第5話 缶コーヒーでも飲みますか

 猪瀬が釣り道具を車の後ろに積んでいると渡辺が懐の財布を確認して言った

「ちょっと待ってろ、車を出してくれたから、俺がコーヒーをおごるわ」

渡辺は港の片隅にある自動販売機に歩いて行った

猪瀬はエンジンをかけ、エアコンをつけ、ふうっと一息つき、窓の外をぼおっと見てから目をつぶった。

渡辺が賑やかな音をたててドアを開け、入ってきた

「寒かったから、缶コーヒーの温かさがたまらん」缶を首筋りぎりにあてて持っていた


 浮かない顔の猪瀬にもう缶コーヒーを渡そうとした時、車のダッシュボードから「ピッ」と音がした。

「何だ」

渡辺はダッシュボードのグローブボックスの蓋を開けると、小さなモニターに地図が映され、1つの赤い点が点滅していた」

「これは何だ?猪瀬。これはGPSなのか?」

「見るなよ、そんなんじゃないよ」猪瀬は運転性から左手を伸ばし慌てて蓋を閉めた。

「お前まさか、GPSまで使ってストーカーをしているんじゃないのか?」

渡辺はグローブボックスの蓋を激しく開けた

閉ざされた社内は沈黙した


「まさか・・・赤池葉菜子の車にGPSセンサーを付けたのか?」

「・・・」

「どうなんだ?」渡辺は少し優しく聞いた

「・・・」

「そうなんだな・・・」

渡辺は悟ったような表情になった

「俺はこんなことしかできないんだ」

「ふざけんじゃない。いくら ”もてない”をこじらせたからって、超えてはいけない一線はあるだろ」

渡辺はかっと目を開き、買ったばかりのコーヒー缶をGPSモニターに向けて投げつけた。缶コーヒーは大きく逸れて、隣のナビモニターを完全に破壊し、跳ね返って運転席横の窓ガラスにひびを入れた。

猪瀬も怯まない

「俺の気持ちもわかるだろ、渡辺!わかってくれよ!」

「そんなものわかるか!」

渡辺は血走った目となり、もう一本の缶を掴み、おもいっきりGPSモニターに向けて投げた。

絶望的な渡辺のコントロールにより、缶コーヒーは目標をそれ、フロントガラスにヒビを入れてから跳ね返って、ルームランプを破壊した

「もうやめてくれ、渡辺。わかったよ。俺が悪かった。超えてしまった一線は二度と越さないよ。だから俺の車をこれ以上破壊しないでくれ」

沈黙がまた訪れた。二人の男の荒い息だけがした

渡辺が後部座席の下に手を伸ばし、ひしゃげた缶コーヒーの一つを拾った

猪瀬も運転席脇に転がっていた缶コーヒーを拾い上げた

渡辺が口を開いた

「温かい車の中でこれを飲むのが、この世の天国だな。元気出せよ」

猪瀬は真っすぐ前を向いて言った

「お前はいい奴だな」

「そ、そうか、コーヒーもっと飲めよ、もう一本買ってくるか」

「いや、いいよ」

―――ありがたい友達だけど、なんとも独特の情緒だな――

猪瀬は渡辺に対して、複雑な感情を抱くこともなくはなかった

2人の車は海を離れ、丘の坂道を上がり気持ち良く下っていた

「渡辺がナビを壊しちゃったからこのGPSモニター見ていくしかないなぁ」

「これは超法規的措置だぞ、こんな電子機器は早く捨てろ」

猪瀬にはまだ自己保身の気持ちが抜け切れていない

「これって違法なのかなぁ、まだ誰も困らせてはいないぜ」

「まだそんなこと言ってるのか、缶コーヒーをまたくらいたいのか」

「やめてくれよ、もう」

「それにしてもこの赤い点は俺らの車に近いな・・・。そもそも、この女の行き先に引きずられてこの方面の海を選んだのか」

「さすが渡辺。俺のことがよくわかっている」

「簡単な答え合わせだ。これじゃ、へたするとそろそろ見える頃だろう。こんなところで何をしてるのかなぁ。デートしてたらお前もショックだよなぁ」


 茶畑と荒地が交互に顔を出す田舎の2車線道路、遠くに大きなトラックが止まっており、その手前に小さな車が見えた

「パステルカラーの軽自動車があるぞ。赤池葉菜子の車って、あれだろ。前にでっかいトラックが止まっているな」

「あの車だね、本当に止まっちゃってる。どうしたんだろ」

「オカマでも掘ったか・・・。俺達も止まってみた方が良いな。なにか困っているのだったら、俺達はちょっとしたヒーローになれるかもしれない」

猪瀬の顔色が変わった

「丁度いいところに自動販売機がある。止まるよ」

限りなく急ブレーキに近い減速で止まった。


トラックの後方20m

渡辺は自動販売機に千円札を入れた

「今日の缶コーヒーは俺に任せろ、もう飲めないなんて言うなよ。こういう時は死ぬほど甘いコーヒーをたらふく飲んで臨むものだ。あの娘の分も買ってやろう」

「・・・気が利くね。会話のとっかかりには良いかな」

二人はトラックを見た

「赤池さんの車を積んでいるぞ、なぜだ?」

猪瀬の位置から見えたのは、パステルカラーの車がトラック後部のハッチから伸びた頑丈そうな2本のラダーにタイヤを乗せ登っていく光景だった。

トラックの周りに赤池らしい人影は無い


渡辺は声を潜めた

「おいおい、どういうことだ、猪瀬!赤池葉菜子の車はでっかいトラックに積まれている。レッカーならわかるけどなんでトラックの後ろの箱の中に入れられなきゃならないんだ。本人は何処にいる?」

白い防護服を着た若い男がラダーを中に収めて、後ろのハッチを閉めようとしていた


「あの人にちょっと聞いてみるわ」

猪瀬は白い防護服の後ろから声をかけた

「あの、この軽の運転手はどうしましたか?」

なかなか振り向かない、ちょっと大きな声で繰り返す

「あの、なんですか、何かあったのですか?」


「猪瀬、何かおかしい、このトラックのナンバープレートがでたらめだ」

プレートの桁が1つ多い


白防護服の男は急にこっちを見て声を発した

「政府の方から来た者です。すいませんが、行かせてもらいますよ」

運転席の方に向けて歩き出した

「こんなことがこの世にあると思わなかったが、お前といる時に良く起こる数々の怪奇現象の一つだ。猪瀬、良く見ろ。このトラック二重に見えるぞ、これは幻だ!」

渡辺は持っていた缶コーヒーをおもいっきりトラックの後部に向かって投げた。缶コーヒーは大きく逸れ、白防護服の男の後頭部に命中した。男はなんとか転倒は免れたが、頭を抱えた。

それを見た猪瀬は慌てた

「すみません。大丈夫ですか!・・・おいおい、これはさすがにまずいぞ、渡辺」

「いやいや、このトラックは幻だ!」

渡辺は持っていた缶コーヒーの2本目をおもいっきりトラックの後部に向かって投げた。缶コーヒーはまたも大きく逸れ、白防護服の男のうつむいてできた後頭部の勾配をジャンプ台にして大きく跳ねた。

「めちゃくちゃだな」

男が更に頭を抱え、ふらふらしながら缶コーヒーを拾って、振り向いた

「逃げろ、猪瀬」

二人は車の中まで逃げこんだ。

 前を見ると、あの防護服の男がおらず、しばらくするとトラックは発進した。

渡辺はほっと一息

「予想外の展開だ」

「どっかに行ってくれて良かった。ぶち切れてこっちに殴り込んでくるかと思ったよ」

猪瀬の心配は尽きない

不安の塊が襲って来る。

釣果なき釣りからの怒涛の展開

「それにしても赤池さんどうしたんだろう・・・心配だ。警察に連絡するしかない。あの白づくめは誰だったんだ。渡辺はトラックが幻と言ったけど、一体どうなんだ」

「幻ではなさそうだな。俺が乱視だっただけだ」

「おいおい渡辺。これでは、俺達のやったことは、できの悪い小学生のいたずらみたいではないか」

「いや変だろ、GPS信号も途絶えている。1つも普通のことが無い、やっぱり警察に通報だ」

「でも、政府の人だったらどうする?」

「政府機関の仕業ならそれはそれでいい、俺らに非はない」


――――――――――――――――――――


静岡中央警察署(静岡県警)4Fの一室


「では猪瀬さん、あなたの車内があちこち壊れていたのは渡辺さんがやったとということですか?」

「隠しても分かっちゃうと思うから、真実を言いますと、その通りです。渡辺が急に怒り出して缶コーヒーをあの狭い社内で投げまくったんです」


「なぜ、渡辺さんはそんなに怒ったんですか?」

「それが、なぜか分かりません。急に発火して、やめてくれと言っても・・・」

「聞く耳を持たなくなったと、話が通じなくなったと言うのですか」

「なにしろ、暴れて、暴れて、奇声を発して。そうかと思えば急に缶コーヒーを飲むと天国だななんて言い出して」

「渡辺さんはいつもそうですか?」

「いつもというのでもないですか、何か急に変わることがあるんですよ、彼はたばこ吸わないんですが、なにか変な匂い、口臭ですか、匂いがすることがあるんですよ、そういう時の情緒が・・・いやこれは私が勝手に思い込んでいることですが」

「渡辺さんは夜なんか、クラブとか通っていたりします?」

「いや、渡辺のことはどうでもいいんです。赤池葉菜子さんは無事ですか?どうなっちゃったんですか」

「そこはもう判明しております、後で説明いたします」


――――――――――――――――――――


別室


机の上にはビニル袋に入った缶コーヒーがあった。

「渡辺さんもう一回、その時あった男のことを聞かせてくれないかな」

「もう一回ですか」

「話していくうちに、思い出すこともあると思いますよ」

渡辺は不服な気持ちを隠さない

「それだったら、猪瀬といっしょに考えた方が思い出し易いと思うんだけど、なぜ別なんですか?」

「経験から言うと、別にした方が、メリットが多いのですよ」

―――これって、取り調べの手法ではないか


「もう一回思い出して言いますよ・・・。そのトラックの男は歳の頃が20代の半ばかな、身長は175ぐらい、なまりは感じられない、白い防護服を着ていて、頭の毛は隠れている。でもアフロではないし、坊主ではないと思う。ひげは無く、なぜかどんな目をしていたか覚えていない、サングラスなんかしていたのかな、記憶がない」

「20代だったと、声もそのぐらいの年代だったんですか?」

「”政府から来た者だ” みたいなことを言ってたが、若い声でしたよ。政府の方から来たなんて、消防署の方から来たという消火器の押し売りと同じようなこと言ってましたね。このパターンで騙された人のことをもう馬鹿にできないな」

 担当の黒岩警部は書類に落とした視線を上げた

「そして、その男に缶コーヒーを渡したら、返して来たと」

「まあ、そんな感じかな、そこはあまりよく覚えていないんだけど」


黒岩警部は少し考え込んで、こめかみを指で押し、種明かしの時間が来たかのように口を開いた

「とても変なことがあるのですよ。今から喋る事は内密にしてください。確かにその缶コーヒーにはあなたの不明瞭な指紋があり、もう一人のはっきりとした指紋があった」

そう言ったまま、時間をおいて考え込んだ


「そのどこが変なのですか」

「あなたに、いらぬ印象を与えないように今まで言わなかったが、そのもう一人の指紋は、別の拉致事件に残されていた指紋と一致しているんですよ。未解決事件ですけどね」

渡辺は口をぽかんと開けた

「えっ、あいつが! それじゃ赤池葉菜子はどこかに拉致されたと」

「まあ、まあ先を急ぎなさんな」

 渡辺はイライラしてきた

「何がどう変なんです?」

「その残された指紋のその未解決事件。それが起きたのは1970年のことなんです」

「えっ、ということは50年前以上の話ですか。というとあの男、少なくとも60代? そんなことありえないな。冗談がきつい」

 渡辺は、急にはすに構えて続けた

「それにしても、なんで俺が尿検査を受けなければならないんです?」 

 黒岩警部は無理に笑顔を作って諭してきた

「それは、ほとんどの参考人にやってもらっていることです」


――――――――――――――――――――


 1Fの待合スペース。猪瀬が携帯をいじっていると渡辺がエレベーターから降りてきた

「おう猪瀬、時間がかかったよ。お前は早かったのか?」

「そうだね、1時間近く待ったよ」

「なんだか知らんか、尿検査の結果を待ってたんだよ」

「尿検査?」

「なんでそんなことしなけりゃならないのかが、皆目わかんないんだけど・・・お前もやったのか?」

「やってない」

「なんで、俺だけなんだ・・・」

「そりゃ、お前の挙動がおかしいからだろ。話しているうちに白目になったり、手が震えたりしたんじゃないのか」

「そんな訳ないだろ、エクソシストじゃないんだから」渡辺は顔をしかめ不本意そうにソファーに腰を下ろした

「思い切って言うけど、やっぱり人相が原因かな。残念だけど」

「馬鹿言え。そもそもおかしいのはこの場所だ。中央警察署と言えば静岡県警の本部だろ。なんで俺達は県警の本部まで連れてこられたんだ? あのクソ山の中の田舎のはしっこ警察署でいいんじゃないのか」


猪瀬は意味あり気な沈黙を堪能した後、口を開いた

「それは渡辺、最後に見せられたビデオを見れば察しがつくだろ」

「俺は見てない」

「そうなんだ・・・残念。あれを見ると分かると思うよ。これは国家的な問題になるかもしれない。県警でもどうかと思う、本当だったら桜田門か、もしくは霞が関に行くべきだな」

それを聞いた渡辺はさすがに不思議そうな顔をした

「静岡県警止まりの国家的な問題って、どんな種類の "大陰謀事件" なんだ?」


猪瀬はあたりを見回し、目を細めて声を低くした

「俺には分かったんだよ、渡辺。感じたんだ。・・・俺達が霞が関に行く変わりに、桜田門と霞が関から人が来ていたんだと思う。マジックミラーの向こう側にあらぬ気配がしたんだ」


渡辺はなんともばつの悪い顔をした

「どうしてお前ばっかり情報を得て、俺はチンピラ扱いなんだ?」

「そりゃ、信頼と実績が・・・」


「あの赤池さんのことだってそうだ、結局最後まで問題はないよとか言って誤魔化された」

「渡辺は本当に知らないのか? 実際、にわかには信じられないことではあるのだが・・・」

「なんだよ猪瀬、ビデオのことを早く話せ。知っていることを兎に角あらいざらい話せ。隠し事はよせ?これじゃ、俺は今日眠れない」

「口外するなって言われてるけど、渡辺は当事者だから差し支えないだろう・・・コーヒーでも飲んで語ろうか」

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