第4話 希望が砕け散りました
ここは、ダナロエ王国というところにある、北の町ドルト、だそうだ。どこも知らない地図を見つめながら、不安と焦燥感に潰されそうになる。ここは、私の全く知らない世界らしい。所謂異世界というものだろうか。
「ニホン……というのは聞いたことが無いな。お前はこの国、いや、この世界の住人じゃないんじゃないか?」
やたらと冷静なガルヴェイルさんは、私よりも早くこの事実を受け止めていた。こんな非日常的な、非常識な事態、そう易々と受け止められるものではないと思うけれど。
それが表情に出てしまっていたのか、ガルヴェイルさんはこちらを見て話し始めた。
「このところ、魔女は人間の魂を入れ替える魔法に傾倒していた。それを使ってここではない世界へ行くのだと本気で信じていて……俺は、そんなもんが成功する筈がないと思っていたが、まさかな……」
ガルヴェイルさんが頭をがしがしと掻く。魔法というものはファンタジーの世界のものと思ってきた私にとっては、俄には信じがたい。
「憶測だが、あいつは今際の際にそれを使って自分とお前の魂を入れ替えた可能性がある」
「魂を入れ替え……? その、さっきから仰ってる魔女? っていうのは一体……?」
ああ、とガルヴェイルさんが、今更気が付いたように頷いた。
「そう言えば聞かれていたのに答えていなかったな」
こくこくと頷いてガルヴェイルさんの言葉を待つ。その顔で殊勝な態度を取られるとどうにも調子が狂うな、と呟いたガルヴェイルさんは、腕を組んで何かを考えながら話し始めた。
「魔女……俺が魔女と呼んでいる、お前と入れ替わる前の奴のことだが、名前をフランセスカと言う。各地を旅しながら薬を売って生計を立てていた。腕は確かだが兎に角法外な額をふっかける奴で、対価を支払わない奴はどんなに請われようがどんな事情があろうが絶対に助けない。加えて性根がひん曲がっていて、随分と人に嫌われていた」
随分な言い様だと思うが、ガルヴェイルさんの私に対する最初の反応を見る限り、事実なのだろう。そんな人物の体に、ガルヴェイルさん曰く魂が入ってしまっている、ということであれば、なんだか先行き不安である。
「あいつは魔法の腕も確かだったが、毎回ふん縛って命令するような魔法の使い方をしたから、精霊達にも嫌われて段々精霊魔法は行使出来なくなっていった」
「その、精霊? というのは……?」
ガルヴェイルさんがぽかんと口を開け、一秒後にはうーんと頭を抱える。一から説明をするのが面倒なのだろう。私だって出来る限り理解はしたいけれど、この世界の理は私の元いた世界とは随分と違っているようなのだ。それにしてもフランセスカさんというのは嫌われ放題嫌われているようだ。その人の容姿でいることに一層の不安は募る。
「俺は魔法使いじゃないから詳しいところは知らんが、魔法を使うには、精霊に協力を仰ぐ必要がある。火の魔法を使うなら、火の精霊と契約をして、力を貸してもらう代わりに求められた対価を支払う必要がある」
「な、なるほど……」
「精霊は基本、友好的な種族だ。その好意につけ込んでいかに低い対価で言うことを聞かせるかがあいつのモットーだった。心の広い精霊達もそのうち呆れ果てて、あいつの呼び掛けに応じなくなっていった」
「ひええ……」
青ざめていく私に、ガルヴェイルさんは少しばかりのフォローをしようと思ったのか、「ひとたび魔法を使いさえすれば精霊を使役する技術は一流だったが」と言ったが、私にとって何の慰めにもならなかった。ガルヴェイルさんが言うには、彼女は精霊魔法というものがあまり使えなくても、人の精神に働きかけるような魔法の方が元々得意であった上に、薬の調合技術があったため、食うには困らなかったそうだ。そしてその、人の精神に働きかける魔法というものの高位にあたるのが、人と人の魂を入れ替えるというものらしい。
「とりあえず、魔法についてと、そのフランセスカさんの人となりは分かりました」
「俺もあいつに対して良い思い出があまり無いもんで、良い話ができなくて悪いな」
悪いのはフランセスカさんでは、と思ったが、言葉には出さないことにする。
「あの、何故わた……フランセスカさんは、火炙りにされていたのでしょうか?」
川に落ちて意識を失い、次に目が覚めた時には私はフランセスカさんの体で火炙りにされていた。フランセスカさんは、一体どのような事情があって火炙りにされていたのだろう。
私の質問に対し、ガルヴェイルさんがなんてことも無いような調子で言う。
「処刑だ。フランセスカは罪人として告発された。売った薬が紛い物だって疑惑をかけられて、それまでに買った恨みつらみもあいまって死刑まっしぐらだ。実際俺だってあいつが死んでくれりゃ万々歳だった」
あんまりにもあんまりな言い方に、少しだけフランセスカさんに同情の念も湧きあがってきてしまう。しかし、私はフランセスカさんが実際にどんな人で、何をしたのか見ていないのだ。ガルヴェイルさんがここまで言うには、相当苛烈な人だったのだろう。いっそ生身の彼女と関わらなくて済んだ幸運を喜ぶべきだ。
ふと、ガルヴェイルさんの死んでくれれば、という言葉に疑問を持った。そう思っているのであれば、あの場で処刑台から私……フランセスカさん、の体、を助け出す必要性など無かったはずだ。その上あの時、ガルヴェイルさんはフランセスカさんの中身が私だと知りもしなかった。
「あの、それならどうして、ガルヴェイルさんはあの場で私を助けてくれたのでしょうか」
私の疑問に、ガルヴェイルさんは右手に嵌めていた手袋の指先を噛み、乱雑に外した。そうして露出した手の甲を、こちらに見せてくる。そこには幾何学的な模様が刻まれていた。その模様が目に入った途端、私の右の手の甲が淡い光を放ち熱を持つ。慌てて確認すると、そこにはガルヴェイルさんの手の甲と同じ模様があった。
「従属の契約の印。俺はお前……フランセスカの眷属だ」
「けんぞく?」
「下僕みたいなもんだ。この印がある限り、俺はお前の命令に逆らうことができない。さっきはお前が助けられることを願ったから、俺は助けざるを得なかった」
自分の手に浮かび上がってきた印をまじまじと見る。なるほど、私が願った、私のことを助けてくれて尚且つ自分も怪我をしないで済むようなヒーローは、ガルヴェイルさんだった訳だ。
「これは印を媒介とした契約だ。お前がフランセスカの体を持つ以上、俺の主はホナミ、お前ということになる」
「なんだかややこしいんですね……」
「そうか? 簡単だろ」
とにかく、私、というかフランセスカさんの体が火炙りにされていた理由と、ガルヴェイルさんが私を助けてくれた理由も分かった。ここが異世界らしいということも。これ以上何か聞くことがあるだろうか。あ、そういえば前々から気になっていたことがあったのだった。
「ガルヴェイルさん、私、この国の字は読めないのですが、言葉は分かるんです。今もガルヴェイルさんと喋れていますし。これって何故なんでしょう?」
「は?」
私に聞かれたガルヴェイルさんは暫く考え込むように俯いたが、やがて顔を上げ、自分の耳をトントン、と指で叩いた。
「ガルヴェイルさんのお耳が良いからでしょうか」
「違う。ピアスだ」
言われて、自分の耳元に手を当ててみる。確かに、ピアスらしき凹凸が指に触れた。ガルヴェイルさんが、外せ、というジェスチャーをしているのを見て、私はキャッチを摘んで外し、ピアスをテーブルに置く。目の前のガルヴェイルさんが何かを話したのが見てとれたが、先程と違って全く何を言っているか聞き取れなかった。未知の言語である。私も喋り返してみるが、ガルヴェイルさんにとっても私が何を言っているか分からないようで、首を横に振られた。私は慌ててピアスを元に戻す。
「そのピアスはあいつが作った魔道具だな。自分の言葉を相手の理解できる言語に、相手の言葉を自分の理解できる言語に翻訳する精神干渉の魔法が組み込まれている」
そういやずっと前にそんな話を聞かされた気もするな、とガルヴェイルさんが一人納得したように頷いた。フランセスカさんは旅をしながら薬を売って生計を立てていたと言っていた。なるほどこれがあれば、どんな国に行っても、言葉に困ることはなかっただろう。この道具のお陰で私も会話に困りはしないが、文字が読めないのはやっぱり生活に支障が出るかもしれない。文字だけなら、これから勉強すればなんとかなるかな……。それとも、このピアスのような便利道具の文字版もあるのだろうか?
「これ、文字が読めるようになるものもあったりしませんか?」
「確か、眼鏡みたいなもんがあった筈だが。あるとすれば、あの机の辺りか……」
ガルヴェイルさんの言葉が終わらないうちに、指をさされた方へ向かい、雑多に物が積み上げられた机のものをせっせと退かしていく。眼鏡、眼鏡。それがあればこの世界の本も読める。そうすればこの世界に関する知識も得られるし、沢山の興味深い本達が読めるかもしれない!
そう喜び勇んで机を漁っていると、積み上げられた雑貨が音を立てて崩れ落ちた。いけない、と拾い上げようとして一歩踏み出したその時、私の足元から「パリン」と、今最も聞きたくない音が聞こえたのである。
恐る恐る足を退ける。私の靴の下には、レンズの粉々になった眼鏡があった。リムは歪み、テンプルも曲がってしまっている。物は試しと一応かけてみるものの、レンズの向こう側の文字は、やはり理解できないままだ。割れたレンズの向こうで、ガルヴェイルさんが憐れむような視線を向けてくる。
人生、そう甘くはない。真面目に勉強するしかないようだ。
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