3-(6)

 コルラード・マニャーニは、優秀な聖徒であった。

 それと並ぶ程度には、鼻持ちならないが実力を持つ堕聖者であった。

 彼が調子に乗ることこそあれ、手を抜いた場面など、この暗黒の朔の夜に誓ってなかったと断言できるだろう。

「何が来い、じゃ。儂を己が手足のように……のう、ラーフよ」

「――極聖」

「遅い」

 だが、予想外の状況への判断が余りに遅すぎた。極聖体の発現余地に、ほんの僅かに遅れてしまったのだ。結果は、悲惨なもの。一足で踏み込んだ織江真琴ナベリウスの放ったアッパー一発で、頭部のみが大きく吹き飛ばされたのだ。だだっ広い礼拝堂で天井まで届きはしないが、しかしその様は不出来な首なし騎士デュラハンめいている。

「チッ」

(不味い……意表を突かれた! だがラーフの不死性は健在、極聖体は完成した! これ以上体)

「がッ!?」

 吹き飛ばされた頭部のみで目まぐるしい思考を組み立てた彼はしかし、肉体から遅れて届いた衝撃に悲鳴をあげる。

「煩いぞ、貴様。儂は無駄な長考と長広舌は嫌いでな」

 足を払われ、無防備な肉体への正中線三連打。床と挟まれる格好で叩きつけられたそれは、常人であれば胸骨含め複数部位の破壊は免れないが、十分に徹った様子はない。やはり聖体とやらは硬いようだ。不死性を獲得したラーフであれば尚更。しかし、そのレベルの聖体と憑依体の混合物――極聖体を殴りつけても平然としている時点で、傍目にナベリウスのもつ憑依体の強度が推し量れようか。

 だが。

「なに、あれ」

 白織麗は、特憑依者であらばこそ、その異常を目の当たりにした。

 

 悪魔憑きというのは原則的に、大なり小なり肉体に憑依体ヴェールをまとっているものだ。これはグレムリンなどの低級悪魔でも、ベルフェゴール級の大悪魔にも言えることだ。悪魔憑き同士が交戦状態に入った場合、その強弱が肉体へのダメージと相関性を持つ。なのに傍目には、ナベリウスのそれはほぼ見えないのだ。

 だというのに、ナベリウスは聖体と憑依体、二重に展開されたオーラを前に一歩も引かず殴り合っている。

 そして、数秒の間に打ち合わされる攻撃はその精度に雲泥の差が感じられた。コルラードは、もとより強かったのが極聖体を得た故か相手を押しつぶし、叩き潰すような動きで。ナベリウスは、関節、正中線、そして急所を撃ち抜く為の戦い方……紛れもなく、真琴の戦い方だ。だが速度と重さが、過去に見た二の憑依戦闘の比ではない。

『まあ、普通は見えないわよねえ』

『「普通は」って何? アレじゃおじさんの体が……!』

『落ち着きなさいなレイ。あれ、体内で憑依体を循環させてるのよ。だから表に出てないだけじゃないかしら』

『出来るの、そんな事?!』

『無理に決まってるでしょ、普通。普通の悪魔憑きアタシたちは外を覆うことで本体を守ってるけど、アレは体内全部に循環させるから必要な憑依体の量が段違いよ。出来ても、内側からの反発力が大きくなるから無計画にやっても剛性ばっか強くなって憑いてる人間の体が保たないわよ』

 ほぼ一瞬、思考レベルのやりとりでグリマルキンからその危険性を説かれ、麗はいよいよ、真琴=ナベリウスの行為の異常性を思い知る。外側を堅牢に固めた極聖体とは真逆の考え方だ。

 しかし――その力の差は、徐々に開きつつあった。

「ゲーティアに並ぶ大侯爵が、力押しばかりとは見掛け倒しだなナベリウス! 虚を衝かれはしたが、ラーフの不死性は些かも」

「長広舌は嫌いだと言ったはずだが? 儂より貴様の方が余程『講釈』であるな」

かせ!!」

 頭部を肉体から大きく離されても平気な顔で喚き散らすコルラードだが、ナベリウスは聞く耳も持たず殴り続ける。肉体の急所という急所を、容赦なく殴り、蹴る。一見すれば痛々しいが、悪魔の特性からは全く意味のない行動……だが、コルラードは数秒後、言葉を失った。自由だった己の頭が、いつの間にか吸い付くように真琴の掌に掴まれている。どころか、肉体と頭部が分離していないのだ。

「何をした――ぁ、あれ? ラーフ、ラーフ!? 貴様何処にいった? 不死の力とやらはどうした、ラーフ!」

「1分ぶりだな、コルラード」

「……おっ、織絵真琴?! ナベリウスは、ラーフは!?」

「もういない。アンタの敗因について講釈を垂れるのは嫌だとさ。ラーフも、さっき祓ったよ。今頃サタン様の御前さ」

 コルラードはここに至って、口調と雰囲気が完全に当初の真琴のものに戻っていることに気付く。肉体を揺蕩う憑依体は残滓のようなもので、生命維持に回すのがやっとといったふうに見えた。そう、生命維持すらも憑依体に回す程度に、彼はこの一分間に死力を尽くしたのだ。

「アムリタを飲み、不死を得て、直後首を斬られた悪魔。なるほど、逸話を聞けば『完全な不死』だと勘違いの一つもする……だがな、首を斬られた時点でその頭部はどうあれ肉体は不滅じゃあないんだよ。ヴィシュヌ様々ってな。悪いがコルラード、俺に出来るのはここまでだ。

「ふ、巫山戯るなよ織絵ッ! 立っているのもやっとな貴様なら、今から私が殺すのが早い! そのうえで私は」

 真琴が踵を返し、コルラードのもとから去ろうとするが、コルラードはそれを機とみて、彼の首筋へと腕を伸ばした。

 だが、その肘が伸び切るよりも先に、その手は己の喉へと向かった。まるで、

「ぁっ、かっ、ハッ……!」

「何が不死性だ。何が癌からの奇跡の回復だ。アンタの主は、世界のバランスを崩してまでアンタ一人を救ってくれるのかよ? いいや無理だね。そんな偽りに縋って、あの優男に下って、ジェルトルデを裏切ったアンタは、俺じゃもう救えない。俺は殺さなかったが、見殺しにするしかなかった。アンタが悪魔憑きじゃなくなりゃ、すぐ死ぬのは誰だって分かってた。……さようなら、そしておめでとうコルラード・マニャーニ。

 荒い呼吸音は、やがてゆるやかになり、最後に深い深い吐息とともに途切れた。

「ああ、畜生……23年も、我慢したんだけど、な」

 そして真琴も、その場に崩れ落ちた。

 麗から見ても明らかに――彼の肉体から、生気が失せつつあるのが見て取れた。

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