第77話 何の話をしてたんですか

 昼食を摂り終えても、ガルさんは帰ってこなかった。何かあったのではないかと心配する私をよそに、ブランさんは「お兄は集中すると時間の感覚無くなるから」とあっけらかんとしたものだった。


「午後どっか行きたいとこある?」


 ブランさんが言って、上着を羽織る。私はお皿洗いを終えて濡れた手を拭き、ブランさんの後についてカーディガンを羽織った。


「まだ何がどこにあるのか分からず……お任せしちゃっても良いですか?」

「分かった。て言っても、面白い所なんて無いけどなぁ……」


 どこが良いかなぁなんて呟きながら考えるブランさんの後について、玄関を出る。しばらくぷらぷらと村を歩きながら、あの建物が何でこの建物が何でと説明を受けていると、背後から駆けてくるような足音が聞こえた。


「お〜い、ブラン!」


 ブランさんが、声に振り返る。走ってきた獣人さんは近くまで来ると、膝に手を置いて肩で息をした。


「あれ、こちらは?」

「お兄が連れてきた人。ホナミさん」


 こちらに気が付いたらしい獣人さんが、ブランさんに聞く。私がぺこりと会釈をすると、獣人さんもお辞儀をしてくれた。


「そうだ、ブラン、資料館で借りたい本があったんだが、鍵が閉まってて」

「あ〜……さっきちょっと寄ったから、その時癖で閉めちゃったかも……」


 ブランさんは私に「ごめん、ちょっと行ってくる。すぐ戻るから」と言うと、獣人さんと共に資料館のある方へと去って行ってしまった。

 一人になってしまった私は、どうしたものかと辺りを見回す。あまり動きすぎると、ブランさんが戻ってきた時に困るだろうと思い、ちょうど近くにあったベンチに座って待つことにした。

 湖面に映る花を見つめる。花弁がゆらゆらと漂うのをじっと見つめていると、久々に落ち着いた時間が過ごせているなと実感する。なんだかんだ言って、私も旅の間はそれなりに緊張していたという訳だ。

 ガルさんのご実家を出たら、どうしよう。一旦森の家に帰って、ハロルドさんに頼まれていた、フランセスカさんの手記を探したいところではあるけれど、従属契約が解除出来ない以上それも難しいか……。




 俯いてうんうんと考え込んでいると、ふと、見つめていた地面に影が落ちた。ブランさんが帰ってきたのかと思い顔を上げるが、そこにいたのは、ブランさんではなく……ガルさんの友人、ローザアルグさんであった。


「……こんにちは」

「ローザ。ガルの幼馴染よ」


 無言でこちらを見つめるローザアルグさんに、恐る恐る挨拶をする。正直に言ってあまり良い印象は無かったが、できる限りにこやかに笑ってみせた。しかし、ローザアルグさんは冷ややかな目でこちらを見ている。今の今までぼんやりしていたせいで思考がまとまらず、異性の幼馴染というのはロマンがあるなぁと思いながら、何か喋るべきかと話題を探すが、何も浮かんでこなかった。


「ねぇあなた、ガルのこと好きなの?」


 いきなりそんなことを聞かれたら、驚くのは当然のことだろう。案の定私はその質問に「へっ⁉︎」と返してしまい、ローザアルグさんは不快そうに眉を顰めた。


「本気で好きじゃないなら、ガルにちょっかい出すのやめて。迷惑よ」

「いやあの、なんで……」

「あなた魔法使いでしょ? どうやってガルを唆したのかしら。魔法でも使った?」


 急に訳のわからない因縁を付けられ、何からどう返したら良いものか分からずにぽかんとしてしまう。私の阿呆面を見かねたのか、ローザアルグさんは隣へどかっと座り、美しい双眸で私をキッと睨み付けてきた。


「えっと……私、魔法は使えないんです」

「だから?」

「なので、魔法でガルさんに何かしたというのは無くて……」


 本気で好きなのか、という問いにはどう答えるべきなのか、考えを巡らせる。答えはイエスだが、ここでそれを宣言するべきなのだろうか。そもそも、私がガルさんを好きであろうがなかろうが、それを彼女に諦めろだのなんだのと言われるのは筋違いではないか。本人を差し置いてこのような話をするのは良くない。と思いつつ、それを口にしたら火に油を注ぐ事態になることは想像に難く無い。彼女も頭に血が上っていそうだし、この場はなるべく穏便に済ませるのが得策だろう。


「じゃあガルが勝手にあなたのことを好きになったとでも?」

「そ、れは……知りませんが……というか好きかどうかなんて分からな……」

「はぁ⁉︎ なに、喧嘩売ってる?」

「どうしてそんなことに⁉︎」


 解釈が極端すぎやしないか。もうヤダこの人、ブランさん早く帰ってきて!

 ローザアルグさんは完全に私を恋敵と見做していて、一挙手一投足揚げ足を取ってやるという姿勢を崩すつもりはないらしい。私としては、村の皆さんとは穏便にやりたかったものだが、そう上手くもいかないものだ。


「何よ、皆してニンゲンニンゲンって、あんた達みたいな最低な種族……!」


 ローザさんが手を振り上げた。いきなりのことで驚いた私は、頭のどこかでは「平手打ちが来るな」と理解してはいるものの、体が反応出来なかった。目を瞑って精一杯腕で顔を覆い、来たる衝撃に耐えるより他手立てがない。

 ……しかし、いくら待ってもその瞬間は訪れなかった。不思議に思って目を開けると、ローザアルグさんの後ろに、ローザアルグさんの手首を掴んだガルさんが立っていた。


「ガルさん……?」

「ガル……なんで」


 ローザアルグさんを冷ややかに見下ろすガルさんの目には、いくらかの憐憫の情が浮かんでいるようにも思えた。ガルさん、いつの間に……。ここはご実家からそう遠くないため、もしかしたら、工房でやることが終わって、戻る道すがらだったのかもしれない。


「昼は悪いな、作業に集中してて時間が過ぎてた」

「えっ? あ、いえ……」


 ガルさんがローザアルグさんの手首を掴みながら、私に向かって言う。私はこの状況でなんと答えたら良いものかも分からず、曖昧な返事をしてしまった。

 ガルさんは、ローザアルグさんに向き直る。ローザアルグさんが少し落ち着いたのを見計らって、掴んでいた手首を離した。


「すまんホナミ、ローザと二人で話をさせてくれないか」


 ガルさんが落ち着いた声音で言う。私には、頷くことしかできない。


「じゃあ、先に帰ってますね。ブランさんがもうすぐ来ると思うので、すみませんが伝えてください」


 ブランさんには申し訳ないが、今はガルさんとローザアルグさんを二人きりにさせなくてはならない。そう伝えて、私は急いでベンチを後にする。

 ガルさんは「分かった」と答えて私を一瞥したが、その視線はすぐにローザアルグさんに注がれた。




「おや、ホナミさん。おかえり」


 にっこりと笑って出迎えてくれるナザリーさんの顔を見ると、なんだかほっとした。「おかえり」という言葉が、私はここに居ても良いのだと言ってくれているような気がして、冷えていた足元がじんわりと温まる。


「なんだか元気が無いね? お茶でも淹れようか。丁度、私も一休みしようと思っていたところだよ。付き合ってくれるかい?」


 そう言ったナザリーさんは、紅茶とお菓子を持ってきてくれた。温かい紅茶と甘くて美味しいお菓子のお陰で、強張っていた心が溶けていく。

 正直に言って、ガルさんの頼みで無ければ、ガルさんとローザアルグさんを二人きりになどさせたくなかった。ローザアルグさんは明らかにガルさんに対して好意を持っているのだから、尚更。しかし、私のくだらない嫉妬で、幼馴染である二人の仲を引き裂くような真似は出来ない。ガルさんがローザアルグさんに恋愛感情を持っていないにしても、幼馴染としての情はあるだろう。


 家庭菜園のことや、これまでの旅のことをナザリーさんと話していると、ブランさんが帰ってきた。ブランさんはナザリーさんとお茶をしている私を見て、自分も食卓につく。上着を椅子に置いて、自分のカップを取ってくると、それにお茶を注ぎながら言った。


「びっくりしたよ。ホナミさんと別れたところに戻ったら、お兄とローザがいて、ローザが泣いてるんだから」


 えっ。泣いていたのか、あのローザアルグさんが……。一体、何があったというのだろう。二人で話をすると言っていたが……。


「だ、大丈夫、だったんでしょうか……?」

「んーまぁ。大丈夫でしょ」


 そんな適当な。唖然としてブランさんを見つめるが、ブランさんはどこ吹く風といった様子だ。

 ブランさんがお茶を飲み干して自室に帰ろうとした頃合いで、ガルさんが帰宅した。今の今までガルさんの話をしていた手前、顔を合わせづらく、私はぎこちない笑顔でガルさんを迎えることとなってしまったのだった。救いだったのは、その後すぐにベルデさんが帰宅したことだ。全員が帰宅したことで自然と夕飯の準備をする流れとなって、リビングでのお茶会は解散したのだった。




 私は籠を持ち、庭の菜園に本日の夕食の付け合わせを採りに出かけた。夕日を照り返す葉の輝きを見ていると、なんだか心が癒された。前の世界にいた頃は気が付かなかったが、実は私は植物を育てるのが好きなのかもしれない。

 少し摘んだところで、背後で足音が聞こえた。ナザリーさんだろうかと振り返る。しかし、そこにいたのは、なんだか深刻そうな顔をしたガルさんだった。


「ガルさん? 何か御用で……」

「あ……いや。今日の、ローザのことだが……」


 少し言いづらそうに、ガルさんが話す。私は中腰にしていた背を伸ばして姿勢を整え、ガルさんの視線を受け止めた。

 言葉を待つ。二人のことを、無理に聞き出そうとは思わない。


「……夜、ホナミの部屋を訪ねて良いか? ゆっくり話がしたい」


 ガルさんの言葉に、私は無言で頷いた。部屋の行き来をするのは、旅の間は幾度かあったことだったが、ガルさんの実家にいる今は、何か特別な響きを持っているように感じる。

 一体どんな話をされるのだろう。期待と不安が綯い交ぜになって重くなった心を、私は夕飯の支度をするために押し込めた。

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