第73話 私達ってどういう関係ですか?

 起きて、朝の支度をする。キャスケットの中に入れ込むために髪をまとめ上げたところでふと、あれ、もう要らないんだっけ、と気付く。旅の危険を軽減するためにしていた男装なので、もうする必要は無いのか。この村の人に性別がバレたところで、問題はないし……そう思い直して、結い上げていた髪の毛を解いた。頭を二、三度横に振ってみれば、緩くウェーブのかかった髪の毛が弧を描いた後、胸元に収まる。梳かして整えるだけにして、服を選ぶためにトランクを開けた。念の為に持ってきていたワンピースが一着。フランセスカさんのクローゼットにしては地味な一着で、森の中の家でよく着ていたものだ。少しだけ懐かしく感じつつ、そのワンピースを身に着ける。久々に慣れた格好をすると、安堵の気持ちが湧き上がってくるような気がした。

 準備を終え、ガルさんはもう起きているだろうかと気にはなったが、部屋を訪ねるほどのことでもないと思い、そのまま階下のリビングへ降りた。

 リビングでは、ガルさんのお母さんのナザリーさんが、朝食の用意をしていた。弟さんも起きていて、テーブルで朝食を摂っている。二人いる弟さんのうちの、上の弟さん……ブランさんだ。


「おはようございます。何かお手伝いできることありますか?」


 ナザリーさんとブランさんにご挨拶をして、そう問いかける。ナザリーさんは「気を使わないで良いのよぉ」と言って、ゆで卵と薄切りのハムのようなお肉、パン、生野菜のサラダを人数分、テーブルに置いた。


「ブランさんは、朝お早いんですね」

「うん。ベルデよりはね」


 ブランさんがパンを齧りながら言う。ベルデさんはお寝坊さんなのだろうか? なんとなく想像が付くような気もして、微笑ましい気持ちになる。


「もうご飯が出来たよ」


 ナザリーさんが言うと、ブランさんが齧っていたパンを置いて席を立つ。そして二階へと向かう階段の手摺りに手を掛けたところで、私を振り返って言った。


「ホナミさん、お兄のこと起こしてよ。俺はベルデ起こしてくるから」


 待って、と止める暇もなく、ブランさんは階段を上がって行ってしまった。私も慌てて追いかける。ブランさんは、私達の使っている部屋のお向かいの部屋を無遠慮に開けて、「ベルデ起きな。メシ」と声を掛けていた。部屋の中から、う〜んとくぐもった声が聞こえる。ベルデさんは、どうやら朝にあまり強くないようだ。

 私はガルさんの部屋の扉をノックしてみた。返事はない。……いるよね?

 もう一度、ノックする。返事はなかった。ガルさ〜ん……とドアに向かって語りかけてみる。耳を澄ますが、返事はない。


「遠慮してないで開けなよ」


 いつの間にか後ろにいたブランさんが、これまた無遠慮にがちゃりとガルさんの部屋のドアを開けた。開けたは良いものの、ブランさんはそのまま階下に降りていってしまった。ベルデさんも起きてきたようで、眠そうに目を擦りながら、ブランさんの後をのそのそ着いていく。

 残された私は、開けてしまったドアを戻すわけにもいかず、ガルさんを朝食の席に遅れさせるわけにもいかないので、恐る恐るガルさんの部屋に入った。

 ガルさんはベッドで眠っていた。いつもよりは緊張が解けた様子で、寝相が少しだけ乱れている。それを見ただけでも、今まで彼がいかに張り詰めていたか、分かってしまったような気がした。

 ガルさんのベッドに近寄る。その安心した寝顔を見ると、私の心にも平穏が訪れるような気がする。良かった、と思う一方、私が従属契約を解除してあげられさえすれば、ガルさんは私のことを気にせずに、自由にここで暮らせるのだと思うと、心の底に悲しみが澱のように沈むのを感じた。手を伸ばし、髪に触れる。ごめんなさい、と呟くと、ガルさんが薄っすらと目を開けた。


「ホナミ……?」


 はい、朝食の時間ですよ、と言って笑顔を浮かべようとしたところで、触れていた手を掴まれた。え、と思ったのも束の間、ぐいと引き寄せられて、ガルさんの胸元に埋まる。背中をとん、とん、と優しく叩かれたが、頭の中は混乱したままだった。


「え、あの、ガルさん?」

「うん……どうした?」


 どうしたはこちらの台詞では……。どうしたら良いのか分からずそのまま身を任せていると、段々覚醒してきたらしいガルさんが、はっと気付いて私の背中を叩く手を止めた。そのままガバッと起き上がったものだから、胸元に乗せられていた私は転げてしまった。


「す、すまん! 寝ぼけて……」


 謝られるようなことはされていないけれど……と思いながら、私は取り敢えず「いえいえ」と返す。


「朝ごはんが出来たそうで……」

「あぁ、今行く」


 ガルさんは軽く格好を整えると、私と一緒に階下へ降りた。さっきのは何だったんだろうと思いながらも、不思議と、心の奥底に溜まっていた悲しい気持ちが少しだけ軽くなったような気がした。




「いや、朝から何してんの?」


 ブランさんが冷ややかな目で私とガルさんを見た。ガルさんが「何もしてない!」と言い、私もそれに同調するよう必死に頷く。ナザリーさんとベルデさんは笑って「仲が良くて結構じゃないか」「そーそー」なんて言っていた。見られてた? いや、ブランさんは私達よりも先に階段を下がっていたはずなので、見えていないはずだけれど……。


「……お兄の匂いがべったり付いてるから」

「えっ⁉︎」

「なんで? みたいな顔してたでしょ」


 ブランさんがパンを齧りながら言う。そんなに表情に出ているのかと、私は手で自分の顔をぐにぐにと挟んでみた。自分がどんな表情をしているかなんて、分からないものだ。


「あは。なんかホナミさんて裏表なさそーだね〜」


 ベルデさんがきゃらきゃら笑いながら言う。なんだか単純というのをオブラートに包んで言ってくれただけのような気がして、小声で「スミマセン……」と呟く。ベルデさんは私の反応を見て、慌てた様子で「違う違う!」と言った。


「褒めてるよ。てか兄ちゃんも割とそうだしさ、似たもの同士だな〜って」

「確かに、ガルさんは裏表とかあんまり無い感じですよね」


 ベルデさんに言われ、黙して朝食をとるガルさんを見る。ガルさんの裏表。あまり考えたこともなかったくらいだけれど、そう言われてみれば、無い気がする。裏表というよりは、自分ないし自分に近しい者か、それ以外か、で対応が別れているなというのは日々感じていたけれど。


「そうか? まぁ、そうかもな。ホナミはもう少し警戒心があっても良いと思うが」

「ゔっ……すみません……」

「はは」


 私の謝罪に笑うガルさんは楽しそうだ。笑われたことを恥じるも、こちらを見つめるガルさんの視線は柔らかなものだったので、そこまで本気で思っているわけでもなさそうだな、なんて思ってしまう。


「うわ……お兄のそういう顔初めて見た」


 ブランさんが言う。ベルデさんはにこにこ、いや、にやにや? しながらガルさんを見ていた。当のガルさんはというと、照れくさそうに視線を逸らしている。そういう顔……って、優しげな顔ということだろうか。だとしたら、弟さんに見せていないはずはないと思うけれど。これだけ長い間離れていたら、表情の作り方も変わるということだろうか。


「ほらほら、あんた達早く食べちゃいな」


 そうナザリーさんが急かして、この会話はそのままお開きとなったのだった。




 今日はガルさんが村を案内してくれるとのことで、私達は朝食後外に出た。風は冷たく、羽織るものを何か持ってきても良かったなと思っていると、ガルさんが「ちょっと待ってて」と言い、家に戻る。少しして、カーディガンのようなものを持って戻ってきた。それを私の肩にふわりと掛けて、ガルさんは少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。


「すまん。俺のしかなかった」

「お気遣いありがとうございます。温かいです」


 手の甲の隠れてしまう袖口に、肩は落ちている。しかし、上着であるのであまり気にもならないし、何よりガルさんの気遣いが嬉しくて、私はだぼっとしたカーディガンの袖口を振って答えた。

 さて、どこから……とガルさんが言いかけたところで、「ガル!」と遠くから呼ぶ声が聞こえた。何事かと振り返ると、何やら女の子の獣人が、手を振りながらこちらへ走ってくる。その目はガルさんに真っ直ぐに向かっていて、私のことなど眼中にも無いといった様子であった。


「……ローザ?」


 ガルさんが呟く。それがあの子の名前なのだろうか? やはり知り合い……というか、村の人同士は大体知り合いなのだろう。あまり広くなさそうなコミュニティだ、そうもなろう……と思いながらぼんやりと走ってくる女の子を眺めていると、女の子は、ガルさんの少し手前でぴょんと跳び、勢いをつけてガルさんに飛び込んだ。いきなりのことに驚いたらしいガルさんが、「うおっ」という声をあげてその子を受け止める。その子はガルさんにぎゅうと抱き付くと、可愛らしい顔で高い位置にあるガルさんの顔を見上げた。


「無事だったのね! 良かった……! ガルが居なくなってから私……っ」


 うるうると潤む瞳がガルさんを見上げる。すっかり部外者の私は、なんとなく邪魔にならないようにガルさんと距離を置きつつも、内心穏やかではなかった。


「いきなりやめてくれ、ローザ」


 ガルさんがローザと呼ばれた女性の肩に触れ、自分から引き剥がす。女性は不服そうな顔で抵抗した。


「ホナミ、こいつはローザアルグ。バッツさんの妹だ」


 ガルさんが私に向き直り、女性を紹介してくれた。私が「はじめまして」と言って会釈をすると、ローザアルグさんは名残惜しそうにガルさんから離れて、私の方を向く。細められた目に疑心が浮かんでいる。値踏みされているような居心地の悪さに、私はつい視線を逸らしてしまった。

 しかし、バッツさんに妹さんがいらしたとは。たしかバッツさんの名前は「バッツアルグ」だった。名前の後半部分が同じだ。


「……ガルがニンゲンの雌を連れてきたとは聞いてたけど」


 じと、と私を見る目は暗い。「穂波です……」と自己紹介をした声は、思った以上に小さくなってしまった。


「あなた、ガルとどういう関係?」


 腰に手を当てて、ローザアルグさんが聞いてくる。美しい毛並みに、睫毛は長く頬に影を落としている。その綺麗な目を細めて品定めするような目付きは、まるで彼女の気の強さを表しているようだ。

 どういう関係かと聞かれると答えに窮してしまい、私はガルさんの方を見た。私と目が合ったガルさんは一瞬動揺したような素振りを見せて、私の肩をそっと抱く。少しだけガルさんの方へと引き寄せられて、私は抵抗することなくガルさんの近くへ寄った。


「ホナミは俺の……」


 な、なんだろう。ガルさんを見上げる。小さく唸ってしどろもどろしている様子が珍しくて、まじまじと見てしまった。何て言うんだろう。


「……た、大切なひとだ」


 そういえば、村の門の所でもそう説明していた。肩に置かれた手に不自然に力が入るのを感じながら、「大切」という言葉の意味を考える。従属契約の契約主として重要、ということだろうか? それとも、個人として大切だと思ってくれているのだろうか。後者であれば嬉しいし、私もガルさんのことを大事に思っているけれど……。旅の間に、私達は出会った頃よりずっとお互いの事を知ることが出来たように思う。だからきっと、少しくらい、ガルさんが私を私として大切だと思ってくれていると信じても、バチは当たらないだろう。

 しかし、そもそも、これで関係性の説明にはなっているのだろうか。


「はぁっ⁉︎ 番ってこと?」


 出た、つがい。


「い、いや、まだそこまでは……」


 ガルさんがごにょごにょ言う。口出しをするのもなんだか違うだろうなぁと二人のやりとりを眺めることに決め込んだ私は、凄い剣幕で質問をするローザアルグさんと、その勢いに負けそうになりながら語尾が消えていくガルさんを交互に眺めて、どう収拾が付くのだろうかとぼんやり考えた。

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