第6話 抜け忍

 理研の横浜サイト、生命科学研究センターの分室。その中の馬場研究室

山田名誉教授はコーヒーに口をつけてからカップを無機質な机に戻した

「急に来て無理に会ってもらってすまなかったな。前に来た時より、セキュリティーが厳しくて良い研究室になったものだ」

「山田先生がこの分室の基礎を作った時なんかは、今ほどのセキュリティーは無かったでしょうね」

「そうさ、ずるずるだったよ。中華の出前だって簡単に中に入れたものさ」

馬場はコーヒーをしばし堪能してから口を開いた

「今日はどんな話を持ってきたのです。私が役立つことがあったら、言ってください」

山田は目の前の教え子の目をぐっと見据えた

「・・・人類の歴史が動くかもしれない」

「えっ、そんなこと私に言って良いのですか?」

「誰かに言わないと、わしがおかしくなりそうだ」

「例の仮定の話が、そんなシリアスな段階になったのですか」

「どうなるかは政府の中枢。いや、中枢のちょっと下の官僚の胸三寸で決まるのかな。ちょっと恐ろしい話だが」

「この前に話していただいたあの話しですか?違う次元の世界というのが本当にあるという」

「・・・これからの話は聞かなかったことにしてくれ、オフレコだ。・・・今までは仮定の話で、楽しい話だった。そうだったのだが、ここ最近での事件でほぼ事実と確認されてしまった」

「違う次元があったとしても、全然違う世界であれば互いに影響は受けませんよね・・・もしかすると収斂しゅうれん進化ですか? 環境が似通っていると似通ったような進化をするという、人間に似たものが存在するということですか? まさか・・・」


山田名誉教授はその言葉を聞くと目を閉じた

「現実はもっと深刻だ。収斂進化で人間に近いものではなくて、なぜか人間と同じで、科学技術に関してはやや進んでいるんだ。姿と生活様式における類似性は、装っているのでなければ、交流があったとするのが自然だ。それでいて正式な接触はしてこない、そしてここへ来てぼろが出て来た。それも、戦略か?偶然か?分からない・・・」

「そんなに深刻にならないでください。フワッとしたことを聞きますがどんな別次元なのですか?」

「はっきりとは分からないが、わしが思うに、意識や想いが次元の1つになっている世界ではないかと思う」

「縦横高さで3次元のところに、意識が1つの次元を構成している?」

「君は2重スリット実験を知っているだろ。観察という言わばそういった想いを持つ場合と持たない場合で、実験の結果が変わってくるという、あの実験だ」

「量子の世界の不思議な現象ですね」

「この危機と言える状況の中で、わしは1つだけ希望を感じている。別の次元が我々と並行して存在し、時間の流れと空間が2重にあるかもしれない。このことについて1つの可能性を感じないか?」

「というと、何でしょう」

「具体的に言ってしまうと、私は5年前に死に別れた妻が、あちらの次元にもいて、生きているのではと思っているんだ」

「うーん。それはすごい話ですね」馬場は初老の元上司の率直で純な想いに、どう対応して良いかが分からなかった。堅物で、時に厳しい山田を疎む時期もあったが、こんな人間的な山田に触れるのは初めてだった


「今のは、私の戯言として忘れてくれ。真面目な話、どこで他次元と繋がっているかが皆目わからない。・・・そこを完全に理解することは今のところ放棄して良いとは思うが、問題は別次元の人間がこちらのことをどう思っているのかという点だ」

「彼らはいつからこちらのことを分かっていたのですか?」

「おそらく、何世紀も前から、でもあちらの世界の時間とこちらの時間が同じという気がしないがね。あちらさんは既に情報収集が十分だと思う、我々は圧倒的に不利だ」

「あちらの人が良い人だと祈るしかないですね」

2人はコーヒーカップを取ってぐっと飲んだ

「どこで、別次元とどこが繋がっているのですか? そこを閉じて鎖国をすれば良いのでは・・・」

「それはいい案だね。だが、ちょっとした自然でも制御できない人間が、次元と次元の繋がりを制御できるのかというと、その困難さはわしには想像もできない」

「悩む必要はありませんよ、政府の中枢で高給をとっている人達に考えさせましょう。我々科学者は事実を積み上げていくだけです」

「わしが今日、ここに来たのは、君のその言葉が聞きたかったからなのだな。たった今、分かったよ。・・・わしに付き合ってくれてありがとう。これからどのような展開になろうと勇気をもらえたよ」

「山田教授、解決したら飲みにいきましょう。雰囲気のあるいいところを見つけておきます」

馬場は山田を励ます為、にこっと笑った


山田は愛車のハンドルを握り理研を後にした。

午後からは国家安全保障局に呼ばれており、先方よりハイヤーをまわす気遣いを打診されたが、それを断って馬場に会いに来ていた。

山田は胸の詰まりが少し取れた気がした

 生命科学研究センターの分室は横浜サイトの中でも田舎の飛び地にあったので、田舎道が続いた。

山田は気持ちの良いドライブで、落ちていた精神が上向きになっていることを感じていた。

そんな山田に体調面での異変が起こった

「なんだ・・・、目がちかちかする」

山田は運転免許を返納しなければならない歳でもないが、返納してもおかしくない歳でもあった。

「そんなはずはない、血圧は正常だったはず。過信だったか・・・」山田は田舎道の路肩に車を止めた

ハンドルに突っ伏して目をつぶり、ちかちかするのが去るのを待った

「もう少し待ってだめなら救急車を呼ぶしかないな・・・」

そんなことをしているうちに、後ろから騒がしいエンジン音が後ろから前に移り、山田の前に停車したことが感じられた。

山田は少し頭を上げ、目を半分開けた

「でかい車だ。ドライバーがわしの異変を感じてくれたのか・・・」

また突っ伏す

頭が重いが、人が近づく気配だけは感じとった

再度、少し頭を上げ、目を半開きにした

懐かしい女性の姿が確認できた

「亜希子じゃないか、亜希子・・・」声にならない声を上げた。

運転席の外には女性が立って慈悲深い表情で、大丈夫?と言っているようだった

「会いたかった」頬には涙が伝い、ここ数年来で最高の笑顔を浮かべた

研究に打ち込んで家庭をかえりみない若き日を経ていた。余裕をもったこれからは、あちこちに連れて行ってあげようといった矢先に旅立たれた。そこから来る後悔が、山田から笑顔を奪っていた。

久々の心からの笑顔だった


 山田の体はいよいよ動かなくなっていた。

もう一人防護服の男が降りてきた。てきぱきと山田の車にフックを付け、運転席を開けて、山田の体の隙間から入れた手でギアをニュートラルにした

車がすこしずつ動くのが感じられ、斜めになって空に向けて飛び立っていくようにも感じた。山田は助手席に目を移すと亜希子が座っているのが見えた

「おお、亜希子。乗っていたのか」

山田は最高の幸福を感じていた

もう何がどうなっても良かった。この瞬間が永遠であれば良い

山田の車は完全にトラックの荷台に積まれて、後ろのハッチが閉じられた

そして山田は闇の中に入りこんだ


――――――――――――――――――――


 国家安全保障局のこじんまりとした会議室で3人の男がひそひそと話し合っている

「今に至っても、アメリカをはじめ、各国よりそんな情報が無いのに何故この国でそんな大転換事象が発露するのですか?  まさか本当に別世界があるとは・・・」こんな泣き言を言っているのは内閣情報調査室の山梨調査室長。自分の出世には十分に満足している官吏だ。

不本意そうに更に続ける

「別の次元の人間が紛れ込んでいるのが、ほぼ確定ですか・・・。そんなこと、とても上にうまくは説明できませんね」

心なしか肩を落としている。

後退した前髪とサイドに白髪を蓄えた山田教授は、顔を更にシワシワにさせ天井を仰ぎ、目の前のペットボトルのお茶をぐっと飲んだ。この時の山田教授は数時間前までの彼とは違うYamada と替わっていたが、誰も気が付いてはいなかった。

Yamada は重々しく口を開いた

「真実を伝えることが一番だ、隠そうとしてもどこかでほころびができる。結局は表に出てしまうものなのだ。そうは思わんか? この部分はてっきり同じ意見だと思っていたが・・・」

「いやいや、このことを公にするのは1世紀早いと私は思いますよ。日本だけで情報を隠匿して良いかと言われれば、苦渋の決断ですが今のところはYESと言わざるを得ません」

山梨の判断は手堅い

沈黙という名のにらみあい

山梨の横に座っていた川中は居心地の悪さを解消しようと試みる

「皆さんの立場は良くわかります。まず情報を更にまとめるしかないですね」


「川中君、それは重々わかっておる、まとめると同時に上に報告するぐらいでないと、取り返しがつかなくなるということを忘れて欲しくないんだ」

山梨と川中は気が付かないが、机の上の3本のペットボトルのお茶の水面が揺れていた。


「これからの展開が分からないとしても、変な隠蔽は破綻しますよ」Yamada は低い声で繰り返す


部屋の真ん中、3人の頭上の白い天井と足元の床にひびが入り、徐々に隙間が開く

山梨と川中はそれに気が付かない。

さらにぱっくり割れ、黒っぽいモヤで隙間が覆われている

山梨は資料に目を通し、集中して考えをまとめている

足元の割れ目は見えていない

「今のところ、私の一存で、上にまだ伝えておりません。事態を表現する客観的なデータ不足が第一、報告者の精神状態が疑われるというのが第ニの理由です」

「山梨さんに言われた通り、私も誰にも話してません。この場での結論を待っていました」

「誰が "報告" というババをひくかというチキンレースとなっているということかな・・・。君らは出世への有利不利を考えるだろうが、私は歳も歳だから、後の歴史家が我々を何と記すかが気になってしまうのだ。そうした場合、君たちは後世の人々に胸を張れますかな・・・」


割れ目からは、かわいらしい女の幼児が出てきた

Yamada 以外は見えていない


出てきた女の子はきょろきょろ見回し。スーツ姿の3人の顔を机の下からまじまじと見上げた

しばしの沈黙の後、そこに川中が口を挟んだ

「山田教授、山梨室長。折衷案を提案したいと思います」

「ほほ、何かね。前向きなものなら良いが」

「ありがとうございます・・・はっきり言っちゃいますと。完璧な対処はとても無理です。なにせ、全貌が我々の知見を凌駕するものですから。我々のフィールドの中で対処するしかないのです。やつらはお金を取るようなこともしなければ、命も取りません。さすれば、ポイントは ”情報” です。情報の流れが法に照らして違法か順法かでのみ判断するのです」

「具体的に言うと、どういうことかな」

「まず、謎物質がダークマター。それをも操る謎人間がいて、その所属次元の名称が”ダークワン” と呼ぶらしい。ここまでは良いですよね」

「前回の会合で話題となった、謎人間が残したとされる命令書の解読結果だな」

「この連中が、情報にどんな影響を及ぼしているかで、法に照らし徹底的に検挙するのです」

「シンプルな案で美しいな。しかし、それで充分と言えるかな」


割れ目から出てきた女の子は、持っている長い棒を振り回し、ビュンビュンと音を鳴らす


「考えてください。出たり消えたり、連れて行ったり、戻って来たり。そんな妖怪や幽霊みたいな愚行を、法律で判断できません。唯一情報に対する扱いの観点から対処するしかないのです」

山梨室長は川中から目線を外し、Yamada をちらっと見ながら強い言葉を発した

「それしかないだろうな。我々の次元における情報を違法に操作しなければ、今のところ恐れなくてもよさそうだ。今のところだが」

川中は自説のバランスをとって、心配事も訴えた

「心配なのは、本当に検挙できるかということです。現在、中部地方から関東にかけて、違法なデータ書き換えが発生しています。しかし、今までとはハッキングの手法が違うのか、その犯罪の核心に全く近づくことができていない。これは一連の事件に関連する可能性が高いと考ております。なぜ検挙できないかを分析中です」


女の子は更に棒を回す、ビュンビュンと空を切る

山梨は目をつぶりながら問う

「山田教授に教えてもらいたいのが、次元がどこで繋がっているのかという点です。これが分かれば、解決にぐっと近づくと思いませんか」

「今は仮説しかありませんよ。私が思うに、他の次元がこの次元と交わる言わば重解のような場所は、ある角度で均等に配置され垂れたヒモもしくはカーテン状の”何か”の下にあると思います」

「全然、わかりません。・・・山田先生は前回の会合とはうって変わって、何か新しいモードに変化した様ですね」川中は正直だ

Yamada は無表情となって取り合わずに畳みかける

「しかし、他次元を構成する次元に“意識”のようなものが含まれるようなことがあるとすれば、それはそう、すぐそばにあるのかもしれませんよ」

小さな女の子が振り回す棒の音が高くなる。


川中が神妙な顔をして別の話を始めた

「我々の仲間で現在行方不明の者、調査員の風間のことを教えてもらえないでしょうか。彼はどういった経緯で山梨さんの傘下になったのですか? わかりますか・・・? 私の配下に調べさせましたが、素性が結局全く分からない」

「それは本当か」

「なぜか記録に残っていないのです。それに最近は別の指令系統で風間が動いている兆候が見受けられます」

「それは大問題だ。私の部下が責任を持って人選していたはずなんだが、信じがたい話だ。確認しておく」

「しかし、分からないなりに少し分かってきた事もあります。彼は我々の次元においては実体のない人間という事です」

「彼の実体がない?普通に暮らしていたはずだが」

「気になったので、ここの組織の内部協力者を総動員してやりました。私は生臭い官僚ですから」

「結局、調べて何が分ったのかな?」

「推論でしかないのですが一つの結論に達しております。この調査員と赤池葉菜子がからんだ誘拐未遂事件が何故起きたのか、そもそも、この誘拐の意味を・・・」

「川中君はそんなこと考えていたのか」Yamada は不思議そうな顔を無理につくる

「そして、私が達した結論はダークワンとは違う、もう一つの何かわからないものの存在。それを考えないとうまく説明できない」

「別口があるのか?」Yamada は問い詰める口調になってくる

「そうだと思います、僭越ながら名付けて”イマジナリー”としましょう、ダークワンは何かの意思を持って、我々の次元の何かを変えようとしている。そして謎の“イマジナリー”には意思が無い。たまたまダークワンが来たのであぶり出されてしまった。そして何故か、ダークワンにとっては邪魔・・・」

川中は水を得た魚のように多弁となった

「そのイマジナリーとはどんなものかな?」困り顔を装うYamada が聞いた

「あくまで仮説ですよ・・・我々の次元と繋がっていない別次元のダークワンと、元々我々と繋がって共存していた別次元人、"イマジナリー人"が存在する。データと人間の中間の存在」


「風間や赤池葉菜子のどちらかか、2人ともか、そんなことあるのか・・・」山梨は腕を組んでうつむいた

 

「割といい線まで考えついてしまったね、いや知りすぎてしまったと言うべきかな」Yamada は低くつぶやくと、見掛けに見合わない素早さで椅子を下げ横飛びをすると、女の子は振り上げた棒を川中のおでこに命中させた。山梨室長は女の子を視認できるようになったのか素っ頓狂な声を出した。

女の子は棒をもう一周まわしてからが山梨の頭に当てた。

2人の前髪は寝ぐせの様に髪が跳ね、川中と山梨はそのまま首を垂れ、机の上に突っ伏した

Yamada はゆっくり起き上がると、二人を見下ろした

「川中君は優秀だな。こんなに情報が少ないのに放っておいたら核心にまで到達しそうだ。何をやっても成功しそうな男だが、危険な存在には変わりがない」


――――――――――――――――――――

 軽自動車の助手席で赤池葉菜子は目を醒ました。横で風間が運転しているのが見えてきた

「何、あなた、なんで私の車を運転しているの?」

「何って、寝てしまっていたから」風間はポーカーフェイスで答える

「なんで私が寝てるの? あなた薬を飲ませたわね」

「違います」きっぱりと答える

葉菜子は助手席の窓を開け、顔を出して大声を出す

「キャー、誰かタスケテ―、殺されるー!ストーカーに殺されるー」

「よしてくれよ」風間は路肩に止めた


「覚えてないんだろうな。わかるよ」

「何がわかるよだよ、連続暴行犯が!」

「えらい言われようだな。もうHanakoと話すしかないな・・・」

「なによ葉菜子と話すって! 葉菜子は私よ。タスケテ―」

「ええーい五月蠅い。Hanako出てこい。お前の好きなインチキ宇宙海賊の話を聞いてやるぞ。あんな低級な物語には興味はないけどな」


赤池葉菜子は急にぐっと目をつぶった。

きょろきょろあたりを見てから、風間に向かってしゃべり出した

「誰かかと思えば、インチキ営業マンの風間氏か」

「おいおい、葉菜子もHanakoも口が悪いな・・・今回だけは感謝してくれよ、俺が来なければえらいことになっていた」

Hanakoは頭を振った

「それはそうね、でもあれから何日か経っているの?」

「こっちの時間ではそうだな・・・一日進んだくらいだろう・・・」

「私はいいけど、葉菜子は欠勤だよ。彼女ショックよ」

「大丈夫、俺が病欠と連絡しておいた」

「あなた、気が利きすぎ・・・。それにしても新しい環境への順応が早いわね」

「俺は有能な営業マンでエージェントだからね・・・あんたは”抜け忍” なんだろ?」

「何それ? 私はいつから、ちょんまげの時代のクノイチになったの? 」

「あっちの世界のシステムで、データが勝手にそういう風に頭に入ってきたんだよ」

「それにしてもなんで ”抜け忍”?」

「今の君の状況を、こっちの世界でどう表現するかを膨大なデータの中から決めたらしい。君を助けたから俺まで "抜け忍" のカテゴリーに入れられてしまいそうだよ」

「それにしてもその言われ方はどうなの、なんなのそれ?イマジナリーとかなんとかと呼ばれることはあるけど」

「出典元というのか、データ構成の元がわかるんだが ”カムイ外伝” とかいったかな。それは俺も気になったから覚えている」

Hanakoは腑に落ちた

「AIのセンスが昭和なんだ」

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