第9話 失恋の様な何か

 葉菜子は仕事机の上に肘をつき、手のひらにアゴをのせ時計を見た。

眠たい

周囲の社員の目を盗んで、一瞬目をつぶった

お局の岩屋さんにだけはバレないようにしないと・・・、うとうとしていたなんて風評を流されたらたまらない。とんだ風評被害だ。事実だけど

 早く仕事時間が終わらないかな

眠い

昨日の夜中に趣味の文芸活動をしようとしたがどうにもこうにも新しい発想が浮かばない。

どうしても、ある結末に向かってしまって・・・どうにもならない、それで眠れなかった

 仕事でも、昨日行ったトライ結果のまとめが遅々として進まない。

画像処理のトライって・・・そんなことを仕事でやることになるとは思わなかった。机の上でパソコンをパチパチ打つだけでよかったはず、それが無理やり理系の仕事につかされたという次第。予定通りに進まないのが人生なのか

ドラマで見るOLとやっている事も雰囲気も違う

まぶたが重い、頭も働かない

「糖分が足りてないのかな・・・」

いつもは飲まない缶コーヒー。総じて女性社員はあんまり飲まない悪魔の飲み物を自動販売機コーナーに買いに行くとしよう


――――――――――――――――――――


内閣情報調査室


 岸川総理がドアを開けると、出席者のヒソヒソ話が止んだ。

内閣情報調査室.山梨室長が主催した会議は異様な緊張感が支配していた。これは将来の教科書に載るような歴史の転換点になりうる事件ではと、出席者の大半が思っていた

「3カ国防衛関連首脳誘拐事件」省略して「武官テレポート事件」は2週間前に東海地方で起こった事件だが、ペンタゴン、クレムリン、北京の3か所同時に起きた事件とも言えた

アメリカ軍、ロシア軍、中国人民解放軍の高官3人が各国のセキュリティーエリア内から次々と消え、遠く離れた日本の寂れた派出所で発見された

 国際テロ情報集約室にも所属する川中が事件を要約して説明した後、分かっている事と、不明点・謎な部分を分類した。 

 発見された3人は命に別状なかったが、当初は意識が無い状態だった。

意識を取り戻した3人のうち、ロシアの武官が中国とアメリカの武官を殴りつけてけがを負わせていた

岸川総理は一旦顔を伏せたあと、顔を上げて言った

「その派出所に突然現れたのか? どの様に現れたのか? 物理学者に検証してもらったのか」

「このビデオを見てください」

川中はビデオ回した

2人の男が派出所のドアを開けて外国人3人を1人ずつ運び込む様子が映されていた

一旦ビデオは止まった

情報室長山梨が補足をした

「2人の男が運び込んでますが、この男たちの素性は不明です。指紋等の情報がデリートされている痕跡があります。そして現場の指紋情報そのものも、現在なくなっております」

 特別に参加した麻生財務大臣が声を大きくした「捜査情報がなくなるってどういうことなんだ、大問題じゃないか」

「お言葉ではございますが、人間3人を消すことができる組織でありますので、そういった情報を消すのは難しいことではないと考えられます」

重苦しい空気がこの場を包んだ

「我々は無力なのか?」

山梨は重々しく返した「・・・残念ですが、そういった無力さを我々に感じさせる為に、この3人の誘拐がなされたと考えられます」

「なぜこのビデオだけは残っているのだ」

「これはSDカードそのものからの映像です。古い派出所なのでカメラがインターネットに接続されていませんでした。ここからコピーされたデータベースの動画データは現在残っていません」

岸川総理は続けた

「問題の本筋とは関係ないだろうが、なんで殴り合いが起きたんだ?」

情報室、川中が説明する

「ロシアの武官が自身の顔をたまたま鏡に写した時に、顔にマジックでヒゲをかかれていることを確認し、いたずら書きがされていたことを認識した。それで侮辱されたと思ったと。意識が戻った2人との意思交換が言葉の問題でできず、ついつい殴ったとのことです」


聞こえないくらいの小さな声でつぶやいた「白クマかよ」

発言権の強い麻布財務大臣がさらに聞いた

「なんでいたずら書きがされていたのか?これはダークワンの仕業なのか?」

山梨は渋い顔して答えた「これは3人を運び込んだ男のうち浅はかな1人が馬鹿なことをしたということです。ダークワンとは全く関係ありません。ダークワンはもっと高潔のようです」

「ダークワンに思い入れがあるようだね」

「ビデオの続きを見て確認してください」

・・・・・・・・・・・・

岸川総理は顎をさすりながら言った

「なるほど浅はかだ」

重い空気がわずかに緩んだ


さらに川中が説明した

「わが国におけるダークワンの関与が疑われる消失事件として、折門集落に入植した3家族が行方知れずというものがありましたが、消息が判明しました。ダークワンとは関係がありません」

岸川総理は少し表情明るくした。

「そうか、それは良かった。他国の重要人物消失と三軒の農家の消失が同列に行われているというのも、そもそもおかしかったからな」

麻布財務大臣は首を傾けてつぶやいた

「我が国には何万人もの行方不明者がいるのだが、何故これがピックアップされたのかな? マスコミが大々的に放送したからか? しようがないマスコミだ」

「麻布大臣には話しておりませんでしたが、マスコミと政府に怪文書が届けられたからです。怪文書にしては内容が詳しすぎるものでしたが、さすがにマスコミもダークワンのことを放送では触れてはいませんでした。我が身が可愛いいんでしょうね。しかし、彼らにはその名前を知られてしまいました」

「マスコミに知られてしまうと我々も動きが難しいことになるな、厄介だ。大手は我が身可愛さに、" 誰が最初に言い出すか" と待ちをきめるのだろうけど、独立系のマスコミが全てを明らかにしてしまうんだろうな・・・」


 説明資料の最後には、総理大臣が決裁する事柄があるはずだったが、そこは抜けていた。代わりに「まずはダークワンの意向に沿って友好的にことを運ぶことが肝要」としめられていた


「政府与党連絡会の前に貴重な情報が聞けた。でも相談するのは時期尚早かな・・・」

岸川総理はまだ次の一手がわからず。何の決断もできなかった


――――――――――――――――――――


 三花製作所正門受付

1人の女が必要書類に記入を済まし、守衛に書類を差し出した。

「理研の中村園子です、システム開発部の渡辺さんにアポをとっています。面談をお願いします」

 地味だが内面の華やかさが外にわき出てくるような女だった。しかも若い。

 突然後ろから不自然に男が割って入ってきた。「中村さん。私も忘れないでくださいよ」

「えっ・・・、あなた誰?知らないわ・・・」

「意地が悪いなぁ。守衛さん! 人数を2にしておいてください」

背が高く一見人の良さそうな男が中村に向き直った

「理研の北村です。現在秘密漏洩の調査をしております。中村さんは全然問題ないんですが一応ですね、形だけでも同席させてください」

「はぁ・・・、そんなことするなんて、気持ち悪い組織になったものね。どこからついてきたの?」


「埼玉サイトから出て、今しがた着きました。間に合ってよかった」

「誰の指示なの?」

「あなたのスケジュールをAIがスクリーニングして調査の必要性を示唆したんですよ」

「ふぅーん」中村は平静を装ったが、内心は慌てていた

 この出張は某光技術関連メーカーとの打ち合わせの帰りに、仕事とは関係なく設定された面談であったからだ

 中村園子には気がかりなことがあった。上司の馬場が人が変わってしまったように感じられることだ。1週間前、政府主催の会合の後に駅で倒れ、それから人が変わってしまったようになった

 思いやりにあふれていた馬場研究員が急に人の感情の機微に目を向けなくなったようで、それが何かとても寂しく感じていた

政府の会合で何があったのか、それとも倒れた時に何があったのか、中村は少しでも知りたいと思っていた

 脳梗塞等で人の性格が変わるという事はよくあることである。しかし馬場に脳梗塞の所見はなかった。健康体ではあるが、その時は貧血になったのであろうという結論となっていた。

 倒れた時に、そばにいた人物がおり、その人物が駅員に馬場を引き渡して名刺を置いて去っていったと知った。中村はその名刺のコピーを入手していた。

 その人物の勤め先が偶然にも、本日の出張先に近いところであった為、ついでに寄ることにしたのだ。馬場のその時の様子が聞きたいと思っていた

 この北村の前でどう話を持ってゆけば良いのだろうかと、思案をぐるぐる回転させた

守衛から構内パスを2つ受け取って、1つを北村に渡した

「この通りを東に行った所にC棟お客様窓口という看板が見えますので、そこに入ると面談スペースがあるので、そこでお待ち下さい」


――――――――

 その頃、渡辺には連絡が行っていた

「渡辺さーん、C棟の面談コーナーにお客様来てます。理研の中村さんです」

守衛からの電話に出た女の子は電話を回そうとせず、大声で渡辺に知らせてきた。

面談相手が最先端技術組織の理研ということで、大きな声で言いふらされることにより渡辺は鼻が高かった。小声でつぶやいた「大きな声で、全く・・・えみちゃんナイス・・・」


――――――――


 面談室はパーティションで仕切られたラフな作りだった。中村園子は北村と4人がけテーブルの片側に横並びに座った

 これでは機密情報の音声がダダ漏れだと思い、北村にどう思われるか中村は心配になった。

話の内容に機密情報はないと思い返した

それに、ガラガラだからいいや

心を無にして渡辺を待った


渡辺が現れた

 用もないのにちょっとしたカバンに書類を詰めて持ってきた

2人は立ち上がり名刺を出して渡辺に1人ずつ差し出した

 渡辺は男女2人で出張に来たことに激しい落胆を感じた。でも中村園子の容姿を確認するとテンションが再び激しく上り、情緖がおかしくなりかけていた

「その節はうちの馬場がお世話になりました。助けていただきありがとうございます」

「馬場さんと言いましたか、元気にしておられますか、とんだ災難でしたなぁ」

 その時近くの自動販売機で、がちゃんと缶コーヒーか何かが買われる音がした。中村は北村の顔を覗き見た。呆れているのかなと表情を読んだ。少し口元が緩んでいるが、目がきつくなっていた

 この企業は、こんなダダ漏れの面談室で機密の話をいつもしているのかと、得意先の査定ではないし、関係者でもないがヒヤヒヤした。

 どこからか1人の女性が渡辺が座ってる隣に立っていた。缶コーヒーを持っていたがテーブルに置いた

渡辺は横に立つ女性を見てびっくりした「赤池さんじゃないですか」

それまで渡辺が認識していた赤池さんと何かが違う。何だろうか、佇まいが別人なんだ。

気のせいだろうか二重にぶれて見える

赤池葉菜子は無言で北村を見ていた

「あなたもその時いたのですか」と横の中村が赤池に問いかけた

 赤池はにっと少し笑って、心持ち身をかがめて北村と正対した。なにやら臭いを嗅いでいる様「あなた、やっぱりね」

「何でしょうか」と河村が声を出したその刹那。腰の回転と腕の振りによる壮絶なビンタが北村にヒットした。

北村の顔が真横に触れ、意識が飛びかかった。

顔を正対させてから意識が飛ぶのを視線を落として我慢し、ようやく声を出した

「何をするんだ」

その声が途切れてすぐ、嵐の様な左のビンタが北村の頬骨を再び捉えた

「グェ、・・・だから何いー、ぬにー」

中村園子と渡辺は完全に動作が止まった

「何?」

「えっ」

上から振り下ろすパンチが鼻をかすりながら顎を打ち下ろす

「ぐっ、何ー、ぬにー」北村は下を向かされ、大きな鳥のような声を上げた

横で対面の2人は、お互いの顔と赤池、北村を見て、視線が泳いだ

半身になった渡辺がようやく口を開いた

「赤池さんどうしたんだ。こいつに何かされたのか。知り合いなのか」

赤池は捻った体を元に戻しつつ、北村の両手の防御の下側より手のひらの土手の部分を顎に叩き込んだ。

北村の口から鮮血が飛び散った

目の焦点が飛ぶ

「ぐにー」口からの声が、もはや人の言葉では無い

さらに膝の屈伸から、テーブルを超えての飛び膝蹴りが北村の胸に刺さった

肋骨が嫌な感じに凹んだ


派手に倒れゆく北村に、横から押された形で転がった中村園子は、ようやく立ち上がった

「何ですか」声が裏返って思うように出ない

吹っ飛んでパーテーションの柱に引っかかって床に落ちた北村が、意識がない顔のまま吊り人形のように立ち上がり、赤池に近づく

 振動でテーブル上の缶コーヒーが転がりそうになり、渡辺は缶を握り締めた

出血で真っ赤な目をした北村が赤池に向けて1メートル位ジャンプした

渡辺に悪い癖が出た。「赤池さん危ない」とっさに缶コーヒーを北村に向けて投げつけた。

缶コーヒーは一直線に中村園子の顎を痛打し床に転がった。中村園子は崩れ落ちた

 赤池は北村のジャンプを1歩ステップバックしてかわすと同時に、北村のテンプルに強烈な右のフックを打ち込んだ。それはカウンターとなって脳に直接衝撃を与えた

北村は視線を落として動作が止まり、スローモーションの様に前に倒れた


 渡辺はスローイング後のフォームで固まっていた

「赤池さん、めちゃくちゃだよ・・・」

目がチカチカしていることにも気が付いた。どうにも頭がクラクラする

「また、あの症状が来たのか、勘弁してよ・・・」

目の前の床が黒く割れてきた

渡辺は背中でパーテーションをぐいぐい押しながら下がって割れ目を避けた

北村だけ割れ目に入っていった。いつの間にか見えなくなった

「なんだこれは、彼はショッカーなのか?」

 黒い裂け目は消えた


「馬鹿なこと言わないで。彼はダークワンの工作員。でも、よく考えると同じようなものか」

「馬鹿なことって・・・赤池さん。あなたもバカなこと相当やってますよ」渡辺は驚きの表情が元に戻らない

 赤池はあれだけのことをやっても、息を切らしていなかった。

 渡辺には、赤池葉菜子がますます二重に分離して半分飛び出しているように見えた

 床が北村の血しぶきで彩られ、テーブルと椅子の位置がめちゃくちゃ、おまけに女性が1人倒れている。同僚や、とりわけ上司がここに来てしまうのが心配だ。・・・何一つ悪いことしていないのに

「確かに馬鹿な事をしたわよ、2人に見られてしまったからね。あなた、記憶を消さないとえらいことになりますよ」

「分かった、分かった、分りました。記憶はありません。今日は全然何もない1日です。良い日和でした」渡辺は葉菜子から最も距離を取る位置にジリジリ移動した


 赤池葉菜子は倒れている中村園子を見下ろして言った「なんてことしてくれたの」

「とっさだったからさ。赤池さんを助けようとしたんだよ」

「今からこの人を救護室に運ぶから、あなたはここ片付けといて。・・・今日は裏からタクシーでこの人と帰ることにします。私は急に体調が悪くなって帰ったって、岩屋さんには言っておいてね。有休です」


「分かりました」ついつい敬語になる


「それとあなた、人の顔にヒゲをかいていたわね。あんなことよしなよ」

渡辺は震えが止まらなかった


――――――――

社員食堂での夕飯。渡辺は猪瀬と一緒になった

「渡辺、お前どうしたんだ、顔色悪いぞ。しがない独身男同士だけど、プリン付き社員食堂豪華ディナーだぞ、もっと明るく振る舞え」

「別に暗くないって。ちょっと記憶が抜けるような事があったような、ないような」

渡辺はさっきからなかなかカツを食べ切れない

「あれか。理研の女の子にふられたんだな」

「バカ言え。会ったその場で振られるなんて、昭和の名作の "寅さん" でもそんな事は無いわ」


 猪瀬はスープを飲み干して、気持ちを整えてから言った

「俺、赤池葉菜子さんに正面から告白しようと思っているんだ」

「赤池さんにか?」

「何をそんなに驚いているんだ。このところ赤池さんの話しかしてないじゃないか」

「あの赤池さんにか」

「どの赤池さんだよ。可愛くて、おとなしくて、俺なんかにも気持ちよく接してくれる。可愛らしくて最高だよ」

猪瀬は葉菜子を思い出してニンマリとした

「気持ちよく接してくれるか。うーん、確かに昇天しそうだなぁ」

「お前何か今、エロいことを想像したな」

「いつもならそうだが、今は断じて違う」

「なぜ今日はいつもと違うんだ。お前また何か抜け駆けをしたのか」

「抜け駆けはしていない。記憶が抜けたんだ」

渡辺は視線を下に落とした

「なぜ記憶が抜けるんだ。痴呆なのか」

「そこは詳しく聞かないでくれ」

猪瀬は渡辺を励まさなきゃいけないという気になってきた

「あれか、あの論法。記憶が私から抜けたんじゃない、私か記憶から抜けたんだっていう、カッコつけた論法を気取っているのか?」

「人間は理解の限界を超えると記憶が抜けるんだ」

「ははーん。新しい宗教を発案しているのか。儲かるんだったら俺にも1口の乗っけてもらうよ」

渡辺は猪瀬の顔を正面から見た

「まじで、何かの宗教に入らないともたないかもしれないくらいのことだ」

「渡辺をこんな風にするなんて、ひどい失恋もあったもんだな」

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