第74話 故郷の花
「こんな、大して毛ヅヤも良くない人間がガルの番? 信じられない」
ローザアルグさんが、びしっと私を指差して言う。毛艶……と思い、自分の髪の毛を触ると、枝毛を発見して少しだけ憂鬱になった。旅の間はあまり丁寧に手入れが出来ていなかったから仕方ない、と自分を慰める。大切にしていたであろうフランセスカさんに申し訳ない気持ちも湧いてくる。
「おい、ホナミに失礼なことを言うんじゃない」
「だってガル……」
「だっても明後日もないだろ」
「う……」
ガルさんに諌められ、ローザアルグさんの勢いが少しずつ収まってきた。ガルさんも段々と平常心を取り戻してきたらしく、落ち着いた様子でローザアルグさんに対面している。しおらしくなっていくローザアルグさんは、まるで親に叱られた子供のようだった。恐らく、ガルさんの方がローザアルグさんよりもいくらか年上だろう。幼少期にも、このようなやりとりがあったのかもしれない。すっかりしょげたローザアルグさんと、少し怒ったように無言のガルさんに挟まれて、私はこの場をどうにか収めないとならないのではないかという気持ちに駆られた。
「あの……バッツさんには道中で大変お世話になりました。妹さんがいらしたとは存じ上げず……」
何か世間話をしようと、口を開く。記憶の中のバッツさんと、今目の前にいるローザアルグさんを比べて、何か兄妹らしいところを探してみた。顔の感じはあまり似ていないが、目元は似ているような気がする。睫毛の長くて美しい、涼しげな目元だ。
「目元がよく似ていらして……」
バッツさん、という名前を再び聞いて思い出したのか、私の言葉を遮るようにして、ローザアルグさんが勢い付いてガルさんに迫った。
「そう! お兄ちゃん、元気そうだった? どうして帰ってこないのよ!」
「元気にしてたよ。今の環境が気に入っているらしいから、当分帰らないだろうな。ローザによろしくと言ってたぞ」
「そう……」
お兄ちゃんもガルも、そんなに人間が良いの? というのは、ローザアルグさんが俯きながら呟いた言葉だった。ただの人間である私にも聞こえてしまい、なんだか居た堪れない気持ちになる。ガルさんも、心配そうな顔でローザさんを見つめていた。この村の人達にとって、人間、とりわけ魔法使いは、あまり歓迎できるものではないだろう。それでも村へ入る事を許可してくれた族長の懐の広さに、ただ感謝するのみである。
「そうだ、私、用事があって。そろそろ行くわ。ガル、明日はお家にいる?」
「分からん。多分出掛けるだろうな」
「そう……。でも、また会いに行くからね」
「またな」
微かに敵意の浮かんだ目で私を一瞥してから、ローザアルグさんは去っていった。片手を上げて挨拶したガルさんに従い、一応手を振ってはみたものの、少しだけ虚しい気持ちにもなったのだった。
多分……というかそれなりに高い確率で、ローザアルグさんはガルさんに恋愛的な好意を持っており、そのため私のことを鬱陶しく思ったのだろうな……、などと考えながら、ガルさんと村の中心にある湖の外周を歩く。薄桃色の桜のような植物の花びらが時折ひらひらと舞い、幻想的だ。その花びらをじっと見つめると、一瞬だけ、花びらの向こうに村の外の森が見えたような気がした。目をゴシゴシと擦り、再びじっと花びらを見つめる。しかし、今度は見えず、気のせいか、疲れか何かだと結論付けて、風景を堪能すべく視線を上げた。上げた先に至近距離でガルさんがいたので、私はつい短い悲鳴を上げてしまった。
「きゃっ」
「あ、すまん。目、何か入ったか?」
「い、いえ、大丈夫です。気のせいでした」
「なら良いが……」
ガルさんが私を見つめる視線を逸らし、前を向く。私も、湖や、立ち並ぶ家々を眺めた。この花、何か懐かしいような気がしていたけれど、そうだ、桜に似ているのか……。花びらの色はよく見かけるソメイヨシノよりも僅かに色が薄く、咲く時期も暖かい季節ではないようなので別物と分かってはいるが、元いた世界と別の世界に、慣れ親しんだ花と似ている花があるというのは、なんだか不思議な気持ちがする。
「さっきは悪いな」
ガルさんが言う。何のことかと思い首を傾げると、「ローザが」と言ったので、ああ、いえ気にしていないですよ、と伝えると、ガルさんは少しほっとした表情になった。
「あいつは親しくない奴に少し攻撃的なところがあるんだ」
少しどころでは無かった気もするけれど……そこは置いておくことにして、そうなんですね、と相槌を打つ。
「そのせいで、中々友人が出来なくてな……いつもバッツさんの後ろにくっついて歩いていた。俺にとってもバッツさんは兄貴のような存在だから、ローザともそれなりに付き合いはあったが……それだけだ」
ガルさんが私の目を見る。何かを探っているような目付きだった。何の他意もなく、そうなんですね、と返すと、ガルさんは少しだけホッとしたような、ムッとしたような、複雑な表情を浮かべていた。
彼女がガルさんのことを好きだとして、当のガルさんの方は、あまりその気が無いようだということは想像に難くなかった。でなければ、「それだけ」という物言いはしないし、そもそも私と一緒にいるところを見られても、弁明めいた言葉は無かった。心のどこかでは、彼女とガルさんはお似合いだと思っているが、それを肯定したくない気持ちもある。
私は自分の心が悋気の炎に呑まれる前にと、目の前の花に話題を切り変えることにした。
「あの、ところで……このお花は、なんていう花なんでしょうか?」
「花? ……ああ」
突然話題を逸らされたガルさんだったが、大して気には留めていないらしく、私の視線を追って花を見た。ひらひらと舞い落ちる花弁が、湖面へ静かに着水する。
「名前は……あるんだろうが、知らないな。俺達の間では、『かくりよの花』と呼ばれている」
「かくりよ……」
隠り世。たしか、死後の世界のことだっただろうか? この世界の言葉で、ガルさんの言葉で、何というのだろう。聞いたところで、大して聞き取れもしないけれど。
通り名の由来を聞こうとして口を開くと、それよりも早く、ガルさんが私の手を引いて、近くにあったベンチへ座らせた。二人して花を見つめながら話す。
「魔力を込めると、物を隠すんだ」
どういう意味なのか分からずに、ガルさんを見る。ガルさんは、舞い落ちてきた花びらをひとつ掴んで、私の手に乗せた。
「やってみてくれ」
「は、はい」
魔力石を作る要領で、手の平に魔力を集めるイメージをする。それを、花びらに流し込むようなイメージでやれば良いのだろうか? とにかく、やってみるしかないか……。
手のひらに微かな明かりが灯り、それが花びらへしゅるしゅると吸い込まれていく。すると、花びらがあった場所に、ぼんやりと村の外の森にあるような木々が浮かび上がってきた。
「えっ……これ、外の森……?」
「この木には、魔力が宿ると物を隠す性質があってな。その性質を利用して、ここにある木には全て、村を外から隠すような魔法をかけてあるとか、花守が言っていたな……」
先ほどちらっとだけ見えた外の景色は、この花によるものだったのか。
「はなもり?」
「花守っていうのは、その魔法を操作する奴のことだ。村で一番魔力の高い奴選ばれる。といっても、俺達の一族じゃ、魔力量なんてたかが知れてる。だから、花の力を借りてるんだよ」
花の守り人だなんて、なんだか素敵な響きだ。思わず「素敵ですね」と口走る。ガルさんはピンと来ていないようで、そうか? と首を傾げていた。
「ここに来るときに、外にあった印を消しただろ? あれが魔法解除の合図だ」
「あ、やってましたね」
「で、また魔法を掛ける時は印を書き直す」
「へぇ〜……ちなみにこれは精霊魔法ですか?」
この世界には、精霊魔法と精神干渉魔法があることは分かった。そのどちらかに属するのであれば、これはどちらにあたるのだろう。花を利用しているようだから、精霊魔法? それとも、見る人の視覚に訴える精神干渉魔法なのだろうか。
「あぁ、そうだな。花守曰く、花の精霊に助力を仰いでいるとか……ま、俺は魔力も低いし適性もないんで、見た事がないが」
「そうなんですね」
花の精霊と聞いて、幻想的できらきらしい姿を想像してみる。御伽話に出てくる、透明の羽の生えた、美しい小人。そんな姿だったら良いなぁなんて思ってみると、なんだか一層花を見るのが楽しくなる気がした。
「それにしても、ちょっと物騒な名前ですね」
通り名の由来を聞いてみたくて、言う。ガルさんは知っているだろうか? 何かを思い出すかのように考え込んだガルさんだったが、すぐに口を開いた。その視線は、花に注がれている。
「昔は、行方知れずになった奴はこの花に連れて行かれたと言われていたらしいな」
「それで、かくりよと?」
「ああ。だが……野生動物に喰われたり、狩りの途中で迷って死んだり、村から出て行ったりしただけのことだろうな、実際のところは。残された者を納得させる方便かもな」
「なるほど……」
自分の知っている誰かが突然いなくなって、花に連れて行かれたなんて言われて、信じられるだろうか? 私にとっては俄かに信じがたいし、おそらくガルさんにとってもそうなのだろう。だから、今のような言い方をしたのだろうが、きっとそれを信じて心のよすがにする人がいるのも、想像に難く無かった。なんといっても、この世界には魔法があるのだ。荒唐無稽に思えても、私の元いた世界よりも遥に、信憑性は高いはずだ。
薄桃色の花を見ながら、まさか異世界に来ても、桜のような植物が見られるとは思わなかった。思えば、野菜や果物も、少しの違いはあれど、どれも元の世界とは似たようなものである。
春の麗かな気候でないのに桜が見られるなんて、なんだか不思議な気持ちだった。
「この花、私の元いた世界にあった花に似ているんです。……大好きだった花です」
不思議な気持ちのまま、思ったことを口にだす。ガルさんはこちらを見て、少し驚いたような顔をした。
「へえ、何ていう花……あ、待ってくれ」
そう言って、ガルさんは自分の耳に指先でとんとんと触れた。何が言いたいのかと、私が首を傾げていると、その表情に柔らかな笑みを浮かべてガルさんが言う。
「ピアスを外してくれるか? ホナミの国の言葉で聞きたい」
私は言われるがままに、ピアスを外した。そして、故郷の花の名前を口にする。
「桜、です」
「サ……?」
「さ、く、ら」
「サ、ク、ラ」
私の口の形をなぞるようにして、ガルさんが言葉を紡ぐ。辿々しい言い方に、つい微笑ましくにんまりとしてしまう。このひとのこういうところが、私の心の柔い部分を守ってくれているような気がした。
ガルさんは「サクラ」と何回か呟いた後に、この国の言葉で何かを言ったので、慌ててピアスを付け直した。
「故郷が恋しいか?」
ガルさんが、聞いてくる。その眼差しは気遣わしげだ。私は答えに窮し、俯く。
「それは……」
恋しくないといえば、嘘になる。何の前触れもなく突然この世界に来てしまったのは、元いた世界で想像していた未来が根こそぎ奪われてしまったようなものだ。戸惑いは大きく、帰れない現実を受け止めたつもりでいても、納得しきれていない部分はある。
「恋しいと……思う時も、あります。両親にも、友人にも、別れを告げられなかったから……」
私の呟きに、ガルさんは静かに頷いた。それから、私を見ては視線を逸らす、というのを幾度かやって、重くなっていた口を開いた。
「帰……、いや」
そう口に出したガルさんは、苦しそうだった。何かを葛藤しているような、そんな間があった後、ガルさんは結局、私の隣で落ち込んだように深いため息を吐いたのだった。
「すまない。……何でもない」
ガルさんが言いたかったことは、なんとなく分かった。帰りたいのかと、そう聞きたかったのだろう。だが、それを聞いてどうするというのか、と葛藤したのかもしれない。
私は重くなってしまった空気を振り払おうと、話題を変えた。
「そ、そろそろご飯のお支度がありますかね? 私、お手伝いしたいので……」
「あ、ああ、そうだな。一旦戻るか」
ガルさんがベンチから立ち上がる。そして、今まさに立ちあがろうとした私に、手を差し出した。私は驚いてガルさんを見上げるが、ガルさんは手を引っ込める気はなさそうだ。私は恐る恐るその手に触れて、ガルさんに支えられながら立ち上がった。立ち上がるくらい、補助をしてくれなくたって訳ないが、なんだか丁寧に扱われているような気がして嬉しい。
私が無事に立ち上がった後も手は離されず、ガルさんの大きな手の温もりを感じながら、私はガルさんのご実家への道を歩くのだった。
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