プロローグ2 「価値と対価」

 夜の空港は思ったより人が多かった。


「取引って何するの?」

「買い物。来たよ」


 ロビーで席を確保して3分も経ってない頃、けいおもむろに立ち上がって歩き出した。


質直人しちなおとさんですよね?」


 相手はオフィスカジュアルな服装の男性。後ろに連れてる小柄な女の子は秘書さんだろうか。


三琴みこと


 名前を呼ばれた彼女は彼の横に付き、手帳を開く。


「偶然だねー」


 偶然? けいは彼と待ち合わせをしていたわけではない?

 いや、どっちかって言うと少女が口にしたその言葉が、本来と別の意味で使われてる気がした。世界と同じように。


「お前が秋野繋あきのけいか、金になる交渉なら聞くが、時間はそうない。手短にしてくれ」


 一瞬、彼の目と目が合った。


「え? なんで? 名前」

「言っただろ? 時間がない、話が先だ」

「……まぁ。こっちとしても話が早くて助かるけどさ」


 けいは出鼻を挫かれた様子。思ったより簡単に話が進んで驚いているのかな。

 何はともあれ、話を聞いて貰えるみたい。

 そのままの流れで、私たちは空港内のカフェに陣取った。


「んでなんだけどー、」


 氷の入ったコップだけが4つ、テーブルに並べられている。

 コップに一口もつけることなく、けいは切り出した。


「単刀直入に言うとさ、二階堂にかいどうことはが所属している事務所、プロジェクトアクトだったっけ。そこが使用しているビル、あれってあなたの所有物でしょ? ウチらに売ってくれない?」


 買い物ってまさかビル!?

 取引って言ってたから拳銃とか危ないものをイメージしてたんだけど。まさかのそっち方向か。


「このタイミングの話だ、そりゃあその件だわな。話だけなら聞いてやる、で? お前らはいくら出す?」


 見た目からしてまだ私たちとそう歳は変わらないはず。それなのに、別の世界の人みたい。大人っていうか、社会人っていうか、そんな感じ。


「すぐ出せるのは、8ってとこ」


 ビルだもんね、桁は千万とかなのかな。


「ったく、これだからガキは……」


 舌を打って、大きなため息を一つ零す。態度悪いな。


「あそこは市内でも一等地。土地代だけでも2億は下らねぇ、上物合わせれりゃ8億なんかじゃ足ねぇーよ」


 億!?

 ちょっと待って。兼継かねつぐ達ってそんなにお金持ってるの!?

 あんな崩れかけのビルが拠点みたいだし、ソファーも薄汚れてたのに。


「分かってるって。だからここからが本題。交渉しない? ウチらに投資してよ? 損はさせないから」

「お前らに?」


 またちょこっと私に視線が泳いで、「ないだろ」って呟いた。


「ウチらさ、こう見えても覚醒者の———」

「そんなの見りゃわかる、その上で、だ。けどまぁ試算だけはしてやる。メンバー全員の名前と年齢、性別、それと世界を教えろ」

「いや、全員の世界って……」


 けいは少し迷ってるみたいだ。

 こんな話ができてる以上、彼も世界を使えるはず。安易に情報を教えたくはないところだ。


「当たり前だ。理解できてねぇようだから教えてやるが、お前らが欲しがってるあのビルの価値は今で30億。その内の8億そこらしかお前らの手元にねぇんだ。じゃあ残りの22億は何で賄われると思う? 投資しろって言うならお前らの価値以外にねーだろ」

「そ、そうだけど……」


 彼の言い分が正しいよ。けいも頭では分かってるはず。

 それでも前に出れないのはきっと、勇気が足りないからだ。

 そして私が今ここにいるのは、それを一緒に背負ってあげるためのはず。


けい


 名前を呼んで、背中にそっと手を当てる。

 振り向くけい。それだけで、言いたいことの全部が伝わった気がした。

 ゆっくり。でも確かに頷いていみせたけいには、まだ少しの不安が垣間見えた。


「……私は秋野繋けい高2、見た通り女ね。世界は繋がり。人と人、人と物の繋がりが線の太さや色、種類で見える」

「その世界であのビルの所有者である俺を探し出したってとこか」


 けいは何も返すことなく続ける。


荒欺西鶴あらぎさいかく高3、男。欺瞞の世界、世の中を欺瞞で見てる。それと報恩胡桃ほうおんくるみ高1、女。世界はデータ。ありとあらゆるものをデータとして捉えてる」


 目の前の彼は、淡々と話を聞くだけで目立った動きもなかった。


「そしてリーダー、力兼継りきかねつぐ。高3、男。力の世界で、対象に作用する全ての力を視認できる」


 世界ってそういうことなんだ。みんなには世界がそんな風に見えていたなんて。

 そんな世界があることさえも、今この時初めて知った。


「そうか。で」


 彼の視線が私に向かうまでの間。時間にして僅か数秒。いや、一瞬だ。

 けれどその一瞬。それがやけにゆっくりに見えた。


「———お前はなんだ?」


 睨みつけるような視線と目が合う。

 カランっと一回、氷が鳴った。


「……」


 即答は、できなかった。

 正直なところ私自身も、ていうかけいだってその答えを知らないだろう。

 そもそも私はあの時、兼継かねつぐの誘いに行くなんて一言も言ってないし。


「お前はどうしてここにいる? まさか部外者ってわけじゃないんだろ?」


 落とした視線の先。コップから、雫が流れ落ちる。


 脳裏に昼過ぎの出来事が過った。

 割れた花瓶と飛び散った水、腕に刺さったガラス片と「お前なんか!」。

 私の目の前には今、世界が二つある。

 あんな退屈な世界を捨てて、兼継かねつぐけいと非日常が日常の世界で過ごすか、兼継かねつぐと出会ったこと、起こったこと全部を胸の内に秘めて、あのくだらない世界に戻るのか。

 こんなことを思うんだ、答えは当然、決まっていた。


「……私は一色香織いっしきかおり、高2。女。世界は持ってない」


 言った。もう戻れない。

 選んだんだ。今度は無理やり手を取られたんじゃない、今、私自身が踏み出したんだ。


「未覚醒者? まぁこの場で嘘を吐く意味もないか」


 多分私の人生に大きく関わってくる選択をしたなんて、彼はまったく思ってもいないだろうな。

 それを肯定するかのように、「試算する、ちょっと待て」って上から告げて視線が逸れた。

 その隙に、私は小声でけいに尋ねる。


「ねぇけい、あの人って何者なの?」

質直人しちなおと。投資家っていうか起業家って言うか経営者っていうか、要するにお金をたくさん持ってる人。もちろん覚醒者としてもちょっとした有名人なの。価値の世界。対象の、生涯を通しての価値が見えるんだってさ」


 ほんの数秒の時間だったけれど、「待たせたな」っと彼が再び目を合わせてきた。


「その歳でどうやって覚醒者を4人も集めたのか気にはなるが、評価で言えば中の上、悪くない」

「っじゃあ──」


 ぱっと明るくなったけいの表情が、次の言葉で暗くなる。


「気がはえーよ、悪くない。悪くはないが、少なくともこの案件での投資はねーよ」

「な、なんで!?」

「足りねぇーんだよ」


 きっぱり冷たく言い放って、冷たいお冷を代わりに飲み込む。


「俺の試算じゃ、22億程度お前らで十分賄えるだろう、だが組織として運営やなんだで、その他諸々の出費はかかってくる。10年、短く見積もっても回収にはそれくらいの時間がかかる。そうなるとどうだ? 俺は今夜のうちに30億が手元に入る予定だった、それを10年先伸ばすってだけじゃあ、俺が10年損しただけだ、違うか?」


 けいから返る言葉はない。

 彼には対象の生涯を通しての価値が見える。だから10年で元本を回収できる私達より、もっと効率のいい出資先を簡単に見つけられるってことだ。


「話は終わりみたいだな」


 水を一気に流し込んで立ち上がる。

 振り返った背中。このまま眺めるしかないの?

 けいは?

 俯いたままの顔。上を向く気配がない。

 本当にこのままでいいの?

 本当に、それしかもう。


「———待って」


 考えがまとまるよりも先に、声が出た。


「あん? まだなんか用かよ?」


 だめだ、ここで帰らせるわけにはいかない。

 私がやるしか他にない。


「……私の、私の生涯価値を教えて」


 まったく無策ってわけじゃない。でも確信がない。


「なんだ? 急に」

「お金になる話をしよう、好きでしょ?」


 彼の口元が引き上がる。今日初めての笑みで「10億、悪くねぇー数字だ」とほほ笑んだ。

 疑惑が確信に変わる瞬間だった。


「ねぇ、けい?」


 か細い声が返ってくる。


「これって大切なんだよね?」

「え? う、うん」

「じゃあ、決めなきゃだめだよね」


 微笑んでみせたのに、けいは不思議そうな表情。


「おい。金になる話は嫌いじゃねぇが、暇じゃあねーんだ。この状況で今度は何をしようって言うんだ?」


 彼のお金を使うのであれば、大きなメリットを与えながら、確実に損もさせない方法を見つけるしかない。


「言ったでしょ、お金になる話」


 その答えが、私にはあった。


「お金貸してよ──22億。5年で50にして返す」

「は!?」


 さすがの彼も驚いたみたいで、「年利17%超えてるぞ? 正気か?」って苦く笑いながら付け加える。


「ちょっ! なに言ってるのさ香織かおり! 生涯価値がわかるって言ってるでしょ? そもそも返せない条件には貸し付けもしないって!」

「返せるよ」

「返せるって……どうするつもり?」


 簡単な話。


「担保にするの、私達を」

「え……?」


 正直、一か八かだけど。


質直人しちなおとさん、最初の方に言ったよね? 覚醒者かどうか見ればわかるって。それってつまり、基本的に覚醒者の方が生涯年収高いってことでしょ? ちょっと変わった力を持ってるんだもん、不思議な話じゃないよね」

「生涯年収?」

けいは聞いたことない? その人が一生で稼ぐお金の額、平均は確か3億いかないくらい。にもかかわらず、未覚醒な私でも価値は10億もある。ならきっとけいや他のみんなはもっと高いよね?」


 私の言いたいことが分かったのか、「それってまさか」なんて震えた声で、けいが呟く。


「──そう、私達5人で50億。5年で払えなかったら持って行ってよ、私たちの全部」


 青ざめた顔のけいには少し申し訳ないかも。

 まぁでも私は、もともとここに来るまで価値のなかった命だ、こんなものでよかったら差し出すよ?


「……」


 黙り込んでいる彼に損はない、乗って来る確信があった。だって根拠は、彼自身で提示したんだから。


「どう?」

「っは! おもしれーじゃんか!」


 夜のカフェに、愉快で豪快な笑い声が響いた。


「いいぜ、貸してやるよ22億。この際だ、支払いに関してケチくせぇ事は言わねぇでやる。毎月毎年コツコツ返そうが、5年後一括でもかまわねぇ。だが、一分一秒一円足りとも、譲らねぇ。その時は、わかってるよなぁ?」

「返すよ、ちゃんと」


 借りたものは返すように教わってるしね。


「なら契約書は後日。って言いたいところだが、この時間に待ち伏せするくらいだ、今必要なんだろ? あのビル」

「そうなの?」


 けいに視線を向けると、意識があるのかどうかも分からない様子ながら「うん」とだけ呟いた。


秋野繋あきのけい、所有権はそっちで変えられるんだろ?」

「……うん」

「なら任せる。一応最後に警告だ。紹介が遅れたが、隣のこいつは然律三琴ぜんりつみことっつって偶然の世界を持ってる、所有権だけ貰って逃げようなんて思わないことだ」


 この流れでいくと、起こる偶然がわかるってこと?

 けいは納得してるみたいだけど、それがなんだというのか、私にはわからなかった。


「こうなった以上逃げも隠れもしないって、どうせさせる気ないでしょ……」

「物分かりがよくて助かるよ」


 けいはさっきから心ここにあらずって感じだ。なんかほんと、悪いことしちゃった気分。


「さて、じゃあ行くとするか。せっかく急いで戻ってきたが、あのビルを換金しないなら予定が空くな」


 戻って来たってことは、もともとこっちの人なんだ。

 なんてことを思ってる間に、別れの挨拶を済ませて、彼らはカフェから去っていった。

 この時の私はわかっていなかったんだ。

 この時には既に、とある点において辻褄が合っていなかった。覚醒者とかそんなものに関わらず、誰にでも分かるほんの些細なこと。でもそれに疑問を持たなかった。

 いや、それを見落としてしまうくらいに、私は浮かれていたんだ。




「おい、三琴みことまことと連絡は?」

「取れたよー、お昼の時点では変わってないって」


 三琴みことのスマホにぴょん。っとメッセージがはいった。


「そうか……一色香織いっしきかおり、何者だ? 力兼継りきかねつぐか……あるいは他の誰かの介入か。この案件、金になるといいな」

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