3話 Engels

3ー(1)

 2022/5/25 14:10


 ジェルトルデ・マグリーニ、もとい久住ジェルトルデの来訪から20分近く。応接用のテーブルをはさんで、二者は最悪極まる空気のなかにあった。勿論、二者とは私とジェルトルデの間だが。

「ど、どうぞ……」

「有難う、気が利くのね。そこのとは大違い」

「ケチつけにきて挙句結婚アピールかよ、はメスのくせにマウンティングが得意なんだな」

 恐る恐るコーヒーを置いて引き下がる麗に笑みを返し、早々にジャブを振るってくる。だが勝手知ったる相手の手口だ。即座に一発殴り返してやった。引き攣る顔が大変心地良い。

「聖徒がまだこの国で幅を利かせていたとは驚きだな。DPⅠの終戦処理で駆けずり回った挙句、組織内で悪魔憑きが生まれた時といったらなかったな。お前はあの時を捨てたんだったか? いい顔で泣き喚いていたもんだよ」

「アナタもSdP中学生なりの青臭い正義を振り回して何度も痛い目を見たのに、未だにあの犬の手綱を握ってるなんて面白いわね。その結果がその娘とこの事務所とはね。だから

「……え、処女……? おじさん、この人とそういう」

「違う」

「違うわね」

 言葉の端にあがった強烈な単語に、麗は思わず叫びかけた。が、二人そろって否定すれば勘違いだとすぐにわかるだろう。

「処女だ童貞だってのはのことだよ麗。お前、悪魔科履修してたろ。俺のことも聖徒こいつらのことも現代の教科書で見たんじゃないのか?」

「えっと……堕聖者ラプサスっていう聖徒の憑魔者に対して、聖徒が凄い勢いで排除に乗り出したっていう、アレ? キリスト教系三団体は中級以上でも祓うことはできたけど、当事者の命と引き換えだったから普通の憑魔者にも堕聖者にもかなりの死者が出たとか、その時に……」

「うん、まあ。流石に日本の法律の中で日本人無視して暴れ回られたら魔界王サタン様も俺達も、対策室も面目丸つぶれだからな。結果的に、俺も聖徒の何人かを後遺症残る一歩手前までぶちのめしたしはした。『比較的』大人しかったのは統者の連中だった」

 先を促してすぐにその手の歴史をそらんじられる時点で、やはりこの娘は優秀だと思う。専攻してたとしても、遠い昔の歴史と違って近現代史は特に忘れやすいというのに。しかし、改めて思い出しても血の気の引く思いだ。別に暴力を否定する訳でもなく、カブラカン討伐作戦時は最悪殺してでも止める為に命を擦り減らしたが、結局今の今まで、悪魔祓い絡みで人を殺したことは無い。半面、ジェルトルデは違う。彼女にとって聖徒としての任務は絶対であり、最悪の事態も致し方なしという刷り込みが、彼女の理性を食い潰した。結果として彼女は数名の悪魔憑きを殺害しているし、本気でブン殴って止める気でいた。国内法で裁かれなかったのは、悪魔憑きにかかわる超法規的措置なところが大きい。

「……で? もう17年前かそこらを最後に表立ってこっちの邪魔をしてなかった聖徒がコツコツ、コソコソ動き回ってんのは別に驚くことじゃねえし、噂にはなってたけどこともあろうにの事務所訪ねてくるってのはどういう了見だ。嫌がらせでもしにきたのか?」

「ここまで落ちぶれたアナタに追い打ちかけようなんて思わないわよ。探偵になったのは噂で聞いてたけど、悪魔祓いも続けてるんでしょう? 好都合ね」

 やっとのことで本題に漕ぎつけた彼女は、そういって一枚の写真を取り出した。記憶が正しければ――。

「お前が『代理』ってのは、統括理事が堕聖者になったからか」

「話が早くて助かるわ。彼の所在の確保及び悪魔祓い。生死不問」


 5/25 15:20


「堕聖者一人捕まえるのに生死不問、は幾らなんでも大きく出過ぎなんだよなあ……20年前ほど隠れながらだったろうに」

「でも受けたんでしょ?」

「どこに隠し持ってたのか分からんけど、理解できん額の小切手チラつかされて飛びつかなかったらそいつ経営できねえよ。それに、警察に持ってかなかった時点で『殺す』までは考えてない。飽くまで最悪の時を想定して言っただけだ、あれは」

 ジェルトルデが必要なことをすべてぶちまけて出て行った後、私は改めて資料を眺め、色々と調べていた。なまじ適当なところから資料を探すよりかは、聖徒が持ってる情報のが確度が高い。

 日本支部現統括理事、コルラード・マニャーニ。DPⅠに於ける数々の不始末を受けて解体寸前だった日本支部を必死に立て直してきた支部長達の跡を継いだ、そこから3代目の統括理事であるという。

 ジェルトルデは早々に籍を入れたため上に就くことを放棄し、しかしケルベロスと幾度となく対峙して心折れなかった功を以て崇敬の目を向けられていたのだそうだ。家族を持ってなお足抜けしなかったのは、日本に根差したカトリック系信者達にとって、『大流入』以後の心の支えとなった聖徒達がケツ捲って逃げたとなれば信心は乱れ、悪魔憑きに身をやつす、或いはそれらを奉じる者が現れる可能性があったからだという。

 そのあたりは他の2派閥も似たようなもので、限度を超えて周りを巻き込んだ禊をある程度終えてからは、残された者達が国内の協力者として悪魔祓いの許諾を得ているのだ。

 それはそれとして。カトリックであるから、キリスト教徒であるから悪魔憑きにはならない、ということはない。だが、心身が大いに充実している人間が憑かれることも、また稀だ。悪魔憑きになる聖職者は、諸々の出来事が重なり心身何れかの疲労が溜っている、または聖職者としてありうべからざる罪業を抱えているかの何れかが考えられた。

「……でもなあ、悪魔憑き絡みの大きな混乱は8年前に鎮圧してそれっきりだろ? いくら財政難の聖徒だって、堕聖者になるほど追い詰められるか? 支部のリーダーだぞ?」

「私はその辺りの話を存じ上げませんが、過去、例えばDPⅠの頃に明らかに身綺麗だった聖徒ほか団体の悪魔祓いの人達が憑かれたケースはなかったのでしょうか?」

「んー……どう、でしたっけねえ。あの時は猫も杓子も悪魔憑きだ、排除しろって気をもんでいたから憑かれかねない状態だったし、我欲が強かった奴もそこそこ居たから……」

 この平和なご時世に、聖徒の支部長相当の地位に上り詰めた人間が憑かれる、というのがそもそも論として理解できなかった。当たり前だが悪魔祓いとして、そういうものへの耐性は簡単に崩れない筈。だからこそ、DPⅠでの堕聖者の出現はどの勢力からしても驚愕を以て迎え入れられたのだ。

「というか、そのコルラードさん? って今どこに潜伏してるの? それこそセンサーとかに引っかかるんじゃ……あれ?」

 麗は途中まで言いかけて、唐突に言葉を切った。暫く考え込み、首をひねり、何か忘れているような、そんな表情を見せた。その仕草に触発されたわけではないが……そこで、私も同じことを思い出していた。

「……卜部の反応が曖昧だった理由か」

「そうそれ! なんか下級の悪魔沢山憑いてたけどなら反応するじゃんとか、『サプリ紛い』の症候群患者が引っかからないのおかしいでしょっていうか! そういう違和感!」

 異口同音に4月頭の出来事を口にした麗と私は、つまりこの事件になにか第三者がかかわっていること、そしてノーヒントで探すには、日本という国はあまりに広すぎるということに気づく。幾らなんでも広すぎる――いや、違うな。

「俺に依頼されたのと、ジェルトルデがコルラードを追ってきたの、どっちが先だったんだろうな」

「そりゃあ、おじさんはついでじゃないの? 幾ら何でも、ずーっと音沙汰なかった上に昔殴られた男を頼る、普通? 私は頼らないけどなあ」

「そうだよな。じゃあアレか、よりにもよってこの街に潜伏してるってのか。しかも何か得体のしれない連中とつるんでる状態で」

 少年少女は、特撮を見ている時に思った筈だ。「世界の命運を二分する戦いがあまりにローカルで起こりすぎている」と。

 だが、もしかしたら前提から違っているのかもしれない。

 目の前で起きることのスケールが大きいので、あたかも世界を差配する出来事であるかのように思えるのではないか、と。

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