第8話 善行

赤池葉菜子4歳


 後座席の無駄にふかふかのチャイルドシートにもぐりこんだ4才の葉菜子は目をキョロキョロさせながら口を尖らせた

「どこへ行くの?私はおうちのお庭でいいのよ」

4歳の女の子はもう普通に会話のキャッチボールができる

「児童会館がいいかな?それともお店がいっぱいあるとこがいいかな」

「じどうかいかんに行っても、おもちゃをとられちゃうから、イヤ」

「そんなこと言わないの、みんなとおとなしく遊べるように練習するのよ」

母マリコは最高に優しく葉菜子をなだめた

運転席の父、和夫は高級車のハンドルに片手を添えてつまんなそうに運転していた

「いつもと違うルートで行ってみるか・・・偶然に発見したんだ。もしかすると揺れるかもしれないから、葉菜ちゃんもしっかり捕まっていてね」

葉菜子はしようがなく車の天井を見上げて小さなシミを探し出してじっと見た

じーっと見ているとシミは動き出した。

目の錯覚という概念は4歳にはない。葉菜子の目には、そのシミが動いていた

「ねー、おかあさん、黒いものが動いてる。あれ」小さな指をさした

マリコは振り向いて上を見た

「何言ってんの葉菜ちゃん。車が動いてるんだよ」ずれた答えを返した

「なんかだんだん大きくなってきた。なんだろう」黒目がちの大きな瞳を丸くする

 葉菜子は割と手がかからない子だった。素直でもあり、両親を煩わしたりがっかりさせる事はあまりなかった。内向的なところがあるのが両親が認識していた欠点で、外に行きたがらないことが多く、勝手に空想を広げて遊んでるような女の子だった


和夫は家族で出かける事はそんなに好きではないが、葉菜子との面白い会話が出来ることは好きだった

「また変なこと言ってるのー。葉菜ちゃんは全くヘンテコリンだなぁ。今度から葉菜ちゃんのことをへんてこりんと言っちゃうぞ」

頭ごなしに怒らない柔軟な気持ちで子供に向かう父親だった

「イヤ。私の名は、はなちゃん」

無理をするでも無くても、子供に悪い印象全く与えないようなお父さんだった

「大きくなっているよ。どんどん大きくなってきた。これどうなっちゃうのかなあ。みんな真っ黒になっちゃうよ」

母は再び振り向いた

「はなちゃん。お母さんには見えないよー」和夫に向けて真理子が言った「はなちゃんを眼科へ連れて行った方がいいのかしら」


車は止まった児童会館ではなくショッピングセンター駐車場

まりこは後部座席を振り返り、顔色が青くなった

「あなたなんてことをしてくれたの」

「何を言っている。どうしたんだ」 

和夫が振り返るとチャイルドシートの中には小さな男の子がいた

「入れ替わっている」

「あなた、変な時空を通ったでしょ・・・。認められてない時空じゃないの?なんでそんな所に入ったのよ。私の葉菜ちゃんが・・・」

和夫は頭を抱えた「大変なことになった。まだ望みはある」

「葉菜子にはまた逢えるかもしれないわよ、でも私の葉菜ちゃんにはもう逢えない。葉菜ちゃん・・・時間軸が違うから、おばあちゃんの葉菜ちゃんに会えたとしてもそんなのイヤだ。その男の子はどうするのよ。イヤー」マリコは大声で泣き出した

チャイルドシートの中の男の子はにっこり笑っていた

「国のコントロールセンターに行くしかない」

「急いで!」


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 イマジナリーの世界で最大限の科学力を駆使し、葉菜子はこの世界に戻ってきた。

 時空を行き来してしまう人間が現れるということは、この世界においては国の特例疾患に近いものがあった。

 極めて稀だがあってもおかしくない事象であり、病気ではないがある意味難病のような存在だった

 幸運にも、まもなくして葉菜子は両親のもとに帰ってきた。正確に言うと、たびたび里帰りを繰り返しているような状態となった。その部分で両親は気が気でなかった。

 目の前の葉菜子が本当に我が子なのだろうか。疑ったらキリがないところは、ぐっと抑えて生活をした。 

度々消えては少しだけ成長して帰ってくる葉菜子を見て、両親も複雑な気持ちにならざるを得なかった、本質の葉菜子はどこにあるのだろうか。

 どこと行ったり来たりしてるのだろうか?国のコントロールセンターに聞いても、そこまでの把握はできていなかった。

両親は悩みつつも目の前に現実としてある幸せを噛み締めて生活するしかなかった。

直接に葉菜子に度々どこへ行っているのかを聞いたこともあったが、答えは要領得ないものだった。

わかっている事は、同じ様な世界がもう一つあるらしく、それも少し科学技術が遅れた世界なんだそうだ。

 葉菜子は元の次元イマジナリーで、高校まで通い、大学まで行ったが中退した。何しろ何かの拍子にいなくなってしまうからだ。高校までは特例でどこぞの世界の単位を持ってきて卒業したが、大学には救済策が不十分だった。

入れ替わった男の子も行ったり来たり送り返した


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 通常の3次元世界の葉菜子の体の中に、イマジナリー次元の葉菜子の精神・人格がHanakoとして存在していた

 この複雑な構造は、イマジナリーの行政側も理解できていなかった


「あなたネットでの注文残を見てるでしょ。生産拠点をもうちょっと増やすか、設備投資をするか、生産を三交代にするか、私に提案しなさいよ。私が計算して指示しなきゃできませんか」

「はあ、すみません」

Hanakoはベトナムに駐在させている男性社員に電話で辛辣な指示をする。


 この会社は主に化粧品コスメ関係を製造販売している。認可等がやや緩いベトナムを生産拠点にHanakoが選び、現地の中古工場を居抜きで借りている。

イマジナリーで学んだ技術も入れることも多かった。他次元の技術をこの次元の世界に活用する事自体が適法かどうか、誰に問われることもなかった。誰もそれを想定していないからだ。

次元の隙間に落ち込んだ人間が、法と良心と常識の隙間を活用していた

 Hanakoも自分が何のためにこんなことをしているか? 金儲けをしたいのか? 自分でもよくわからない時もあった。しかし、最近では割と達観していた。精神として生きているだけではうつろな幻であり、生きている証が欲しいだけと気がついてきていた。

 Hanakoは働くことによって自己実現をしたい前向きな女となっていった。

製造業の技術系社員の目立たない葉菜子は社長としてのHanakoが活動するときには消えてしまい、辛辣な経営者となる


「分りました2日待ってください。結論を出します」

「任せたわよ。ゴルフばっかり行ってんじゃないだろうね」

「行きませんよ。今、足の小指が折れてますから」

「この前はビーチで足首捻挫したって言ってたわね」

「働きすぎで骨が弱ってるんですよ」

「まあ、そうね、ここはそういうことにしておきます。がんばってね」


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 昼休み猪瀬と渡辺は社員食堂で生姜焼き定食を食べていた。2人にとって待ちに待ったメニューだった。集中して無言で食べていた

 突然、渡辺は箸を止めた

「お前にまだ言ってなかったっけ、神奈川の理研の何か女の人が俺に面会希望の電話をかけてきた」

 猪瀬もぐっと顔を上げた

「はぁ?」

「今日の午後、俺に会いにくるんだ」

「なんで理研がうちの会社と関係あるの? それで、よりにもよってお前に? 何も関係ないじゃん」

「いや何かあるんじゃないの」

意味ありげに笑った

「ピンポイントでお前に何かあるわけないだろ」

「まぁ、俺のなんか昔の特許でもネット検索したのかなと思ったんだけど、どうやらこの間、東京で人助けしたじゃないか。あの関係みたいよ」

「そういえば、倒れてた人を駅員に押し付けて、名刺を渡してとっとと帰って来ちゃったんだよな」

「人聞きが悪いな。ああいった善行を日々行なっているから、若いお姉さんが私に電話かけてくる。会いに来てくれる。そういうことだよ。それにしても魅力的な声の人だった」

「善行って、お前。そもそも、缶コーヒーを投げて、拐われそうになった人の頭にぶつけたのはお前じゃなかったか。それであの人倒れたんだろう。半分加害者だよな」

「何をおっしゃる猪瀬さん。私は誘拐犯に向けて投げたけど、どこに当たったかは確認できてません・・・。結果的に誘拐を阻止できたという事実だけはある。そういうことだ」

「記憶が勝手に改ざんされている・・・」

「あぁ、会うのが楽しみだ。でもきっと日帰り出張だろうな。宿がとってあったとしたら、晩ご飯も一緒にできるなぁ、そうしたら俺の善行恐るべしと言うことになるんだけど。・・・それよりも生姜焼きを食え」

猪瀬はふに落ちない

「あの時、俺の名刺も渡さなかったかなぁ」

渡辺は無言で豚肉を食べる

「お前まさか俺の名刺をパームして取り出し、駅員に渡すのを阻止したのか? 姑息な素人手品技を使ったのか?」

「ばか言え、あの時点でこの行幸は予測できない」

「予測できていたら、やっていたのか?」

「間違いなくやっていた」

 2人は2秒ほど見つめあった後、同時に豚肉にかぶりついた


 2人の頭上では、社員食堂に備え付けのテレビが山梨県の村で大規模な行方不明事件の発生をテロップで流していた

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