第10話 全部本心です

 夕飯当番の私は、キッチンに立ち尽くして、ガルヴェイルさんが朝方締めてくれた鳥で何を作るか必死に頭を働かせていた。なにせ丸ごと一羽だ。いや、今日で使い切る必要は無いか。

食材と調味料を確認する。野菜は元いた世界のものとよく似ている。昨日食べた限りだと、味も大差ないようだ。調味料は、スパイス類と塩、酢、砂糖といったところだ。日本人としては、醤油が無いのは痛手だ。


「う〜ん……ぱっと思いつく料理は大体お醤油使ってるよなぁ〜……」


 だからといって、醸造所の人間でもなんでもない私が醤油を一から作っていては、それだけで生涯を終えてしまいそうだ。面白そうではあるけれど。


「塩……胡椒……赤ワイン……、あっ赤ワイン煮!」


 それなら出来そうだ。バターもあるし、そう悲惨な結果にはならないだろう。あとは野菜をサラダにして、パンはあるし、じゃがいもらしき芋をグリルすれば十分か。蒸してじゃがバターも捨て難い。

 メニューが決まれば早速調理だ。よしっ、と気合を入れ直して、キッチンに立った。




「美味そうな匂いだな」


 夕飯を作っていると、書架で昨日の続きの本探しをしていたガルヴェイルさんがキッチンにやってきた。匂いに釣られてやっきてたようで、少し微笑ましく思う。

 鶏肉はあと少し煮込めば充分だろう。フォークを取って柔らかく煮えた肉を少し解して、小皿を受け皿にしながら、ガルヴェイルさんに差し出す。


「味付け、こんな感じでどうでしょうか? 何か足りなければ足しますので」


 ガルヴェイルさんは、逡巡してから、そっと口を開いた。鋭い牙が見える。


「美味いな」


 ガルヴェイルさんがそう言ってくれて、ほっと肩を撫で下ろした。どうやら口に合ったようだ。私も小皿に落ちた煮汁で味見をしてみたが、中々の出来だった。これなら人に出せるだろう。

 誰かの作ったご飯を食べるのも久しぶりだったけれど、誰かにご飯を作るなんて、いつぶりだろうか。やはり、作るにしても、食べてくれる人がいるというのは楽しいことだとしみじみ思う。


「……誰かの作ったメシなんて、いつぶりだろうな」


 ガルヴェイルさんがポツリと呟いたのが聞こえた。見上げるが、視線はじっと、コトコトと音を立てるワイン煮の鍋に向けられている。私もそれに倣って、ワイン煮の鍋を見つめてみた。コトコト。不思議と気持ちが落ち着く。


「私もでしたよ。ありがとうございます」


 昨日も今朝も、ガルヴェイルさんが作ってくれたご飯を食べた時、私も嬉しい気持ちになったのだ。


「あんな適当なので良いのか?」

「適当じゃありませんし、内容でもないですよ。作ってくれたっていうことが嬉しいんじゃないですか」


 ふふふと笑いが溢れる。ガルヴェイルさんは少し照れくさそうな顔をした後、そっぽを向いてキッチンから出て行ってしまった。




 夕飯が出来たのでガルヴェイルさんを呼んだ。呼ばれて少ししてからやってきたガルヴェイルさんは、手に一冊の本を抱えていた。栞代わりに紙が挟んであることから、読んでいる途中らしい。

 ガルヴェイルさんが席に着いてから、飲み物を用意し忘れたことに気付いて席を立つ。グラスを二つと水のピッチャーを用意して席に戻ると、ガルヴェイルさんが手を合わせて小さな声で呟いた。


「イタダキ、マス……」


 驚いた顔でガルヴェイルさんを見る。ガルヴェイルさんの興味は既に料理に移っていて、私の方には見向きもしなかった。温かい気持ちになりながら、私も手を合わせて「いただきます」と呟く。フォークを手に取って、鶏肉を解して口に運んだ。うん、なかなか。


「ん、美味い」

「良かったです」


 二人きりの穏やかな食卓では、カトラリーが皿に当たる音と、外から聞こえる微かな動物の鳴き声しか聞こえない。二日目にして、この生活もそう悪いものではないと思い始めているのは、ガルヴェイルさんの存在が大きいだろう。




 夕飯が終わり、ガルヴェイルさんが食器をキッチンへ下げてくれた。さて洗うか、と思い腕を捲って立ち上がったところで、ガルヴェイルさんが食器を洗いだしてしまった。


「え、やりますよ!」

「お前は飯作っただろ」


 礼って訳じゃねぇけど。そう呟いたガルヴェイルさんは、こちらを見ずに黙々とお皿を洗っている。ガルヴェイルさんには色々とお世話になりっぱなしなのだし、お皿を洗うくらいは私がやったら良いと思っていたが、今回はお言葉に甘えさせてもらうことにした。

 それなら私はその間にお風呂の用意をしようと、お風呂場へ向かった。




 お風呂に入り終え、寝る前に文字と言葉の勉強をしようとガルヴェイルさんに頼み込む。すんなりとオッケーを貰えて、私は自分の部屋から昨日もらった白紙を何枚か持ってきた。


「簡単な文章いくか」


 ガルヴェイルさんがペンを取って紙にさらさらと書き綴る。ガルヴェイルさんの書く字は、形をハッキリと書いてくれていて読みやすかった。


「これで、『私の名前は、アンザイホナミです』」

「ここの部分が、安斉穂波、ですか?」

「ああ。当て字だがな。一番近い音のものを選んだだけだ」


 ガルヴェイルさんの書いた文章を、手元の紙に書き写す。


「ガルヴェイルさんのお名前は……こう、ですか?」


 昨日覚えた音と文字とを照らし合わせて推測して、書いて見せてみる。


「惜しいな。こっちだ」


 私の書いた文字のすぐ下に、ガルヴェイルさんが正しい綴りで自分の名前を書く。文字を一文字間違えてしまったようだ。


「すみません。覚えが悪くて……」


 文字と発音は昨日、教えてもらったばかりなのに。言語というのは難しい。落ち込んだ気持ちでいると、ガルヴェイルさんがじっとこちらを見て言った。


「ここは初学者が間違えやすい箇所だ。別に、お前の覚えが悪いせいじゃない」

「ガルヴェイルさん……」


 言い聞かせるような口調で、はっきりと。目の奥が少しだけ熱くなる。元の世界では毎日、自分の不甲斐なさを噛み締めていた。仕事で失敗した時はいつも首を垂れて、上司の机の前で、自分の靴の先ばかりを見つめていた。今私の目には、自分の靴ではなく、琥珀色の瞳が映っている。しばらく見つめ合ってから、ガルヴェイルさんが目を逸らした。


「……その見た目でしおらしくなられると気味が悪いからやめろ」


 私は今、フランセスカさんの容姿だ。フランセスカさんは気の強い女性だそうだから、こんな風に惨めったらしく落ち込んだりはしないのだろう。そう思うと、少しだけ、強くあろうという気持ちになってくる。

 気を取り直してぐっと前を向き、勉強を再開した。


 私が黙々と勉強をしている間、ガルヴェイルさんは、私の質問を受けながら、読みかけていた本を読んでいた。表紙に書いてある文字の発音くらいは出来るようになったが、それがどういった意味なのかはまだ分からない。


「お茶淹れてきますね」

「ああ、悪いな」


 立ち上がってキッチンへ向かう。紅茶を淹れながら、真剣な眼差しで本を読んでいるガルヴェイルさんを見ると、伏し目になった琥珀の瞳を縁取る白銀の睫毛が、部屋の明かりで微かに頬に影を落としていた。

 美しい、と思う。彼の顔立ちは、獣人の中でも精悍な部類に入るのではないだろうか。


「……いや、分かんないな」


 ぽそりと独り言を呟く。私には獣人の顔の良し悪しなんて分かる筈もなく、そもそも美的感覚が獣人と人間とで同じなのかさえ分からない。ガルヴェイルさんの顔が良かろうとそうでなかろうと、私は美しいと感じるのだから、それで良いのだ。




 ガルヴェイルさんの元に紅茶を運ぶ。大きな手が繊細にティーカップを持ち上げるのを、にんまりとしながら見つめていると、ガルヴェイルさんは不審そうにこちらを見つめ返してきた。


「何だ」

「ガルヴェイルさんが居てくれて良かったです」

「……は?」


 思わず言ってしまった私に、ガルヴェイルさんは心底意味が分からないという顔をする。ここまで口を滑らせれば後はどれだけ滑らせても同じだと思い、私は言葉を重ねる。


「意外と面倒見の良いところにも、実は優しいところにも、すごく助けられてます。ありがとうございます」

「……意外とか実はってのが気になるが、まあいい。確かに、魔女が言わなそうなことではあるな」

「えっ⁉︎」


 なんと、契約解除トリガを探していると思われた。私の心からの言葉なのだけれど……。


「……もう。全部本音なのに」

「もう良い時間だ、早く寝ろ」


 読んでいた本を音を立ててパタンと閉じて、ガルヴェイルさんは立ち上がった。その際にテーブルに足をぶつけ、痛そうな音が部屋に響き渡る。短く悲鳴を上げたガルヴェイルさんはぶつけた箇所を押さえるが、私が見ているのに気が付くとすっと手を離して、さっさと自分の寝室へと向かっていってしまった。


「……照れた…………?」


 可愛らしいところも、あるものだ。

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