第10話

記憶は戻らないものの、普段の生活に大きな支障はないのでアナスタシア…の中のギルフォードは休学していた聖ドゥブル学院に今日復学することになった。


聖ドゥブル学院は13~18歳くらいの王侯貴族の子女が通う、社交界の縮図のような学校だ。

学年と言った概念はなく、豊富にある座学や実技から好きにカリキュラムを組み、自己形成を自ら計画していく。

就学も当然出来るが創生の双子神を奉った学院なので、主な目的は洗礼名を授かることにある。洗礼名を受けると固有の異能が開花するためだ。

神からの洗礼は何の前触れもなく突如ランダムに(ヒトからするとランダムにしか思えない)行われる。洗礼を受けた者の名と、洗礼名が礼拝堂の中央の大柱と当人の左腕に浮かび上がるのだ。

洗礼名を受けるとすぐに退学する者もいれば、しっかりと5年間学ぶ者、人脈を広げる者など様々だ。

ギルフォードやアナスタシアは他家との交流、派閥などを学ぶ意味もあり学院を共にしていた。


(アナスタシアは早々に洗礼名を受け、私は18になるまで得られなかった…)


この学院でギルフォードはアナスタシアに対して鬱屈した気持ちを育てていった気がする。

成績は基本的に近しかった。ただ戦略が問われるようなゲームや軍事理論学ではアナスタシアは圧倒的な強さを見せた。

実直すぎるギルフォードでは手も足も出なかった。

素直にそのことを認められなかったギルフォードは、彼女は狡猾な性格なのだと思い込むことで逃げたのだった。

トボトボと教室に向かっているとふわりと王太子の姿をした殺人者が現れた。


「おや、お久しぶりですね。一度ここの学業を修めているから復学はしないかと思っていましたが」

「公爵の手前不審に思われるようなことは出来ないしな」


人気のない中庭に差し掛かる渡り廊下で、互いに正面だけを見て小声でやり取りをしながら歩く。

なので彼が嘲笑を浮かべながら横目でギルフォードをみていることに気付かなかった。


「過去に起きたことをなぞらえようとするのであれば私は貴女に言わなければなりませんね」

「え…?」

「ギルフォード様!」


突然聞き覚えのある声が割って入り、アナスタシアの体は押しのけられた。


「レターニュ子爵令嬢」

「ギルフォード様ったら。ローラナと呼んで下さいと仰ってますのに―」

「ローラナ…」


思わずかつての呼び名が出た。

するとローラナは王太子に向けていた満面の笑みを消し、アナスタシアを一瞥する。


「公爵令嬢と言え勝手に名前を呼ぶなんて失礼ではありませんこと?」

「まぁまぁレターニュ子爵令嬢…彼女は記憶が曖昧になってしまっているんだ。多少不躾な態度を取られても広い心で許してやるのが淑女というものだよ」

「そ…うですわね。私としたことが不意に名前呼びをされたので驚いてしまいましたわ…」

「ヴィオルケースを持っているということは音楽の講座かな?」

「ええ 急いでますので挨拶のみで失礼いたしますわ!」


王太子にカーテシーをし、アナスタシアのいる方へと足を進める。

そしてすれ違いざまにアナスタシアに聞こえるようささやく。


「戻ってこなくても良かったのに…」


アナスタシアに嫌がらせを受けていると訴えていたローラナ。ギルフォードだけが真実を見ているはずだと言っていたローラナ。

可愛らしい笑みを浮かべ甘言をささやき、ギルフォードだけをおだてていたのか。

彼女の豹変ぶりに唖然とする。


「『アナスタシアもローラナを見習ってもっと女性らしくしたらどうだ?』」


振り返れば王太子の姿をした殺人者がニヤニヤと笑っている。


「覚えています?あなたがアナスタシアに言った言葉ですよ」


覚えている。氷のようににこりともしない彼女にそう言ったことを。


「それで? あの女は見本足りえる淑女でしたか?」


すでにローラナが自分を騙していたことを知っている。

服毒も虐待も全て噓だった。


『殿下はもっと裏を読む力を身につけなければ足元をすくわれますよ』


母の裏の顔、ローラナの裏の顔…自分が見ていたのは表層だけ。ほんの一部だったのだとようやく理解したのだった。

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