よりの答えだった。

 ぱっと彼女は身を引き、悔しそうに唇を引き結ぶと、鍋の方に大股に戻って言う。

「本当に貴様は……っ、意地悪する奴には、唐辛子をぶちこむぞ」

「怖いな。けど、どんな手料理でも、楽しみだから」

「……っ、貴様は卑怯だっ」

 ああ、そうだろうな、とイレスは苦笑をこぼす。こういえば必ず誇り高いヴィルシエラは手を抜かず、本気の手料理を出してくれる。

 卑怯だけど、と言葉を返しながら彼は彼女に微笑みかける。

「楽しみなのは噓じゃないから」

「……っ、ならその代価は充分いただくぞ」

「ん、好きなだけ血を飲めばいいよ」

「血だけじゃ不十分だ」

 振り返った彼女は不機嫌そうに睨みつけ、やがてぶっきらぼうに言う。

「言わなくても――私の心は、分かっているだろう?」

 ああ、分かっている、と言葉を返すのは無粋だろう。ただ黙って口角を吊り上げると、彼女はふんと軽く鼻を鳴らして料理に戻る。

 だけど、その表情は上機嫌そうに緩んでいて――イレスは釣られて嬉しくなった。


 その後、彼女と食べた手料理はイレス好みの味でとても美味しかった。

 そして、料理の代価として血と共に甘い時間を過ごしたのは、また別の話である。

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