3話「海の別荘」

「あら、おはよ。今日は早いのね」

「早いね」

「ああ」


 淡白に返すと、質直人しちなおとは大きく口を開けた。

 ベット両脇に咲く二輪の花に見守られながら、一息をついて体を起こす。


まこと、今日の予定は?」


 一輪は尋ねられると読みかけの本を閉じ、組んでいた足を下ろした。

 必然の世界。彼女の名は然律真ぜんりつまこと。この世に起こるありとあらゆる事象を必然と捉えている。

 中学に上がる頃から既に伸びていない低身長。しかしながら、赤く伸びた髪を耳にかける仕草には、大人の魅力が感じられる。


「取り上げるべきは三つね。一つは、悪亜あくあ警部から連絡があるわ」

「またか」

「先日中央区でビルが崩壊した件じゃないかしら?」

「それはないだろう。あのビルを建てたのは俺だが、既に所有権は変わっている。警察も馬鹿じゃねぇ。その件で俺まで辿れるのなら、ニュースで取り上げられているような施工不良が原因じゃないことにも気が付いてるはずだ。どうせまた、市場操作の疑いかなにかだろう、面倒だ。三琴みこと、リストから外しておいてくれ」

「はーい」


 まことと同じく低身長で長髪な彼女は、然立三琴ぜんりつみこと。事象の全てを偶然と定義する彼女は、いわゆる偶然の世界の覚醒者だ。


「どのくらいの期間でけっそか?」


 実の妹であるまことより、ずっと幼く見える彼女だが、年齢に差はない。


「10日はここを離れられない。10日で頼む」

「らじゃー」


 ふわっと黒い髪が波打った。途端だ。

 彼女の目の前に細長い紙が現れる。両手で持つにはあまりにも長いそれは、気が付く頃には部屋の床一杯にまで広がっている。無論、見えているのは三琴みことだけだ。


「消しとくねー」


 彼女が持つそれこそが偶然のリスト。そこにはこの世におけるすべての偶然が羅列されている。

 予期せず起こるからこその偶然を、彼女の世界は作為的に塗り変えられる。

 偶然来るはずの連絡が来なくなる。その程度の偶然一つを書き変えるのに、10秒とかかることはない。


「書きかえたよー」


 事象が起こることが偶然のように、起こらないこともまた偶然。全ての偶然が記されるそのリストを、塗り変えはできても削除はできない。


「確認したわ」


 まことの視界には別のリストが見えている。

 無数に綴じられた教科書サイズの紙の束。その内容は三琴みことが見ているリストと何一つ変わらない。偶然か必然か、違うのはその捉え方に過ぎない。


「次を頼む」

「ええ」

「二つ目はあなたが好きそうな話ね。アメリカのベンチャー、ジャスト・ア・ライフのCEO、ジョン・ハマスターと出会うわ。場所はいつもホットサンドを食べるあのカフェね」

「また待ち伏せか。だが、悪くはない……か」

「いいなら、そのままにしておくけれど?」

「構わない。にしても俺は、この館から離れるつもりはなかったんだがな」


 腑に落ちない直人なおとに、二人は口を揃えて告げる。


「必然ね」

「偶然だねー」


 息ぴったりだ。


「まあいいさ、その価値は十分にありそうだ。少し遠いいが朝食はそこで食べるとするか。で、最後はなんだ?」

「最後は来客ね。力兼継りきかねつぐ秋野繋あきのけいそして、一色香織いっしきかおりがこの館まで来るわ」

「早速か。まこと、17時までに来なかった場合、明日にずらしておいてくれ」

「わかったわ」


 一通りの話を聞き終わった直人なおとは、ベットを出て歩き出す。

 まことがそっと、その後ろに続いた。


三琴みこと、夜勤ご苦労だった。ゆっくり休め」

「ふぃー」


 眠そうに返事を返すと、そのまま直人なおとが寝ていたベットに倒れ込んだ。


 質直人しちなおとは1日に2回、まこと三琴みことの世界を使って、その日の予定を確認する。一度目は0時に三琴みことが偶然を確認し、12時にまことがその必然に変わりがないか再度確認する。


 そのため三琴みことの活動時間は20時から翌日10時頃になることが多いのだ。


「そんじゃまぁ──」


 海を一望できるこの洋館は、質直人しちなおとが所有する別荘の内の一つ。

 黒と紅を基調とした色合いで統一されているそこに、ここ10日間は滞在する予定となっている。


「今日も稼ぐとするか」


 屋敷中に響き渡るくらい、扉は勢いよく開かれた。




   ✳︎   ✳︎   ✳︎




「海だぁー!」


 暑い。

 朝はそれほどでもなかったのに、お昼を過ぎた辺りから信じられないほど暑くなっていた。


「ねぇねぇ、香織かおり! 海だよ、海!」


 どうしてかいつもの倍くらいテンションが高いけいに、肩を揺らされ視界が揺らぐ。

 この暑さの中、抵抗する気にもなれない。


「すごい人……」


 視線だけ横に向けると、海に大量の人が押し寄せていた。

 そういえば今は夏休み。これだけ暑いと、海に人が来ないわけがない。どうして人はこう、暑い日に限って家から出たがるのだろうか。

 なんて思っている私も海に来ているだろうに、っと言われるかもしれないが、これにはやむを得ない理由があったのだ。

 そう、時間は今日の午前中にまで遡る。




「ねぇ、兼継かねつぐ、私面白いこと思いついたんだけど」


 詩葉うたはと買い物に行った日の翌日。今日も私たちは朝からアジトに集まっていた。


「なんだそれ、気になるんだがその前に、一ついいか?」

「何? 改まって」

「昨日、質直人しちなおとから連絡来てたんだ。今日から10日間、海沿いの別荘にいるからそこで正式な契約を交わしたいってよ」

「うげっ」


 別に借金のことを忘れていたわけじゃないけれど、わざわざ夜の空港で待ち伏せするくらいだから、互いに連絡先を知らないものだと思っていたのに。

 質直人しちなおと兼継かねつぐの連絡先知ってるんだ。これはいよいよ避けられないね。


「あ……お金」


 胡桃くるみの言葉でぎくってなる。二楷堂にかいどうことは事件の後、私のいるところでお金の話は一切してなかった。50億の借金のこと、けいはみんなに話したのかな。


 けいに視線を逸らすも、ダメだ。顔が青い。


「そういえばだね。そもそもなんだけどさけいちゃん、結局いくら使ったんだい?」

「……」


 西鶴さいかくに返る言葉はない。


「……けい? 具合、悪い?」

「まぁ、もともと8億で買えるとは思ってねぇーよ。結局金は借りられたんだろ? この際別に構わねーって。で、いくら返すんだ?」

「待って。8億? 一体なんの話をしているのかしら?」


 詩葉うたはは知らないよね。誰も言ってなさそうだし。


「プロジェクトアクトが入っていたビルを質直人しちなおとって奴から購入したんだ。金を借りてな」

「ビルを買ったって……一体いくら借りたのよ?」


 けいがゆっくり私を見る。

 質直人しちなおとと目が合ったあの時とは違う、ゆっくりに見えたんじゃなくて、本当にけい自身がゆっくりだった。

 それでまた、みんなの視線が私に集まった。

 ──これは、腹を括るしかないか。


「……ゅうに」

「あん? なんてつった?」

「にじゅうに……」



 間が開いた。

 それはもう、長いこと。間が開いた。



「……は?」


 夏の爽やかな風がビルに迷い込んで、去っていく。

 今日も今日とて、いい天気だった。


「ま、まぁ。確かに多いかもしれないが、返せない額じゃないだろ。時間はあるんだ、なんとかな———」

「ごねん」


 空いた口も閉じないまま、兼継かねつぐの目がコチラに向いた。


「……今、なんつった?」

「ごねんでごじゅうおく」

「はぁ!?」

「すみません! 5年で50億、私たちの人生を担保に借りました!」

「あん!? どうやらったら22借りて倍以上返す話になるんだよ!? つーか5年ってなんだ!? クレジットカード並みの高金利じゃねーか! なにか? お前はクレカで22億借りたのか!?」

「すみませんでしたあぁ!」

「私たちって誰?? 僕は入ってないよね!? 関係ないよね! ね、けいちゃん!?」

「た、退屈しないっしょ?」


 出会ってから一番可愛い、けいの笑顔が見られた。


「退屈しねーよ! マジで!!」


 多分建物の外まで聞こえてた。鳥達が一斉に羽ばたいたもの。

 騒ぐだけ騒ぐと、すぅーっと空気が重くなる。

 冷静に考えて、やっぱり「退屈しねー」じゃすまないよね。


「はぁ、まぁ言ってもしゃーねぇーか」

「そうは言うけど兼継かねつぐ、相手は質直人しちなおとだよ? 払えなかったら僕たちみんな現金化されるんだよ?」

「え……?」


 最初、西鶴さいかくの言ってる意味が分からなかった。しかし、ふと思い至る。


「……彼の世界ってそういう感じ?」


 なんてことはない、文字通りの意味だ。

 全てを価値で捉える彼の目には、生涯価値が見える。その世界で世界を塗り変えるってことは──


「対象を価値そのものに塗り変える世界」


 なんだそれ、理不尽だ。彼がやろうと思えば、どんなものもお金に変換できるってこと?

 それはもう、暴力なんてレベルじゃないでしょ。


「さっきの話、契約はまだなんでしょ? どうにかならないかな?」

「逃げるのは無理」


 けいが口を開いてから、ピンときた。質直人しちなおとの隣にいた秘書さんの世界。


「偶然の世界!」

「そんなのあるのか?」

「うん。質直人しちなおとの他にもう一人覚醒者がいたの、然律三琴ぜんりつみことって言ってた。偶然の世界を持ってるらしい」


 もう言うまでもない。世界を偶然で捉えているなら、彼女ができることも想像に難くない。


「『どこへ逃げても、質直人しちなおとと出会う』という事象を偶然として作り出せる可能性が高い」

「これはアレだね。詰みだ」

「50億……私のためにそんな大金が動いていたなんて……」


 これを聞かされて一番困るのは、間違いなく詩葉うたはだろう。私が言うのも変な話かもしれないけど、落ち込むのも無理はない。

 また場に静けさが返って来た。

 真夏に吹き抜ける風が、どうしてこうも冷たいか。


「まぁなんだ、持論だが、人は金では買えない、そう考えると悪くはねーだろう」

兼継かねつぐ……」


 器の大きさにちょっとだけ、心が揺れる。


「契約の件どうするつもり?」

「どうするもなにも、行くしかないだろ」

「……そうなるよね」


 私の問いかけは愚問だったみたい。


「なにしょぼくれてんだよ、正直こいつに話を通さずとも、あのビルを壊すくらいはできたさ。それでも、この手段を選んだのはくだらねぇーいざこざを避けるためだ。今更ここで躊躇うつもりはねぇーよ」

「いつ行くって返信したの?」

「連絡は西野木由記にしのきゆきづてだ。『私は伝書鳩じゃありません、以降のやり取りは情報提供額の5倍報酬を要求します』って書かれてたから返信はしてない。10日以内であればいつでもいいらしいし、今から行くか。けい香織かおり準備しろ」

「そうなるよねー」

「え? 何? 私も?」


 けいは素直に頷くが、私はちょっと引っかかる。


「5年で50億。この数字を吹っ掛けたのはお前だろ? けいにそんな芸当ができるとは思えねぇ」


 そうだけど、人をお金に変えられるだよ?

 できたらもう二度と会いたくはなかったのに。


「うー」


 他に選択肢はないみたい。




 ということで今に至る。


「ねぇ、香織かおり! 帰りちょっと寄ってこ!」

「えっ……」


 あの人だかりを見てなお、行くつもりなの?


「なにその反応! 夏に海に行かないなら、いつ行くわけ!?」


 そもそもなんで海に行く前提なのさ。


「あ! そう言えば大事なこと聞いてない!」

「なにって聞いた方がいい?」


 唐突にけいの顔が真剣になる。


香織かおり彼氏は?」

「な、なに、急に」

「いいから!」

「いや、いないけど」

「いつから?」


 なにこれ、答えないといけないの?


「え、えっと……」


 試しに黙ってみても、けいの視線は逸れないどころか、ますます強まるばかり。


「いつから!?」

「ず……ずっと」

「なら海行かなきゃでしょ!? 私もそろそろ次の彼氏欲しいし!」


 50億の負債がある女の子と付き合いたい人なんているだろうか。って思ったけど、そこは言わないでおこう。


「だとしても、なんでわたしー?」

「友達の子だいたい彼氏いるし、詩葉うたはは歌しか興味ない感じだし、胡桃くるみってこういうところ来るタイプじゃないでしょ?」


 待って、それ私もなんだけど。


「だからさ、香織かおり! この夏は、二人で彼氏作ろ? ね?」


 その問いかけに、首を横に振る選択って許されるの?

 っていうかそもそもその選択肢を用意してくれてる?


「……はぁ。わかったよ」


 結局、私は断れないのだ。


「やったね! 決まり!」


 なんだかんだで、今度水着を買いに行くところまで話を進めてしまった。

 キャラクターサイドストーリーけい、『彼氏を作ろう』が解放されました。

 ゲームだと多分こんなテロップが出ているところだ。


「おい! いつまでやってんだ? こっちだぞ」


 ビーチに所狭しと並ぶテントや人を横目に見下ろしながら、兼継かねつぐはさらに上の方へと足を進めていた。


「今行くー」


 適当に返事しながら目指すは、海を一望できる丘に立った洋館。

 この有様だと海を見るためと言うより、人を見下すために作ったとさえ思えてくる。


「これみたいだな」


 海から離れるように歩いて10分くらい。ゴシック調のなんとも目立つ建物が建っていた。

 いつの間にかどこかの国の大使館にでも来てしまったみたいだ。


「でかい……」


 兼継かねつぐけいも驚いた様子どころかなんの反応もなく指がインターフォンに伸びる。

 萎縮してしまった私が変みたいじゃん。


「少々お待ち下さい」


 見た目は物凄いけれど、呼び鈴は慣れ親しんだ音がした。

 少しして、開いたドアから赤い髪の女の子が出てきた。まだ背が低い。中学生くらいかな。


力兼継りきかねつぐ様、秋野繋あきのけい様、一色香織いっしきかおり様。お待ちしておりました」

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