第3話 1組目のターゲット
「まずいっ、遅れるっ!」
数年間付き合い、結婚も考えた彼女とは、一年ほど前に別れを迎えてしまった。原因は全て自分にあると、南塚は今でも思っている。
仕事に打ち込みすぎて彼女との付き合いを
要は、甘えきっていたのだ、彼女の優しさに。彼女がどれほど寂しい思いをしていたかなど、気にもせず。
西川幾与とは、知人の紹介で出会った。
幾与はとてもおっとりとした柔らかい感じの女性で、初めて出会ったその日から、南塚は幾与に対して好印象を抱いていた。
幾与にとっても南塚はそう悪い印象は無かったようで、かれこれもう半年ほど、友人としての付き合いが続いていた。
「
乱れた髪もそのままに、額の汗を光らせながら笑顔を浮かべる南塚を、幾与は穏やかな笑みを浮かべて迎えた。
「南塚さん、お疲れ様」
連絡のひとつもくれれば、多少待つことなど幾与にとっては何の苦にもならないことだ。けれども南塚は今まで一度だって、待ち合わせの時間に遅れたことは無い。
どれほど仕事が忙しくても、自分との時間を作り出してくれている。
それは、幾与にとっては素直に嬉しいことではあったけれども、南塚がどこか無理をしているようにも感じられて、時折息苦しさを感じるのもまた事実だった。
「本当にいいの?チェーン店の居酒屋で」
「うん、今日はそこに行きたいの」
数日前からめっきりと寒くなり、いつの間にかコートが活躍する季節になっている。当然といえば、当然だった。今日から師走、12月なのだから。
街はきらびやかなイルミネーションに彩られ、キンと冷えた空気と相まって、恋人たちの距離を縮める後押しをしているかのよう。
南塚と幾与はまだ恋人という関係性ではなかったものの、この日初めて、南塚は冷え切った幾与の手を取った。
「つめたっ」
「ごっ、ごめんなさいっ!」
慌てて引こうとした幾与の手を、南塚は離さなかった。
「待ってる間にこんなに冷えちゃって」
南塚は、優しかった。
幾与が驚いてしまうくらいに、優しかった。
いつでも、幾与が行ったこともないような素敵なレストランを予約してくれて、とまどう幾与をさりげなくエスコートしてくれる。
その気持ちはとても嬉しいものではあったが、やはりどこかで、幾与は息苦しさを感じてしまうのだった。
「違うの。私もともと、末端冷え性で」
小さく笑って、幾与は素直に南塚の温かい手に冷えた手を委ねる。
そしてそのまま、南塚を案内するように、通い慣れた居酒屋への道を歩き、扉をくぐった。
「美味しいシャンパンももちろんいいけど、こんな寒い日には、焼き鳥をおつまみに焼酎のお湯割りもいいものでしょ?」
温かな幾与の笑顔は、焼酎のお湯割りよりも遥かに体を温めてくれると、南塚は思っていた。
けれども、まだそれを幾与に伝えるのは早いかもしれないと、黙ったまま笑顔で頷く。
もうすぐ、クリスマスがやってくる。
そうしたら。
その日に。
幾与に交際を申し込もう。結婚を前提とした交際を。
ほろ酔い気分で珍しく燥いでいる幾与を見つめながら、南塚は密かにそんな決意を固めたのだった。
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