4話「偶必然のリスト」

力兼継りきかねつぐ様、秋野繋あきのけい様、一色香織いっしきかおり様。お待ちしておりました」


 涼しげな赤いドレスに身を包んだその子は、それを少したくし上げてお辞儀をする。

 幼いながらにすごく上品。


「私は、質グループの代表を務めます、質直人しちなおとの専属秘書をしております、然律真ぜんりつまことと申します。以後、お見知り置きを」


 名前からして、きっと然律三琴ぜんりつみことと姉妹だよね。


「こちらへ」


 挨拶を終えると扉を一杯に開いたから、私たちは促されるま中へと入った。

 3人分並べられているスリッパ。メッセージには10日以内とだけ記されていたのに、まるで私達が今日来ることを知っていたかのように思えた。

 なんて考えすぎ、かな。


「代表が仕事室にてお待ちです、ご案内致します」


 歩き出した彼女の後ろに続きながら、口を開いたのはけい


「黒髪のあの子、今日はいないの?」

三琴みことは勤務時間外のため、今は休息をとっております。何かご用でしょうか?」

「いや、別に。貴方と似てるなーって思っただけだから」

三琴みことは、私達双子の姉に当たります。そのためかと」

「だよねー、そっくり」


 まことちゃんが妹なんだ。てっきり逆だと思ってたや。


「こちらです」


 そんなことを話している間に着いたみたい。

 廊下をまっすぐ進んで、一つ階を上がっただけだから、ちょうど玄関の真上かな。

 ノックの音が3回。


「代表、お客人が来られました」

「来たか、通せ」


 ゆっくりと扉を開き、現れた広々とした空間のその奥。質直人しちなおとが椅子から腰を上げた。


「久しいな、秋野繋あきのけい一色香織いっしきかおり


 落ち着いた雰囲気の室内で、アンティークなインテリア。側面の壁にぎっしりと並べられた本は背表紙の厚いものばかり並んでいる。

 机を迂回して歩み寄りながら、「ご苦労だった」っとまことに告げると、彼女は部屋を去る。


「私は会いたくなかったよ」


 けいがボソッと呟いた。


「そう言うな、悪く言えばカモだが、よく言えばお得意様だ。丁重にもてなしてやるよ」


 けい質直人しちなおともまったく本音を隠すつもりがないんだね。


「立ち話もなんだ、まぁ座れ」


 仕事部屋の一角に置かれた、ソファーとテーブル。うちのアジトにあるソファーとは見た目から違って高級そうなものだ。

 私達は促された通り、ソファーに座った。


「んで、お前が力兼継りきかねつぐか。わざわざ頭が来るとはな」

「俺も本人に会えるとは思ってなかったよ、随分暇そうじゃねーか」


 彼の仕事机にはリンゴのロゴが入ったパソコン一台が置いてあるだけ。

 仕事部屋というより趣味部屋に近いかも。


「働きどころのない奴ばっか集めて、組織をでかくしようと懸命に汗水流してきたのによ、いざでかくなったら俺の仕事がなくなっちまったよ。今じゃまともに働いてもねーのに、金ばっか入ってくる始末さ」

「笑えねぇー冗談だな」


 羨ましい限りだよ、ほんと。


「さて、先につまんねぇ話を終わらせようぜ」


 世間話を早々に切り上げると、彼は先ほどまでと大きさもトーンも変わらないまま、まことの名前を呟いた。

 途端、「失礼します」と扉を開いて現れた彼女は、テーブルに2枚紙切れを置いた。


「契約の内容は改めて説明するまでもないだろう。そもそもこれも形だけだしな」


 どういう事?

 っと思った矢先に彼自身が説明してくれた。


「今ここで契約書を作ったとしても、秋野繋あきのけい。お前の世界でどうにでもできるんだろ?」

「な……なんのこと?」

「契約も一種の繋がりだ。俺とお前らで契約したとしても、お前はその繋がりを自由に断ち切れるし、契約を結んだ当人さえ書き変えられる」


 仮に、私達と質直人しちなおとで契約したとしてもけいの世界であればそれを断ち切ることも、そもそも別の誰かに繋がりを変えることもできる。ということか。

 言われてみれば、確かにできそうだ。


「だから同じ内容の契約書を2枚用意させてもらった。片方は効力を発揮する様にサインをもらうが片方はそのまま保管させてもらう」


 なるほどね。世界による改変は、それに伴う事項も巻き込んで改変される。契約した内容からその当人の名前さえ書き変わってしまう。そうなればもともとの契約内容さえ書面としては残らない。

 だけど二枚あれば片方がけいの世界によって書き変えられたとしても、もう片方の契約書に影響は及ばない。だって、契約書としての効力がその紙にはないのだから。


「俺としては金が返ってくるなら別にお前らからじゃなくてもいいさ。だがもし、契約そのものを断ち切り、反故ほごにしようってんなら、話は別だ。当たり前だよな?」

「別にそんなことしねーよ、なぁ?」


 自信満々に言い放った兼継かねつぐの隣には、目が泳いで止まらないけいがいる。


「……う、うん」


 けい。私は彼氏の話なんていいから、先にこっちの件について言って欲しかったよ。


「念のため、サインの入った契約書と入っていない契約書の原本を保管する以外に、その2枚を一枚にコピーしたものも保管させてもらう。文句はねぇよな?」

「好きにしろ」


 投げやりなのかどうなのかはわからないけれど、「ここでいいのか?」っとサインをする兼継かねつぐの手に躊躇いはない。

 そういうところ、ちょっとかっこいい性格してるよね。


「確かに受け取った」


 書き終えたサインと押した印鑑を念入りに確認した質直人しちなおとは、そのまままことに手渡した。


「で、当てはあるのか?」

「お前に心配されるまでもねーよ」

「人を金に変えるのはそう気分のいいもんじゃねぇ、よろしく頼んだぜ?」


 ほんとの本当にそんなことできるんだ。

 でも、少し気にかかる。


「ねぇ、一つ聞いていい?」

「なんだ?」

「こんなことしてるけど、わかってるんでしょ?」


 質直人しちなおとの顔がにやりと歪む。


まことの世界は必然。こいつが視認できる必然のリストには、起こった必然も起こる前の必然も見られるし、書き変えも可能だ。だがな、不親切なことにわかるのは起こるか起こらないか、それだけだ」


 起こるかどうか以外のこと。と言えば、


「いつ起こるかわからないってこと?」

「ああ。起こることが必然のように起こらないこともまた必然だ。だとすれば、こいつらが見ているリストは1時間分だけ切り取ったとしても相当な情報量を持つ。なにせ、この世の全てを対象に記載されてるんだからな。起こる案件の結末をいちいち確認してられねーんだよ」

「へぇ。わりと不便じゃない? それ」

「お前の世界の方が使い勝手はいいかもな」


 けいは納得してるようだ。私にはどうにも引っかかる。


「で、この案件については知ってるの?」

「ねぇ、香織かおり。それはほぼ答え出てるくない?」

けい、本当にそれだけの世界だと思うの?」

「必然ってのがわかるだけで十分すごいでしょ」

「すごいよ。ただ、不自然じゃない? そのリストを見たことはないけど、ただランダムに必然が書かれているなら、それが起こったことなのかまだ起こってないことなのかもの判断できないんじゃない? ましてや私が今日みんなに会うことも必然に含まれるなら、そのリストには複数同じ項目が存在してることになるはず。少なくとも起こる時系列に並んでないと不自然だよ」

「それはお前の憶測に過ぎないだろ? 理論的に考えるのは嫌いじゃないが、根拠がないならただの感想に過ぎないんじゃないか?」

「そうじゃないと辻褄が合わないんだよ。だってけい、彼と会ったのはあの日が初めてだよね?」

「え? うん。そうだけど?」

「思い出してみて。それなのにあの日、彼からけいの名前を呼んだでしょ? 仮に出会う誰かの名前までわかっていたとしても、その日の内に出会うことまでわかってないと、『お前が秋野繋あきのけいか』なんて、断言はできないんじゃない? つまり最初から私とけいに出会うってわかってたはずなんだよ。そして仮に、時系列に沿って書かれているなら、1日一回しかしない何か特別な日課を作れば、その日から起こる未来が知れるし、私ならそうする」


 今ならわかるよ。然立三琴ぜんりつみことが私達を見て最初に言った言葉、「偶然だねー」。あれは偶然出会ったってわけじゃなく、偶然のリストに載っていたことを示してる。

 それでも彼女からすれば、偶然出会っていることに変わりはないのだろうけど。


「お前、結構厄介だな」


 質直人しちなおとは黙り込んでいる。


「なんで兼継かねつぐから言われないといけないのさ」

「……やっぱそうじゃねーとなぁ」


 不敵な笑みを浮かべながら、質直人しちなおとは続けた。


「お前の言う通りだ。俺も詰めが甘かった」

「で、どうなの? まだ世界の説明をしてもらっただけで、明確に答えをもらってない気がするんだけど?」

「起こる時系列に沿ってリスト化されているのはその通りだ。結末を言っても構わないなら伝えるが、知って後悔はしないか?」

「むしろ知った方が良くない?」


 二人の顔を見ると、賛同してくれてるみたいだ。


「なら伝えるが、俺がお前らを金に変える未来、それは起こる。必然か偶然かはわからねぇがな。どうやら、お前らの当てとやらは外れるらしいぞ」


 そう。か。そうなるよね。やっぱり。

 空調の風が全然冷たく感じない。

 5年で50億。流石に無理があったのかもしれない。

 浮かれていた。

 浸っていたんだ。

 冷静に考えればわかることなのに。

 どうしようか。私がみんなを巻き込んだ。それは間違いない。どうにか──


「──まぁ、」


 声に反応して瞬間的に顔を向ける。


「そう来なくっちゃつまんねーだろ」


 どこにそんな余裕を持ち歩いていたのか、なんてことないような表情で拳と手のひらを合わせた。


「……兼継かねつぐ

「自分で聞いといてなにしょんぼりしてんのさ、香織かおり!」


 パンっと大きな音が鳴るくらいの勢いで、けいに背中を叩かれた。

 痛い。普通にヒリヒリするんだけど。


けい……」


 そうだよね、自分で聞いたのに。ちょっと弱気になってたみたいだ。


「必然とやらは変わらねぇーのか?」

「変わるんなら必然じゃねーだろ? っと言いたいところだが、世界による干渉は別だ。とは言っても、まこと美琴みことでしかそもそも干渉はできないがな」


 そうなるよね。

 いやでも、兼継かねつぐ胡桃くるみ西鶴さいかくは物理的に影響を及ぼす世界。でもけい詩葉うたはは概念に影響を及ぼす世界だ。

 概念に干渉できる他の覚醒者がいれば、あるいは———


「まぁ、安心しろ。期限が来るまでは待ってやるよ」

「首を長くして待ってろ、せいぜい足掻いてやるさ」


 言い放った兼継かねつぐは、「そうと決まればこうしちゃいられねぇな」とソファーから立ち上がる。


「行くぞ、二人とも」

「うん!」


 私とけいも立ち上がって、兼継かねつぐに続いた。


「おい、兼継かねつぐ


 歩き出した兼継かねつぐの足を止めたのは、意外にも質直人しちなおとだった。


「あん? まだなんか用か?」


 質直人しちなおとから返る言葉ない。その代わりに、今までにないくらい重たい表情をしていた。


「……香織かおりけい。わりぃけど、先に出ててくれ」

「え? うん」


 言われるまま、兼継かねつぐ一人を残して、私とけい質直人しちなおとの館を後にしたのだった。




 両膝に手を着くと、質直人しちなおとは重い腰を上げた。


「で、なんの用だよ?」

「大した用じゃねーんだ。俺もこの後片づけねぇーといけない仕事もあるしな」


 軽口を叩きながらも、表情は依然重い。


「そうは見えねぇけど?」

「なぁに、聞くことが一つあるだけだ。一色香織いっしきかおり、あいつは何者だ?」

「知らねーよ。まさか、そんなことか?」

「……まぁいいだろう。忠告だ」

「忠告ね、こちとらお陰様で、これ以上悪いことがあるとは思えねー状況だよ」


 質直人しちなおととは対象に、兼継かねつぐは鼻で笑った。


一色香織いっしきかおり。あいつには用心しろ。面倒な奴に目をつけられてる」


 一転して曇りがかる表情。言葉が喉を通るまで、少しばかりの間があった。


「……あいつが?」

「そう遠くない未来、あいつは覚醒する」

「それは、リストに?」

「ああ、この際だ。腹芸は無しで言わせてもらうが、まこと三琴みことの世界は、個人の特定ができれば対象をそいつ自身に絞ることもできる、同姓同名はありえねぇ」

「そうか。で、面倒な奴ってのは?」

「まだ確証はないし、当然個人か複数かも特定できていない。だがあの日、俺が合う予定だったのは秋野繋あきのけい一人だけだった。一色香織いっしきかおりの名前はリストになかったんだ」

「……他の世界による干渉以外ありえない、か」

「そういうこった、せいぜい気を付けろ」

「ああ、助かる」


 質直人しちなおとから兼継かねつぐへ、話はそれだけだった。

 仕事室から廊下に出て階段を下って行く。その背中を、然立真まことは眺めていた。


「珍しく、随分と肩入れしてるみたいね」

「はっ、そう見えるか?」

「今回のやり方、貴方らしくないもの」

「なんのことだか」

「本来は3年で返ってくるはずだった50億を手放して、5年後に彼らを現金にする必然をわざわざ作ったのも、まだ敵が味方かもわからないあの男にあんなことまで話すのも、明らかな肩入れに思えるけど?」

「俺は質直人しちなおとだぜ? 総資産2兆円。日本で言えば4番目、世界で言えば80番目にくる金持ちだ。今更、50億なんかに必死にならねーよ」

「時間を司る覚醒者、かしら。本当に存在するかどうかもわからないのに、どうしても仲間に引き入れたいのね」

「当然だ。俺が目指すのは世界1の大富豪。それは変わらねぇよ」

「本当に楽しそうね、お金の話になると」

「当然だろ? 働かなくても金が入るのはいいことだが、やっぱ大金が動く案件の、このスリルは労働者プレイヤーじゃねーと味わえねぇ」


 玄関から出た兼継かねつぐ達を見下ろしながら呟く。


「種は撒いたんだ、あとは成るまで待つだけさ」


 勝ちか負けかの瀬戸際で、自分にそう、言い聞かせるかのようだった。




「ねぇー香織かおりー、リーダーまだ来なさそうだし、先海行こうよー」


 まだ10分もたってないし、そもそも水着持ってきてないでしょうに。

 だからさっき水着を買いに行く約束したのに、もう忘れたの?


「まだ数分も経ってないでしょ」

「でもさー」


 けいが暑さに悶えながら唸っているところに、ちょうど館の扉が開いた。


「悪い、待たせたな」

「ほら」

「おーそーいー」

「いつものことだろ?」

「自覚あるなら少しくらい、い、そ、げ!」

「次から気を付けるって」


 二人と出会ってまだ日が浅いけれど、これはさすがにわかって来た。

 兼継かねつぐのこれは、そうそう治ることはないな。


「それで兼継かねつぐ、何を話してきたの?」

「あー」


 なんでか少し気まずそうだ。


「まぁ、あれだ。大した話じゃねーよ」

「そ、ならいいけど」


 きっと言葉通りの意味ではないのだろうけれど、言いたくないなら仕方ない。いつものように、今はそれを信じることにしよう。


「ちなみになんだが、香織かおり?」

「ん?」

「お前、誰かに恨まれることした覚えはないか?」

「え? なにその質問。普通に怖いんだけど?」


 すごく意図が気になる。少なくとも大した話だよね、それ。


「心当たりはないんだな?」

「う。うん……」


 嘘ではない。でも、気に掛かることも──

 私に友達がいないのは、いなかったのには理由がある。私とて高校2年生になるまでの間、それなりに上手くやっていたんだ。

 あの事件が起こるまでは。

 ただ、それとこれが関わってくる気がしない。あれは、私の世界が書き変わるその前の話なんだから。

 結局その日は、それ以上何かあるわけじゃなかったから、そこで解散となった。

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