16話「包み込む豪雨」

「ちょっと! ずるいって!」


 すぐにでも雨が降りそうな空模様。


「どうしたの?」

「二手に別れてきたんだけど!」


 こんなに走るのなんて久しぶりだったし、絶対汗臭くなってるし、ほんともう無理。最悪。

 あのスーツ男とちびっ子、絶対許さない。


香織かおり! どっち追う?」


 さっき本殿でちびっ子の姿も見たから、今は2本の赤いギザギザが見える。

 それが分かれ道で別々の道に進んでった。


「ねぇけいけいの中でアカシックレコードは誰の所有物になってるの?」

「誰って、香織かおりのでしょ。香織かおりが受け取ろうとしてたし」


 香織かおりの言うことって時々回りくどいんだよね。だから何? って思ちゃう。


「ならけいから見える赤い線と、私から出てる所有物の線が同じ方向に向いてるはず。アカシックレコードを持ってるのはそっちの方」


 あーたしかに。

 こういうところ、敵にしたくないよね。

 来た方角に数えきれないほどの所有物線が出てるから、たぶんそっちが香織かおりの家。

 進む方向に一本伸びてるのが、アカシックレコードってことになるはずだ。


「なら右!」

「ちょっといいかしら?」


 私はもう右に曲がってたのに、詩葉うたはが止まって、香織かおりの足もゆっくりになった。


香織かおり麻奈美まなみって子は友人なのよね?」

「そ、そのはず」

「相手の目的がその子にアカシックレコードを届ける事なら、先回りできないかしら?」


 もしかして友達の繋がりから辿るつもり?


「わりときびしめじゃない? 友達の繋がりって普通たくさんあるし、どれが麻奈美まなみって子に繋がってるかなんてわかんないよ」


 グサッ、ってどこからともなく音が聞こえた。


「……大丈夫。私、みんなと麻奈美まなみ以外友達いないから……」


 え? まじ? それ。


「えーっと……なんかごめん」

「……ぃぃょ、もぅ」


 不貞腐れちゃった。ああ見えて意外と繊細なんだよね。


「ひ、一つ聞きたいのだけれど、けい麻奈美まなみって子と会ったことがないのでしょ? それでも香織かおりとその子は線で結ばれているのかしら?」

「うん。私から出る繋がりは私が直接会わないとだけど、他人の線はその人がちゃんと相手を知ってれば大丈夫! 向こうが香織かおりを友達だって思ってなくても、香織かおりが思ってれば、香織かおりから線が繋がるの」


 おかげでいつも、世界は線で一杯。最初は困ったけど今はもう、ぜんっぜん気にならない。

 麻奈美まなみって子からも線が出てたら、香織かおりに教えてあげることにしよう。


「それでけい、どっちに行けばいいの?」


 改めて香織かおりを見るんだけど、他の子より線が少ない。

 普段どの線が何本出てるなんて、あんま気にしないから気づかなかったけど、いろんな線が少ないな。


「友達線、ほんとに6本しか出てないんだ……」

「……やめて、それ以上触れないで」


 なんか、意外だよね。

 普段は普通に喋ってるし、リーダーとか男子にも慣れてる感じするのに、何で友達少ないんだろ。

 まぁそれはそれとして、私たち以外の6本目は、っと。


「あ! あっち……あっちは確か本殿じゃない?」

「本殿? 間違いない?」


 進んで来た道とは真逆だけど、間違いないよ。


「間違いない、本殿側に伸びてる友達線3本のうち、2本は私と詩葉うたはからも出てるから、たぶん西鶴さいかく達。公園側の1本はリーダーじゃないかな」


 どういうつもりでここまで連れてきたのかわからないけど、香織かおりならきっとわかってるしょ。


「そ、なら行ってちょうだい」


 今日知った新事実、詩葉うたはって結構走れる。左側に曲がったから、スーツ男を追うみたい。


「待って、詩葉うたはは行かないの?」


 どこにって思ったけど、本殿にか。


「ええ、相手にこちらの行動を読まれたくないでしょ? 私は男の方を追うから、けいはアカシックレコードをお願い!」


 そっか。みんなで麻奈美まなみのとこに行くと、さすがに止めに来るよね。

 結局、アカシックレコードが麻奈美まなみにさえ渡らなければいいわけだし、別れた方がいいか。


「りょーかい! アカシックレコードと、ついでに慰謝料も請求してくる!」

「待って、詩葉うたは一人じゃ———」

「問題ないわ、声が聞こえなくても世界は言葉。息を切らして吐く吐息が、届かなくとも見えているもの。見失わないわ」


 詩葉うたはにも二人が見えてたんだ。

 その言葉のあと、「それじゃあ」って詩葉うたはは走ってった。

 私もすぐ行くべきなんだろうけど、少し迷っていた。

 香織かおりと二人になる機会なんて、滅多にないし。


「ねぇ、香織かおり


 声が出たのは、結局は心配が勝ったから。

 だって最近の香織かおり、様子が変なんだもん。


「ん? なに?」


 なんてことなさそうな顔。

 なんて言おう。

 こういうの、あんまり柄じゃないんだけどなぁ。


「正直今起こってること、私よくわかってないんだよね……」


 神宮ここに来る前色々言ってたけど、早すぎてついていけなかったし。

 でも、香織かおりにとっては大切なことなんだっていうのはわかる。


「初めて会った日、香織かおりが私の力になってくれたみたいに、私も香織かおりの力になりたい」


 頭は香織かおりの方がいいし、運動とかは苦手。

 ———だから、私にできるのは、ほんのこれくらい。


「……私、香織かおりなら大丈夫だって信じてるよ? 香織かおりならできるって」


 質直人しちなおとから聞いた必然を、香織かおりは結構気にしてた。

 口では言わないけど、見れば誰だってわかるくらい、責任を感じてるようだった。

 でも香織かおりは、私にできなかったことをしてくれたんだ。

 よくわかんないまま連れてこられたのに、冷静で、むしろダメダメだった私の背中を押してくれた。


香織かおりが望む世界はきっと、間違ってなんかない。私はそう思ってる。だからさ! 書き変えて来てよ!」


 それは今よりずっと、綺麗に見えるはずだから。


「———香織かおりの望む世界に!!」


 親指を立てた私に、香織かおりも右手を前に突き出した。


「うん!」


 香織かおりからしてみれば、お節介だったかな。

 なんて思ったけれど、私と香織かおりを繋ぐ、オレンジ色の実線は、滅多に見られないくらい太く、鮮やかな繋がりに見えていた。


「じゃあ、行ってくる」

「うん」


 本格的に雨が降り出したのは、二人と分かれてすぐだった。

 私が追いかけていた赤い線は、右に曲がって早々に足を止めた。


「あーれぇ? もう一人になってる。もしかして気がついちゃった?」


 私も、姿を現したちびっ子も、雨に打たれ濡れていた。

 その子が言う、気が付いたって意味。私にはそれがわからない。


「……なんのこと?」

「ふーん。シラを切るつもりなら、それはそれで別にいいけど」


 低身長に喋り方。それと子供っぽいツインテール。

 記優香しるしゆうかの時は違ったけど、この子は絶対そう。中学生だ。


「でも残念。ここまで来てる時点でもう、私の役目は終了、お疲れ様って感じ」

「は? 勝手に終わんな、ウチらまだ盗まれたもの返してもらってないんだけど」


 雨に濡れてるのに、全然嫌そうな顔してないし。

 むしろちょっと嬉しそうなのが、それっぽい。


「やっぱ気付いてるんじゃん。いいよ、返したげる、もともと何に使うかわんないし」


 スウェットのポケットに手を入れて、何かを探し始めてる。


「返してって言って返すなら最初から奪うなし!」


 こんなにずぶ濡れになってまで追いかけたのに!

 てか、あのアカシックレコードって、ポケットに入るサイズだっけ?

 そう思った時だった。


「はい」


 雑に投げながら、「別にこれ、私が盗んだわけじゃないし」だって。

 飛んできたそれは、片手でキャッチできた。


「なにこれ?」

「ピックって言うんだっけ? 一色香織いっしきかおりのものでしょ? それ?」


 どうせ吐くなら、もう少しマシな嘘を吐け。

 なんで香織かおりがピックを———って、思い出した。

 これ、香織かおりの携帯のカバーについていたやつだ。私が追っていた線もこれに繋がってる。


 え? なんで?


 確か詩葉うたはの買い物に付き合った時に買ったって言っていたはず。そんなものがなんで?

 いや、そんなことよりアカシックレコードは!?


「ちょ待って! アカシックレコードは!?」

「あー。たしかに神宮ここに来るまでは私が持ってたよ。でもここ、ウチらのホームでしょ」

「は?」

「いやだから、今日はイベントだよ? 天の声の巫女なんてそこらじゅうにいるでしょ。アンタたちが来る少し前、あの本をかなでに渡した時にこれを渡されたわけ。本はかなでがそこらへんの巫女に渡してたし、とっくに本殿だよ」


 え、じゃあスーツ男とこのちびっ子は、私たちを本殿から遠ざけようとしてたってこと?

 最初からわかってたとでもいうの!?

 私達が、香織かおりの所有物線を辿って追ってくるのを?


「嘘……」


 ここまでの時間を考えればもう、アカシックレコードは麻奈美まなみって子に渡ってる。

 未来が見える。

 本当にそうなんだ。


かなで一色香織いっしきかおりが初めて出会った日の午後にはもう、それはかなでが持ってたって。最近の神様はスリとかもするらしいから、気をつけるように言っときな」


 雨が降りしきっていた。視界を白く濁すくらい激しく。

 その子は本殿に向けて歩き出した。

 何か呟いてたけど、それも雨音がかき消した。

 手の甲を振るその背中を、眺めることしかできなかった。


 ごめん、香織かおり

 なんていうかもう、立っていられなかった。

 驚愕で。悲しみで。

 本殿に辿り着いた時、香織かおりの前にはきっとまた、絶望が立ちはだかる。

 それを思うだけでもう、私は———

 本当に、ごめんね。香織かおり


 手遅れに嘆く何もかもを洗い流すかような、そんな雨の激しさだった。

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