第9話

早朝、ジェイミーはアナスタシアの支度をしに部屋に入る。

洗顔用の洗面器と、タオルを持って。


「お嬢様、おはようございます」


そしてジェイミーは思う。

記憶がなくなると、顔の洗い方もタオルの使い方も変わるのかしら? と。

顕著なのは以前はタオルを両手で取っていたところを、片手で取るようになったこと。


(食べ物の嗜好も以前よりハッキリ申し上げるようになった…。以前はなんでも食べていらしたのに…)


分からない。

記憶喪失になった人が身近にいなかったから、こういうものなのかもしれない とも思う。

でも今 目の前にいるのはお嬢様に瓜二つの別人ではでいのか? という考えも捨てきれない。

言葉遣い、仕草、表情、全てが違う。同じなのは顔や身体だけ。

しかしどことなく見覚えのある表情でもあるのだ。


「おはよう」


顔を洗い、今日の衣装に身を包み、髪を整える。


「本日はどのようになさいますか?」

「任せる」


かつては服や気分に合わせて大まかなオーダーが入ることが多かった。今は皆無だ。

過去に結っていた髪型も覚えていないのだろうが、サイドだけ結うとか、1つにまとめるとか、その程度の指示もない。


(ハッ いけない…! 使用人の分際でおこがましい…。旦那様が是と言えば是なのだから…)


ジェイミーは頭を振って疑念を追い出し、誠心誠意アナスタシアを仕上げた。


「本日は旦那様が朝食を一緒に摂るとのことです」

「…そう」


アナスタシアの表情が硬くなる。

ジェイミーが不思議に思う一番の変化点がコレだ。

娘を溺愛するあの公爵様を非常に警戒するようになったこと。


(娘が父親を嫌がる時期は反抗期に中にあるものだけど…お嬢様は鉄の理性を持っているため、反抗期とは無縁の…まるで手本となるような令嬢。今更旦那様を嫌ったりはしないだろう…。どちらかというと”怯え”?旦那様に恐怖を感じている…?)



❖❖❖



(なるべく顔を合わせたくないが…同じ屋敷に住んでいれば、それも限界があるものな…)


フォンデール公爵に対しては最期の時の恐怖もあるが、今は”アナスタシアでないこと”が発覚することが今一番恐ろしい。

何しろアナスタシアのようにはまるで振舞えてないのだから。

彼女の好きな色。

好きな食べ物。

好きな本。

趣味。

何一つ聞いたことがない。


(茶会の時は何を話していただろうか…。それすらもあまり覚えていない。私は帝王学を詰め込まれている合間に剣術を叩き込まれて疲労困憊していたし、アナスタシアのことはないがしろにしていたな…)


私には相手にされず、義母には言いがかりをつけられ、母(王妃)には悪口雑言を浴びせられ…私や母の態度から他貴族にも軽んじられただろう。

普通の令嬢なら心が折れてしまうそうなほど見方がいなかっただろうに。


(なのに何故彼女はあれほど強かったのだろうか…)


この時初めてギルフォードはアナスタシアに会いたいと思った。

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