第8話

良く晴れた午後。

木々の葉は青々としてさざめき、鳥は餌を求めて飛び交う。


「ソーサーの持ち手が下がっていましてよ、アナスタシア」

「申し訳ありません」


乗馬に最適であろう日に、何故薄暗い部屋で母上…王妃と向かい合い茶を飲む姿勢を正されているのか。

妃教育のためである。

母上はあの継母のような理不尽な振る舞いはしないが、所作が乱れればすぐさま厳しい指摘が飛んでくる。

食事のマナーは身についているが、淑女や貴婦人らしい所作には無縁だったギルフォードは大変苦労していた。


「先日まではもう少しマシだったと思ったのですが…私の見間違いかしら?ねぇ?」

「…お許しください。過去のことが思い出せないものですから…」

「ああ、そうだったわね。…可哀相に」


記憶がないことを憐れんでくれたのだと思い、ギルフォードは軽く息をついた。


「様々な教養を記憶と共に失ってしまって使えなさそうな貴女との結婚なんて、ギルフォードが可哀相だと思わない? 元々貴女のことは気に入らなかったのよ…。冷淡で可愛げが無くて…この際だから解消してしまいましょう」


母は何を言っているのだ?

確かにローラナが現れる前は、先の戦で大きな功績を上げた公爵家の後ろ盾があった方が良い と両親が意見を合わせ結ばれた婚約だったはず。


「…公爵家が隣国の王族等と婚姻を結んだりしたら目も当てられませんよ? よろしいのですか?」

「子供が心配することではありません。陛下がどうにでもするでしょう。…早速陛下に相談してみましょう…」


あ、これは何も考えてなくて、自分の我ままを父に丸投げする気だな。

…私は母のこういうところに似たのだろうな。


「そうと決まればさっさと退室して頂戴な。私の可愛いギルフォードには貴女のような無価値の女は相応しくないの」


まぁ今”ギルフォード”をやっているヤツは殺人鬼みたいだから婚約解消は願ったりだけど…。

『私の可愛いギルフォード』

母が良く言ってくれた言葉だ。

こんな形で聞くことになろうとは。

私にはたいそう優しかった母が、息子を溺愛するあまりこんな風にアナスタシアを疎んでいたなんて知らなかった。

母への敬愛が急激に冷めていく。


『可愛げが無い女』

『無価値の女』

そうやってアナスタシアを心を抉っていたのだな。アナスタシアだけに限らず、他の令嬢も見下げているのだろう。

私が見ていたものは、虚像にも近い”母の一面”に過ぎなかったのだ。


私は持っていたカップを放り投げた。

ガチャン!と音がし、カップは縁が欠け、中身はテーブルを濡らす。


「なっ…」

「申し訳ありません。記憶がないものですからカップの置き方を忘れてしまって」


それだけ言うとさっさと退室する。

母が何かしら喚き立てていたが無視し、城を出る。

アナスタシアは知らないだろうが、私はいくつか近道を知っているからな。

そそくさと馬車に乗り込み公爵邸へ戻る。


「母上があんな醜悪な性格だったとはな…」


平然と振る舞っていたが少なからずショックだ。

…一応王妃から婚約解消の打診があった旨を、私を殺した子煩悩な公爵に伝えておかねば。気は乗らないが。

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