17話「最善の結末」

 東神門から本堂前の広場に入った。

 そこで思わず足が止まる。こんな雨の日に広場が人でごった返していたから。

 巫女装束の人から、一般の人まで数えきれない人数が集まっていた。


「間もなく神成かみなりされまーす。神成様かみなりさまへのお参りはこちらからになりまーす」


 ここへ来るまで不自然なくらい人を見なかった。その全員がここに集まったとでもいうのだろうか。


「いやーめでたい」

「50代目はお早いお目覚めだな」

「前回からまだ20年も経ってないよね?」

「私まだお会いしたことなかったのにぃー」


 ざわざわと声が聞こえてくる。色んな人が集まっていた。人混みをかき分けて進むほかない。


 真奈美まなみがいるとすれば拝殿はいでん本殿ほんでん

 立ち並ぶ人々と賽銭箱さいせんばこの横を抜け、拝殿はいでんに踏み入った。


「御供物はどちらに!?」

「搬入済みです! それよりお塩見ませんでした?」

「———かなで様! かなで様はいらっしゃいませんか!?」


 中には数十人の巫女が、なにやら忙しそうに動き回っている。


麻奈美まなみ!」


 呼びかけてみるけどダメだ。声は通らない。

 辺りを見ても麻奈美まなみの姿はない。

 となると、麻奈美まなみがいるのは拝殿のさらに奥、本殿だろう。

 巫女達の間を縫って走った。


「……ここ?」


 拝殿を奥に進むに連れ、次第に人の気配がしなくなる。

 巫女の出入りさえもない、本殿へ続く襖の前にたどり着いた。

 障子を微かに透過した、灯籠の灯り。

 ふすまをゆっくりと横に引いた。


「……良かったぁ」


 そこにはちゃんと、麻奈美まなみがいた。


麻奈美まなみ

香織かおり……?」


 少しだけ虚な表情でこちらを向いた麻奈美まなみは、他のどの巫女よりおごそかな巫女装束を纏っていた。


「どうしてこちらに?」

麻奈美まなみさんのお見送りに来られたのでしょう」


 私が口を開くより先に聞こえた声は、部屋の奥の暗がりから現れた。


かなでさん……!!」


 近くに西鶴さいかく胡桃くるみの姿はない。それがどういうことか、訊くまでもなかった。


「……本気、なんですか?」

「はい、それが神様の思し召しですから」


 わかっていたことだけど、かなでさんは本気だ。


香織かおりさんこそ、どうしてそこまでなされるのですか?」


 ただ、この場にアカシックレコードはない。

 私とかなでさんの顔を交互に見ながら、「一体なんのお話ですか?」と真奈美まなみは首を傾げた。

 ちょうどいい、私は真奈美まなみに真実を伝えられればそれでいいんだから。


真奈美まなみはさ、神様になりたかったの?」


 私がそう尋ねられたのなら、首が動くのは、きっと横。

 そうわかっていても、真奈美まなみみたくちょっと悩んでから答えてたと思う。


「……なれるものならなりたいです」


 少し俯きながら、でも優しい表情で続けるんだ。


「困ってる方や悲しんでいる方を救えるのであれば、私も神様になりたいです」

「私はなりたくないな、大変そう。80億人全員平等に手を差し伸べるなんてできそうにないし、現実そう、なってない」


 それに神様なんてものがいたとして、それが必ず人間を導くために存在するとは思えないんだ。


「それでも私はなりたいです。いいえ、例えそれが神様ではないものだとしても、救いを求める誰かに寄り添ってあげられるような存在に、私はなりたいです」


 その目に揺らぎはなかった。


「それなら今の真奈美まなみのままがいいよ。こんなことしなくたって真奈美まなみなら変えられる」


 誰かの涙を笑顔に。

 数多の不幸を幸福に。

 世界の悲鳴を歓声に。

 だからさ、


「行こう、私たちと一緒に」


 差し伸べた私の手を見下ろして、少し戸惑ってた。

 私も兼継かねつぐに手を差し伸べられた時、似たような感じだった。こうやって誰かに手を差し伸べるのも、それなりに勇気がいるし、気苦労もあるんだな。


「……」


 次に口を開いたのは、しばらく返事を返せないでいた真奈美まなみでなく、かなでさんだった。


「手遅れですよ、もう」

「……え?」


 私が状況を察したのは、真奈美まなみが白く光りはじめてからだった。


 「なんで……? 嘘、でしょ?」


 視界がぼやける。

 体が動かない。

 立ってるだけで、次第に呼吸が荒くなっていく。

 胸が苦しい。

 全身を打つ鼓動がうるさい。

 滴る汗が鬱陶しい。

 いつだれどこで、どうやって。

 ひたすら頭の中で思考がぐるぐる回るのに、一向に答えに辿り着かない。

 答えがない。

 道理がない。

 繋がらない。

 わからない。

 現実だけが、目の前に立っていた。


「神様はまだ起こっていない未来の事象さえ見通す、それをご存じの上で、それでもまだご自身が上回ると、本当に思っていらしたのですか?」

「……どういうこと?」


 待って、待ってよ。今、未来が見えるなんて関係ないでしょ?

 だってアカシックレコードがまだここに来ていない。あれの所有権は私だ。けいの世界で見ていたんだよ? 間違いなんてあるはずがない。


香織かおり……もう、いいんです。これが、最善なのですから」


 普通じゃない。世界が崩れ始めているのは明らかだった。

 それなのに真奈美まなみは、変わらずずっと優しい笑顔で微笑むんだ。


「短い間でしたが、ありがとうございました」


 頬に涙を、伝わせながら。


「待って! 勝手なこと言わないでよ!!」

「残念ですが、お察しの通り既に、レコードは真奈美まなみさんの手に渡っております。香織かおりさんが来られる数分前、それを読むと同時に至ったのです。神様の世界の完全覚醒へと」


 完全覚醒。

 覚醒の第二段階か。


「世界は神。神様の世界はその言葉の意味を、神様という世界の真理を、理解することこそが完全覚醒のトリガーなのです」


 記録には、この世のすべてが記載されている。

 それは過去や未来に起こる出来事だけではない。未だ解明されていない事象や人の身では辿り着けない世界の真実さえ。

 だからアカシックレコードが必要だった。


「そして世界の真理を知った覚醒者は、人の身にて神様となる術さえも心得、今生こんじょうと別れを告げる選択をします」


 この世のすべてから切り取ったのは、たった文庫本2冊程度の情報量。

 その中に、麻奈美まなみが覚醒に至る情報が入っていた。

 そんなの、偶然と呼べるはずがない。


「人を捨てる故に、今宵の宴はこう名付けられているのです」


 最初から全部、決まっていたんだ。


「———神成の儀。と」



   ✳︎   ✳︎   ✳︎



 幼い頃の麻奈美まなみはどこか虚で、いつかふらっと消えてしまいそうな感じがして、不安だった。


麻奈美まなみちゃん、どうしたの?」

「ぁ、かなでお姉ちゃん」


 御三家は内陸のとある田舎にある。

 麻奈美まなみはよく、私の目には見えない何かを見上げたままぼーっとしていた。


「そこにいっぱいいますのです」


『天の声』御三家が一つ、天音あまおと家の長女だった私は、家の期待を一身に背負って誕生した。


「また? 今度は何してるの?」


 ———神様の世界。

 それがあるだけで、御三家の権力争いで優位に立てる。そんなくだらない理由からだった。


「ご挨拶の練習? でしょうか」

「挨拶?」

「ぶんぶん、はろーゆあちゅーぶ」

「フカキンTV!」


 先代の覚醒者が神成かみなりを経て、次代の覚醒者が産まれる頃合いの出産。御三家はみんな、躍起になっていた。

 結果として覚醒者を産んだのは、神居かみい家。二つも下の麻奈美まなみが神様の世界に覚醒したのだった。


「フカキン?」

「ユアチューブよ」

「ゆあちゅーぶ? かなでお姉ちゃんはもの知りなのですね!」


 これで天音あまおと家からはもう、8代と覚醒者が出ていない。存在感が日に日に薄くなっていく一方だった。

 覚醒者と親密な関係を築き少しでも有利な立ち位置を確保する。私が麻奈美まなみに近いたのは、そんな理由から。


「まだ何か仰ってます」

「なーに?」


 天音家あまおとけ神居かみい家が親しくしている。その光景は、不仲な御三家では異様なものだった。


「どうも、フカキ———いいや、私だ」

「へ?」

「お前だったのか。暇を持て余した、神様々の、遊び」

「ネタが古いわ!」


 幸か不幸か、覚醒に至った麻奈美まなみは人懐っこい性格で、私にもすぐに懐いた。

 お人好しというか、人を疑う事を知らない彼女の扱いはとても簡単で、私が中学を卒業するまでは順調に事が進んでいた。

 そう、音の世界に目醒める、その前までは。


「見て下さいかなで様、あの男の子、迷子でしょうか?」


 神様とやらの声が初めて聞こえた時の事を、私は今もよく覚えている。

 高校生になった私は、麻奈美まなみに頼まれて一緒に街へと出かけた。その時のお昼頃だった。


「そのようですね」

「=…<☆%♪¥$〒=%%」


 もし世界の覚醒に明確な理由が存在するというのなら、私のそれは嫉妬。なのかもしれない。


「……今はなんと?」

「同じ階のキッズコーナーに親御さんがいらっしゃるそうです」


 神様の声が聞こえる麻奈美まなみに?

 いいや。そんなことじゃないの。

 ———私には知り得ない麻奈美まなみを知っている、それの存在に。だ。


「やめなさい、麻奈美まなみ


 その声は、唐突に聞こえるようになった。

 姿は見えないけれど、届く声。それも、まったく言語化できそうもないのに、意味だけがすっと頭に入ってくる。


「嫌です、あのままでは不憫です」

「それはあの、男の子のことですか?」


 言葉を返した私に、麻奈美まなみは目を丸くして驚いた。


かなで様……聞こえて、いらっしゃるのですか?」

「はい。音が聞こえております」


 結局、麻奈美まなみと私でその男の子を母親の元まで連れて行った。

 麻奈美まなみから聞こえてきた声の正体について教えてもらったのは、その後のことだった。


かなで様が聞かれた声は先代様せんだいさまです」

「神様とは、異なるのでしょうか?」

「わかりません。言えるのは、神様の世界で覚醒された方々ということです」


 麻奈美まなみの話は、こうだった。

 神様とは、もともと人に敵対も肩入れもしない。クレープの神様だからと、クレープを売る人に信託を授けたり、手を差し伸べたりなどしない。ただクレープの神様として、そこにいるだけの存在らしい。

 そして麻奈美まなみは普段それらの神様と話し、信託や情報を得ているそうだ。

 ただ、先代様せんだいさまは違う。


 歴代の、神様の世界の覚醒者達。

 神様の世界の完全覚醒と共に人の姿を捨てた人らが、現代に生きる覚醒者へ信託を与え、天の声方針を決める。

 天の声はそうして存続し続けているらしい。


「何かを止められていたようですが?」

先代様せんだいさまは神様の世界の覚醒者に、一つのルールを設けられました。『信者以外のために世界を使わないこと』というものです」

「……使っていましたね」

先代様せんだいさまは神様に属されますが、破ったからと言って罰を課すことはできません。私は私の手が届く範囲の困っている方には、平等に手を差し伸べるべきだと思うのです」


 私は御三家の中で、誰よりも麻奈美まなみを知っているつもりだった。

 けれど麻奈美まなみがそんな風に思って世界を使っているなんて、知らなかった。

 こんなに近くにいたのに。

 一番声を聞いていたのに。

 その日からだ、その日から全てが狂ってしまった。


「2年後、神成の儀が開かれます」


 それを聞いたのは数ヶ月後のこと。

 本来であれば、その声が聞こえるのは神様の世界を持つ麻奈美まなみだけだった。だから先代様せんだいさまも、簡単には麻奈美まなみ神成かみなりさせる選択はできなかったんだ。

 でも今は私がいる。音の世界を持つ私が。


真壁拓真まかべたくまにアカシックレコードの捜索を依頼しなさい」


 私がこの話を聞く頃には、先代様せんだい麻奈美まなみではなく、私に信託を与えることの方が多かった。

 ただ一つ誤算があるとするなら、私は先代様せんだいさまよりも麻奈美まなみの方が大切だったことだろう。

 その時の私は、麻奈美まなみ神成かみなりさせるつもりなどまったくなかったのだから。

 先代様せんだいさまの真意を聞くまでは。



   ✳︎   ✳︎   ✳︎



「……どうして? どうして麻奈美まなみは消されなくちゃならなかったの?」


 瞬く間だった。

 あんなに光って眩しかったのに、音もしなかった。

 それでも、消えたんだ。

 今の今までそこにいたはずの彼女は、もう、いないんだ。

 やけに厳かな装束だけが残って。


「消されたのではありません……消える選択をしたのです」


 ふざけないでよ。

 こんなの、消したのと何も変わらないでしょ。

 信者じゃない私に世界を使ったから?

 どうせ、その程度の理由なんでしょ?


「結果がわかってたなら、そこに違いはないでしょ……」

「———断じて! 否定させていただきます……」


 これまで一度だって、開くことはなかったのに。

 かなでさんの頬を伝うそれを見て、言葉が何も、出てこなくなった。


「……麻奈美まなみさんは自ら選んだのです、最善の道を」


 麻奈美まなみもそう、言っていた。

 これが、最善だと。

 自分から消える選択をする。

 これのどこが、最善だったというのだろうか。


「真理を手にした彼女は、未来おも知り得ていました。先代様の真意も、何もかも」

「消えた方がマシな未来って、なにさ」


 いっそ、すべて投げ出したくなることなんて誰にだってあるでしょ。

 それでもそうできないから、今もまだこの世界にいるんだ。

 怖くても辛くても悲しくても、捨てられずに。


 今更何を言われたって、もう、変わらない。

 はずだったんだ。


「——死です。半年を待たずしての」


 病気?

 いや、そんな素振りまったくなかったって。


「未来がわかるんでしょ? どうにだってなったんじゃないの! 今消えようが少し後に死のうが、変わらないって言うつもり??」

「すべてを知っているからこそ、それより定まった未来は変えられない、混乱は避けられないのです! 先代様せんだいさまは決して。決っして、麻奈美まなみさんを咎めるようなことは致しません。神様の世界による信託は元より、人に手を差し伸べるための力なのですから」


 やめて。やめてよ。


「ルールを設けられたのは、その力が公になるのを避けるためでした。麻奈美まなみさんはご存知の通り型破りなところがありましたが、誰かを傷つけるために行使したことは一度もありません! ですから……この胸が痛むのです」


 もう、わかったって。


「これほど……これほどまでに、お優しいお方を、失くすしかなかったなんて……」


 痛いくらいに伝わってくる。

 こんなに胸が苦しくなるのは、ぜんぶそのせいだ。


「亡くなってしまうのならば、会えずとも、目に見えずとも、せめて語り合っていたいと想うのは、それほど罪なことだったでしょうか」


 私に聞かないでよ、そんなこと。


 ……ダメだ。見てらんない。

 蒼色の瞳から、溢れる雫を拭う彼女が。

 疑ってしまう。本当。嘘。何もかも。

 泣き崩れる姿さえも、見惚れるほどに。

 もっと、きっと、他に、別に、何かが———


 ぃぃゃ、だからか。


「ぁぁ……変だ」


 本当に未来が見えるなら、どうにかはなったでしょ。なにさ、混乱って。

 言ってよ。話してよ。教えてよ。なんで、何も言ってくれないの。何がどうなるの?

 なんで救えないの?

 なんで闘わないの?

 なんで変えられないの?

 なんで? なんで、なんで?

 ———ねぇ、なんで?

 心の中は一杯なのに、何一つ言葉になんてならない。


 なるわけない。言えるわけ、ないでしょ?

 麻奈美まなみが消えるこの未来さえ、私には書き変えられなかったんだから。


「おかしいな……何も。見えないや」


 見えてるはずの世界が、私にも見えなくなってしまった。

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