2話「西野木由紀へ」

 それから詩葉うたは行きつけの楽器屋さんがある商店街に向かうべく、駅に移動した。


 地下鉄に乗って隣の駅。街の中心ともいえる駅で降りて、直結の飲食店でお昼にする。

 机に並んだのは、フランス料理の数々。

 私はカルボナーラで、兼継かねつぐはマルゲリータとボロネーゼ。胡桃くるみ詩葉うたははたらこスパゲッティを食べた。


 食事中は、何気ない話をした。みんなが好きな料理についてとか、好きなテレビ番組とか。

 詩葉うたはから、芸能人じゃないと知らないような話も聞けてちょっと新鮮だったな。


 食後にコーヒーやら紅茶やらも頂いた。胡桃くるみだけココアだったけど、口を付けた後の幸せそうな表情がめっちゃくちゃ愛らしいかった。


 飲み終わったところで、買い物を再開。詩葉うたはに連れられるまま、行きつけの楽器屋さんまで足を運んだ。

 古めかしい看板が、ロックというかアジのあるお店。


 壁にギターやベースがずらっと並んでいて、それを眺める詩葉うたは胡桃くるみを眺めながら、私はふと今更なことに気が付いた。


「そういえばさ兼継かねつぐ

「あん?」

「すごく今更なんだけど、どうして詩葉うたはを助けようと思ったの?」


 兼継かねつぐと私が出会ったあの日、彼が動いていなかったなら、今目の前でギターを探す少女はいなかっただろう。

 困っている誰かを助けるのに理由がいるのか。なんて聞かれたらそれまでだけど、私はそんなことが気に掛かった。


「理由か。助けられる力が俺らにはあった。それになにより仲間になってくれそうだったから。そんなところだ」


 ということは私を勧誘したのも仲間が必要だったからだよね。でも覚醒している詩葉うたはならまだしも、未覚醒の私でもよかったのだろうか。

 いや、そもそもだ。


「私を誘った理由もそうなんだろうけど、仲間を集めて何する気?」

「あー。まぁ、あれだ。人がいればそれなりに大きなこともできるようになるだろ?」


 なんとなく何かをはぐらかされている気がするけれど、そういうことなら無理に聞かないでおくよ。

 兼継かねつぐのことだから、悪い話でもないだろうし。


「じゃあまだ仲間を増やす気?」

「どうだろうな。ただ香織かおり詩葉うたはみたいなケースは稀だろ? しばらくは情報を買いたくても見つからないだろうな」

「買うって、もしかして私と詩葉うたはの情報って売られてたの?」


 それこそ芸能人の詩葉うたはならまだしも、私はどこにでもいるただの女子高校生だよ?

 そんな有用な情報なんてないでしょ。てか普通に怖すぎるんだけど。


香織かおりは俺がたまたま見つけただけだ。詩葉うたはのは買ったがな」

「さすが女優だね。やっぱり週刊誌とかパパラッチに付きまとわれてるんだ」


 私じゃ耐えられないよ。そんなの。


「いや、俺が買ったのは西野木由記にしのきゆきからだ」

「……西野木由紀にしのきゆき


 ぽそりと口からこぼれ落ちたのはきっと、どこか聞き覚えのある名前だったからだ。それがどこで聞いたのかは、思い出せないけれど。


兼継かねつぐ今、西野木由記にしのきゆきって言ったかしら?」

「あ、ああ」

「都市伝説に興味あるなんて、意外ね」

「都市伝説?」


 詩葉うたはが振り返ってわかった。聞こえてたんだ。

 じゃなくて、頭の隅で思い出す。私が通う学校で、一時期流行っていた都市伝説に出てくる名前だ。


「ああ! 思い出した。『西野木由紀にしのきゆきへ』か」

「あん? なんだそれ?」

「知らない?」


 じゃあ兼継かねつぐが知っている西野木由紀にしのきゆきと私が知る都市伝説は、同じ名前というだけなのかな。

 念のため胡桃くるみにも視線を振ってみたが、首を横に振った。


西野木由紀にしのきゆきへっていう都市伝説があるんだよ。新品のノート、なければスマホのメモ帳でもいいんだけど、そこに『西野木由紀にしのきゆきへ』から描き始めて、答えてほしい質問を書くの。そしたら知らない間に質問の答えが書かれていることがあるっていう。詩葉うたはは知ってるんだよね?」

「ええ、私が知っているのもそれね」


 私の通っている学校ではそれなりに人気だったし、本当に答えが返ってきたって子もいたりした。知らない間に答えが書かれているなんて、怖すぎて私はやった事ないけど。


「まじか。あいつ、都市伝説として扱われてるのな」


 ニタニタっとした顔。それだけでなんとなくわかる。

 きっと西野木由紀にしのきゆきは世界と何かしらの関わりがある。それが何かは、ぱっと思いつかないな。


「これも世界と関係あるの?」

「関係あるも何も、西野木由紀にしのきゆきが覚醒者だ」

「……本の」


 本の世界ってことか。

 世界を本越しに捉えて、それを書き変える。ノートはまだしもスマホのメモ帳さえ本として定義しているというのが、ちょっと現代人っぽいな。電子書籍の延長線的な感覚なのだろうか。


「待って! 二人は会った事あるの!? 西野木由紀にしのきゆきに」


 詩葉うたはの勢いに少し戸惑ったが、兼継かねつぐはきっぱり「いや」と言って、胡桃くるみは無言のまま長い白髪を横に靡かせた。


「あいつは覚醒者の間で情報屋として知られてるんだが、本の世界の覚醒者だってこと以外の情報は誰も知らないんだ。情報のやり取りも全部ノート越し。最初に西野木由記にしのきゆきへから書き始めるのは、言葉通りそれが西野木由記にしのきゆき宛であることを確定させるためだ。なんでも、すべてを本と捉えていて、対象に関連するすべて本を自由に参照、具現化できるっていう話だ」


 ノートやメモ帳越しにしかやり取りができない情報屋。なるほど、確かに正体の掴みどころがない。


「そう……」


 都市伝説と目される少女の正体。それを知りえないのは私としても残念なんだけど、詩葉うたはのそれはどこか違いそうだった。


「何かあったの?」


 店内に響く陽気な音楽。今の詩葉うたはにはおおよそ、似つかわしくなかった。


「……ずっと不思議に思っていたの。オーナーと柏木かしわぎさんに言われた言葉を、いったい誰がどうやってネットに流したのかって……あの日あの時あの場所には、私とオーナー、柏木かしわぎさんの三人しかいなかった。誰も私が言われた言葉を知り得ないの。私のノートを読んだ西野木由記にしのきゆき以外は」


 詩葉うたはの言葉を聞いて、私も今更ながらに一つ気にかかる。


「待って、ネットに拡散したのって詩葉うたはがやったんじゃ———」


 言いかけて、ふと脳裏をよぎったのは、けいの言葉———きっと二楷堂にかいどうことはがネットに拡散したんだと思ってるんじゃない?

 あの言葉は、少なくとも詩葉うたは本人による拡散じゃないことを知っていない限りは出ない。

 なら、答えは一つだ。


「……兼継かねつぐ達なの? 二階堂にかいどう事件のきっかけって」


 驚く詩葉うたはと裏腹に、胡桃くるみの表情は一切動かない。


「ああ。そういえば、言ってなかったか」


 聞いてねーよ。

 兼継かねつぐみたいな口調で言いそうになったのを、心に押し込んで詩葉うたはに目を配る。

 彼女はまだ、黙ったままだ。

 言葉が見える不思議な世界を持っているとしても、心の在り方さえそう特殊というわけにもいかない。

 今、何を想っているのだろうか。


「……やっぱり。読んでいてくれていたのね、私のノート。返事は一度もなかったの。それでも誰かが読んでくれているかもしれないって。助けてくれるかもしれないって。そう思えただけで、何度も救われていた……弱いよね、私……」


 詩葉うたはは、俯いた。

 誰かに救われることを夢見た彼女を、弱い人間と思うだろうか。それとも、世の中とは個人ではどうすることもできない理不尽が存在し、今も誰かがそれに虐げられている、そんな悲しい居場所なのだろうか。


 唐突に顔を上げた詩葉うたは。徐に振り返る彼女の瞳が、少しだけ潤んでいるように見えたのは、きっと間違いじゃない。

 試し弾き用のアコースティックギターを丁寧に持ち上げて、肩にかける。


 ──大きく息を、吸い込んだ。


 それは、二階堂にかいどうことはのデビュー曲。

 初めて聴いたわけじゃない。けれど今だからわかる。音に乗せて届けられるその言葉は、一糸纏わぬほど無防備に、彼女の思いの丈を表していた。

 歌いたい。声を、言葉を多くの人に届けたい。そんな夢と希望を一杯に詰め込んだ一曲。

 聞き入っていた。彼女を中心に時間が止まっているかのようにさえ思えた。私も二人も、声が届いた観客も。

 音が止まるその最後の一音まで、温かい感情が詰まっていた。


「ご清聴、ありがとうございました」


 ギターを肩から下ろす頃には、十数人が集まっていた。詩葉うたはは送られる拍手に頬を染めながらぎこちなく、でも心底嬉しそうに笑っていた。


 心配は杞憂きゆうだったみたい。

 おそらく、事の顛末はこうだ。


 思い描いた音楽活動との違いに苦悩していた詩葉うたはは、気持ちの吐口として西野木由紀にしのきゆきに向けて筆を走らせた。

 誰にも言えない胸の内は、ノートにはすんなりと表現できた。オーナーから言われた、口外できないようなことでさえも。

 西野木由紀にしのきゆきは情報屋だ。兼継かねつぐは彼女から仲間に引き込めそうな人の情報を探した。

 そこで浮上したのが詩葉うたは西野木由記にしのきゆき詩葉うたはのノートの中身を兼継かねつぐに売ったのだろう。そして兼継かねつぐは入念な計画を立てた後で、それを公開した。彼女のくだらない日々を、終わらせるために。


兼継かねつぐ。手を差し伸べてくれた事、本当にありがとうね」


 杞憂もするだろう。悩んで苦しんでいたのは事実だとしても、そこに手を差し伸べてくれた人が、事の一部を担っていたのだから。


「ギター、決めたわ」


 店員さんを呼びに背中を向けて、「ちょっと待ってて」と駆け出した。

 エレキギターを買いに来たはずなのに、結局はアコースティックギターを買うのか、なんていうのはもう、些細なことだろう。


「このギター下さい」


 指がさされたギターを持ち上げた店員さんは、詩葉うたはを見てにっこりと笑った。


「さっき歌、とてもお上手でした。二楷堂にかいどうことはさん、お好きなんですね」


 目の前の女性は、声も背丈も違う詩葉うたはを本人と気づけるはずもない。


「はい……私が、歌を歌おうって決めた、きっかけなんです」


 その言葉でふと思った。

 言葉は本質には至らない。

 二楷堂にかいどうことはと堂垣戸詩葉どがいどうたは。二人の外身は違えど中身は同じだ。顔も声も違う二人が同じ人間であるというのなら、人とは何をもって個人たらしめられるのだろうか。記憶だろうか、心だろうか。


「私もずっと好きでした。お買い上げ、ありがとうございます」


 少なくとも私は、記憶や心だけじゃない。その人の全部を持ってして、今のその人として捉えたいと望む。


香織かおり、今日はありがとうね」

「うん、またね」


 スマホを持ったままの手を振って返した。紐づいたピックも一緒に揺れる。

 ギターを買う時ついでにピックも買った詩葉うたはを見て、なんでかお揃いのピックキーホルダーを買う流れになって買ったものだ。

 乗り気じゃなかったけど、買って付けてみると結構嬉しい気持ちになれた。


 店を出たのは、夕日が差し込む時間帯。これからアジトに戻って何かするほどの体力は残っていないので、私は駅でみんなと別れた。

 帰宅してすぐにシャワーを浴び、妹と夕食を食べ、自室のベットに転がった。


「今日は疲れたぁー」


 今日は色々あった。というか兼継かねつぐと出会ってから、色々と変わった。

 つまらないと感じていた世界は、存外不思議で満ちていて、捨てたもんじゃないなって。

 もっと世界について知ることができれば、私も目覚めることができるだろうか。

 今はただ、探求したい。世界という不思議な力について。この世界にある不思議について。


西野木由記にしのきゆきか……」


 根も葉もないと思っていたのに、実際には根と葉どころか幹に枝、花に実さえなっていた。

 世界という力を知れば知るほど、知らない世界が開かれた気分になる。


「あ、いいこと思いついた」


 二楷堂にかいどうことは事件以降暇つぶしを探していた兼継かねつぐ達には、いい暇つぶしになりそう。そして何より、上手くいけば借金返済の目途も立つ。

 面白いことになりそうな予感で、その日は遅くまで眠れなかった。

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