第3話 私は魔女ではありません

 私がしょぼくれた顔をしていると、見兼ねたらしい獣の彼がログハウスを指差して、一先ず中へ入って話そうと言ってくれた。今にも泣きそうになりながら頷くと、彼はやっぱり不可解そうな顔をしていた。


 ログハウスの中は、外から見たよりも広く感じた。様々な薬品らしきものが棚へ所狭しと置かれている。理系でない私には使い方がよく分からない実験道具らしきものも沢山ある。本棚には様々な本がひしめき合っていて、本が好きな私は手に取りたい衝動に駆られたが、背表紙を見てはたと気が付いた。


文字が、読めない。


 何処の国の文字だろうか。英語でも、当然日本語でもなく、形すら見たことが無いような記号の羅列だった。

 ……文字すらも全く知らない言語くらい、あるに決まっている。私は言語に明るくなんてないのだから……。

 むくむくと湧き上がる不安を抑えながら、そう思い込むことにした。

 あれ。それならば、何故獣の彼とは会話が出来ているのだろう。日本語を話している訳がないのだから、言葉なぞ通じる訳がないのに。

 思考をぐるぐると巡らせていた時、キッチンへ行っていた彼が飲み物とお菓子を持って帰ってきた。少しだけほっとした気持ちになる。


 猫脚のテーブルに二人、対面して腰掛ける。目の前に暖かい紅茶と、スコーンのような焼き菓子が差し出され、その光景にほろりと睫毛から涙が零れ落ちてしまった。


「で、さっきのは何だ。お前、本当に魔女か? まるで別人……」

「まじょ?」


 スコーンのようなものを頬張りながら聞き返す。先程は私から散々質問しておいて、お茶とお菓子に夢中になっているのも失礼だと思い、慌ててスコーンを飲み下した。添えてあった木苺らしきジャムは、自然の甘みと酸味で非常に美味しかった。


「魔女……って、何ですか? あ、いや、言葉の意味は分かりますよ。魔法を使う女の人ですよね。でも、私はその、魔女? ではありません」


 目の前の獣の彼が、ますます眉間の皺を深くする。私のことを怪しむ気持ちは変わらないようだ。それはそうだろう。私だって、私のような得体の知れない人間のことは怪しむに決まって……と、そこまで考えて、ふと、私は一体どのような容姿なのか気になった。鏡が手元に無いために顔は分からないが、手も足も身体つきも、以前の私とは違っている。


「それならお前は誰だよ」

「えっと……都内でOLをしてます、安斉穂波といいます」

「トナイ? オーエル? ……何を言ってる?」


 やっぱりおちょくってんのか、と彼が呟く。私は一生懸命に首を振って否定するが、彼にひと睨みされ意気消沈して黙り込んでしまった。自分のこういうところがいけないのは分かっている。

 彼が苛ついた様子で机を指でトントンと叩く。鋭い爪が見えて、あれで引っ掻かれたら私なんてひとたまりもないだろうと想像してしまい、再び背筋に寒気が走る。しかし、彼はいつでもそれが出来るのに、私の話を聞こうという姿勢を見せたのだ。まだ話し合いの余地は十分にある。何か話すのだ。

 私が紅茶で喉の渇きを潤している間、彼はじっと、妙に用心深く、探るように私を見た。ソーサーにティーカップを置く手が震えて、カタカタと音を立てる。それを一瞥した彼は、ため息混じりに言った。


「アンザイホナミ……変わった名だな。ここいらじゃ聞かない響きだ」


 彼から歩み寄りの姿勢を感じて、少しばかり嬉しくなる。


「穂波で良いです。あの、あなたのお名前は?」

「……ガルヴェイル」

「ガルヴェイルさん。あの、色々教えてください。ここはどこなんでしょうか」


 ガルヴェイルさんはまだ険しい顔をしつつも、立ち上がって本棚へと向かい、そこから一枚の紙を取り出した。四つ折りにされていたそれを広げると、どうやら地図のようだ。けれど探しても探しても、私の慣れ親しんだ形は見当たらなかった。


「今いるのはここ」


 ガルヴェイルさんが地図を指差し、指先でトントンと叩く。当然だが知らない形の国で、文字も読めやしない為名前も分からない。


「すみません、私、文字が読めなくて……」


 は? という顔でこちらを見たガルヴェイルさんは、何かを考え込むように俯くと、少しして顔を上げ、私の両頬を押さえて瞳を覗き込んできた。吸い込まれそうな綺麗な琥珀色と目が合い、心臓が跳ねる。


「本当に、魔女じゃないんだな」

「ち、違います……」

「俺を騙して遊んでいる訳じゃないと」

「そんなことするはずがありません!」


 温かな手と琥珀色が離れていく。ガルヴェイルさんは細くため息を吐いて、「信じよう」と言った。


「信じてくれるんですね……!」

「ああ。本当にあの性悪魔女なら、流石にこれだけやりゃキレるはずだしな」


 紅茶には自白剤を混ぜたがお前は気付いた様子も無く飲んだし態度も変わらなかった、俺に触られて振り払いもしないなんぞあいつなら有り得ん、とガルヴェイルさんは言う。さらっと言われたのでその時は深く考えなかったが、紅茶に盛られていたなんて。おもてなしに喜びすらしたのに。

 打ちひしがれる私とは裏腹に、ガルヴェイルさんの表情はいくらか和らいでいた。


「そうとなれば、お前が気になっていることは教えてやろう。その代わり、俺の頼みも聞いてもらう」


 私は少しだけ虚しい気持ちで頷いた。けれど、少しだけ、事態は進展したのだ。

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