14話「リーダーたる所以」

「ようこそお越し下さいました。今宵を終えれば50人、あまの声に受け継がれし伝統の宴、神成かみなりの儀へ」


 丁重な一礼を済ませ顔を合わせようとも、彼女の瞳が開かれることはない。


天音奏あまおとかなでさん。貴方も関与しているなんて、本当は考えたくなかった」


 神門前の広場は大勢の人で行き交っているのに、誰も私達を気にかけていない様子だった。

 まるで私達だけ違う世界にいるかのようで気味が悪い。


わたくしも心苦しい限りです。が、さいを投げられたのはそちらかと、一色香織いっしきかおり様」

「よく言うよ、誰が何を投げたって同じ結果にするつもりだったでしょうに」

「はてさて、小石を賽に。とは私共わたくしどもとて叶いませんよ」

「もういいよ、この際」


 どの道ここまで話が進んでしまった以上、やり切るしかないんだから。


「ねぇ、いるんでしょ? 真壁択真まかべたくまさん」

「不思議なものだね」


 かなでの隣から、ぱっと姿が現れる。まるで最初からそこにいたように。


「あの時あの場にいるだけでなく、天音あまおと君とも知り合いだとは」

「もう一人いるはずでしょ? 記優香しるしゆうかからアカシックレコードを奪ったのは、もう一人の仕業なんだから」

「ほぅ。流石にやり過ぎたようだ」


 驚いている素振りを見せつつも、声も顔も振る舞いさえ、何一つ本当に驚いてはいない。言動の全部が嘘っぽく思えるからか。


「あの位置にいた択真たくまが、あの子から本を取れるわけないもんねー」


 真壁まかべ同様、あたかも最初からそこにいたかのように姿を表したのは、小柄な女の子。

 見た目は記優香しるしゆうかよりも幼い。彼女は本当に中学生くらいかな。手を後ろに組んでいるのは、アカシックレコードを隠しているからか。


「姿を消すって言うよりは、認識を阻害する類の世界ってところかな」


 これだけ騒いでいるのに誰一人として私達を気にもとめないのも、彼女の世界か。


「わかったところで認識できないのは変わらないでしょ?」


 一秒たりとも目を離したつもりはなかったのに、次の瞬間にはもう、彼女も真壁まかべも消えている。

 姿は見えないのに、嘲笑いながら話す彼女の声だけは聞こえてきた。


「何をどこまで知ってて首を突っ込んで来てるか知らないんだけどさ、この辺にしておきなよ」


 姿が見えずとも目的はなんとなくわかる。

 私の考えが正しければ、北乃神宮ここのどこかに麻奈美まなみもいて、アカシックレコードを持つ彼らはそこへ向かうはずだ。

 麻奈美まなみに、アカシックレコードを渡しちゃいけない。


「じゃないと、遊びじゃ済まなくなっちゃうからさぁ!?」


 突然のことだった。

 立っていられないほどの揺れが起こって、思わずしゃがみ込む。数秒経って揺れが落ち着いたから顔を上げると、そこでようやく気がついた。


 ———何かがいる。


 目に見えない、されど私の知るどんな生き物より大きい。

 本能、潜在意識、無意識。五感で感じることができないが、それ以外の全てに訴えかけてくる。


「なんだこの感覚? 見えねーけどなんかいるよな?」


 あまりのことで頭が追いつかない。体も動かない。

 でも今回ばかりは流石に私だけじゃなかった。というか、肩を慣らしながら先頭に躍り出た兼継かねつぐ以外誰も動けてすらいなかった。


「なぁ、香織かおり。さっき打ち合わせた予定にはねぇーけど、あいつは俺がやる。それでいいよな?」


 首だけ振り向いてなんとも軽々しくうそぶいた。ここまでくると呆れるしかない。

 禍々しいというか、恐怖そのものというか、嫌悪感の化身を前に、よくもああ平常心を貫けるものだ。

 呆気に取られながら、頷くことしかできなかった。


「あの子アレとやる気? 馬鹿なの? それとも自信過剰? もはや浅ましいを超えて勇ましいわ。まっ、こっちは予定通りでいいんだよね?」

「ええ、行って下さい……の方に、押し切られるその前に」

「冗談はいいから、私達もう行くね?」

「……だと良いのですが」


 声をひそめてから前へ出て、「わたくしも出ることに致しましょう」と振り返らずに告げた。


かなでちゃんって子も来るみたいだね」

「……意外」


 胡桃くるみには言われたくないだろうね。


「僕が行こう」

「……私も」


 予定だと荒事は西鶴さいかく兼継かねつぐに任せて胡桃くるみには私達の護衛をお願いしてたんだけどな。


「ちょっと胡桃くるみ。貴方にいなくなられると困るのだけれど?」

「いいよ、詩葉うたは。二人に任せよう」


 まさかかなでさんが荒事にまで出てくるとは思ってもみなかった。

 体格も筋力も私とそんなに変わらないのに。

 それでも詩葉うたはなだめたのは、怪しいから、かな。


「二人とも、かなでさんは音の世界を持ってる。時間や天気、ありとあらゆるもの音として捉えてるみたい」

「了解、気に留めておくよ」

「……行って」


 真壁まかべがどんな世界を持っているかわからない以上、不安は残るけれど胡桃くるみもきっと私と同じことを感じてのことだ。


「私達も行こう、詩葉うたはけい

「ええ」

「視界良好、こっちだよ!」


 真壁まかべと謎の女の子を追って、私達も夜の神宮を駆け出した。



*   *   *



 男は何かと対峙していた。


「さてーと、こいつはどうしたもんかなー」


 何かと対峙しているのはわかる。だが、それしかわからない。

 あんな得体の知れないもの、自分以外に任せるわけにはいかない。そんな後も先も考えていない理由で請け負ってはみたが、やはりこの様である。


「アドバイスの一つくらいもらっておくべきだったかぁ?」


 役割としてはまず間違いなく自分の領分だろう。

 自他が共通で認識している事柄として、単純な腕っ節の話であれば男の右に出る者などいない。だがその分と言うべきか、頭脳を使うことに関してはあまり得意とも言えないのが本音だった。


「つーか殴れんのか? そもそも」


 世界は力。そう豪語する男には、ありとあらゆる力が目に見える。

 気圧、重力、抗力、磁力そして、生命力。

 生きとし生けるものであれば見えるそれらが一つとして感じ取れない。真っ当な戦い方ができるとは思えない。


 ———途端だ。

 掌では硬く、布団では柔らかい。言うなれば巨大な心太〈ところてん〉のようなものが右半身に衝突した。

 その予兆を何一つとして感じ取れなかったが、ぶつかったそれの勢いは凄まじかった。

 男の体は宙を舞い、参道から外れ、隣接する自然公園にまで及ぶ。

 背の低い梅の木がまばらに埋められた遊歩道。その土をえぐり、2度3度弾み、転がった果てにようやく止まった。


「いっ、てぇーなぁ!」


 体を、かるく数十メートルほど吹き飛ばす衝撃。常人なら既に息はない。そう、常人の話ならだ。

 怒鳴りながら体を起こす男には、傷の一つも見受けられない。口で苦痛を吐き捨てるも、実際それほど痛んですらいなかった。


「服、汚れちまったじゃねーか」


 土埃を払いながら、感覚を研ぎ澄ませる。

 近くに何者かの気配を感じれど、やはり姿を捉えることはできない。

 辺りに人気もないため当然、男の声に返る言葉も悲鳴もない。

 街灯が灯る時間帯と言えど、不自然なほどに静かだった。


「実態、あんなら話が早ぇ」


 男の顔に不敵な笑みが浮かんだ。

 両手を前に、体を半身に、構える男。


 男から攻撃手段はない。が、相手は別だ。

 再び前兆の一つも感じられない、車両の正面衝突おも上回る衝撃に見舞われた。

 ワイヤーを使ったアクションですら再現できないほどの速さで、男は吹き飛んでいく。


 梅の木を巻き込みながら地面を転がり、立ち上がっると、再び全身を襲う衝撃。吹き飛んでは立ち上がり、また吹き飛ぶ。

 なす術なく何度か地面を転がったあとのこと。


 感じたのは、ふわっと舞い上がったかの様な感覚。

 男は空高く打ち上げられていた。

 回転し、自分がどこを向いているのかさえわからない中で、視界の隅を掠めたのは電波塔。

 市内で有数の高さを誇るそれの先端が、手が届きそうな距離に見えた。


 ———言葉にし難い存在感の塊が、真上から降り注ぐ、予感がした。


 意識がはっきりしたのは数秒後。

 目を開けると、黒い雲に覆われた空が見えた。

 近くに違和感のようなものは感じない。男は確信していた。それもそのはずだ、と。


 確かな手応えを感じていたのだから。

 ゆっくり身体を起こして数秒後、真上から何かが降ってきて、地面に大きなクレーターを作った。


「……人をボコスカ殴りやがって。少しは反省したか?」


 あれほどまで畳み掛けられながらも、男は依然涼しい顔をしていた。


 異様な存在感が男の右半身に近づいてくる。半身を覆ってもなお余りあるそれが、これまでにない勢いで男を襲った。

 男とて直撃を確信していた。

 そして、それは間違いなく男を捉え、吹き飛ばすには過剰な衝撃を発生させていた。

 ———だが吹き飛んだのは、男ではなかった。


「やべ、やり過ぎたか?」


 巨大な違和感は本殿の方へと吹き飛び、杉の大木に激突した。


 何も難しい話などではない。

 男にとって世界は力だ。

 物体に力を加える時、加える側もまた同等の力で押し返される。

 男は書き変えたのだ、受ける力をゼロに。返す力を数倍に。


 男は相手の姿形が捉えられないからと、一方的にやられていた訳ではなかった。

 何かが近づいて来てから吹き飛ばされるまでのタイミングを測っていたのだ。


 男の世界は基本、対処療法。

 相手に作用する力が見えない以上、自身に力がかかってから書き変える。

 あの悪寒と相対した最初は、力を受けてから書き変えるまでに遅延が生じていた。力を受けてからダメージとして蓄積する前に力を掻き消すので精一杯だった。

 だが、後半では既にタイミングを掴んでいた。

 接触があった瞬間、身体にダメージとして加わる力を無くしながら、体が本来吹き飛ぶ方向へ力を加え、自ら吹き飛ぶ。


 いくら低木を巻き込もうとも、傷の一つとてつくはずもない。どれだけ鋭い包丁とて力を加えなければ切れないのだから。

 そして数秒とない時間の中で、数十回に渡る書き変えを行えていた。動体視力から情報処理能力、思考力、瞬発力、耐久力。ありとあらゆる力を書き変えられるのだから。


 今の男はもう、相手が見える見えないなど関係ない。あの悪寒が男に力を加えるのであれば、その瞬間に、数倍にして力を返せる。

 それが事、荒事に関して男の右に出る者がいない所以であった。


「思いの外丈夫なのな……」


 大木に、ばっこりえぐった様な跡が残るも、目の前の何かはまだうごめいているのがわかる。

 空から落下した時でさえ、まったく衰えを感じさせなかった。


 男によって電波塔の高さからさらに打ち上げられたアレは、対流圏たいりゅうけんを越え成層圏せいそうけんの一歩手前まで到達していた。

 そこから落下してもなお動けるのであれば、負傷という概念さえないかの様に思える。


「いいぜ、付き合ってやるよ。こちとらタフさには定評があるもんでな」


 男の顔がまた、不敵な笑みを浮かべた。

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