15話「音が聞こえる」

「始める前に一つ、訊いてもいいかな?」

「ええ、構いませんよ」


 先程まで辺りにはそれなりの人がいた。

 今はもう、その人等はどこかへと流れて行き、広場は静けさを取り戻していた。

 夏祭りの最中とはとても思えない。


「つい今しがたウチのリーダーがとんでもない速さで飛んでいったわけなんだけど、アレってなんなのかな?」

「何か、そう尋ねられるとわたくしにもわかりません。姿も形も知らなければ、声は聞こえど言葉さえ通じない、何をもってそう定義付けるのかさえ曖昧なもの。わたくし等はそれを神様と呼んでいます」

「神様、か」


 呟く少年は、神様の存在など信じたことはない。

 誰もがその単語を知っているが、誰一人としてその姿や形、存在さえ明確にできた試しがないからだ。


わたくしからも、お一つよろしいでしょうか?」

「僕に答えられることなら」

「今回の件、皆様はどこでお知りになられたのでしょう?」

「全部香織かおりちゃんの想像らしいよ。推理の方が近いと僕は思ってるけどね」

「であれば、ご本人に伺った方が懸命ですか」

「そうしてもらえると助かるよ」

「ではそのように致しましょう」


 表情を崩すことなく呟いて、巫女装束の女性はゆっくりと歩き出す。


「悪いけど遠慮はしないよ?」


 少年は隣に立つ白髪の少女から拳銃を一丁受け取り構える。

 数的な有利に加え、相手は武器の一つも持っていない。

 状況からするに相手の目的は足止め。できるだけ長くここに留まらせるつもりだろう。そうはさせない。

 なるべく早く終わらせて、先に行かせた仲間に合流する。それが少年の思惑だ。


「お構いなく」


 瞳も開かないまま歩みを進める巫女には、恐怖どころか闘争心のカケラも見て取れない。ただただ歩いているだけのような、ゆっくりとした足取りだ。


「もでぃふぁい」


 その背後の地面が唐突に変化する。

 不自然に盛り上がって、巨岩おも貫けそうな勢いと鋭さで伸び、背後から巫女に襲い掛かる。


 巫女に気がつくような機微きびは一切なかった。にも関わらず、それが巫女の身体に触れる寸前、踊るかのような軽い足取りで体一つ分ひらりと回って避けると、何事もないかのように歩み続ける。

 続けて発泡音が3回、地面が尖り4回ほど襲い掛かるも、当たらないのは当然の事、歩みの一歩さえ止められない。


「なっ!」

「世界の音が、聞こえていますよ?」


 放り投げた物体が重力で地面に引きつけられるような、暖かい空気が上へ冷たい空気が下へ集まるような、それくらい自然な動きだった。

 あまりに洗練された動きと自然な体運び。間合いに入られたことに気がつくのさえ一瞬遅れるほどだった。


 巫女が手ぶらではなく、ナイフでも持っていたのなら、その時点で決着がついていたかもしれない。

 少年は、首元を取りにかかった巫女の手刀にかろうじて反応。寸前で避けるも、巫女が先程から見せている回避とは雲泥の差がある。

 たまらず少年と少女は、巫女から距離を取った。


「今のを避けられますか、見誤っていたようですね」

「……いやいや、たまたまだよ」


 今の攻防だけで十分だった。少年と少女は悟る。

 どうやらこの状況でも、立場は真逆。この巫女を是が非でもここに留めておかなければ、時間稼ぎをしなければならないのは、あちらではなく自分達だったと。


胡桃くるみちゃん」

「うん」


 たったそれだけの合図で、二人は左右に展開する。

 言葉を交わすまでもない。あの身のこなしを見れば、接近戦に持ち込もうなど思うまい。

 その上、相手に得物はない。時間を稼ぐだけならばそう難しくはないだろう。と。

 ただ互いの射線に入らないこと、相手の間合いに入らないこと。それだけを守っていればいいのだから。


「……どちらからがいいでしょうか」


 二人に少しずつ視線を配ったあと、踏み出した足。つま先が向いた先にいるのは、白銀の少女だった。

 駆け出した巫女は、走る姿にも無駄がない。体幹が少しもぶれることなく、速度も速い。


「めいく!」


 瞬く間に距離が詰まったところで、少女の目の前に大きな土の壁が現れた。


「この程度」


 巫女は避けようとすることなく、そのまま壁に向かって直進。それに指の先で軽く触れた、ただそれだけでだ。

 巫女の指先を中心にヒビが走り、土壁が内部から崩れ落ちる。


「……っ!」


 壁が簡単に破壊される想定など、白髪の少女はしていなかった。


「命までは頂きませんので、安心して下さい」


 崩れる壁の中から、伸びてくる掌。


「っん!」


 体制を後ろに崩しながら僅か数秒を稼ぐ。

 地面の反発係数を書き変えるための、数秒を。


 後ろに下げた足が地面に触れると、それだけで少女の体が宙に浮き、そのまま後ろへ飛び上がった。

 これでまた距離が取れる、そう思った矢先だった。

 巫女もまた、少女より速いスピードで宙を舞っていた。

 地面に着地する前に少女に追いついた巫女は、少女の首に手を伸ばす。


「させないよ」

「聞こえております」


 一発の銃声が鳴るも、それを予期していたかのような動きで避け、少女の白く細い首を掌で覆った。

 首を絞める細い手を両手で必死に解こうとするも、叶わず、巫女の、もう片方の手先が少女の額に優しく触れた。


「……」


 音とは波。気体物体問わず伝わり、振動させる。

 巫女の指先から伝わった振動で、少女の脳は揺れた。

 二人の足が地に着く頃には、少女の意識はもう、なくなっていた。


「踏むだけで跳び上がる地面、愉快なことを思いつくものですね。ですが世界を使ったその音さえ、聴こえておりましたよ?」


 少女を抱きかかえて着地した巫女は、その場に彼女を寝そべらせた。


「さて、」


 立ち上がった巫女は少年へ振り返る。


「まだ続けますか?」

「見逃してくれるのかな?」

「これで引き下がって頂けるのであれば」

「残念だけど、その決定権は僕にないんだ」


 少年は拳銃を向けながら答える。もはやそれになんの意味もないことくらい、わかっていても。


「一度冷静になられた方が良いかと」


 巫女は、少年が知る限り誰よりも優しい話し方をする。だから思いもしなかったのだろう。

 巫女が、優しさと真逆の行動を取るなんて。


「すでに、対等な立場ではないのですから」


 巫女の顔が足下で横たわる少女に向いた。

 言葉にしないがその行動が意味するのは、人質。と言うことだ。


「……命までは取らないんじゃなかったのかい?」

「その方がいいのであればそう致しましょう、ただ五体満足とはいきませんが」


 誰よりも優しい口調で、誰よりも辛辣な事を告げる。

 その言葉に嘘はない。それがわかるからこそ、少年は構えていた銃を下ろす。


「賢明な判断です」

「……今から止められるとでも?」

「止めるも何もございませんよ、全ては神の思し召し。もとより定められしことなのですから」

「要するになるようになる、ってことかな」

「いいえ。神の望むとおりになる。それだけのことです」


 本殿を見据えて告げる彼女が、少年にはどこか切なそう見えた。まるで巫女自身の心の内など、そこに存在しないかのような。

 その言葉のすぐあと巫女は飛び上がった。宙に佇むその姿は、見えない何かの上に立っているかのように見える。


わたくしはこれで。天の声の代表として見届ける必要がありますので」


 空を飛ぶと表現するにはあまりに不自然な軌道を描き、巫女は神門の上に降り立ち振り返る。


「それでは、神成の儀。どうぞ最後までお楽しみ下さい」


 巫女が神門の内側へ飛び降り、見えなくなった。

 横たわったままの少女に、少年は歩み寄る。


 音が、しない。

 彼女の側で立ち尽くす少年は、申し訳なさと悔しさの念で一杯だった。

 鼻先に一滴、滴が落ちる。

 途端に辺りは、雨が降る音で溢れかえった。

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