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8/3 11:50 F市内喫茶店・「温故知新」


「こちらが依頼を頂いていた件についての資料となります」

 喫茶店というのは、静粛でさえあれば個々人のプライバシーが追及されず、席間の衝立などにより一定の視線の保護が保障されているため、対話などの場として扱うのに非常に好都合である。無論、若い世代が使うような安っぽい場ではそのような気遣いは望むべくもないが、生活圏を外せば知人と会いにくいというメリットも見込まれる。今回の依頼人は、そういう点でこの店を指定してきたのだろうと分かる。中身がシロである証拠なら、まあよかったのだが。

「……やはり、ですか。覚悟していましたが、こうして突き付けられると哀しいものですね」

「残念な結果ではありますが、弁護士の紹介や追跡調査などで必要があればお引き受け致しますのでご連絡下さい」

 私は依頼人の鎮痛な面持ちを見る趣味はない。引き止められない限りはこのまま立ち去ることが正解だと知っている。それに、私の動向をあらぬ形で勘繰られても困る。私を相手にそれが出来る人間は、少なくとも市内にはいないだろう。伝票を引っ掴み、席を立つ。

「お店を出るなら30分ほど空けてください。それと、旦那様にお伝え下さい。『交友関係を10日以内に改めなければ通報対象になりますよ』、と」

 ご婦人が何を言われたのか、と理解の出来ない表情をしている。旦那の不倫を信じたくなさそうだった態度といい、この人は性善説のなかで育ったのだろう。純粋培養の箱入り娘かもしれない。専業主婦と聞くので、さもありなん。

 支払いを済ませ喫茶店を出ると、右に一歩踏み出し、十手を抜いた。ジャケットで動作を隠した状態で、縦に並んだボタンの下を押す。

「が……っ?!」

 後ろから響いたくぐもった声を無視し、ボタンをもう一度押す。後方に飛んだ十手の根元が、相手の体を打ち据えたのだ。チェーンが引き戻されるのを待たず、私は声の主の居る場所へと十手を横薙ぎに振るった。

 何もない場所からの苦鳴、そして見たこともないような武器を振り回すスーツ姿の男……周囲の一瞬の動揺はしかし、私の顔を知る一部の人間がああ、とスルーを始めると「空気を読んで」一斉に動き始めた。人は周囲に流されるし、私を知る人間は日常としてスル―する。便利な世の中だ。

「お前、どっかの組の下っ端か何かだな。透明化が使えれば、パパラッチのし放題、証拠の横取り、姿を見せないで強迫何でもござれ……とでも思ってたんだろ? いけないなあ。カメラ出しな」

「誰が、っ!」

 胸元を踏みつけられた姿勢ですら、男は何かが出来ると思ったんだろう。素早く抜いたナイフは、十手で脇に弾き飛ばす。手首が折れたかもしれないが、知ったことじゃない。

「出すのはそれじゃねえよ。証拠のカメラ出せつってんだよ。そうだなあ、警察に突き出す前にあのナイフで私が傷ついちゃったら、あと何回かブッ叩いても正当防衛になるのかもなあ? その前に、あっち見な」

 手の痛みと追っ付けで強迫される恐怖に震えた男は、言われるがまま顔を向けた。悪魔憑き用のセンサーカメラに。

「……あ、課長。今そっちでセンサー作動したと思いますけど見えてます? 強迫未遂と個人情報保護法違反、その他累積犯です。あとは……っと、やっぱありましたねぇ、バッジ」

「ご苦労様。証拠品は押収後、君に関連したものは開示しよう。今、最寄りの交番から人を手配している。到着前に祓ってしまって構わんよ。その組は重監視対象だったが、がさ入れの許可は下りるかな……少し日を跨ぐかな……」

 センサーカメラは世間一般に無数にあるが、登録済みだったり法の下に忠実な悪魔憑きには反応しない。おまけに、光学・その他隠蔽系相手には万能ではない。ので、こうして満天下に晒して違法であると認識させるのも外部執行官の仕事だ。というか、自由業の人相手とはいえ、対悪魔憑き用装備を公然と使ったのだからアリバイ作りが大事なのだ、私も。

「では、遠慮なく」

 いまだ足の下で喚く男の顔に手を当て、感覚を一と同期する。男の精神に絡みついた下級悪魔の存在を指先に掌握すると、糸くずを引きはがすように手を引いた。男から離れた指先には、引き剥がされたことを信じきれない悪魔が喚いている。が、それは瞬間、地面から伸びてきた不可視の影に掴まれ、諸共消えていった。

「お疲れ様です、ご協力ありがとうございます! あの、ナイフで襲われたと聞きましたが!」

「うん、そこに転がってるナイフでね、刺されそうになってちょっと抵抗したから、この人の手が怪我してるかもしれない。何かあったらここに。ちゃんと出頭しますので」

「わかりました! ありがとうございます!」

 課長の言葉通り、すぐさま応援が駆け付けた。赴任して間もないのだろう、はきはきとした言葉で応じる態度は新人らしい初々しさに溢れている。名刺を渡しておいたが、多分事情は知られているから大丈夫だろう。

「はいはい、こちら所長様ですけど、どうしたね麗」

『回りくどいよ、おじさん。えっと、例の旦那さん。結構なお金を渡してたから多分、奥さん経由で忠告しても遅いかなって』

「いつ受け渡ししてた? 額は分かるか?」

『今日。大体10時頃に。額ぅ? ……写真じゃわっかんないなあ、一本百万円はありそう』

「……なるほどなるほど。私は一回家に帰るわ、フル装備でちょっと乗り込んでくる」

『大丈夫なのそんなことして!?』

「課長がガサ入れには日が空くっていうし、依頼人がそれで拉致られたら面子が潰れるし……私の噛んだ案件で好き放題した報いぐらいは貰っておこうかなって……」

『おじさんが捕まらないでよ?』

「そっちかよ、少しは心配してくれよ」

 今から一人で殴りにいこう。一緒に殴りに行ってくれる人はいないのである。

 あーあ。奥さんから追加料金取れないからこれは相手からふんだくるしかないな。

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