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 2022/4/21


 事務所とホテルの一室が壊れ、市内で開催予定だった譲渡会イベントを潰し、おまけに死者まで出してしまった悪魔憑き事案の発生は、世間をちょっとだけ賑わせ、地元紙の三面記事の隅を数日間占拠した。

 探偵事務所は扉の交換と室内の補修、それと渡会を殴った時にできた廊下の損壊の補修で数日間の休業を要した。

「桜散っちゃったよ、おじさん」

「そうだな」

「花見、行けなかったね」

「お前を預かってから8回? 9回? 春が来たけど時間割いて見に行った覚えないな。友達と行けよ」

「10年前に友達に裏切られてから友達作れなくて」

「そうか」

 右腕に包帯とギプスを嵌めた私と、ソファ横に松葉杖を置いた麗とは、春の日差しを受けながら開店休業状態の事務所で黙々と事務作業に従事していた。

 思考の中では恐らく、互いの悪魔が喚いているのだが聞こえないものはわからない。尤も。

『レンタカーでも借りた方がいいんじゃないか相棒。埋め合わせしろって意味だぞ』

『じゃあアスレチックランド行こうぜ、動きたいんだよ。いいだろマコト』

 ここぞとばかりに一と二が主張してくるが、埋め合わせってなんだよ。そもそも麗はあれで社交的だから友達はいるにきまってる。多分『満開の時期に歩けないんだけどどうしてくれるの、傷病手当よこせ』って意味だと思う。

『お前らが私の主導権奪って書類終わらせてくれるならな』

『ちぇー』

『ちぇー』

『代わる気ねえのかよ』

 こいつら、引き下がり方がセコい。埋め合わせも何も二匹の趣味じゃねえか。

『…………』

サブは最後に働いたからな、仕方ないな』

『あっ、相棒三にだけ無駄に優しい!』

『ずるいぞマコト!』

『うっせえ、あれがなかったら俺は今頃拘置所にいるわ!』

 そう、あの夜。私は間に合わなかった。

 少なくとも、卜部 瑠香の正気を取り戻すことは永遠にかなわなくなった。それでも死なせずに済んだのは、ひとえサブの能力によるものである。

 それはよしとして、どういうわけか10日夕方、渡会某が川に浮いているのが見つかり、検死結果から季節外れの川泳ぎではないことが明らかになった。

 猫又達はその殆どが家や家族、居場所を覚えていたのでそれぞれのもとへと帰っていった。ホットエピック社によって飼育されていた猫又のミックス、つまり普通の子猫達は信頼のおける譲渡団体が大喜びで引き取っていったそうだ。当然、数団体に分散して飼育崩壊を防いでの結果だが。

 ミケは当然ながら綺羅々ちゃんの家に返したが、その際に抱き着かれたせいでヒビが入っていた右腕は完全骨折へと移行してしまった。

 麗は碌な訓練も受けてないのにぶっつけで数kmほどの追いかけっこを強いられたせいで筋肉痛と心肺の疲労で歩けなくなり、松葉杖とネットスーパー(と対策課の女性職員)と仲良しの日々。

 そのうえで、真っ当な飼育と譲渡サブスク契約を営んでいたと認識していたホットエピック社代表社員(社長)の方からはそれなり以上の慰謝料と依頼完了報酬をふんだくっておいた。可哀想に、会社は倒産だろう。

「ちょっと、あれだけ大立ち回りさせて何もなしは可哀想だと思わないのぉ? せめてお手当弾みなさいよぉ。たっぷりガメたんでしょ? お役所からも」

「そりゃそうですけど、直ぐに清算できないんですよ、経理がいないから脱税が怖くて」

 ホットエピック社から報酬をせしめた理由は、当たり前だがマリーの確保にある。

 口約束ではなんなので、ちゃんと契約書を書かせたのが正解だった。卜部は正気を失ってるし、この場合雇用主が払ってもいいはずだ。

 ……だが結局、マリーの飼い主は転居済みで捕まらず、結果として当面の間は私の家に居候として住むことになったのである。

「ああ、そっか給与明細書。もう作ってあるんだよ麗。印刷したから持ってけ」

「えっ嘘、初任給って来月じゃないの?」

「契約書と一緒に説明しただろ。ウチは月末締めの当月払い、勤怠に変更有れば翌月清算だって」

「へー。じゃあ有り難く頂きま…………」

 マリーが茶々を入れたので説明が延びたが、つまりそういうことだ。このままデスクワークで月末まで働いてくれれば満額そのままである。

 で、何故か手にした麗の表情が固まった。

「おじさん、ウチって零細事務所だよね?」

「分かってて就職したのお前じゃないか」

 街の優しい興信所なので、料金も優しいが仕事はしているつもりだ。お陰で市内では不倫件数がガタ落ちした。

「大卒の初任給って知ってる?」

「デフレ進みすぎて知らないよ、そんなの。足りなかったか?」

 私の初任給はそもそも役所仕事おやかたひのまるだったし色々手当がついてワケわかんなかった。

「むしろこんなに払っていいの? 潰れない!? 危険手当と成功手当エグくない?! そういえば大学の学費全部おじさん持ちだったわ!」

「……貯金しろよ」

 ので、いつ何が起きるかわからない悪魔憑きは、せめて余裕があるときに余裕を満喫せねばならない。

 そんなことを失踪した前所長が言っていた気がするが、彼は確か私の身分を知らないまま1年足らずで姿を消したんだよな……。

「まことおじちゃん! またミケが!」

「無理だよ」

「無理だね」

「ほっときなさいよぉ」

「そんなぁ!」

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