第9話 黒い八咫烏の背に乗って


間一髪で避けられたのは美女のおかげだ。


彼女は私の肩を掴み引き寄せてくれていた。


「ちっ、もうバレたか。悪いけど一緒に来てもらうよ。どのみち顔を見られたんじゃ、いずれ狙われる。巻き込んで悪いね」


「へ? え? うおっ!?」


「悲鳴が可愛げないねえ」


すいません生まれる時に落っことしてきました、という私の反論は、突然身体が空高く舞い上がったことで吐き出されずに飲み下された。


美女が私を抱え込んでその上えらい跳躍をしたのだ。推定何メートルだろうか。二桁いっているかもしれない。何しろ白い雲が近い。オリンピック選手も真っ青な健脚だ。突風で一気に乾燥肌になった気がする。


美女の金髪が空に舞い、服の裾が風でばたばたとはためく音が聞こえた。凄まじい身体能力だ。


「ヤト!!」


私を左腕に抱え込んでいる美女が叫んだ。腰を抱いてくれているのはいいが、腹肉にかなり食い込んでいる。

正直苦しい。


「へっ?」


が、それよりも前方から巨大な黒い飛翔物が向かってきていることに気がついた私は唖然とした。驚きのあまり口が開いたままになる。そこに大量の空気が入り込んだ。


「か、カラス……!?」


ぎゃおう、ぎゃおうとお返事しながらどえらいスピードで姿を現したのは、真っ黒い羽毛が艶やかに虹色に輝くカラスだ。しかもかなり巨大である。あと足が二本じゃなく三本だ。


日本神話に登場する『八咫烏』も足が三本あるというがそんな感じだ。

カラスはこちらに向かって空を真っ直ぐに滑空していた。


「ああああれ! アレって何なんですか!?」


「あの子はアタシの使役獣、ヤトよ。奴から距離を取るには速さが必要だから来てもらったの。今からあの子に乗って移動するから」


「せ、選択の余地は」


「死んでもいいならあるけど。おっと!」


にっこり。

向かってくる光の矢をひょいと避けながら、高い木の天辺で二度目の跳躍をした美女が絶世の微笑みを浮かべた。食らった私は頷く他ない。


なにしろ今現在も樹々の隙間を縫って光の矢みたいなのがビュンビュン飛んできているし、樹の枝から枝へと飛び移り躱している美女もいつかは限界が来るだろう。『奴』と彼女が言っていたことから恐らく狙われているのは彼女なのだろうが、昨日の魔獣? みたいなのが存在している世界で一人にされても困る。


最悪下にいる『奴』とかいうのに殺されるだろうし。とここまでを数秒で考えた私はすぐさま頷いた。


「言う通りにいたします!」


「ふ。物分かりがいい女は助かる」


やけに格好良く美女が笑った。


って貴女も女性ですよね? と思った一瞬、なぜか美女の表情がどこか男性っぽく見えた。


骨格がゴツくなり、目元もやや力強さが増したような……しかしすぐにそれは掻き消え、目前まで降りてきた黒い巨大カラスに私の眼球は釘漬けになる。


大きい……! それに格好良い!!


「気の良い奴だから、あまり怖がらないでやって―――」


「かっけえええ!!! 君に乗れるとか! 最高か! 私レイナ! よろしくねヤトちゃん!」


美女が言い終わるより先に巨大黒カラスに挨拶すると、何となく通じたのか「ぎゃおっ!」と返事をしてくれた。


うおい可愛いな君。


「嘘。人間嫌いのヤトが挨拶するなんて……。貴女、レイナって言ったわね。もしかして人間じゃないの?」


大変心外な台詞を吐きながら、美女さんがヤトと呼んだカラスを口笛吹いて自分の方へ誘導していた。超跳躍でスカイダイビング状態なのに器用なことだ。


「失敬な。私はどこからどう見ても百歩譲って人間です!」


「譲らなきゃいけないの……」


日本語がおかしいのは重々承知だがあの愚兄妖怪の妹として生まれた私は果たして真っ当な人間と言えるのだろうか。まだせめて人でいたいぞ私は。いやまあ社畜ではあるがな。


「まあいいわ。名乗るのが遅れたけどアタシの名前はディーダよ。ちょうどいいから街まで送ってあげる。真っ直ぐ行けばわりと大きなところがあるから」


「それはありがたいです。よろしくお願いしますディーダさん」


「こちらこそよろしく―――っと! ……こっちもその方が都合が良いしな」


「え?」


願ってもない申し出に私が礼を言うと、ディーダさんはふと目を細め手近な樹の幹に着地してから振り返りざまに腰の剣を抜き飛んできた矢を薙ぎ払った。そのせいで、私は彼女の言葉尻を聞き逃してしまう。


「いいえ。何でもないわ」


ディーダさんはそう言うと、ヤトの方向にたんっと飛び上がった。

そこでふと今まで全く意識していなかった違和感に気がつく。


今更な話だがなぜ言語が通じているのか、という点だ。


私は終始日本語で話しているというのに、ディーダさんには通じているし彼女の言葉も普通に理解出来ている。


どうなっているんだろうかこれは。あれか。異世界転移でよくある神様的要素で自動的に言語変換がなされているのだろうか。神AI的な。

だったら出て来い。たわけた神など仏様に代わって成敗して破壊し尽くしてくれるわ。


こちとら仏教だぞ。


「百面相してないでヤトに乗って。たてがみ掴んで離さないでね。落ちたら確実に死ぬから」


「承知しました!」


「よし。そぉらっ」


「わあっ!?」


そんなことを考えていたらディーダさんに三本足の巨大黒鴉ヤトへ向かって放り投げられた。ヤトはお利口にもディーダさんが飛んだ方向の落下地点に合わせホバリング状態で待機しており、そこに私がぶん投げられたのである。無論パニックだ。


履いているパンツスーツのお尻がぽすんと音を立てて黒く光る羽毛の上に落ちる。が全然痛くない。素敵。

扱いは雑にもほどがあるが。そんなことを言っている状況ではないので仕方がない。


「ヤト、悪いが全速力で頼む」


続いてディーダさんは軽々とヤトの背に飛び乗り私の背中側に座ると、腰元についているポーチから長い紐を取り出し手早く黒い首に引っ掛けた。手綱だ。


「ぎゃおう!」


「うおっ!?」


ディーダさんの声掛けに大きく返事を返したヤトは雄々しい両羽をバサリと翻し、空高くへと飛翔した。その反動で落っこちそうになった私は慌ててヤトの羽を引っ掴んでしがみついた。矢が飛んでくる音がどんどん遠ざかっていく。


「―――まだ殺られてたまるかよ」


「おおお、落ちるっ! ってディーダさん何か言いました?」


「別に。ねえ、レイナ。貴女アタシがエルフだって気づいてる?」


一瞬不穏な単語が聞こえた気がして尋ねたけれど、話題を変えて誤魔化されてしまった。しかも、ディーダさんはおもむろにそんな話をし始める。


ええもちろん気づいておりますよ。だってお耳が尖っておりますもんね。金髪碧眼美女ってくればこりゃあ○ードス島ですか? とでも言いたくなりますよねオタクとしては。永遠のエルフ美女として日本史に名を刻んだ女神様を忘れるわけがない。


「お耳の形でそうだろうなとは。やっぱりエルフの人って美人が多いんですねえ。眼福です」


「美人って……そっか。貴女別の世界から来たって言ってたものね。なら知らないとしても不思議ではないのかしら。それとも演じてるだけかしらね?」


「演じる……子供時代の演劇では切り株の役しかしたことないですね」


「それは気の毒ね……」


ああ青春の古傷が抉られてしまった。仕方がない。私という存在はあの愚兄のせいでとにかく気配を殺そうと必死だったのだ。おかげでついたあだ名が黒子。ほくろと同じ漢字で呼ばれる身にもなってほしい。


ともあれ、ヤトが高く飛んでくれているおかげか、地面から何本も追いかけてきていたはずの光の矢は一本も見えなくなっていた。あれは一体何だったんだろう。先程ディーダさんが一瞬見せたのと随分似ているけれど。


聞かないのも変かと思い、思い切って先ほど耳にした単語のことを含め聞いてみることにする。


「言いたくなければ良いんですけど、ディーダさんは追われているんですか?」


「……ちょっと厄介ごとを抱えててね」


数秒だんまりをしてから、ディーダさんはそう答えてくれた。


けれど顔はこちらには向いておらず、真っ直ぐヤトが飛ぶ方向、つまり空の彼方へと視線は注がれている。


やはり美人だ。だが時々どこか違和感を感じるのはなぜだろうか。


私は愚兄とそのオタク仲間達、あんどとある事情のために男性全般が苦手なので鼻は良い方だ。だがディーダさんはどこからどう見ても絶世の美女である。なにしろ巨乳だし。スイカが二つお胸についている。肩は凝らないのだろうか。


私もD程度はあるが背中に大陸移動しかけているのでパッと見はBくらいにしか見えない。寄せて上げるエンゼルなブラは私のエンゲル係数では無理なのだ仕方があるまい。


「レイナ、貴女が別の世界から来たっていう話、今は一応信じてあげる。まあ半分くらいわね」


「あ、ありがとうございます!」


それから、ディーダさんは道すがら(空すがら?)この世界について教えてくれた。


まず今私がいる国がヴァースと呼ばれていること

大地には海や森があり、環境においては現代の地球とよく似ているらしいこと。


ただ衣食住を営んでいるのが人間の他にエルフ族、獣人族、妖精族などで、他に昨日のケルベロスのような魔物など多種多様な生物が存在していることなど。


「―――人間の街には騎士団があるから、さっきみたいな魔獣に襲われることは滅多にないわ」


「それは安心しました。次会ったら確実に死ぬ気がしますし」


「あのくらいならアタシが倒してあげるわよ」


「マジですか。ディーダさん女神。最高。嫁にしてください」


「嫁って……そういうことを軽々しく言うもんじゃないわよ」


私の立候補にディーダさんはなぜかしゃくとり虫でも噛み潰したような渋苦い顔をした。そんなにおかしなことを言った覚えはないのだが。


にしても美女は心意気も美しいようだ。もし私に百合属性が合ったら惚れていたかもしれん。だが百合は花である。花は愛でるものと相場が決まっているのだ。


と、まあこうして、私とディーダさんの短い旅が始まったのであった。


―――ついでに。


これは私的余談だが、巨大犬型生物とその子犬版を倒してくれたのはディーダさんですか、とか、一体誰に追われてるんですか? とかの最重要な事は、今は聞くとまずい気がしたので、置いておくことにした。

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拝啓、兄上様! 国樹田 樹 @kunikida_ituki

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