第40話 私、時間を遡りたい

 静まり返った病室。

 私はベッドに横たわったままいい話題を考えようとしたけど、トラウマのせいかよく考えられなかった。

 ややあって、長い間の沈黙を切り出したのは零士れいじだった。


「な、みおちゃん……」

「んー?」

「キスしてもいい?」

「ええええぇー?」


 と、私は急すぎる展開に戸惑って叫んだ。

 ベッドに身体からだを引くと、術後の痛みが再び訪れてきた。私はたじろいで、目をつむった。

 

「いいよ」


 零士れいじが好きーーいや、だから、結局私は許可をあげた。

 目を閉じたまま、私はキスを待つ。

 零士れいじは緊張しているのか、一分も経ったのにキスがまだだ……。


零士れいじぃー? キスしてくれないの?」

「しまった、遅すぎた……」


 片目を開けると、かなえが戻ってくることに気づいた。


 ーーもう、ずるいわよ……。


希茶きちゃを用意したよ。早速始めよう」


 言って、かなえは病室を囲む白いカーテンを閉めた。

 目立たないためなのか、彼女は希茶きちゃを水筒に入れておいたようだ。


「では、願い事を教えてください」

「……相談までは必要なのか?」

「念のため相談からしよう」


 私は覚悟を決めて、願い事を告げた。


「二時間ほど時間をさかのぼりたい」

「わかった。では、冷めないうちに飲んでくださいね」

「ちょっと待って……。飲んだらかなえの個人事務所に戻るんでしょ?」

「確かにそうだけど、時間を遡ったら病院に行く必要はないし、病室にいないことが発見される前に、わたくしは必ず願い事を叶えるよ」

「なら、お願いします」


 言って、私は水筒を口に運び、希茶きちゃを飲み干した。すると、慣れた瞬間移動が起こった。


♡  ♥  ♡  ♥  ♡


 かなえの個人事務所。

 私は床に倒れたまま唸り声を出した。

 床の冷たさが頬に伝わってきた。

 かなえは二時間前に戸締りしたとき、カーテンも閉めたようだ。

 室内は暗く、電気スタンドに照らされた範囲しか見えなかった。


「痛いならすみません。早く終わらせるから、もう少し我慢してください」


 と、かなえは私を慰めるように言った。

 彼女を見上げると、明らかに心配な表情を浮かべている。こわからすると、かなえも少し怖がっているようだ。


「はい、わかりました」


 まだ臨時休業なのに、個人事務所にいるだけで私は思わず普段の口調に戻ってしまった。


「では、のぞみ。ご武運を」


 言って、かなえは手を伸ばした。

 見馴れた魔法が手に現れると、室内に閃光が光り出した。その眩しい光に、私は目が眩む。

 そして、その光が消えるにつれ、室内が暗くなってきた。

 しかし、目を開けると視界を埋めつくしているのは個人事務所ではなく、ゆめゐ喫茶の店先だった。

 ということで、私は本当に時間を遡った。少し目眩がしたけど、身体からだがすぐに慣れて、違和感は微塵もなかった。

 腕時計を見ると、針が午後三時を指している。葬式が始まるまであと二時間だ。

 正直、無事に間に合うかわからない。時間を遡る前は自信がたっぷりあったけど、実際にタイムスリップしてからなぜか不安になってしまった。

 しかも、タイムスリップのルールがまだわからない。例えば、かなえは時間を遡った自覚があるのか? それとも、私だけなのかな……。

 念のため、私はかなえに疑問を投げかけた。


「あのねかなえ。銃を見たことあるの?」


 今回、私は砕けた口調で話すようにした。


「銃? 見たことないと思うけど、なんで?」


 と、かなえは首を傾げて聞き返した。

 まあ、疑問を持つのは当然。逆の立場だったら、私もそういう反応をするだろう。


「えーと、興味本位かな?」


 そういえば、私はなんでかなえから真相を隠しているのか?


「時間を遡ったのでどこまで覚えているかを確認したかった」と返したら、かなえはおそらく「そうか?」と返すだけだろうに。

 なのに、私は真相を説明するのが怖い。もしも、万が一真相を知らせると現代に戻るルールがあったら……。

 それなら、私たちの努力は台無しになってしまう。だから、タイムスリップについては何も言わないことにした。必要があったら説明する。


「では、お葬式の会場に行こうか?」


 と、かなえは私に視線を向けて言った。

 そろそろ矢那華やなかの車が来ることに気づいて、私はできるだけ早く返事した。


「はい」


 そっけなく答えてから、私はかなえの手を鷲掴みにして、強く引っ張った。

 一緒に行くつもりはなかったけど、ストレスが頭の中に溜めていてよく考えられない。だから、私の行動はすでに計画からずれてしまう。


「の、のぞみ? 遅刻しそうにないから走りなくてもーー」

「走れ!! 走ってくれ、かなえ! 走らないと、私ーーいや、私たちはーー」


 最悪のタイミングで息が切れた。それでも、休む暇はない。

 もっともっと走らなければならない。最寄りの駅に着くまで、私たちは頑張らないと……。


「だ、大丈夫なの? おかしいよ、のぞみ


 私に引っ張られながら、かなえはそう言った。

 でも、走りながら喋りづらいし、残りの息を無駄にしてはいけない。だから、私は黙って走り続けることしかできなかった。

 しかも、ワンピースで走るのは非常に難しい。途中で何回もつまずきそうになって、鼓動が高鳴った。

 そして三、四分くらい全力疾走してから、駅がようやく視界に入ってきた。

 駅前にたどり着くと、私はかなえの手を離して膝をついた。

 呼吸が荒く、胸がうずく。


「何しているのよ、のぞみ?」


 かなえに目をやると、彼女の身体からだが汗だくだった。幸い、ワンピースは漆黒なので汗染みがあまり見えなかった。

 しかし、かなえならではの青髪あおがみは別の話だ。髪の毛が乱れて、汗でびっしょり濡れた。


「ごめん。理由は言えるかどうかわからないけど、さっき走らなかったら私たちは亡くなったかもしれない……」


「亡くなった……? どういうこと?」

「な、なんでもない」


 矢那華やなかはまだどこかに潜んでいるだろうけど、私はとりあえず一安心した。

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