第8話 アーティファクトは大抵取られる


「まぶしっ!」


目覚めて一番、口走ったのがこれだ。


瞼に真っ白な光が突き刺さり、思わず起きた私は燦々と輝く朝日に「目があああ」状態になっていた。


普段は日が昇らない薄暗いうちに出勤し、帰りは時計の針が日付変更線を越えてから帰宅していたため、生まれたての朝日にはあまり耐性が無いのだ。


「あれ、生きてる……」


上半身を起こした私は自分の身体が地面の上で寝そべっていたことに気付き、首を傾げた。


いつの間に樹の上から降りたのだろうか。全く記憶がない。

だが私の目の前には鬱蒼と茂る森の樹々の根本が並んでいる。

どうやら時間もかなり経過しているようだ。


目を閉じる前は日が暮れ始めていたのに、今は朝日が白い線となって樹々の隙間から差している。


つまり夜を越した、ということだ。その間、私は意識を失っていたことになる。

上から落っこちたなら死んでいるはずだが、触覚嗅覚共に正常でしっかり生存しているのはどういうことか。

樹の幹にぶつかりながら落ちてきたのだとしても、むしろ身体に痛いところなど全く無く、そこで「はて? 手の甲の傷はなぜ痛くないのか」と改めて思い出した。


「これって……」


右手をまじまじと見てみれば、そこには白い包帯が巻かれていた。無論私の所持品ではない。

だって着の身着のままでバッグも玄関に置きっぱなしだったし。


では、これは一体誰が?

そう思った時。


「―――あら、起きたのね」


さく、さく、と草を踏みしめる音に振り返れば、私の背後に身長二メートルはあろうかという長身の美女がいた。


それも金髪碧眼の艶やか美人だ。豊満な体格は少々マッチョだし髪型はウルフカットでややワイルドだが、それを差し置いても【絶世の】が十分似合う。

年齢は二十代後半といったところだろうか。


「び、びじん……!」


「ん?」


朝日に輝く美女は私の返事に片眉をくんと押上げ怪訝そうな顔をした。


「いえっ! あの、もしや貴女が、これを……?」


状況的に彼女だろうと推測した私は己の右手を掲げてみせた。つまり白い包帯が巻いてある方である。


「ええ、そうよ」


金髪碧眼マッチョ美女が頷く。


顔貌が彫刻のようだ。こんな表現、まさかリアルで使うことになろうとは。

しかも、美女のお耳が尖っていることから私のファンタジー知識的にエルフのお姉様だと推察する。同じ名称がここでも通じるか否かは別として、長い耳に真っ赤な雫型ピアスがぶら下がっている様はまさしくファンタジー世界の住人である。


服装はレンジャー、もしくは狩人を思わせる雰囲気で、濃茶のフード付きマントに皮の肩当て、首元まである黒いロングシャツを腰元の太い皮ベルトで締めており、シャツの裾から伸びるすらりとした長い脚は茶のズボンとロングブーツに覆われていた。

腰元には他に幾つものポーチが付いた細いベルトが巻いてあるが、何かの道具入れだろうか。


あとはマントでほとんど見えないが、きゅっと締まった右腰の後ろに覗いているのは恐らく剣の柄だろう。


「ありがとう、ございましたっ!」


私は手当してくれた恩人にその場で三つ指ついて頭を下げた。

人間礼儀は大切である。

特に刃物を持っている相手には。


「いえいえ。無事みたいで良かったわ」


美女はにこりと微笑んで私に手を差し出してくれた。颯爽とした姿は、さながら森の番人だ。


見知らぬ女を助けてくれるとは親切な美女である。そのうえ目の保養にまでなってくれるとはサービス精神旺盛ではないか。まあ今のところは、だが。


差し出された手に応えるか否か、一瞬悩んだがひとまず素直に従った。

丸腰の私ではそうするしか術がなかったとも言うが。

だが私という女は、愚兄の妹という生まれからして割と不運な質であるからして。


どっこいしょ、と美女の手を借りなんとか立ち上がった絶妙なタイミングで、あろうことかスーツの上着ポケットに突っ込んでいたスマホが鳴りだした。

さわさわと風の吹く森に聞きなれたタラリラリラン♪ という電子音が響き渡る。


途端、美女が碧眼をすうっと細めた。


同時に私の身体が金縛りにあったようにびしりと硬直する。

空気の温度が一気に絶対零度まで下がった気がした。

ざあっと頭の中で血の気が下がる音がする。すなわち悪寒だ。


っていうか掴まれた手が痛いいただだだだ!


「いっ……」


悲鳴を上げた私が顔を顰めた瞬間、美女が目にもとまらぬ速さで私のスーツのポケットに左手を突っ込み中の物、つまりスマホを抜き取った。


何という早業。凄腕のスリか。神速の五平とかそんな感じか。


「奇妙な代物を持ってるわね。あなた、何者?」


冷たい声に首筋がヒヤリとした。

金髪美女は鋭い視線を私に向けたまま、スマホの画面を見せている。


っておい、メールの返事が来てるんですけど。まじか。愚兄に届いたのか昨日のメール。ならば今すぐ見たいお願い返して。


だがそうやすやすと返してはくれなさそうだ。美女は私の手を掴んだままぐんと上にひねり上げていた。おかげで私の足はぶらんと宙に浮いている。逃亡を阻止するためだろうが全体重が右手にかかっているせいで手首めっちゃ痛いちぎれる……!


「っぅ……」


「答えなさい。じゃないとこのままへし折るわよ」


美女がぐっと掴んだ手に力を込めた。すると私の手首がみしりと嫌な音を立てる。あ、折れる。これ絶対折れる。


金髪美女の表情はまさしく氷のようだ。完全に私を敵と見なしている。今逃げたら十中八九殺されるだろう。

眼光鋭い美女の視線にそう感じた。


それと顔がものすごく近い。美人の殺気顔とか背筋が凍る。

ウルフカットな髪型は前髪だけアシンメトリーなんですね、とかどうでもいい感想を抱きながら、私はこの事態をどう切り抜けるべきか脳をフル回転させた。


その間にも手首に激痛が走る。折れるぞほんとに。

もう何で私ばっかこんな目に合うんだよ。いい加減にしろよ。

そう内心逆ギレしながら涙目で口を開いた。


「っわ、私はっ、麗奈、です……!」


「レイナ?」


不審者ではないと伝えるためにひとまず自己紹介を試みる。

何者かと言われても私に答える術はない。まだこの世界に来て一日やそこらの異世界人なのだ。だからまずは名前を名乗り、個人情報を相手に与えた。


偽名かもしれないと思われるだろうがそこはそれ、この世界で名前がどんな意味を持つのかも知らないけれど、今は正直に伝えた方が良いと本能的に察知したのだ。


「そう、です」


「ふうん。で? 一体どこから来たの。それと、おかしな代物を持ってる理由は?」


私の判断はどうやら正解だったらしい。美女は少しだけ手の力を緩めてくれた。


痛いけど。それでもやっぱり痛いのには変わりないんですけど痛い痛い骨が折れるって。


「事情があるんです……!」


まだ明らかに不審がられているし今にも抹殺されそうではあるが、仕方ないのでこのまま事情を説明することにする。まずは人畜無害であることを理解してもらわねば。


だって死にたくないし。まだうら若き乙女だぞこちとら。いや言うのはタダだからそこは許せ。


っていうかパツキンエルフさんいつの間に私のスマホご自分の腰ポケットに入れたんですかね?


気づけば美女の左手からスマホが消えている。受信画面でメールの頭くらい読ませてほしかったのに。

しかも代わりといってはなんだが、彼女の左手には見覚えのある光る矢が出現していた。

それたぶん昨日見たわりとエグい威力のやつですよね。

魔物オンリー効果じゃないんでしょうか。人間にも効きそうなのが嫌な感じです。


「ええと、あー、その……信じてもらえないと思うけど、仕事から帰って兄の部屋に入ったら、気付いたらこの世界?にいて……それであの、魔物? っていうか化け物? みたいなのに襲われたのでここまで逃げてきました」


私はバカ正直なのでそっくりそのまま全部ゲロってみた。というより今少しでも嘘を付いたらすぐさま殺される気がしたのだ。これで伝わるのかどうか疑問ではあったが、事細かく説明できるほど心理的に余裕が無いのだから仕方がない。


「はあ? アンタふざけてんの?」


「っ……やっぱ、そう思いますよねー……」


私の極簡単な自己紹介に、美女は嘲るような笑みを浮かべ、そしてぶわりと恐ろしい殺気を放った。


一気に産毛が逆立つような感覚に襲われる。あと寒気だ。腹の底あたりからゾワゾワする。手がみしみしいってるし。折れる寸前だ。

たぶんこれこれ死ぬな私。死ぬ絶対死ぬ。生物としての本能がそう言ってる。


最早遠い目をするしかない。さらば私の人生。短き二十数年の年月よ。最後は三頭犬に食い殺されるのではなく美女に始末されるならばまだ本望だろう。

一触即発の空気に感じるのは諦め以外の何ものでもない。


だが真実なのだから仕方がない。どうせ死ぬのなら、と私はやけになってこれまでの経緯を詳しく美女に話してみることにした。


「いや本当、自分でも信じられないんですけど―――」


***


時間は五分とか、その位だったと思う。


「……全部鵜呑みにするほど馬鹿じゃないつもりだけど、貴女のその、仕事の話はやけに鬼気迫っていたし、それにこんな代物は確かに見たことがないわ」


「あはは……」


私の話をすべて聞き終わった美女は、碧眼にはっきりと疑惑を浮かべていたけれど、それでも先ほどよりは殺気を抑えてくれた。それと、すでに感覚の消えている手を捻り上げるのを中止してくれた。


よし。ひとまず生き延びたぞ。


ちなみに彼女の言う仕事の話、というのは私が毎朝六時に家を出て深夜一時以降に帰宅しているという話だ。


その原因となっているパワハラ上司についてつい熱く語ってしまったのだが、それが功を奏したらしい。


「ねえ、これどうやって使うの?」


言って美女は腰のポケットから取り出したスマホを私に返してくれた。

だが受け取りつつ見えたのは、彼女が後ろ手に剣を構えた仕草だ。


うん。見えてます。見えちゃってますよ鯉口切れてるのが。ああ見せてるんですねわかりました。


「これはスマホって言うんですけど、こうやって私の指がここに触れると起動するようになってるんです。で、えーと、ああそうだ。このアプリを押すとカメラが起動して……こうやって、外の景色が撮影したりできるんですよ」


説明がてらカメラアプリを起動して周囲を写してみる。

今はひとまず愚兄のメールは後回しだ。命が最優先である。


「かめら? ……本当に景色が映ってるわね」


すると金髪美女がスマホ画面を覗き込もうと私に顔を寄せた。すると彼女の金髪の毛先が頬に触れた。

途端、何やら華やかな香りが鼻を掠める。何の匂いだろうかこれは。昔どこかのブランドで出ていた鈴蘭の香水に似ている気がするけれど。すごく良い香りだ。つけている本人はちょっと怖いけど。

しかし、驚くべきはそれだけではなかった。


うわっ鼻高っか! 

しかも睫毛なっが! 目もきらっきら!


ガラスの◯面か! 八十年代の少女漫画かあんたは!


美女は本当に美女だった。肩より少し長い金髪は毛先だけが緩く波打っていて、除く横顔は白い肌のきめ細やかな彫像の如し。金髪碧眼の美女、という文言がここまで似合う人はそういないのではなかろうか。


ただスマホを見つめる瞳は純粋な青ではなく碧がかかった青だ。森と空が混じり合ったような不思議な風合いである。


これで骨格が華奢なら現代日本で一斉を風靡した某ファンタジー小説に出てくる金髪エルフ激似なのだが、いかんせんこの美女はややマッチョである。胸にはスイカが二つあり、肩もいかり肩でがっしり体型だ。わかりやすく言えばアマゾネス風だろうか。どっちにしても格好良い美女である。


とそんな感じで私が美女の美女ぶりに感心していると、美女は興味深そうにふむと考えこみながら、剣の柄に当てていない方の左手の指でつんつんスマホを突っついていた。

ナニコノ可愛い生き物。


「やっぱりどう見ても奇妙な代物ね。でも魔力は感じないし、危険でもなさそうだけど……ねえ、他にどんなことができるの?」


どうやら美女にスマホは刺さったらしい。私はぽちぽち画面をいじりながら、いくつかのアプリのマークを指差し説明した。標準装備されているメモアプリを起動し適当に文字を入力してみる。


「えー……こうやって文字を書いたり、他には遠くの人と話をしたり、ですかね。今は事情があって使えないので、ただの板同然なんですが」


一応説明はここまでにしておく。他にもライトだとか録音とかあるけど、すべて説明するのは危険だと判断した。メール受信ももちろんである。


助けてもらったとはいえ、初対面には変わりないのだし。あと殺気すごかったし。さっき殺気すごかったって駄洒落か。


「ねえ」


「はい」


「これ、アタシに預けてくれないかしら」


美女は美し過ぎるご尊顔を向けて、しかし全く笑っていない目でそう告げた。

ちなみに、口元も無表情だ。


ああうん、これは拒否すればバッサリいかれるやつだろうか。だが渡してしまうと、唯一の連絡手段を失ってしまうことになる。何かわからんけどメールきてたし。まだ見えてないけど。


ああどうしよう。これどうするべき?


でもよくよく考えればこの美女さん、私のこと助けてくれたわけよね?

ってことは根は善な人? 西の善き美女? 現れたの西からだったし。


私が一人うんうん逡巡する間、金髪美女はこちらを見定めるようにじっと碧眼を向けていた。


そんなに見ないでほしい。美人の視線は照れるのだ。

ってふざけている場合じゃない。こうやってちゃらけて現実逃避しようとするのは私の悪い癖だ。技を会得したのはまあアニメやゲームの影響だが。主に横島な忠夫だ。


さておき、結局はそう選択肢もなさそうなので、私はスマホを金髪美女に差し出すことにした。


命が惜しいので献上するのだ。アーティファクトは大抵お神に取られるものなのである。

粛清怖い。


私がスマホを両手で美女に差し出すと、女性にしてはやや大きな手のひらが既に待ち構えていた。

なのでそっと上に置いた。さらばスマホ。わが苦楽を共にした友よ。そう心で別れを告げる。


すると、なぜか美女さんは一瞬無言になった後、腹の底から生み出したような盛大なため息をかましてくれた。

いやなんでや。


「はあ〜っ……アナタ馬鹿なの? 何さらっと渡してるのよ。大事な物なんでしょう? 話からするに、元の世界との唯一の連絡手段なんじゃないの、これ」


「そうなりますね」


「あのねえ……受け取ったアタシがアナタを殺すとは考えなかったの?」


要望通りにしたというのに、美女は何がお気に召さないのかややぷりぷりしながら呆れた目で私を見た。


いやわかってますわかってますよ。見ず知らずの相手の言いなりになる私が馬鹿に見えているんですよね。でも根拠がないわけでもないのですよ。


「刃物を持っている相手に逆らった所で、私が勝てるとは思えません。それに、お姉さん助けてくれたから。放置しても良かったはずなのに。だから、大丈夫かなと。昨日の光の矢は貴女でしょう?」


「……」


理由を話せば美女は急に黙り込んだ。


お願い無視しないでください。あとじっと見るのやめてください照れるし穴が空きそうです。


「はあ。もう、危なっかしい子ね」


「あはは……」


苦笑してそう言われたので笑って誤魔化せば、胡乱な目をされてしまった。


仕方ないじゃないか。こちとらこの世界歴まだ二十四時間未満ですよ。


「それで、これからどうするつもりなの」


美女が私のスマホを腰元のポーチに入れながら言った。


「これから」


ちょうど先ほどまで考えていたことだったので、私はついオウムの如く彼女のセリフを繰り返した。が特に嘘をつく必要はないので正直に答えることにする。

知らない場所に来た時の人の行動なんて大抵同じだろう。


それに実のところどうにかして彼女にお世話になれないだろうか、という汚い打算もある。


三頭の犬がいる時点でかなりファンタジーな世界だし、ちょっと前に魔力とかいう単語も聞こえたし。


「ひとまず村か町を探そうかと思ってます」


なので案内してくれませんかお願いしますついてきてくださいまたあのモンスターらしきもの出たら死ぬので私。と念を込めて伝えると、美女はふむ、と一度頷き碧眼をきらりと輝かせた。


「まるきり馬鹿ってわけじゃないのね」


「あ、あははー」


ふ、と微笑を浮かべた美女の破壊力は凄かった。彼女はがしがし、とどこか男っぽい仕草で金髪を引っかくと、肩を竦めて顎をくんと上向ける。


「何だか貴女放っておけないし、仕方ないから―――」


と、美女が続けようとした時だった。


「危ない!!」


「ぎゃあっ!?」


『私達』の頭のすぐ横を何かの物体が通り過ぎた。

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