3-(8)

 時刻不明 意識空間(地獄門)


「……ここは」

 目を開けると、あたり一面の荒野だった。いや、正確には果てのない地下の荒れ地か。この世のものとは思えない暗がりから聞こえてくる風の音は、いくつかの悲鳴を曳いて流れていく。空もなく、異常な暗がりだろうになぜか視界はクリアだ。そこになにがあるの、手にとるように分かる。だから、振り返ったその先にある『それ』の正体に容易く気付く。

「地獄門――?」

「結構、察しが早くて助かるよ、真琴君」

 呆然と地獄門それを見上げた私は、聞き覚えのある声に驚いて後ずさる。俗に『考える人』と呼ばれる像が鎮座するその位置に鎮座していた存在が、明らかに異質な存在だったからだ。人物ではなく、悪魔と単純に呼ぶのも畏れ多い。

 魔界王、サタン。

 地獄門から歩むように降り立った彼は、見る間にそのサイズを増し。見上げる姿は、ゆうに5メートルは超えていようか。頭部に突き立つ雄牛の2つ角、浅黒い全身、しかし裸身ではなく古風な軍服を思わせるその装いは、なるほど王の威厳を語るに十分の威容であった。

「最後に会ったのは何時だったかな。すっかり忘れてしまったけど。しかし君は元気そうでよかった」

「元気……? 地獄の入り口に辿り着いたということは、今の私は半死半生なのでは?」

「ああ、それで問題ないよ。気付いたかい、真琴君? 君がナベリウスを降ろしていた時間は66秒。10%のタイムオーバーだ。君の生命力の8割から9割を差し出してなんとか保つ程度の状態だっただからね。当然、君のカウントミスじゃない。僕がナベリウスに命じたんだよ」

「…………は?」

 意味がわからない。

 神殺限定解除モード・ナベリウスは憑依体の負荷と脳の演算負荷も相まって厳しい時間制約があり、それをオーバーした場合は計り知れぬ身体負荷が想定される。ゆえに秒単位での時間管理を要するが、それを敢えて、ナベリウスが無視して私の生命力を奪ったというのか。あろうことか、サタン様の命で。

「安心しなさい。僕は真琴君、君がまだ死ぬべきではないと認識している。確かに、君が死んだあとはケルベロスは引き続き別の憑依者を見つけて地上での任を続けさせるべきとは思うけど、それは今じゃない。それにグリマルキンか、君の姪っ子はあれをよく制御している。数ある個体のなかでも相当に聞き分けがいいのではないかな?」

「それは、私の次の者に継承させるには時間が足りないという意味ですか? それとも、と?」

「はは、――性急だね」

「余り王を急かすでないぞ、小僧。貴様が性急なのは今に始まった話ではないがな」

 矢継ぎ早に問いかけた私を諫めるように眼光を鋭くしたサタン様の声に応じるように、背後から刺すような、否、もしかしたら何らかの形で貫かれたのではと錯覚する殺気が膨れ上がる。

 その装いは、サタン様のものを簡素化させたようなもの。つまり軍服の類だ。

 カラスの翼を背に装い、カラスの顔。首に提げられたのは3つの犬の頭を模したチェーン、下半身は犬のそれに似る。身の丈は私より、麗よりもきっと高いくらいか。

 そんな悪魔が、首筋に爪を突き立てている。

「……ナベリウスか」

「分かっておるなら静かにせい。それに、王の御前である。頭が高いぞ」

 爪を離し、吐き捨てるように告げられると体は勝手に跪いていた。……そうやって初めて、サタン様の威圧感を全身に浴びることとなる。

「構わないよナベリウス。彼は君の力を借りたとは言えラーフを倒したんだ。極聖体なんて理解しがたい力を使ってまで向かってきた彼をね。それに乗じて地獄送りにしたなんて、僕の人柄が最悪みたいじゃないか。今の彼、んだよ?」

「――――!」

 跪いたまま、言われてその事実に気付く。いまここに居る姿が霊体のそれであれば得心が行くが、そうなると奴らを人間界に置いてきたことになるのか。生命維持は事足りるが、意識は戻るまい。麗は、悠さんは、……淫魔の娘とマスターにはどう説明したものか。

「悩んでいるね、真琴君。安心しなさい。此方で少しの間『用事』を済ませてもらう必要があるけど、それもこれも君の為だ。その理由も含めて、ちゃんと話すよ」

「そもそも何じゃ、儂の憑依時間が60秒とは。貴様が他人の事情を顧みるきらいがあるのは知っておるが、それで自分を犠牲にし続けてきたことのツケがここに来て不利益となっておるのだ。王命を正しく遂行するには貴様は未だ力不足よ。故に、儂が稽古をつけてやる」

 二十年あまりの時間を消費し、あらゆる修羅場を潜って、その上でまだ『力不足』を指摘されるとは……と考える間もなく叩きつけられた課題は、私の思考を停止させた。

「はっ、はぁ?! ケルベロスなしの生身で悪魔と殴り合えってのか? 絶対死ぬじゃねーか! 勝てる訳がねえだろ!」

「馬鹿者。稽古が殺し合いになってどうする。グラシャ・ラボラスの阿呆でもあるまいに。貴様に今更これ以上の知性は求めておらん。まずは徹底的に、戦における『反射』を鍛え上げる。儂の思考速度に体が追いつくように魂に刻み込むのだ。それから、貴様のトラウマを刳り返して克服させる。構わんな?」

「具体的に、期間は?」

「人間界時間で2日。こちらで……まあ数週間にはなろうな。

 当然、貴様は魂だから空腹も疲労も覚えまい。思う存分叩き伏し、戦闘における反射というものを刷り込んでくれる。喜べ、ケルベロスを憑けている時の動きも劇的に変わろうよ」

「いや……なんで今更なんだよ?」

「儂を60秒も喚び出せる痴れ者でもなければ、稽古を付ける前に魂が砕けて消える故にな。それまで20年と少しかかった貴様が悪い。なに、ハイヴィヤにも負けぬように鍛えてやるでな」

「完全にアンタの身勝手じゃねえか!」

 ――と、まあそんなわけで。

 ごめんな麗、悠さん、ケルベロス、そしてマリーさん。

 ちょっとの間、帰れません。


 3話 Angels 完

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