第39話 手術跡

 目が覚めると、天井が視界を埋め尽くしている。

 私は身体からだを起こそうとすると、右膝に激痛が走った。反射的にたじろいで、身体からだの力が抜けた。私はベッドに横たわったまま溜息を漏らした。

 真っ白な室内があまりに眩しく、見知らぬ部屋で起きた私は戸惑ってしまう。

 慌てて視線をさまよわせると、二人の姿が視界に入った。

 ぼやけた視界で顔がよく見えなかったけど、彼らが近づいてくると心の底から安心した。


のぞみ!」

美於みおちゃん!」


 その声が聞こえてくると、私は彼らの正体に気づいた。

 ベッドに駆けつけるのはかなえ零士れいじだろう。

 二人とも心配そうな表情を浮かべて、私の側に立っていた。


「ど、どこですか?」


 と、寝ぼけた私はかなえに訊いた。

 その問いに、かなえは近寄ってきてベッドの側にしゃがみ込んだ。彼女は落ち着いた表情で私に視線を向けて、髪の毛を肩にかける。

 彼女の冷静な行動を見ると、私はさらに安心感を覚えた。


「ここは病院なのよ」


 ーー病院……? 一体何が……?


 私は首をかしげると、一時間前のことをふと思い出した。

 なかったことにしたかったのか、頭の奥底に閉じ込めた記憶。

 矢那華やなかに撃たれたという記憶。

 どうりで膝が痛むわけだ。幸いなことに、膝の様子を見ると血はなかった。それなら、今はもう術後なのかな?

 何よりも、私はまだ生きている。

 かなえのおかげだろう。また彼女に救われた……。


身体からだの調子はどう? どこか痛いところはないのかな?」

「膝。膝が……すごく痛いんだ」

「あ、そうね。ずっと意識不明だったけど、三十分前に手術されたの。たぶん術後の痛みでしょ?」


 ーーやっぱり術後だ。


 私が手術を受けている間、皆は何をしていたのかな。おそらく心配していたんだろう。まったく……。


「別にいいけど、お葬式はもうーー」

「もう終わったのよ。残念だけどしょうがないよね」


 私の脳裏を読んだのか、かなえは私の言葉を遮って質問に答えた。


「……そうだね。でも、どうしても行ったかったんでしょ?」

「大丈夫。わたくしなりにのぞみのことを考えて、冥福を祈るから」


 頷いて、私は膝に視線を落とした。

 手術跡を見てから、私はまたかなえに質問をした。


「この跡は大丈夫ですかね? タイツを履いたら隠れてくれると思うけど」

「そんなことより、美於みおちゃんが生きていてよかったよ」


 と、零士れいじは口を挟んで言った。

 まるで置物のように無言で立っていた彼の存在をすっかり忘れてしまった。


「ご、ごめん零士れいじ! かなえとの話に気を取られて……」

「まさか、俺のことを忘れてたのか?」


 彼が怒っていると思いきや、唐突に笑い出した。


「あははははは! 美於みおちゃんは面白いね。あはは」


 零士れいじからの褒め言葉に、私は頬を染めてしまう。

 まるで妖怪に憑かれたかのように、彼はあははと笑い続けた。

 

「あはははははは!」


 そして、私も笑わずにはいられなくなった。


「あははははは!」


 私たちの笑い声が重なって、かなえも笑い始めた。もちろん、私たちと違って、彼女の笑い声はお嬢様のように優雅だった。


「うふふ〜。よかったね、皆が気を取り直したみたい」

零士れいじのおかげでね」


 私がそう言い足すと、零士れいじは「いやいや」と言わんばかりに手を振った。


「とにかく、私たちはこれからどうすればいいのかな? お葬式に行けないし、のぞみは一週間くらい入院するらしい……」


 確かにこの状況はまずい。一週間も接客できないなら、ゆめゐ喫茶は倒産しかねない。

 しかも、私がまだ生きているということに気づいたら、矢那華やなかは再び私を殺そうとするだろう。

 それでも、私たちには一つの武器がまだ残っている。

 

 ーーそれは、希茶きちゃ

 

 希茶きちゃを飲んだら、私の願い事は叶える。だから、願い事を慎重に選んだら、この状況から抜け出せるかもしれない。

 真っ先に脳裏に浮かんだのはSFでよく出てくるタイムスリップだった。そもそもかなえがタイムスリップの願いを叶えることができるかわからないけど、この状況では最後の手段だろう。


希茶きちゃをあげてください」


 私の即答に、かなえは困惑した表情を浮かべた。


希茶きちゃ? なんで?」


 と、かなえは首を傾げて訊いた。


「私の計画を聞いてください。もちろん、今までの願いは零士れいじともう一度会うことだった。でも、それはもう叶ったからそんな願い事を持つ必要はないでしょ。だから、私は願い事を変えて希茶きちゃを飲んだら、なんとかなると思う」

「願い事を変える? では、新しい願い事は?」

「時間をさかのぼること。そうしたら、私は入院しないしお葬式に間に合える」

「でも、のぞみは弾丸をかわすことができないでしょ?」

「確かリスクが高いけど、今回私は一人でお葬式に行くつもり。かなえと別々の電車に乗ったら上手くいく……かもしれない」


 しばらくの間、かなえは考え込むように頬杖をついていた。


「わかった。でも、あくまでお葬式だよ? 命をかける必要はないでしょ」

「それはわかっている。だけど、口に出さなくてもかなえが行きたいというのもわかっているよ。私はのぞみだから、かなえの願い事を叶えてあげたいんだ」


 私が諦めないということを察したのか、かなえは観念したように溜息を吐いた。


「では、わたくしは希茶きちゃを持ってくるよ。零士れいじのぞみの側で居座ってください」

「わかった。もし美於みおちゃんを傷つけようとする奴が来たら、先に俺を倒さなきゃ!」


 馬鹿なことを言うなよ、と私は思ったけど本当にありがたい。

 かなえは別れを告げて、パジャマを持ってくる名目で病院を立ち去った。

 そして、私と零士れいじは視線を交わす。


 ーー零士れいじと二人きりになるのは久しぶりだったなぁ。


 何か言いたくなったけど、何を言えばいいのかな……?

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