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 5/31 未明 F市総合病院 霊安室


「では、コルラード・マニャーニ氏の死亡は確認されました。後程、死体検案書が発行されますので受け取りをお願いします。ご存知かと思いますが、埋葬でも必要とされますのでご注意を。……大変失礼ですが、葬儀社などの手配はご入用ですか?」

「いいえ、結構。死体安置所や死体処理、死化粧なども聖徒わたしたちで手配致しますので問題ありません。今から私達の関係者が参りますが、差し支えありませんか?」

「い、今からですか!? 随分と急な……」

 久住ジェルトルデは、変わり果てた姿で運び込まれたコルラードの姿を一瞥すると、当直医の当惑の表情に「ええ、今からですわ」とにっこりと笑みを返した。年の頃30半ばの彼女の笑みというのは、本人が想定するよりもずっと悪魔的な魅力を湛えているらしい。対策課絡みで担ぎ込まれた『いくつかの死体』のなかでもとびきりの異常者だったコルラードは、ただちに死体が検められ、末期の膵臓がんと転移による多臓器不全と診断された。

 そして、今に至る。聖徒としてはこの事態は予測できていた為、既にコルラードの墓地候補は確保済み。状況を聞き及んでいた日本支部が、程なくして死体の回収に訪れる筈である。こんなことのために、数少ない埋葬可能な墓地を探しておく手間がかかるのだから、彼は死んでなお迷惑者であるといえた。

「ところで、は現在どのように? 彼は氏の死亡の遠因ですので、委細聴取をとりたいところでしたけれど……」

「そればかりは、守秘義務というものがあります、久住さん。私はコルラード氏の初期対応を行いましたが、その間に別の者が診ているでしょう。それに――」

「それに?」

「いえ、何でも。ともあれ、当面の間はこの病院も忙しくなりますな。警察に聖徒あなたがた、恐らくは『共徒アンブランテ』と『統者ウーニフィア』も絡んでくるでしょうからなあ……おっと」

 この男、随分と口が軽いなとジェルトルデは軽蔑の念を覚えたが、どうやら数日単位でろくに睡眠をとってないのだろう、目の下の隈がじっとりと浮き上がっている。この状態で、聖徒が現れたのだから他の組織も噛むだろうと考えるのは当然の類推で、情報漏洩にもなりはすまい。多分、我々の不祥事を知った時点で目を光らせていた、もしくは不祥事を虎視眈々と狙っていてもおかしくはあるまい。

「聞かなかったことにいたしますわ。私達は飽くまで、彼の回収に来ただけですもの」

 ジェルトルデはそう言って踵を返す。扉を開けば、に身を包んだ一段が彼女に深く頭を下げ、足早に霊安室へと入っていった。


 同時刻 F県警中央警察署 祓魔対策課


 コルラード・マニャーニ(違法憑魔者イリーガル・ラーフ)が死亡した――スピーカーの向こう側から聞こえてきた織絵真琴の言葉は、対策課の面々をして「やはりか」という感想が最初に来た。

 何しろ、事前に収集していた彼の記録を辿れば、普通ならいつ死んでもおかしくない状態だったことが明らかだったのだ。むしろ、悪魔憑きであっても終末期の患者にあっては死を覆すことが出来ないというのが、二十余年の研究でとうに立証された事実である。彼に憑いた悪魔が、よりにもよって不死の逸話があるラーフだったからこその例外といってよい。

 そういう意味で、『不死の悪魔』の定義とは『死という事実の限定的否定』か『死に至る事象の恒久的書き換え』か、という議題について終止符を打ったことになるだろう。

「今まで数多くの悪魔を見てきたけど、そういう意味ではアレはとびきりだったということさ。『カブラカン』に『ベルフェゴール』、『ケルベロス』……あの辺りに並ぶ特異例ってやつなわけだ」

「課長が言いたいのは、つまり今回の顛末は『未必の故意』に当たるのか『死体損壊』に当たるのか、はたまた……って話ですか?」

「うん、近いね。そもそも祓魔法でもこのあたりは想定していなかったから、何らかの形で裁けというのも難しいと思うけどね、私は。既に雁字搦めにしたうえに首輪をつけている獣を、さらに檻に放り込むのは効率的じゃないと思う。そもそも、ここ暫くは彼が在野にいなかったら何件かの事件は後手に回ってたんだから尚更さ」

「……音声記録を確認する限り、本人はそう思って無いみたいですけどね。意識もまだ戻ってませんし」

 深夜の対策課に人がいるのは珍しい話ではない。むしろ、袴田 鼎警視と黒田 八白やしろ警部補の二人だけという状況が珍しいくらいである。五名が常駐している当課に於いて、この状況はつまり別件で担当者達が出払っているという証左でもある。

 つまりそれは、コルラードの一件、ひいてはここ暫くのF県内の事件の手引をしていた『黒石』と名乗る正体不明の人物の追跡調査だ。悪魔憑きであれば、記録に残らないカラクリが不明。悪魔憑きでなければ、対策課ほか公的機関がノーマークな新たな脅威の可能性。どちらにしても、寝耳に水の話ではあったわけだ。

 それを差し引いて、この二人がオフィスに残っている理由は幾つかあるが、総じて『ラーフ』と『ナベリウス』の戦闘記録、そしてそれに前後して成された会話記録の確認にあった。

 そもそも、八白は真琴がナベリウスの能力を開放した姿を見たことがない。代償が重く、普段の能力を大きく上回るとは聞いていたが――傍目にも明らかに異質だ。

 属に『第二態』もしくは彼の言い方を倣って『フー』と呼ばれる状態を突風とするなら、ナベリウスのそれは小型に圧縮された台風に近い。

 ある程度の意思を持っているが、一歩間違えれば天災と化す圧力を覚える。人倫に則っていては扱いきれぬ暴力を感じさせた。

「彼はね、この二十余年の間でナベリウスを喚んだことが片手で数える程しかない。理由は幾つかあるんだけど……単純に、負荷が大きすぎる」

「大悪魔だから、ですか? だとすればベルフェゴールという先例がありますが……憑依体の構成も、一部の大悪魔はあの戦い方をすると聞いたことが」

 鼎の言葉に、八白はふと疑問が浮かぶ。映像には残っていないが、憑依体を体内で循環させる工程は稀ではあるがゼロではない。大悪魔の類であればそうすることも少なくはなく、デメリットも個々人の修練で克服出来ると聞く。真琴自身、成長に伴って修練を積んだ結果、ケルベロスで戦う際の肉体損傷が劇的に減ったというデータが残されているのだ。ナベリウスが常時型ではないのと、理由があるのだろうか? 八白の推論は、しかし全くの別解だった。

「悪いんだよ、相性が」

「……は?」

「ナベリウスは智を司る特性上、憑依した際に人間の脳と彼自身の知識を同期させる必要が出てくる。彼は戦闘で、その知識故に生殺与奪の判断を即時に行い、一撃ごとに現実と思考のすり合わせを行っていく。だから一撃ごとに秒単位で思案する第二態と違い、駄弁も遅れも存在しない。

 だが、その時演算するのは憑依者の脳のリソースに依存する。憑依者の高い知性の他、優れた情操をも要求するということだ。余程の適合性がない限り、そんなものを長時間維持できるはずがない」

「情操……? 適合って、それじゃつまり」

 八白の鸚鵡返しに、鼎は「話が早いね」と笑みを浮かべた。

「黒田君、織絵君は十歳で両親の惨殺現場、その第一発見者になっているんだよ。その後も私達の、そしてサタン様の意向ではあったにせよ多くの修羅場を、訓練も不十分なままに潜ってきた。少し落ち着いて自分と向き合い、自己鍛錬を欠かさなかったと思えばPMC民間軍事会社を持ち込む卑劣漢がほぼ会ったこともなかった義姪を付け狙うと聞かされ、守る立場に立たされた。情緒が終わってしまった自分よりも、未来のある姪の心を守る為に第一線に戻って戦い、先日捕まった第四騎士ペイルライダー相手には人質戦術の前に救えない命も看取ったんだぞ。先程聞いていただろう、君も。織絵真琴という男は、たかだか小学生の時から二度に亘って精神せかいの終わりを見た人間なんだよ」

「……そして、今は自分の命の終わりを見ている。そう言いたいのですか」

「どうだろうね。彼が簡単に、そんなものを見に行く弱虫じゃないことを祈ろう」

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