第72話 上がる体温

 十年ほど前。村の近くで弟達に狩りを教えていたガルさんは、フランセスカさんと出会った。

 ガルさんの村では、村の外に出ることができるのは原則大人達だけであり、子どもが大人を伴わずに外に出ることはできない。当時のガルさんは成人年齢に達していたそうだが、とはいえ兄弟だけで村の外へ出るということで、未成年の弟さん達は気分が高揚していたそうだ。ずんずんと先に進んでいってしまう弟を嗜めていた矢先、ガルさんの耳に、下の弟の悲鳴が届いた。急いで駆け付けると、弟さんは見知らぬ人間に首根っこを掴まれていたらしい。その「見知らぬ人間」というのが、フランセスカさんだったそうだ。

 フランセスカさんはガルさんを認めると、弟さんをぽいと放り投げ、魔法で拘束した。


「丁度良い年頃のが居るじゃないか。……そこの獣人、私の下僕になれ。さもなくばこの小さい獣人を殺す」


 ガルさんは抵抗を試みたが、弓を構えようとしたところでフランセスカさんが弟の拘束を強めた。弟さんの苦しげな声に、構えかけていた弓を下ろし、抵抗を諦めたそうだ。


「弟を解放しろ」

「お前が私の下僕になると誓うなら」

「分かった、分かったから弟を離してくれ」


 ガルさんが言うと、フランセスカさんは弟さんの拘束を解き、代わりにガルさんを魔法で拘束した。ガルさんは弟達に、すぐに村に帰るように指示をした。弟さん達は躊躇っていたものの、兄の剣幕に押されて、村へと走っていった。

 その後、ガルさんはフランセスカさんと従属契約を交わすことになり、今に至る……という話のようだ。


「俺達はすぐに大人を呼んで来たんだけど、お兄はもう居なかった」


 弟さんが言う。その時にフランセスカさんに捕まったという下の弟さんは、悲しそうに耳を垂らして項垂れていた。


「俺のせいで兄ちゃんが……って、ずっと……」


 その瞳からぽろぽろと涙を流す弟さんを見ていると、胸が締め付けられる思いがした。そんなことがあれば、自分を責めてしまうのは仕方のないことだろう。この子が今までどれだけの後悔と自責の念に囚われていたかを考えると、こちらまで辛い気持ちになってくる。


「……ブランとベルデから大体は聞いていたけど、そういうことだったのね。……ともあれ、ガル、あんたも無事で本当に良かった……」


 ガルさんのお母さんが言う。長年の思いが詰まった「良かった」という言葉が重々しく胸に響く。隣で見ているだけの私も、ガルさんが故郷に帰って来られて、ご家族と再会できて本当に良かった、と実感した。故郷に帰ることをガルさんに提案して良かった。


「あぁ、なんとかな」

「それで何がどうなって、番連れで帰ってくる流れになったわけ?」


 弟さんがガルさんに聞く。つがい、という言葉に引っかかって考え込んでいると、ガルさんが少し慌てた様子で「それは今から話すから」と言って思考を遮った。私はガルさんに流れを任せることにして、静かに聞く。

 ガルさんはことのあらましを掻い摘んで話した。フランセスカさんと、薬を売りながら色んな場所を旅していたこと。ある森の中に家を建て、しばらくそこで暮らしていた矢先、私とフランセスカさんの魂が入れ替わったこと。信じられないかもしれないが……と前置きして話すと、ガルさんのお母さんや弟さん達は驚いた様子ではあったものの、ガルさんのことを疑うつもりはないようだった。

 フランセスカさんと私が入れ替わってからは、私と故郷へ向かって少しの旅をしていたこと。そして、今こうして辿り着いたこと。


「なるほどねぇ……いきさつは分かったよ。今は疲れているだろう? 積もる話は後にして、ホナミさんもひとまず休むと良いわ」


 ガルさんのお母さんは立ち上がると、「部屋を用意してくるからね」と言って二階へと続く階段を登ろうとした。その手前で、何かに気が付いたように、こちらを見る。


「そういえば、自己紹介がまだだったね。私はナザリーラム。ナザリーで良いからね」

「はい! よろしくお願いします。すみません、お世話になります」

「俺はブランヴェイル。ブランで良いよ」

「俺はベルデヴェイル。ベルデって呼んで」

「ホナミです、よろしくお願いします」


 お母さんに続くようにして、弟さん達が自己紹介をする。ガルさんを「お兄」と呼ぶ方の上の子がブランくんで、「兄ちゃん」と呼ぶ方の下の子がベルデくんのようだ。ブランくんは落ち着いていて、ベルデくんは活発そうな印象を受けた。私ももう一度自己紹介をして、にこりと笑うと、弟さん達は私を物珍しそうな視線で見る。その視線に困って、私はついガルさんを見た。


「あんまりジロジロ見ないでやってくれ、ブラン、ベルデ」

「いや〜この人がお兄の番なのかぁと思って……」


 つがい、というのは先程から度々聞くが、私の認識している通り、夫婦という解釈で良いのだろうか。だとしたら、そういった仲ではないのだけれど……。訂正した方が良いだろうか。


「ホナミをからかうなよ」


 ガルさんは短くそう言って、二階に向かったお母さんの背中を追って階段を上がっていった。慌ててそれについて行く。弟さん達は二人で目を見合わせた後、悪戯な笑みで兄を見つめていた。




 階段を上がるガルさんの背中をぼんやり見ながら、獣人とヒトが夫婦として一緒になることはあるのだろうか、とふと考えた。この村は人間は立ち入り禁止なのでなさそうだ。旅の最中で見た獣人達は大抵が従属契約をしているようだったので、仲睦まじい獣人とヒトの夫婦というのは見たことがない。

 そんなもんか、と思いつつも、なんだか少しだけ寂しいような気がした。


 お母さん……ナザリーさんとガルさんが部屋を片付けるというので、私はそのお手伝いをした。細かな雑貨を纏めたり、物をどかした後を拭いたりするのが主な仕事だ。ナザリーさんもガルさんも、やらなくて良いと言ってくれたが、そういう訳にはいかない。何か与えられた役目がある間は、少しだけ気持ちが落ち着くような気もするし。

 ガルさんの部屋と私が使わせて頂く部屋の片付けを終えて、荷物を搬入する。この旅を共にしたトランクケースを見るのもなんだか感慨深い。少しの間ぼんやりとしていたが、ドアをノックする音が聞こえて、私は慌ててドアを開けに走る。ノックしてきたのは、ガルさんだった。


「入っても良いか?」


 私は頷いて、ガルさんを部屋に通す。ガルさんは後ろ手にドアを閉めると、部屋にあるデスクの椅子を引っ張り出して座る。私は窓辺にあった椅子に座り、何気なく窓の外を見た。植えられた木からは白に近い薄桃色の花弁がひらひらと舞い落ちていて、まるで雪のようにも見える。私の元いた世界で言うところの桜に近い。外に出たらぜひよく見たいものだと思いながら、村の恐らく中央に位置する湖の水面が夕陽を反射して輝いているのを見た。のんびりと散歩でも出来たら気持ちが良さそうだ。


「悪かったな」


 ガルさんが謝るので、私は窓辺にやっていた視線をガルさんに戻す。何を謝られているのかも分からず、いえ、と軽く返して首を傾げた。その様子を見たガルさんが、付け加えるように言う。


「色々好き勝手言われて、嫌な思いをしただろう」


 それが村に入る時のことなのか、家に着いてからのことなのか、それともその両方なのかは分からない。察するに、全て引っくるめてという感じなのだろうとは思い、私も返事をする。


「いえ、村の方々にお話しくださってありがとうございました。ガルさんのご家族ともお会いできて嬉しいです。……良いご家族ですね」


 初対面かつ異種族の私を快く受け入れてくれたし、弟さん達も仲が良さそうだ。そういえば、私が何かをしたら全てはガルさんの責任になると話していたことを思い出し、慎重に行動しなくてはと気を引き締める。

 ガルさんは私の言葉を聞き、少し気遣うような視線でこちらを見る。私がもう家族に会える見込みがない事を気遣っているのだろうか。その事については殆ど割り切れてきてはいるし、私が家族と会えないこととガルさんとは無関係だというのは分かっているので、あまり気にしないで欲しいところではある。


「欲しい物とかあったら、遠慮なく言ってくれ。あ、そうだ、明日は村を見て回らないか? 俺も久々だから色々見たいと思っているんだ。案内する」

「はい、ぜひ。案内お願いします」


 私は椅子から立ち上がり、窓の外を見た。やっと来ることができた、ガルさんの故郷。これまで色々な出来事があった。辛いことも悲しいことも、楽しいことも、たくさん。その思い出達が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、今まで出会った人々の顔が浮かぶ。この村にいる間に、今後のことについてガルさんと話をしなくては。従属契約が解除できなかった以上、私とガルさんはあまり遠くに離れることは出来ないが、この村とジュードレアの街くらいの距離であればなんとかなりそうだ。私が命令を使わなければ、ガルさんは契約前と殆ど変わらない生活を取り戻すことができるだろう。私の方は……あの無機質な印象の街で、何をして生きていこうか?


「身勝手かもしれないが……この村を気に入ってくれたら、嬉しい」


 窓枠に置いた私の手を、温かく大きな手が包み込むようにして重なる。後ろから、ガルさんが窓の外を見ているようだった。見上げると目が合って、トパーズの瞳の奥に熱を感じた刹那、心臓に灼けるような痛みが走った。慌てて目を逸らして、混乱する頭を落ち着かせるために景色を眺める。

 穏やかそうな村だ。外を子ども達が走り回っていて、夕飯時の料理の香りが、どこからともなく鼻を擽ってくる。どことなく郷愁を感じるこの村を、ガルさんの故郷を、気に入らない訳はなかった。


「明日が楽しみです」


 私は自分の手に添えられたガルさんの手に、反対の手を重ねた。ゆるく握ると、ガルさんも握り返してくる。ガルさんの長い指が私の指の間にするりと入って、きゅっと絡んだ指と指に体温が上がる思いがした。


「お夕飯にするよ〜」


 ドアの外から聞こえたナザリーさんの声に、私とガルさんは慌てて離れて、二人顔を見合わせて笑ったのだった。

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