2話「西野木由紀へ」
それから
地下鉄に乗って隣の駅。街の中心ともいえる駅で降りて、直結の飲食店でお昼にする。
机に並んだのは、フランス料理の数々。
私はカルボナーラで、
食事中は、何気ない話をした。みんなが好きな料理についてとか、好きなテレビ番組とか。
食後にコーヒーやら紅茶やらも頂いた。
飲み終わったところで、買い物を再開。
古めかしい看板が、ロックというかアジのあるお店。
壁にギターやベースがずらっと並んでいて、それを眺める
「そういえばさ
「あん?」
「すごく今更なんだけど、どうして
困っている誰かを助けるのに理由がいるのか。なんて聞かれたらそれまでだけど、私はそんなことが気に掛かった。
「理由か。助けられる力が俺らにはあった。それになにより仲間になってくれそうだったから。そんなところだ」
ということは私を勧誘したのも仲間が必要だったからだよね。でも覚醒している
いや、そもそもだ。
「私を誘った理由もそうなんだろうけど、仲間を集めて何する気?」
「あー。まぁ、あれだ。人がいればそれなりに大きなこともできるようになるだろ?」
なんとなく何かをはぐらかされている気がするけれど、そういうことなら無理に聞かないでおくよ。
「じゃあまだ仲間を増やす気?」
「どうだろうな。ただ
「買うって、もしかして私と
それこそ芸能人の
そんな有用な情報なんてないでしょ。てか普通に怖すぎるんだけど。
「
「さすが女優だね。やっぱり週刊誌とかパパラッチに付きまとわれてるんだ」
私じゃ耐えられないよ。そんなの。
「いや、俺が買ったのは
「……
ぽそりと口からこぼれ落ちたのはきっと、どこか聞き覚えのある名前だったからだ。それがどこで聞いたのかは、思い出せないけれど。
「
「あ、ああ」
「都市伝説に興味あるなんて、意外ね」
「都市伝説?」
じゃなくて、頭の隅で思い出す。私が通う学校で、一時期流行っていた都市伝説に出てくる名前だ。
「ああ! 思い出した。『
「あん? なんだそれ?」
「知らない?」
じゃあ
念のため
「
「ええ、私が知っているのもそれね」
私の通っている学校ではそれなりに人気だったし、本当に答えが返ってきたって子もいたりした。知らない間に答えが書かれているなんて、怖すぎて私はやった事ないけど。
「まじか。あいつ、都市伝説として扱われてるのな」
ニタニタっとした顔。それだけでなんとなくわかる。
きっと
「これも世界と関係あるの?」
「関係あるも何も、
「……本の」
本の世界ってことか。
世界を本越しに捉えて、それを書き変える。ノートはまだしもスマホのメモ帳さえ本として定義しているというのが、ちょっと現代人っぽいな。電子書籍の延長線的な感覚なのだろうか。
「待って! 二人は会った事あるの!?
「あいつは覚醒者の間で情報屋として知られてるんだが、本の世界の覚醒者だってこと以外の情報は誰も知らないんだ。情報のやり取りも全部ノート越し。最初に
ノートやメモ帳越しにしかやり取りができない情報屋。なるほど、確かに正体の掴みどころがない。
「そう……」
都市伝説と目される少女の正体。それを知りえないのは私としても残念なんだけど、
「何かあったの?」
店内に響く陽気な音楽。今の
「……ずっと不思議に思っていたの。オーナーと
「待って、ネットに拡散したのって
言いかけて、ふと脳裏をよぎったのは、
あの言葉は、少なくとも
なら、答えは一つだ。
「……
驚く
「ああ。そういえば、言ってなかったか」
聞いてねーよ。
彼女はまだ、黙ったままだ。
言葉が見える不思議な世界を持っているとしても、心の在り方さえそう特殊というわけにもいかない。
今、何を想っているのだろうか。
「……やっぱり。読んでいてくれていたのね、私のノート。返事は一度もなかったの。それでも誰かが読んでくれているかもしれないって。助けてくれるかもしれないって。そう思えただけで、何度も救われていた……弱いよね、私……」
誰かに救われることを夢見た彼女を、弱い人間と思うだろうか。それとも、世の中とは個人ではどうすることもできない理不尽が存在し、今も誰かがそれに虐げられている、そんな悲しい居場所なのだろうか。
唐突に顔を上げた
試し弾き用のアコースティックギターを丁寧に持ち上げて、肩にかける。
──大きく息を、吸い込んだ。
それは、
初めて聴いたわけじゃない。けれど今だからわかる。音に乗せて届けられるその言葉は、一糸纏わぬほど無防備に、彼女の思いの丈を表していた。
歌いたい。声を、言葉を多くの人に届けたい。そんな夢と希望を一杯に詰め込んだ一曲。
聞き入っていた。彼女を中心に時間が止まっているかのようにさえ思えた。私も二人も、声が届いた観客も。
音が止まるその最後の一音まで、温かい感情が詰まっていた。
「ご清聴、ありがとうございました」
ギターを肩から下ろす頃には、十数人が集まっていた。
心配は
おそらく、事の顛末はこうだ。
思い描いた音楽活動との違いに苦悩していた
誰にも言えない胸の内は、ノートにはすんなりと表現できた。オーナーから言われた、口外できないようなことでさえも。
そこで浮上したのが
「
杞憂もするだろう。悩んで苦しんでいたのは事実だとしても、そこに手を差し伸べてくれた人が、事の一部を担っていたのだから。
「ギター、決めたわ」
店員さんを呼びに背中を向けて、「ちょっと待ってて」と駆け出した。
エレキギターを買いに来たはずなのに、結局はアコースティックギターを買うのか、なんていうのはもう、些細なことだろう。
「このギター下さい」
指がさされたギターを持ち上げた店員さんは、
「さっき歌、とてもお上手でした。
目の前の女性は、声も背丈も違う
「はい……私が、歌を歌おうって決めた、きっかけなんです」
その言葉でふと思った。
言葉は本質には至らない。
「私もずっと好きでした。お買い上げ、ありがとうございます」
少なくとも私は、記憶や心だけじゃない。その人の全部を持ってして、今のその人として捉えたいと望む。
「
「うん、またね」
スマホを持ったままの手を振って返した。紐づいたピックも一緒に揺れる。
ギターを買う時ついでにピックも買った
乗り気じゃなかったけど、買って付けてみると結構嬉しい気持ちになれた。
店を出たのは、夕日が差し込む時間帯。これからアジトに戻って何かするほどの体力は残っていないので、私は駅でみんなと別れた。
帰宅してすぐにシャワーを浴び、妹と夕食を食べ、自室のベットに転がった。
「今日は疲れたぁー」
今日は色々あった。というか
つまらないと感じていた世界は、存外不思議で満ちていて、捨てたもんじゃないなって。
もっと世界について知ることができれば、私も目覚めることができるだろうか。
今はただ、探求したい。世界という不思議な力について。この世界にある不思議について。
「
根も葉もないと思っていたのに、実際には根と葉どころか幹に枝、花に実さえなっていた。
世界という力を知れば知るほど、知らない世界が開かれた気分になる。
「あ、いいこと思いついた」
面白いことになりそうな予感で、その日は遅くまで眠れなかった。
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