13:52

 13:52 織絵個人探偵事務所


 長期休暇が明け、報告が飛び交い、それに伴い追加調査や調査費用の入金確認など。5月末というのは存外に仕事が多いと所長はぼやいていた。なるほど、この仕事量は一人で熟すには殺人的だと悠は感じる。

 不倫に関わる証拠集めは、個人事務所では限界がある。相手が狡猾だったり調査に手間取りそうなら他県の大手に引き継ぐなりするそうだが、市内で起きる事案はたいていの場合、『雑』なのだそうだ。

 曰く『転居・転勤・単身赴任を理由に転入者が増える為、調査の手が及ばないと高を括った者がやらかす』のだそうだ。逆に、この地に腰を落ち着けている者は大抵の場合、真琴が調査に携わった結果崩壊した家族とか、更に遡ると事務所が武装UAVや得体のしれない連中に襲撃された事件をちょくちょく見ている為「あの探偵に関わりたくない」という一心で怪しい動きをしないのだとか。つまり、雑だから証拠が集まりやすいと。

「ウチも色々理由つけて従業員に支払いしてる以上、貰うもん貰わないと潰れますからね。勿論、襲ってきた人達には仕返ししてますけど……ご家族の慰謝料が疎かになったら本末転倒ですからねえ」

 という感じで、クロだったら少し高めに(不倫当事者にふっかけること込みで)請求していると彼は嘯く。今しがた出て行った夫人にも、少し高めに請求した分、多くの証拠と弁護士紹介分をサービスしていたという。悠はふと、それが特にまずいのではと思い至る。

「そのあたりの手口がエグいから刺されがちなのでは……? 調査料込みで慰謝料払うケースが殆どですし、ウチがふっかけなければマシになるような」

「でも、奥さんとか旦那さんとか、依頼者当人が闇討ちされるよりは私みたいな死なないサンドバッグがいた方が何かと発散しやすいんですよ。流石にPMCに恨み買った覚えはなかったので、10年前はちょっと焦りましたけど」

「ああ、だから入居物件がほぼないんですね、このビル……」

 薄々気付いてはいたが、この一言で悠も合点がいった。やたら家賃が安く、テナントがなく、ゆえに改築も補修も入らない。多分、維持費がギリギリ家賃を超えないラインだ。正直、不動産としては健全ではない。なおPMC民間軍事会社とかいうおおよそ探偵が触れることのない単語は聞かないふりをした。

「そろそろ立ち退き要求されるのでは?」

「その時はその時ですよ。流石に対策課からもせっつかれてるんで転居します」

「今更ですが、廃業を考えたことは?」

「そうすると、私が完全に公僕になるか死ぬより酷い目に遭うかの2択ですし、麗が路頭に迷うんで却下ですね。世に不貞の種は尽きまじ、ですので」

 立ち退き即廃業だと就業して早々に失業になってしまうので、悠は存続一択であることに胸を撫で下ろした。多分、麗はクビになっても再就職の芽はあるだろうというのは口にしないでおく。しかし、死ぬより酷い目に遭う、か。多分、所長はとっくの昔にそういう目に遭っている気がするが……。

「ただいまー。おじさんに用があるって人連れてきたよ」

 そんなことを話していると、麗の明るい声が響く。こころなしか声のトーンが高いような気がしないでもない。

「依頼人?」

「違うよ。『聖徒』の人。日本支部の……ええと」

「支部統括理事代理、ですわシラオリさん」

 聖徒エンゲル。祓魔組織としてはカトリック系に属し、プロテスタント系の『共徒アンブランテ』と正教会系の『統者ウーニフィア』とで勢力を三分する集団である。他派閥と異なり過激な面が多く、敵対者を嗅ぎ付ける鼻のよさと容赦のなさは随一である、と教科書か何かに載っていたのを悠は知っている。そんな組織の偉い人の来訪か、と驚く間もなく、所長は席を立った。

「ジェルトルデ・マグリーニ!? なんで日本に残っている!」

「あら、久しぶりなのにご挨拶なのね、マコト。生憎、もうマグリーニじゃないわ。『久住くずみジェルトルデ』、それが今のわたし」

 どうやら、知り合いらしい。しかも下の名前で呼ぶ程度の。久住氏の名乗りに対し、酸素不足の魚よろしく口を閉じたり開いたりしてる様を見るとなんというか、何を聞いても特大の地雷を踏みそうだなと悠は思った。


 閑話 相良悠の困惑 休題

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