第71話 いざ、獣人の村へ
鳥の声と共に目覚める朝は爽やかだ。ベッドから降りて、髪を梳かしに行く。歯を磨いて着替えをして、あとは髪をまとめて帽子に入れ込んだら完成というところで、出掛けていたらしいガルさんが帰ってきた。
「周辺の地図を調達してきた。地形はあまり昔と変わっていないな。これならいけそうだ」
すっかり朝支度を終えているガルさんが、テーブルに地図を広げる。ジュードレアの周りは山に囲まれているが、ガルさんの故郷の村がどこにあるかは分からなかった。それらしきものは、地図には一切書かれていない。街の周辺を隈なく見てみるが、やはり、見当たらなかった。そんな私の様子を見て、ガルさんは「あぁ」と呟く。
「地図には載ってない。一応、魔法で周囲からは分からないようにしているからな。知ってる奴じゃないと入れないようになってるんだ」
ただ、魔法で隠蔽をしている為、魔法が使える人間には看破されてしまうこともあるそうだ。恐らく、フランセスカさんは自分の魔法の力で獣人の村へ辿り着いたのだろう。
「準備が出来たら行こう。明るいうちに着きたい」
私は髪をまとめて帽子に入れ込むと、鞄を持とうとしたが、その前に、と思い出してガルさんにぎゅっと抱き付いた。最近ガルさんが人間だったから、忘れかけていたな……。あれ、でも、今日はガルさんの村へ行くだけなのだからもしかして要らなかったのでは。そう思って慌てて離れようとしたが、ガルさんにぎゅっと抱き返されたために離れることは叶わなかった。
「すみません、今日は要らなかったかも……」
「いや。今日は森を抜けるから、いつもより野生動物や獣人に会う可能性が高い。やっておいた方が良い」
首元にくりくりと頭を押し付けられ、柔らかな毛がこそばゆい。香り付けが終わると、私は今度こそ鞄を持ち上げた。
ガルさんはほとんど迷いなく、森の中を進んでいった。私は見失わないよう必死に後をついていくが、時々先導しているガルさんが振り返ってこちらを確認してくれるので、迷子になる可能性は低そうだった。ガルさんは景色を確認し、時々鼻をひくひくさせ、「こっちだな」と言いながらずんずん進んでいく。木の根っこ、泥濘等の足場の悪さはものともしない。凄いな……と思いながら、山歩きに慣れていない私はひいこら言いながらついて行くしかなかった。そういえばガルさん、森の中の家に居た頃も、時々自作の罠や弓で野生動物を狩っていたな……。
「このあたりだ」
ガルさんが言い、目の前の大木の根っこのあたりを調べ始めた。私も近くへ寄って見てみると、木の根本に何か刻まれているのが見える。ガルさんは近場の石を拾って、その記号のような何かに傷を付けた。
ぶわ、と目の前が明るくなり、眼前に広がっていた「森だと思っていたもの」が、剥がれ落ちるようにして消えていく。その奥から現れたのは、木製の門だった。ほとんど白に近い薄桃色の花を咲かせた木々に囲まれている。ガルさんと同じ狼の獣人が二人、狛犬のように門の両端に立っていた。手には長槍を持っており、いかにも「門番」という出立である。
「……貴様は。同胞のようだが……」
「見覚えのある顔だ。……ガルヴェイルか?」
堅苦しい印象の門番達が、じろじろとガルさんと私を見る。その視線に耐えられず、つい少しガルさんの背中に隠れてしまった。
「あぁ、ガルヴェイルだ。久しぶりだな」
ガルさんが恐らく門番の二人の名前らしきものを呼び、握手を求める。二人はそれに応じた後、門を開けた。
ガルさんに続いて入ろうとするが、門番の二人が私の胸元で槍を交差させ、止める。驚いたものの、なんとなく予想は出来ていたような気がしたため、おとなしく数歩下がった。
「俺の連れだ。悪いが通してくれ」
「人間の立ち入りは遠慮願いたい。ガルの連れでも例外はない」
どうしたものか。ジュードレアに戻る? この森とジュードレアくらいの距離であれば離れても大丈夫そうではあるが、一人で今来た山道をまた戻るというのは中々に非現実的だ。野宿の道具は持ち合わせていないし、野生動物にしても何がいるのか分からないのが恐ろしい。
ガルさんが私の側へ寄り、門番達の槍を手で下げさせる。
「誓って、村に危害を加えるような人間じゃない。俺が保証する」
「例外は無い。人間の立ち入りは厳禁と命じられている」
「なら、族長と直接話をさせてくれ」
ガルさんと門番達があれやこれやと言い争っているのを、申し訳ないような気持ちで見守る。いま、私に出来ることはない。精々無害な人間であることを証明するために、おとなしくしていることくらいだろう。
騒ぎを聞きつけたらしい村人達が、一人、また一人と集まってくる。それはやがてそれなりの規模の人だかりを形成してしまった。
すると、人だかりの中から飛び出した影が二つ、ガルさんに駆け寄ってきた。
「にいちゃん! ほんとににいちゃん⁉︎」
「母さん早く! お兄が帰ってきた!」
ガルさんよりも背の低いその子達は、人間で言うところのハイティーンくらいのように見える。二人の後ろからもう一人出てきたのは、恐らくガルさんの母親であろう人物だった。その人はガルさんの姿を認めると、持っていた籠を放り出してガルさんに駆け寄ってくる。ガルさんをぎゅっと抱き締めると、「あぁ……ガル……本当に……」と呟いていて、側から見ているだけの私が感極まってしまった。良かった、ガルさんが家族に会えて。
「母さん、ブラン、ベルデ、久しぶり。また会えて本当に嬉しいよ。紹介したいひとがいるんだが……」
ガルさんが私に視線をやる。そう言うしか無いと分かっていても妙な言い回しに、内心どきりとした。
「おや、それは楽しみ……って、あの子かい? 人間じゃないか……」
ガルさんのお母さんが、私を見て驚きの表情を浮かべる。そうですよね……と居た堪れない気持ちで縮こまる。分かっていたが肩身が狭い。
「何の騒ぎだ」
重低音が響いたかと思うと、まるでモーセの海割りがごとく人だかりが両端に別れ、その中央から年老いた獣人が現れた。眼光は鋭く、歴戦の猛者のような貫禄のある出立が、かなりの地位と実力を持つ人物であることを感じさせる。
「……ガルヴェイル、無事だったか。随分と見ない間に大きくなった。して、この騒ぎは?」
老獣人が、ガルさんと門番達を見る。門番達は居住まいを正し、体を老獣人へとまっすぐ向けた。
「長、ガルヴェイルが人間を連れて参りました。村に入れろと申しております」
「それで押し問答を?」
「左様でございます」
門番達が答える。今度は、老獣人の視線は私へと注がれた。長と呼ばれているのを聞くに、やはりこの人が族長さんらしい。私もつい背筋を伸ばす。注がれる視線の圧に耐えきれず、何か言わなければという焦りばかりが増してきて、私は考えもなしに口を開いてしまった。
「おっ……お初にお目に掛かります、あの、私は安斉穂波と申しまして、決して怪しい者では……」
そう言う者は怪しいだろ、と脳内ツッコミを入れてしまうが、時すでに遅し。口から出た言葉はなかったことにはできやしない。何とか挽回しようと思うが、これ以上何かを口走るのも良くない気がして、私の言葉は途切れ途切れになってしまった。
「ガルさ、あ、ガルヴェイルさん、の友じ、いえ知り合い? と言いますか……あ、怪しい人間ではなくですね……その……」
ますます怪しさを増していく自分を感じながら何とか言葉を紡ごうとするが、ガルさんが発言したことにより、私はきゅっと口を結ぶ。これ以上私が何を言おうと泥沼だろう。
「俺の連れです。村に入る許可を頂きたい。俺達にとって無害な人間であることは保証します」
「人間の立ち入りは禁じている」
「……俺の、大事なひとなんです。何かあれば、俺が責任を」
ガルさんはまっすぐに族長を見る。その視線を受け止めた族長は、少しの間ガルさんを探るように見ていたが、やがてガルさんの思いを受け止めたようにひとつ、深々と頷いた。
大事なひと、と言ってくれたことが、村に入る便宜上の発言だとしても嬉しい。
「……そうか。では、この者が問題を起こせば、ガル、お前が全ての責を負う。良いな?」
「勿論です。ありがとうございます」
ガルさんが深々と頭を下げる。私も「ありがとうございます」と族長に頭を下げた。頭を上げた時にはもう族長はいなくなっていて、人だかりもいくらか緩和されていた。ほっと、胸を撫で下ろす。安心したのはガルさんも同じだったようで、隣からふう、と細いため息が聞こえた。
門番達を見ると、「何かすればこうだからな」と言い、槍の先で私の腹を小突いてきた。私が妙な行動をすれば、この槍は私の背中へと突き抜けることとなるだろう。寒気を感じながら、こくこく何回も頷く。妙な行動をする気はないが、十分に気を付けようと思う。
「おいで。ガル、と……」
ガルさんのお母さんが、いつの間にか落とした籠を拾い、笑顔で私を見た。私は「穂波です、はじめまして」とご挨拶をする。
「ホナミさんだね」
優しげな笑みを浮かべたお母さんは、ガルさんの弟さん達と思しき二人組を連れ、ガルさんと私に着いてくるように言ってくれたのだった。
ガルさんのご実家へと案内してもらい、広いリビングの中央にあるテーブルについた。ガルさんと私、向かいには弟さん達といった配置で、お母さんはキッチンでお茶を用意してくれている。手伝った方が良いのかと思いつつ、家に着いたばかりの今はそれを申し出るのすらご迷惑になるのではないかという気もして、私はそわそわと視線を彷徨わせるに留まった。
ガルさんのお母さんは落ち着いていて、数年ぶりに帰った息子に、まるで少し遠出をしてきただけというような接し方をしている。
少しして、目の前に紅茶と、お茶菓子として可愛らしいお皿に盛られたクッキーが出てきた。ガルさんのお母さんはようやく席に着き、お茶菓子のクッキーをサクサク食べながらガルさんに話しかける。
「何があったのか、聞かせてくれるかい?」
ガルさんが頷き、村を去ることになった経緯を語り始めた。
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