第9話 出来ることからやっていきます

 ソファは思ったよりも快適で、異世界一日目の夜はぐっすりと眠ることができた。出窓から入ってくる日光と、鳥の鳴き声で目を覚ました私が浴室へ顔を洗いに行こうとすると、ガルヴェイルさんは既に起きて、キッチンで鳥を絞めていた。思わずぎゃあと声を出してしまい、ガルヴェイルさんがこちらを振り返る。なんて事ない顔をして作業を続けながら、起きたか、と言う彼の手元で足を縛られていく鳥を見て、今日のお夕飯は私が作るつもりだけれど、あの鳥をどう調理したものか、と思案する。


「おはようございます、ガルヴェイルさん」


 吊るされていく鳥からやっと視線を外し、ガルヴェイルさんに挨拶をした。それから朝支度をしに浴室へ向かい、顔を洗う。フランセスカさんの部屋へ、日中着る物を拝借しに行くが、クローゼットには黒を基調とした大胆な服が所狭しと敷き詰められていた。私が着られるような服はあるだろうか。いや、今はフランセスカさんの容姿なのだから、着ても似合わないと言う心配は無いはずだ。とはいえ、深めのスリットの入った服や、胸元の大きく開いた服、肩と背中が大きく出る服を着る勇気は私には無かった。すっかりスーツとオフィスカジュアルがメインの服装になっていた私には、それらの服はもうどこか遠い存在になってしまっていたのだ。

 なんとか比較的おとなしいエプロンドレスを見つけ、下にシャツを着て身なりを整えた。動き辛くはない。当面、この系統でいこう。他にも何着か見繕い、自分の部屋へ運ぶ。昨日ロフトから運んでもらったクローゼットにそれらをしまい、私はリビングへ向かった。




 朝食は、ガルヴェイルさんが作ってくれていた。目玉焼きにカリカリベーコンらしきもの、焼いた芋、新鮮な野菜のサラダがワンプレートに乗っている。バスケットにはパンが入っていて、隣にジャムの瓶が置かれていた。昨日のお昼にスコーンに添えて出してくれた、木苺のジャムだろうか。そもそもこの世界ではあの焼き菓子がスコーンであるのか、ジャムに使われた果物が木苺なのか、私には知る由もないが。取り敢えずは、元いた世界で見知っているものに例えて呼んでおこう。

 私はいそいそと席に着き、素敵な朝食を拝んだ。キッチンの窓から差し込む光がガルヴェイルさんを照らし、私には後光のように思える。寝に帰るだけの一人暮らしの部屋で、前日にコンビニで買ってきた適当なパンを頬張りながら憂鬱な気分で支度をする朝に比べれば、なんと優雅なことだろう。


「頂きます……」


 朝食を完成させて席に着いたガルヴェイルさんは、泣きそうになりながら手を合わせる私を見て、明らかに不審なものを見る目をした。




 朝食が終わり、食器を片付けた後、ガルヴェイルさんは家の裏の菜園を案内すると言ってくれた。喜んで着いていくと、昨日ログハウスに到着した時には分からなかった、菜園と家畜小屋が見えた。世話はガルヴェイルさんがしているらしい。フランセスカさんがやるはずが無いであろうことは私にも何となく想像が出来た。家畜小屋には、鶏とよく似た生き物が数匹、のっしのっしと歩いている。私が鶏としてイメージするものより一回りは大きいが、体型はスリムで、足は逞しく地面を踏み締めていた。艶のある茶色の体毛が朝の光を受けて煌めき、長い尾羽は濡羽色に輝いている。溌剌とした生命力を感じる出立ちだ。

 隣の菜園には野菜らしきものが育っていて、葉に朝露を蓄えていた。指でつつくと露が葉をつるりと滑り落ちる。


「ガルヴェイルさん、明日は私も一緒に、この子たちのお世話と植物の水やりと収穫、やらせてください」


 この家でお世話になる以上、ガルヴェイルさんに全てを任せきりという訳にはいかない。私も家事や毎日のルーティンを覚えて、少しでも出来ることをやらなければ。

 頑張って覚えますね、と言うと、ガルヴェイルさんは何だか意外そうな顔をして頷いた。




 さて、今日も私達のやる事は、ガルヴェイルさんとフランセスカさんの従属契約の解除方法探しである。

 リビングのテーブルに向かい合って腰掛けた私達は、神妙な顔をして考え込んでいた。内容は、解除のトリガが一体何なのか、ということである。


「昨日探した限りでは、手掛かりナシだ。ま、この家に本やメモの類なんて腐るほどある。片っ端からやっていくしかねぇな」


 ガルヴェイルさんが言う。この世界の文字がまだ読めない私のミッションは、とにかく色々な動きや行動を試してみることである。


「まず前提として、解除トリガに設定する動作や言葉は、本人が普段使わないものだと考えられる」


 日常ではしない動作や、言わない言葉を設定するのは、誤って契約が解除されてしまうことを防ぐ為だという。


「後は、容易に想像できるのはNGだな。主人を騙してやらせる僕もいるだろう」


 何らかのサービスにログインする時のパスワードみたいなものである。単純なものでなく、容易に想像できるものではない何か。……難しい。


「とにかく、あいつがやらなそうな動作を片っ端から試そう」

「と、言われましても……」


 やらなそう、というのはざっくりしすぎているし、私はフランセスカさんを間近で見たことがある訳でもないので、想像するにも材料が足りなすぎる。


「フランセスカさんが具体的にどんな人なのか分からないので、なんとも……」

「性悪、守銭奴、狭量、プライドが高い」


 指折り紡がれていく罵詈雑言に、何をすればそこまで嫌われるのか疑問に思う。二人にしか分からない何かがあるのだろう。

 私は深呼吸をして、取り敢えず思いついたものは全て試してみることにした。


 ぶりっ子ポーズでウィンクしてみる。違う。

 ブリッジで歩いてみる。違う。ガルヴェイルさんが「うおっ……」と小さく悲鳴をあげる。

 一昔前に流行ったドラマのエンディングのダンス。違う。

 見様見真似のボディービルダーっぽいポーズ三連発。違う。ガルヴェイルさんがちょっと笑う。


 果てしなさと疲れを感じた私は、溜息を吐きながら椅子にどっかり座った。こんなものをほとんどノーヒントでやっていても埒があかない。


「思い付いた時に少しずつ試します……」


 しょんぼりとしながら言うと、ガルヴェイルさんは「そうしてくれ」と言い、口を手で覆いながら顔を背けた。肩が小刻みに震えている。


「あっ! 笑ってますね⁉︎」

「ふは、悪い……っくく……」


 人が一生懸命やってるのに! と噛み付くが、ガルヴェイルさんはすっかり笑いが止まらなくなってしまったようで、今度は包み隠さず声を上げて笑った。

 ガルヴェイルさんが、心から笑っているのを見るのは初めてだ。私も段々と面白くなってきてしまって、一緒になって声を出して笑った。


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